真の敵 その5
その二人からは好奇心と警戒心、それらを綯い交ぜにしつつ、怖いもの見たさでいる近付いているのだと分かった。
平和ボケしているが故だろう。危険が身近にあると考えていない。
あるとしても、オミカゲ様が万難を排してくれると信じている。
だから、何が危険かも分からず、落ちて来たミレイユにも近付いて来る。
――安心や安全を、求めるままに与えるのも問題だ。
ミレイユは苦々しく思いながら、立ち上がろうと腰を上げた。しかし、力が入らず膝が砕けて、そのまま落ちてしまう。
自由にならない身体を、忌々しく思いながら懐から取り出した水薬を口に含む。
効果が出るのまで時間が掛かる事は分かっていても、今は苛立ちが募り、思わず苦悶の声が漏れた。
「……やっぱり、人だよ。ほら!」
「おい、マジか……」
馬鹿が、と吐き出してやりたかったが、声を出すのも億劫だった。
肘を突いて上体を起こそうとするが、それすらも辛い。
だが『地均し』の状況が分からない現状、いつまでも横になっている訳にもいかなかった。
反撃を見せないミレイユと、落ちたオミカゲ様へ、いつ追撃があってもおかしくない。
一般人に被害は出したくない、と思いつつ、何が危険かも分からず出て来た一般人など放っておけ、と思う心で鬩ぎ合う。
危険から身を遠ざける最低限の努力をせずして、危険から守ってやる事は出来ない。
だが、結界内に押し留められなかった事も、ミレイユ達の落ち度であるのは事実だった。
それを思えば、勝手にしろとばかりも言えない。
砂埃も晴れ、ミレイユからも二人の顔がハッキリと見えるようになり、そして目が合った。
二人からは驚愕した目で見られる事になり、とりわけ男の方が恐縮した顔で背筋を正す。
「お、オミカゲ様!? ……じゃあ、本当に!?」
「じゃあ、って何よ? 大体、オミカゲ様のワケないじゃ……」
「――馬鹿お前、知らねぇのか! オミカゲ様の鬼退治、なんで知らねぇんだ。有名な話だろ!」
ミレイユはそれが民間の中で、どれほど有名な逸話なのか知らないが、アキラの口からも聞いた事ある話ではある。
もしかしたら、熱心な信者ほど、それが正しいと思い込んでいるのかもしれない。
「でも、髪の長さも色も違うけど……?」
「お前ほんと馬鹿だな! じゃあ、普通の人間が、こんなコトなってて無事だと思うのか!?」
男の方が手を広げて惨状を示す。
ミレイユが落下した地点からアスファルトは長らく削られ、更に深々と土まで露出している。
そこに怪我をしつつも五体満足な人間がいるというのは、確かに異常という他ない。
だが、ミレイユとしてはそんな事に感動するより、まず逃げろと言いたかった。
髪の事を指摘され、いつもの癖で帽子のつばを撮もうとして、頭の上に何も乗っていない事に気付いた。
あの空中戦のどこかで、あるいは落下した時の衝撃で飛んで行ってしまったらしい。
ミレイユが震える息を吐いて、少しでも体調を戻そうとしていると、何を誤解したものか、男が深く頭を下げた。
「申し訳ありません、オミカゲ様! こいつ何も知らない奴で……!」
「……あぁ」
返す言葉もなく――何と返して良いか分からず、加えて身体の変調と痛みから、思わずぶっきらぼうな返事になった。
それを見た男は、ミレイユが不愉快を示したと受け取ったらしい。
恐縮そうに頭を下げていた男が、隣の女性の頭を無理やり掴んで一緒になって頭を下げさせた。
「ほら、お前も頭を下げるんだよ! 頭が高いんだ!」
