プロローグ その2


 ミレイユと名乗っていた女性、その人物の本名は、御影豊みえいゆたかといった。

 他人に自慢できるものを持たない、特別な取り柄もない凡人だった。

 特に目立った成績を残した訳でもなく、特にスポーツや武道に触れることもなく、流されるままに受験を経て大学を卒業し、身の丈にあった職場に就職し、そして未婚のまま三十歳も半ばを過ぎた。


 趣味と言えるものは、ゲームをプレイする事ぐらい。

 未来に希望を持たず、だから現状を変えようとするほど不満もなく、日々を惰性で生きていた。

 その日も時間潰し程度の認識で、休日にゲームを遊んでいた。


 切っ掛けは単によく広告で目にしたから、というありきたりなものだった。気まぐれにプレイしてみて、そして見事にハマった。

 そのタイトルを『神人創造ゴッドバース』という。

 アクションRPGとして高い自由度を誇るそのゲームは、遊ぶ度に新しい発見がある作り込みと、細部に渡って練り込まれた設定も相まって、夢中になれる要素に満ちていた。


 自身のキャラクターは勿論、仲間キャラにも痒い所に手が届くカスタマイズ性があり、逆にその多岐に渡る豊富な選択肢が不満点になり得るほどだった。

 自身に覚えさせるスキルに制限はなく、戦士系であろうと魔術師系であろうと好きに習得させていくことができる。ただし、そうして作っていけば自然と器用貧乏となって強いキャラクターにはならないので工夫が必要だった。


 その工夫の一つが神器というアイテムを使ったパワーアップで、スキル上限の突破の場合、最終的にはどのスキルも最大値まで上昇させることができた。やりようによっては、あらゆるスキルを高レベルで習得することも可能である。

 そうして満足いくまでキャラクターを作り込み、幾つものシナリオ、サブクエをクリアしていった。そしてとうとう、やることもなくなったと思ってエンディングを迎えた後、スタッフロールを見ていた時、御影豊は意識を失ったのだ。


 そして気づけば見知らぬ土地。

 見知らぬ――しかし確実に見覚えのある、あのゲームの世界に降り立った。


 ――まるでゲームの世界みたいだ。


 それが最初に抱いた感想だった。

 実際、自分に見えているのは夢の産物だと思っていたし、それだけハマっていたんだな、と楽観的に考えていた。


 それでも次第に気付くことになる。

 草の匂いや土を踏む感触、肌を撫で髪を乱す風、どこか遠くから聞こえる鳥の鳴き声や虫の声に。

 非現実的な現象を、現実に目の当たりにしている。


 混乱の極みにあって、座り込み、土を掻いて草を引き千切り、そして頭を掻き毟ってハタと気づいた。


 ――これは自分の腕じゃない。


 よく見ればその手も、爪先も、手の平までも、自分のよく知るものと違っていた。

 明らかに女性的な手をしていたし、大きさも一回り小さくなっているように見えた。慌てて腹の方へ視線を下げれば、明らかに自分にはない筈の双丘に視界が遮られていた。

 視線を左右へ巡らせて小川を見つけ、自分の顔を確認してみれば――。

 そこには自分がゲームで造ったキャラクターの顔が映っていた。


 小川に顔を浸せば冷たい感触、次第に苦しくなる呼吸。顔を上げて滴る水を茫然と見据えながら息を整え、そこでようやく理解した。

 ここに至って、もはや夢が覚めれば全て元通りなどと思っていられない。

 あるいは死ねば帰れるのかもしれないが、そのまま死んでしまうリスクを考えれば、とりあえず自殺してみようなどと考えられる訳もない。

 何よりゲームではないのだ。

 とりあえず試そう、で死んでみるほど向こう見ずでもなかった。




 最初は助けを待ってみる事も考えた。

 いや、単に動く事が怖かったのか。何が起こるか分からない、何かが起こったとして、それにどう対処すればいい。

 そういう思いが二の足を踏ませ、現状から動き出そうとする意思を挫いていた。


 誰でもいいから何とかしてくれ。

 そういう思いが頭の内を占め、無意味にその場へと体を縫い付けていた。

 日が傾き、遠くに雲が流れていくのを見ながら、不意に思いついた事がある。


 もしも、ここがゲームの世界ならば。本当にゲームの世界に入ったのならば、そこにはきっと数々のアイテムがある。武器があり、防具があり、ポーションがあり――。

 そして村があり、町があり、国があるだろう。

 洞窟もあれば要塞もあり、そして遺跡もあるに違いない。


 エンディングに至るまでのストーリーラインがあるかはともかく、物語として最後に辿り着く場所には『遺物』がある。あらゆる願いを叶える、ドワーフの遺産が。


 気持ちが少し上向くのを感じた。


 ゲームをやり込んだ自分ならば、そこに辿り着く最短ルートを知っている。

 簡単な事ではないのは確かだが、雲を掴むような話でもない筈だ。もしも、の前提からして違っていればどうしようもないが、しかし希望と呼べるものはそれしかない。


 御影豊にとって、ゲームの世界で遊びたい、その世界の住人になりたい、というのは空想するだけで十分だった。育った文化と大きく違う生活は、多大なストレスをかけることを知っていた。


