異世界デイアート その8
リネィアが嘘をつく理由は無い。
だから、言った内容に誤りを疑う意味も無かった。しかしそれだと、ミレイユ達の知る知識と齟齬が生じる。それをどう理解するかが問題だった。
それぞれに目配せしていた中から、ルチアが発言する。
「それってつまり、……もしかして、過去にやって来てしまったという事でしょうか? 孔の行き先にズレが生まれて、それが単純に場所だけでなく時間のズレを生んでしまったとか」
「有り得ない話じゃないかもね。そもそも、オミカゲ様の権能が何にしろ、世界同士を繋げるのは簡単ではない筈なのよ。あの場には大量の孔と通路が幾つもあった、だから利用できたのも納得できるけど、全く同じ精度で作れたかは疑問だわ」
「それに手傷も負っておられた。送り出す最中にも、追撃を受けていた筈だ。手元の狂いが生じたとして、誰が責められる」
アヴェリンの指摘には納得できる。
オミカゲ様は異世界へ送り出す、という最後の仕事をやってのけた。だが、あの状況は万全でも安全でもなく、とにかく逃がす事を強いられる状況でもあった。
ミレイユには血を吐いて孔へ送り出す、オミカゲ様の困ったような笑顔が思い出される。
神々が送り出そうとしていた場所からズラす、というような発言もあったし、その意図的なズレが時間の方にも作用してしまったとしても、仕方のない部分だった。
「だが……そうすると、ここは私達が出会うより遥か過去という事になるのか? つまり、創世第一紀が終わり、第二紀、人間支配の始まりの時代だと?」
そして第三紀、人間支配と繁栄を越え、第四紀、圧政と排斥の後期にミレイユがこの世界に降り立った。そして、エルフへ助力をして最終的に勝利へ導き、最後には姿を消す。
という流れになるのだが、その事を確認しようとしたユミルが、不満気な視線をリネィアへ向けた。
「……で、どうなの?」
「申し訳ありません……。学がないもので、その第何紀と言われても、全く……」
「あぁ、それはそうよね……」
ユミルは残念そうに首を振ったが、落胆はしていない。
歴史学問が出来るのは裕福な層だけで、魔力を鍛え魔術を得る学問とは全く違う。余程の知識欲がなければ、自分たちの歴史認識など深く追求しないものだ。
精々身近な出来事を知っているだけで、生活の糧にならないような事は身に着けない、というのが普通だ。だからリネィアは支配層の変遷は知っていても、年代までは知らないのだろう。
そしてそれは、この世界に暮らす人々の普遍的常識でもある。
申し訳なさそうにしていたリネィアは、そこへ思い出したかのように付け加えた。
「でも、人間支配が再び始まったのは、二百年近く前だったと聞いています。私が生まれるより前の事だという話なので……」
「ちょっと待って……、再び? 人間支配が再び始まった?」
「……はい、そう聞いてます……。本来なら新しい幕開けがあった筈だけど、人間の逆襲によって再び元に戻ったのだと」
ユミルは眉間に添えていた指を離して、今度は額を覆ってしまった。
これが何を意味するか理解して、ミレイユもまた同じような動きを取りたくなる。だが努めてそれを我慢して、ルチアへと顔を向けた。
「エルフの歴史に置いて、支配層を奪われたのは一度きりだよな?」
「そうです。私が知る歴史においては、そうなります」
「実は歴史に記されていないという事は……」
「ないとは言い切れません……。一度支配を取り上げられて、しかし奪い返したものの、また奪い返された、なんて恥の上塗りで誰も残したくないでしょうから。でも……」
ルチアがユミルへ目を向けると、額から手を離して力なく首を振った
「違うわね。アタシが知る限りでも、そんな事実ないもの。大体、デルン王国なんて知りもしないって時点で、ねぇ……」
「でも、違う場所に送り出されたって言うなら、別大陸って事はないんですか?」
疑問を顔に出しながら、そのまま口にしたのはアキラだった。
それは新しい着眼点で、そしてこの世界の常識を持たないからこその発想だろう。だが、世の理を良く知っている身からすると、それは有り得ないと断言できる。