「分かったから! 頭やめて!」
何やら痴話喧嘩が始まりそうな気配を感じ、思わず呆れて息を吐く。
黙っていたままだと、何が始まるか分かったものではない。
こちらから何か言い付けでもしないと、逃げようという発想すらしないだろう。
だから、素直に逃げろと命令しようと思ったのだが、それより一つ気になる事を聞こうと思った。
「お前達……、何でここにいる?」
「は……、えーと……?」
「避難勧告は……、はぁっ……、受けなかったのか?」
「いや、ありました……けど。でも、神宮にあんなの出たら、何かと思います……し」
神宮か本庁は、仕事をするだけはしたらしい。
男は咎められたと思ったのか、言葉を尻すぼみに小さくさせていく。
危険と言われ、逃げろと勧告されようと、素直に動く者ばかりではない。
特に一般人からすると、人型をした巨大な何かが突如として出現したのを目撃したのだ。
あるいは、もっと醜悪な化け物なら、率先して逃げたかもしれない。
だが、あれは何だ、と足を止める者が出て来る事は避けられない。
それもまた分からない話ではないが、あの攻防を見たなら逃げろ、と吐き捨てずにはいられなかった。
それとも、遠目からでは光が点滅しているぐらいにしか見えていなかったのだろうか。
――有り得る話だ、とミレイユは思い直す。
市街地に爆撃でも落ちていれば逃げ出していたのだろうが、幸か不幸か、攻撃は神宮上空内でのみ留まっていた。
ミレイユが思い悩んでいる間に、男の方が意を決したように声を上げる。
「そ、それに! 神宮に何か起きてて、オミカゲ様が戦ってるなら、俺らだけ逃げられねぇっスから!」
「そんな……」
そんな理由でか、という言葉は、咄嗟に飲み込んだ。
彼らからすると、信仰の対象が攻撃されている事は、単に逃げ出す事を許さないらしい。
それだけ慕われているオミカゲ様だから、本庁から勧告があろうと、簡単に逃げ出せるものではないのかもしれない。
「何が出来るワケじゃないですけど、近くで祈りを捧げようとか、自分だけ逃げられねぇって奴、やっぱ多いですから!」
「そうだな……、はぁ……っ! 神にとって……、祈りは、力になる……」
「やっぱり、そうなんスね! 俺、祈りますよ! 皆、皆祈ってますから!」
それだけ強い信仰心を向けられているなら、撃墜されたように見えたオミカゲ様は、きっと無事だろう。
危機だからこそ、オミカゲ様を置いて逃げられない、という信仰心には頭が下がるような思いだが、当のオミカゲ様からすると素直に逃げてくれと言いたいだろう。
「まだ……、周辺には……、人が残ってるのか……?」
「多分……、そうです。素直に移動した人も居ると思うんスけど……」
ミレイユは眉根に深く皺を寄せて瞑目する。
神宮から発生した脅威とは、『地均し』だけではない。魔物に関しても依然、脅威として残っている。
アキラが援軍を予想以上に連れて来てくれたお陰で持ち返していたし、封殺する事も可能そうに思えた。
だが、魔物の中には逃げ出そうとする輩もいるかもしれない。
そして四方八方に逃げられた時、神宮の壁など全く役に立たないだろう。
あの場に揃った隊士達は精鋭中の精鋭だ。組織的な対処、軍略的優位の対処で魔物は倒していけるだろう。
だが、魔物はいつまで排出されるのか、という問題もあった。
一時的優位は取れても、疲労はいつまでも誤魔化せない。
戦闘の長期化は、いつかその綻びを生むだろう。
――だったら……!
