追逃走破 その1

「申し訳ありません、結希乃様……」

「いや、仕方ない。あのように愚弄されるような台詞を吐かれて、動揺せずにいられない気持ちは分かる」


 恥じ入るように俯き下唇を噛む千歳に、結希乃は柔らかく諭すように言った。その間も結希乃は視線をミレイユ達から離さない。

 元よりあった警戒を更に引き上げたように見えた。


 それをしかと観察しつつ、視界の端から窓の外を見つめる。

 ビルの屋上、それから建物の影に近づいてくる者たちがいる。どれも同じ服装、似た服装をしているから、目の前の者たちと同一組織である事が分かる。

 それを皮肉げに見つめていると、アキラが食って掛かってきた。


「――ミレイユ様、一体なにしたんですか! 御影本庁から御由緒家が派遣されてくるなんて、よっぽどの事ですよ!?」

「さて、とんと心当たりがないが。まさか男を複数殴り倒したぐらいで来る者たちじゃないんだろう? それは警察の管轄だ」


 実際ミレイユには本当に心当たりがない。

 あるとすれば、先程言ったように暴行や器物破損などがそれに当たるだろうが、その為に動くのは別の組織だ。


 そこまで考えて、はたと思う。

 もしも者を逃亡させることなく拘束しようと思えば、それは確かに警察では不可能だ。魔力を持つ者には、やはり同じく魔力で対向せねばならない。

 そういう意味なら、確かに拘束しようと思えば警察では力不足だった。


 ――だが、それだけとも思えない。

 ミレイユが目を細くさせると同時、結希乃達の身体に緊張が奔る。サングラス越しで見えているとは思えないが、気配を察知するのは上手いらしい。


「一応聞くが、罪状は?」

「執行妨害ですわ。あなた方の行動は、我々の任務を大きく阻害すると判断されました。よって、事が終わるまで大人しくしていて頂きます」

「大人しくさせるだけなのか、この場で? 逮捕したい訳ではないのか?」

「左様です」

「――そこの男の事は? 部屋の外にも転がっていたろう」


 ミレイユが顎をしゃくって市蔵を示すと、結希乃はにっこりと笑って首を振った。


「お気になさる必要はありません。こちらの方は逮捕対象です。話が終われば、すぐにでも拘束しますわ」

「なるほど……。だが、こんな男ども逮捕するのに、こんな人数が必要なのか?」


 ミレイユが窓の外を見ながら言う。そこに映る人影など既にないが、しかしビルを包囲するよう展開しているのは疑いがなかった。それを指して言ったのだが、結希乃はやんわりと否定した。