「他に大陸は存在しない。地球を知るお前には不自然に思えるだろうが、それが事実だ」
「そう……なんですか? 確認できる手段とかあるんですか? 航海技術が優れてて、もう世界一周してるとか?」
「外海というのが無いからな。大瀑布によって全てが遮断されている。東側はそういう分かり易い壁があるし、西側にも似た理由で、やはり行けない」
「北と南は?」
「どちらも陸続き、海が見えると言う話は聞いた事がないし、そもそも峻峰な山々が連なる。踏破した者の話は、聞いた覚えはないが……」
アキラはそれだけ聞いて、尚も疑問を深めたようだ。
首を傾げて更に質問を投げかけようとして来たところで、ミレイユは手を挙げて止めさせる。
「話がズレてるぞ。もっと詳しく説明しても良いが、それはまた何れの機会だ。ここは、お前の疑問を解消する場じゃない」
「はい、すみません……。でも、場所をズラしたという話を元にするなら、時間を考慮に入れるより、もっと単純に遠い場所へ行ってしまっただけ、と考えた方が自然に思えたんです」
「うん、お前の言も最もだ。だから蔑ろにせず、簡単に質問にも答えた。だがよくよく考えてみると、孔はそもそも時間移動できるものだ、という前提を忘れてはならない」
ミレイユが失敗して過去の日本に逃げ出しても、孔は当時から存在していた。その事実を思えば、世界を越えた先に同一時間軸という概念は持ち込まれない可能性すらある。
時間が等速でないどころか、そもそも世界の流れが横並びで移動するものでないかもしれないのだ。
だが今はそこを議論する意味もなく、二つの要因からミレイユ達が時間移動したと考える根拠を見る事が出来る。
一つはユミルでさえ知らない、エルフの歴史に齟齬があった事。
そしてもう一つは、リネィアがポロリと呟いた単語だった。
「リネィアはさっき、ミレイユの名前を聞いて呆然としていた様に見えた。それは何故だ?」
「それは……私達が逃げ込もうと思っていた所が、ミレイユの森と呼ばれているからです」
「おっと、これは予想外の答えが返ってきた……」
ミレイユの予想としては、エルフの中で良く知られている名前として、その単語に反応したと思っていた。当然だが、その名が知られるのは、エルフに助力した第四紀からでなければならない。
だから第二紀前後の時期ではあり得ない、と言いたかったのだが、思わぬ返答に面食らってしまう。
ユミルはそんなミレイユの表情を、愉快そうに見つめてからリネィアに尋ねた。
「その森ってどこにあるの? ……もしかして、ここから見える所だったりしない?」
「はい、そうです。とはいえ、あれは本当に森の末端で、それを指して言うには、もっと中央寄りになるんですけど……」
「ふぅん……? 因みに、いつ頃から呼ばれてるのかは?」
「詳しいところまでは……。ただ百年以上前であるのは確かで、人間が支配を取り戻した後からなのも、間違いないと思います」
「なるほどねぇ……」
ユミルが深く納得するように頷き、そしてミレイユにもまた、それがどういう意味か掴めて来た。
見知らぬ森があると思って、だから別方向に歩いているのだと勘違いしたが、そもそも知ってる場所に、森が出来ていただけなのだ。
そう勘違いしたのは、まさか時間移動してると思っていなかったからで、エルフが本気で植林をしたなら、二百年近い年月があれば森ぐらい作れるだろう。
そして、その森にミレイユの名前が付けられている事実は、意味が深い。
何より、もしも森の中心近くの事こそをミレイユの森と呼ぶのなら、そう呼ばれるだけの理由が思い付いてしまう。
ミレイユが目を向けると、アヴェリンもまた同じ答えに辿り着いたようだ。
神妙な顔で顎を撫でながら口を開く。
「……もしも森の中心近くをミレイユの森と呼ぶのなら、そしてそれがここから一日行った先の事を言うのなら、そこにはミレイ様の邸宅があった場所ですね」
「そう、箱庭を手に入れてから、あまり利用しなくなった家でもある。必要なものは移したから、後に残ったのは私にとって無価値に等しいものだったが……」