ミレイユもまた、いつまでも休んでいる訳にはいかない。
事前に飲んでいた水薬が、徐々に魔力を回復させてくれているが、取り込めるマナが近くにない所為で、そのぶん回復も遅い。
これならば、神宮内に戻る事を優先した方が良さそうだった。
幾らか休めて、立ち上がれるだけの力は回復した。
だから、身体中に力を込めて立ち上がろうとしたのだが、その時こちらを見ている女性が、その手に持った物を向けている事に気が付いた。
それはミレイユもよく知るスマホで、そのレンズがこちらを向いている。
「……それ、撮ってるのか?」
「え? ――あ、馬鹿お前! 何やってんだ! 不敬だぞ!」
男の方が、咄嗟にその手から力ずくでスマホを奪い、頭を下げる。
女は不満そうな顔で男を睨んでいたが、ミレイユとしては、咎めたくて聞いた訳でなかった。
「お前たちは、あれか……? 配信者とか、そういうのをやってるのか。……有名か?」
「え、いえっ! あのー、やっている事はやってますけど……、いや意外です。オミカゲ様もそういうの知ってるんスね」
「まぁな……。だが、……スマホは持たせて貰えてないな」
その時のオミカゲ様の顔を思い出し、思わず苦い笑みを浮かべた。
ミレイユの笑みをどう解釈したものだが、不憫そうな表情を向けて来て、眉根を寄せたまま首を振る。
「そんな事はいいんだ、配信できるというなら……あぁ、録画を拡散でも良いが。とにかく、逃げるよう伝えてやりたい」
「い、いいんですか……! オミカゲ様が、勝手にカメラ映ったりしたら、拙いんじゃ……!?」
「緊急事態だ……、言ってる場合か……。お前、名前は」
「う、お……、海沢、博光です! オミカゲ様!」
今にも居感涙に咽び泣きそうになりながら、必死に堪えつつ返答する。
信者からすると、その名を直接、誰何される事は誉れなのかもしれない。だが、その感動に付き合う余裕も、今のミレイユになかった。
「そうか、ヒロミツ。……お前に命じる。少しでも多く、はぁ……っ、周辺から人を逃がせ」
「う、う……ッ! でも、そんなこと言われても、俺にそんな影響とか、ないですし……!」
「お前一人で出来る分でいい。逃げろと誰かに伝えろ、私に言われたと喧伝しろ。走れない子供がいたらおぶってやれ。……お前に出来る事だけ、すればいい」
「うぅ……っ! は、はい……っ! 逃げろと皆に伝えます! きちんと伝えます!」
何度も上下に首を振り、手に握り締めたスマホも上下に揺れる。
それに釣られるように、ミレイユもゆっくりと顔を上下させた。
「うん。じゃあ、――く……っ、はぁ、はぁ……!」
「だ、大丈夫ですか! 何か、水とか飲みますか……!」
ミレイユは息を整えながら、首を横に振る。
水分の補給も必要かもしれないが、足りないものは水ではなかった。何より内側から無理に生成されるマナの所為で発する痛みが原因だ。
好意だけは受け取って、差し出してきたペットボトルもやんわりと押し返す。
「それより、伝えてくれ。――いいか?」
「え、えぇ。これまでの撮ってた奴でも十分だとは思いますけど……いえ! 勿論異論なんて! ――は、はい、どうぞ!」
スマホを向けて来たので、そのレンズに向けて、なるべく平静な姿を装って口を開いた。
「……今、神宮周辺は大変危険な状況にある。その勧告も届いた筈だ。それでも傍を離れたくないという気持ち、有り難く思う。……だが、何より大事に思うのは人命だ。……だから、逃げろ。これを見て聞いた、神宮近くにいる者は、直ちに避難を開始するように。規律を守り、隣の者を助ける事を忘れるな。……私に、お前たちを守らせてくれ」
思い付くままにオミカゲ様が言いそうな事を口に出してみたが、本人の口調は真似られていないし、威厳も表に出ていないだろう。
偽物だ、悪戯の撮影だと思われても、それで避難してくれる者が、一人でも出ればと思っての事だった。
言いたい事は終わりだ、と視線を送れば、ヒロミツはスマホを掲げてレンズで姿を捉えたまま、何やら操作しながら頷いた。
両目には涙が浮かんで、堪え切れずにこぼれ落ちていく。
それを横目で見ながら、ミレイユは今更ようやく立ち上がった。
身体は重く、そして痛みは激しさを増すばかりだが、最低限、動けるようにはなった。
無理やりマナを捻出されるようとも、痛みと交換で戦えるようになると思えば、今だけは我慢できた。
「お前たちも、急げよ。いつまで安全か分からない」
「お、オミカゲ様! ありがとうございます! 俺……、俺……!」
「いいさ、……こちらの落ち度だ。だが、ただ逃げるだけじゃなく、隣の誰かも助けてやれ」
「はい……はいっ! わ、分かりました!」
もはや滂沱の涙を流して頷く博光に、ミレイユは一つ頷いて足を踏み出す。
ふらつくかと思ったが、予想以上に力が戻っていて、更に力を込めても震える心配もなかった。
ミレイユは更に一歩踏み出し、膝を深く沈み込めると、高く跳躍して民家を追い越す。
尻もちを付いた二人が呆然と見上げるのを肩越しで見つつ、更に屋根の一つを蹴って神宮へと急いだ。
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