 いずれにしても――。


 覚悟を決めねばならないだろう。

 多くの時間を無駄にした。日の傾き具合からして、後三時間もせずに日が落ちる。

 それまでに野営の準備をするか、せめて風雨を凌げる屋根のある場所を探さねばならない。町がある場所については、現在地が何となく分かるお陰で当たりもつく。

 急いだほうがいいな、と気持ちを新たに、御影豊は立ち上がった。




 結果として、その決断は功を奏した。

 目的の町を見つける事はできたし、町の構造も宿の場所も、町の為政者が誰なのかも、御影豊がプレイしたゲームの内容と変わりない。

 ただし全てが同じという訳でもなかった。商品の品揃えが違う、いるべきNPCがいない、誰もが排他的で会話ができない、など。

 そもNPCではなく生きた人間なのだ。出会ったばかりの人間に、友好的な者ばかりではない。


 細かな部分を上げればキリがないが、それでも行動指針の助けになったのは確かだ。

 予想されうる危険や、自分が出来る、出来うる行動は明らかにゲームで身に付けた知識が通用する。それが分かってから、行動は少しずつ大胆になっていった。


 どういうNPCが頼りになるか知っていたし、パーティに加える人選も迷いはなかった。

 本来なら信用できるか、力量は十分か、自分達と噛み合う戦力であるか、考えるべき事柄は多くある。しかし、それらを全て飛ばして最適解を選べる。


 冒険者としてこの世界を旅するなら、どうしたらいいかなど少し考えれば、すぐにでも分かることだった。他の面々からすれば、頼りに感じると共に不気味にすら思えたかもしれない。

 決断が異常に早く、考えなしに見えて、しかし結果は上々。

 パーティとしての齟齬が生まれても、気にする程のことでもなかった。

 そもそも長居する世界でもない、今だけ上手く回ればいい、楽観とも諦観とも取れる考えで行動していた。


 それが良くなかったのか、本来は最短ルートで『遺物』へと辿り着く筈だったものが大幅に逸れ、世界を三度も救うことになった。

 世界を焼き尽くそうとする竜、全ての生物を闇の中に閉じ込めようとする魔族、利己的な理由で人類支配を目論む堕ちた小神。

 また、世界を救うというほど大規模なものでなくとも、迫害されて数を減らすばかりだった人種を救い一地方を平和に導いた。


 いずれも必要ないのに、出来るから、という理由で駆り出され、そして本当にやり遂げてしまうのだから質が悪かったのかもしれない。

 誰もが頼みにするし、誰もがそれを望む。


 尚も追い縋ろうとする者たちを無視し、神の試練を超えて神器を手に入れ、そうしてようやくドワーフの遺産へと辿り着いたのだ。


 ゲームにおいて、『遺物』とは最後のお楽しみ要素として存在する。

 前提条件を満たしていれば選択肢が提示され、そこから神器の数に応じて種類が変動する。


 選択肢の内容は様々で、大量の金貨を手に入れる、最強の武器を手に入れる、などがある。大抵の場合、クリア出来る前提の状態にあるので、蛇足に近いオマケで多くは魅力を感じない。


 では一番の要素として何があるのかというと、それはここでエンディングを迎えられるという点にある。ゲームの内容自体においても、シナリオクリアがゲームクリアではない。

 この『遺物』を使って最大数の神器を捧げた上で『神となる』を選ぶことで、初めてエンディングを迎えられ、スタッフロールが流れる事になる。


 御影豊の目的はまさにこの、願いを叶える『遺物』だったのだが、旅の間に考えていたことがあった。

 それは、願いを叶えるシステムが、選択肢形式で願いを提示しそれを叶えるのか、それとも言葉にした事をそのまま実現するのか、という問題だった。

 今までゲーム世界で過ごして来た中で、選択肢など登場したことはない。会話は生きた人間と行うものなので、そんなものが出る筈もない。

 ならば、『遺物』もまた、選択肢ではなく言葉を発して願いを伝えるのではないか。

 しかし、ゲームシステムの外に降り立っている今、それが真実帰れる手段になるか保障はない。願いなど叶わず、あるいは叶えられる願いには限りがあるのかもしれない。


 ならば、ここでゲームのとおりに『神になる』を選んだとしたら、どうなるのだろう。それでエンディングを迎えたら、そのまま自分の世界に帰れる、というのは無理筋な気がする。


 あらゆる願いを叶える、というのがどの程度までのことを実現させるのか、それは定かではない。しかし、もはやそれに賭けてみるしかなかった。


 そして結果的に、ゲームにあった選択肢を口にするのではなく、新たに自らの望みを口にしたのは正解だった。

 御影豊は無事、望みを望みのまま叶える事ができたし、元の世界にも帰る事ができた。


 だから当然、それを歓迎しない者たちがいた事など知る由もなかった。

 天高くから見守っていた存在が臍を噛む思いをしていたことも、残された者たちが何を思っていたのかも。




 望みのものが目の前で、唐突に失われたとなれば、それは一体どう思うだろう。

 諦めと共に捨て去るのか、それとも執念と共に、今再び取り戻そうと手を伸ばすのか。

 御影豊が諦念と共に流されるのを良しとしなかったように、最後まで帰る事を諦めなかったように、目の前で零れ落ちたものを取り戻そうと足掻くものは、確かに他にもいた。

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