「エルフなりの恩返しのつもりかもしれません。放置して朽ちさせるのも気が咎めるでしょうし……」
ルチアがエルフの気持ちを代弁して言えば、なるほどそういうものかもしれない、と思えてくる。ミレイユにとっては、当初帰るつもりもなく、捨てたも同然の家だったから何も思わないが、恩義を感じる彼らからすると、話は違うだろう。
そうしていつしか森で覆って余人が簡単に近付けさせなくした、というのもまた、エルフらしいと言えば、らしい話だ。
リネィアがおずおずと続ける。
「やはりデルンで暮らすには、多くの不満があるものですから……。ただやはり昔に森から出て暮らしていた者からすると、平地の方が暮らしやすい、食料も手に入りやすいとあって、田畑を耕したりして暮らしていたのです……。でも、最近は締め付けが強まるばかりで、それで逃げようと決意したばかりでした」
「それで逃げ出す先が森になるのは分かるが、何故そんな新しい森なんだ? 昔ながらのエルフの森じゃ駄目なのか?」
「近いというのも一つの理由ですが、そこでは未だ抗戦派と言いますか、穏健派と言いますか……そういう派閥が根を下ろしている場所ですし……。それに当初から持つ他種族との融和を掲げる一派でもあります」
「なるほど、私が知る頃のまま、同じ題目だな。とはいえ、その融和の中に、今となっては人間がいるかどうか怪しいが……」
苦い笑みを浮かべて、ミレイユはアキラに向き直る。
「少し考えと違ったが、ここまで来ると、やはり私の知る時代より後に来てしまったと考える方が自然だな。別大陸の発想は面白くはあったが、この世界ではまず受け入れられない話になる」
「はい、どうもその様な感じで……。でも、大丈夫なんですか?」
「何がだ?」
「いえ、その……ミレイユ様の目的達成に問題が出ないのかなって……」
ミレイユは少しの間、小首を傾げて考える。
目標の達成とはつまり、大神の企みを阻止する事――引いてはミレイユから手を引かせる事だが、それは予定より後の時間に来てしまった事で、難しくなるという問題ではない。
他者に助力を求め辛い事もあり、当時繋がりを作れた者たちとの関係が絶たれても、大きな支障は出ないだろうとも思う。
それに、もし現世で二百年も時間がズレたら、その夥しい変化に生活もままならないだろうが、この世界は変わらず停滞が続いている。
何しろ大きな変化を遂げずに、四千年近くを現在の水準のまま動いた世界だ。今更二百年後ろにズレ込んだぐらいで、何か困る事が起きるとは思えなかった。
「ではリネィア、オズロワーナにはこの道を進めば、間違いなく着けるんだな?」
「はい、途中で大きな道に出ますので、そこを進めば程なく……」
「分かった。少し戸惑いも問題もあったが、結局は予定通りだ。まずオズロワーナへ行く」
「了解よ。……森の方はどうする? 無視するのも、気が引けるじゃない?」
確かに自分の名を付け、今も家を守っているかもしれないエルフ達の事は気にかかる。
本当に今も続けているのなら、何かしら礼を言わねばならないだろうし、同時に突然消えた事に謝罪も必要かもしれない。
だが、新たに増えた問題より、最初からある問題を一つずつクリアして行きたい、という気持ちが勝る。一つ行動を変えれば、そこからまた別の問題が転がり込んで来そうな不安感もあった。
「それはいずれにする。まずは一つ一つ、頭から片付けよう。……それでいいな、アキラ?」
「はい……」
アキラは素直に頷いたが、やはりその表情は苦渋に満ちていた。
ミレイユも同意を求めるというより、念押しに近い言い方だった。既に決めた事。ミレイユがその意思を翻さなければ、アキラは同行を許されない。
そして、ミレイユの意志が翻るなどという事は、何か切欠なしに起き得ない。
項垂れる視線の向こうでは、諦観を飲み込むような暗い色を讃えていた。
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