「あくまで保険として用意したに過ぎません。念には念を、それがわたくしのモットーですのよ」

「なるほど、殊勝な心掛けだ」


 ミレイユは腕に抱いたフラットロを撫でながら、鼻で笑って頷いた。その言い分を信じていないと態度で示せば、身構えようとする千歳を結希乃が制する。

 そのやりとりを無視して――無視しているように見せてアヴェリンへ顔を向けた時、周囲の音が突然消えた。


「……あら」


 間の抜けた声はルチアから。

 きょとんと宙空を見つめて、それから小さく笑った。


「結界ですね。私達、閉じ込められたみたいですよ」

「ああ、念には念をな。実によく分かる」

「つまりこれで、何をやっても外からは分からないってワケよね?」


 ユミルの小馬鹿にした発言に、ミレイユは頷く。

 相手の言い分を信じるならば、こんな結界を用意する必要などない。たかが拳銃を持った程度のヤクザなど、魔力を有する魔術士には敵とならない。

 それを承知で結界を張ったというなら全くの無駄だし、そしてだからこそ先程までの発言が嘘だと分かる。


 ミレイユもまた相手に対して警戒度を高め、結希乃に視線を向けたままルチアに言う。


「ルチア、解除できるか?」

「無茶言わないで下さいよ。既に試みましたけど、こんな結界の中心地でやれる事は限られます。身体が煙か霞でもないと、突破なんて出来ません」

「――今だけは霞だ。何とかしろ」


 無茶苦茶言うよな、とアキラがぼやくのが聞こえた。

 ルチアはむしろミレイユの発言に燃えたようで、身の丈程もある杖を地面について魔力の制御を始める。


 それを見ていた結希乃達は顔を青くさせた。

 膨大な奔流とも思える魔力を、膨大な制御力で捻じ伏せ、形を成そうとしている。見ているだけではルチアが何をしているか分からず、何か凄まじい魔術を使おうとしているようにしか思えなかったろう。


 二人が武器を引き抜き正眼に構え、残った男性が両手を前に突き出す。そして抑えていた魔力を解放した。

 結希乃が声を張り上げ恫喝してくる。


「抵抗しないで頂きたい! この場に留まり、動かないで欲しいだけです! 事が終われば解放します!」

「まぁまぁ、少ない魔力で気勢張っちゃって。それじゃあ全く逆効果でしょうよ」


 ユミルは呆れるように睥睨したが、ミレイユは警戒を緩めなかった。

 まさか今ので全力とは思わないが、十の力を持つ相手に一の力を示して威嚇もあるまい。あくまで注意を引き付ける事が目的で、他に狙いがあると思うのが自然だった。


 ルチアの制御が完成へ近づくに連れ、結希乃達の焦りも強くなる。切羽詰まった声で男性に向かって誰何した。


國貞くにさだ! はやく止めろ!」

「無理です! 早すぎます、介入できません!」


 國貞と呼ばれた男は額に汗を浮かせて、引き攣った顔で叫び返した。

 無理もない。ルチアの制御力は並大抵の者には付いていけない。発動するより前に制御不能にさせるというのは一種の技能だが、相手との力量差が最低でも倍はないと成立しないとされている。

 それだけの力量差があるなら、そもそも介入するより早く倒せるし、倍以上の差がある相手に挑むくらいなら制御を読んで対抗できる術を発動させた方がマシだ。

 どうにもチグハグな戦略に思えて首を傾げたが、そうしている内にルチアの魔術が完成する。


 ルチアはアヴェリンを最初にして、後は順に杖を向けていく。白い光が靄となって全身を包み、一度一際大きく輝いて消えた。

 アキラは自分の身体を上から下まで見回して、何が起こったのかとルチアへ顔を向けていた。

 それに応える為ではないだろうが、ルチアは術の説明を始める。


「それの効果がある内は、結界を抜けられる筈です」

「そうなの? 抜けてる途中で身体が半分になったりしない?」

「そうなったら自分でくっつけて下さいよ」


 愉快そうに眉を上げて、ユミルは了承の意で肩を竦める。アキラは不安そうにルチアと自分の身体を交互に見つめたが、それよりアヴェリンの向ける視線に怯えて必死に顔を逸した。


 結希乃達の表情は焦燥と逡巡が見える。退くべきだ、と思うのと同時、任務の遂行もまた完遂せねばと思っている。

 刀を握り直す音が聞こえたが、踏み込んでくる気配はない。


 それを確認しながら、ミレイユはアヴェリンを横目だけで伺う。


「お前はアキラと組め。埠頭に向かい、取引を破綻させた上で物品を奪え」

「お任せを。外の者どもはいかが致します」

「殺すな。それ以外は好きにしろ。だが急げよ、七時まであまり余裕がない」


 アヴェリンは一礼し、アキラの首根っこを掴んだ。焦った声で身を捩るが、それに全く頓着しない。

 ミレイユは一応、念の為に注意しておく。


「地図を見ただけでは迷う事もあるだろう。アキラを上手く使え、コイツなら現在地と目的地を素早く確認できる」

「そんな能力、お前にあったのか」

「いや、多分スマホの地図機能の事を言ってるんだと思います……」


 アヴェリンには理解し難い部分だったらしく、僅かに首を傾げたが、ミレイユの言う事と素直に頷いた。


「そういう事でしたら。上手く使って見せましょう」

「――ま、待て! 動かないで頂きたい、と言った筈!」


 結希乃の声を完全に無視し、今度はユミルに向き直り、市蔵から奪ったスマホを渡す。


「お前は単独で動いて問題ない筈だ。スマホの扱いも慣れたものだろう? 二つの組で別に動いて埠頭を目指せ。最終的には合流して、後はさっき言ったとおりだ」

「分かったわ」


 ユミルは受け取ったスマホを早速操作しアプリを呼び出す。淀みない手付きを見せながら、困ったような笑みを浮かべた。


「やっぱり外で使えると便利なのよねぇ」

「今更言っても仕方ないだろう」


 余りにも歯牙に掛けない態度を見せたせいか、結希乃からは喉奥から唸るような声が聞こえた。

 一歩踏み出し、更に二歩目で駆け出そうとして、その足元にナイフを投擲する。出鼻を挫いた形になり、結希乃は思わずつんのめった。


 床に刺さったナイフが、その衝撃で振動して乾いた音を立てている。

 その表情には驚愕と畏怖が浮かんでいて、いつの間にナイフを取り出し投げたのか、と如実に物語っていた。


 ミレイユは手首のスナップだけで投げた腕を、元に戻して腕を組む。

 アキラも結希乃と似たような表情で見ており、それを鬱陶しく思いながらアヴェリンに頷きを見せる。

 意図を正確に察したアヴェリンは、捕まえていたアキラの首根っこと共に窓際へ向かう。


「え、ちょっと師匠? そっち窓ですけど!?」

「だからどうした、ここから行くほうが速い」

「どうしたって、五階なんですよ!?」

「ここよりずっと上の方から高い高いされたくせに、何を今更驚いてるのかしらね」


 ユミルも窓際に近寄りながら、アキラを小馬鹿にするように笑った。その頭をぐりぐりと撫でながら、視線をこちらに向けてくる。

 ミレイユはそれに頷き返してから、結希乃達に分かり易く宣言するように伝える。


「私は一度やると決めた事はやり抜くタチだ。お前たちがどれほど影響力を持つ組織か知らないが、潰すと決めれば必ず潰す。お前たちの都合は関係ない」


 言うだけ言うと、ミレイユは腕を持ち上げ、その拳を握る。

 それを合図にアヴェリンが窓を突き破り外へ身を投げ出す。アキラの悲鳴を背後に聞きつつ、ユミルもその後に続いて降りていく。


「ビルから三名逃走した! 対象は結界を抜ける恐れ在り、何としても途中で食い止めろ!」


 結希乃は焦った声で耳に手を当て、マイクに向かって叫ぶように伝達を始めた。

 他二名は武器を前に向けながら、じりじりとミレイユとルチアを囲むように近付いてくる。


 ミレイユは再び腕を組み直し、ルチアに首を捻って合図する。

 長い付き合い故に、こうした場合どうして欲しいか声に出さずとも理解していて、ルチアは即座に魔術の制御を始めた。


 警戒を強めた二人は、思わず結希乃に顔を向けた。

 耳から手を離した結希乃が両手で刀を構え、突進の構えを見せた時、ルチアの制御は終了していた。先程とは別次元の速度による魔術制御、もしかすれば全力の一撃なら発動より前に止められると思っていたのかもしれないが、当てが外れた。


 当然の事ながら、魔術の種類や術式によって得意不得意は存在する。

 ルチアにとって氷結魔術を使う事は最も得意とするところ。先程までの味方にかける術も不得意ではないが、それでも氷結魔術と比べれば一段も二段も下がる。


 結希乃が発動するのは防げなくとも、完全な形で成功させまいと地を蹴った、その瞬間だった。

 ルチアの握る杖から眩い青の光が吹き荒れ、一瞬の内に部屋の中全てを凍結させた。

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