追逃走破 その2

 光の奔流も一瞬のこと、凍結された室内で、二人と三人は対峙していた。

 部屋の入口も、今しがた突き破られた窓も、全て氷で覆われ封をしている。凍りついているのは無機物だけで、生物を避けて行ったとしか思えない程、不自然に凍っていない。


 刀には幾らか霜は降っていたものの、振るおうと思えば振るえるように見える。

 何もかも凍らせる事も出来たのに、敢えてそうしなかったのには勿論理由がある。

 ミレイユは凍りつく瞬間身を離していた机に、改めて腰かけた。腕の中にフラットロを抱えたまま戦う素振りも見せず、結希乃たちを高みから見下ろした。


 この一瞬で彼我の実力差が分からぬ筈もない。

 結希乃からは奥歯を噛みしめる表情が見えた。苦渋に満ちた悔恨の表情はミレイユ達に向けられるものではない。何を思っているのか想像はつくが、そこに触れようとは思わなかった。


「――さて、お前たちは私達を包囲し、追い詰めたつもりだったかもしれないが……逆だ。私は最初から、お前たちを捕捉とらえる為に、こうして待っていた」

「何ですって……?」

「気づかれていないとは思っていなかったろう? ヤクザを痛めつけメンツを潰すと決めたのは突発的なものだったが、お前たちの反応を確かめる為に利用させてもらった」


 ミレイユはサングラスの奥から、ひたりと視線を向ける。

 その威を幾らかでも感じ取ったと見えて、結希乃は刀へ更なる力を込めた。


「しかし意外でもあった。挑発のつもりでいたのも事実だが、今まで着かず離れず、監視の域を超えなかったお前たちなのに、何故ヤクザの事務所の襲撃ごときで動き出したのか」


 ミレイユは敢えて視線を切って、今はもう塞がって見えない窓の外へ顔を向けた。敢えて見せた隙で、この機会に襲えるようなら襲ってみろという挑発のつもりでやってみた。

 しかし誰も動かない。

 ミレイユは腕の中で甘えるフラットロの背を撫でた。


「正直に言った方が良いと思いますけどね。今更ここで嘘だと分かる発言をしたら、どうなるか想像つくでしょう?」


 ルチアの台詞は完全に善意のつもりだったが、しかしそれが千歳の尊厳を刺激してしまった。顔を怒りで真っ赤に染めて、氷に覆われた地を蹴る。


「よせ、千歳!!」


 ――しかし、それまでだった。

 結希乃の制止の声と同時に、床から壁から天井から、氷の槍が突き出て千歳を貫く。その数は十ではきかず、まるで本人を縫い留めるだけでなく、覆う為に突き出されたと思えるほど。


 だが槍衾のような身体中を貫くような形にもなっていない。槍は身体を器用に避けて、血の一滴すら出血させず体の自由を奪っていた。

 見える部分は首から上だけだが、表情は悲壮じみているものの、無事である事は見て取れる。


「千歳、無事か!? ――この!」


 結希乃が刀を振るい、槍をへし折ろうとするが、硬い音を立てるばかりで一向に斬れない。

 馬鹿な、と刀身を見つめて、それが霜に覆われている事に気づいたようだ。まさか、という視線を向けて来たので、想像のとおりだ、と頷いてみせた。

 武器を奪わず、武器として手に持ちながら抵抗が無意味だと分からせる。刀の表面に霜を覆わせた理由はそこにあった。


「ここはルチアの氷で支配された空間だ。床も天井も、あらゆる全てが支配下にある。無論、その刀も例外ではない」


 そして、それから脱却するにはルチア以上の魔力を持って炎かそれに類似する魔術の行使が必要だ。炎を使った魔術は氷以上に使い手の多い分類だが、しかしルチアを上回るとなれば容易ではない。

 錬金術と併用した手段なら、単なる地力で上回る必要もないのだが、この者たちにそれが出来るとも思えなかった。


 結希乃の表情が苦悶で歪む。敵に情けをかけられるだけではなく、完全に手玉に取られたと悟ったようだ。


「それとも、もっと分かりやすい方法がお好みですか?」


 ルチアが両手で持っていた杖から片手を上げて、影絵で狐を作るように指先を形作る。それと同時に壁から獣の顔が突き出しアギトを開けた。

 ルチアの片手が口を開け閉めするように動かすのと連動して、氷の獣も千歳に向かって噛みつく真似をする。


「ガオガオ、ってね」


 果たしてそれに触発されたのか、フラットロがミレイユの腕を飛び出し、同じように噛み付く真似をした。その口からは炎が漏れて、一声吠える度に辺りへ火の粉が飛び散った。


「くっ……! わ、分かりました」


 抵抗する事は無意味だと悟ったらしい。力なく項垂れ、刀を鞘に収める。國貞もルチアと結希乃を見比べて、摺り足で距離を離して元の位置へ帰っていく。


 ミレイユが合図して、フラットロが腕の中に帰ってくる。それと同時に千歳の拘束も解けた。

 千歳が無力感に苛まれているように見えるのは、勘違いではないだろう。またしても勝手に動き、それで相手の利となる行為になってしまったのだ。

 結希乃に抱きとめられながら、小さな声で謝罪しているのが聞こえてくる。


 だが、いつまでもそうして待ってやる事も出来ない。


「話を続けていいか?」

「……ええ、はい。どうぞ」


 千歳を國貞に預け、結希乃はミレイユに向き直る。敢えて表情を作らないように努めているようだが、しかし緊張の気配までは消せていない。


「本題とは逸れるが、何故お前はそう丁寧な言葉遣いをするんだ? 普通、拘束しようとする相手にはもっと威圧的になるものじゃないか?」

「それは……、上からの指示で決して不興を買う真似はしないようにと通達がありましたので」


 意外な返答に、ミレイユは眉を顰める。


「警戒を怠るな、力を見誤るな、でもなく……不興を買うな、と言われたのか?」

「そう……ですわね」

「何故だ」

「分かりません」


 結希乃は言ってから、慌てたように首を横に振った。


「いえ、本当に分からないのです。私も不可解とは思いましたが、ですがこういった理解の及ばない指示は、珍しい事ではありませんでしたので……。特に最近は」

「そう、か……」


 ルチアに目配せしても、彼女が嘘を吐いているとは思っていないようだ。ミレイユは頷き返して、改めて結希乃に質問した。


「では、本題だ。まさか暴力団と癒着しているという訳でもないだろう。私達がここを襲撃した事で、何故お前たちが動いたんだ?」

「言えない事もあります」

「では、言える事を言え」


 ミレイユが簡潔に命じると、結希乃は躊躇い、躊躇いながらも口を開く。顔は俯き、遠慮がちな仕草は弱々しかった。


「以前より、この生霧会は我々にマークされていました。外国へ刀の密売を行っている為です」

「刀……先程も言っていたな。しかし、刀とは正規ルートでは扱えない代物か?」


 ミレイユの認識としては武器でありつつ芸術品として、海外でも人気のある代物だった。国宝指定された物はまだしも、そうでないなら個人売買もあったし、名のある物でもオークションにかけられるなど、違法性を抜きにした売買方法は幾らでもある筈だ。


「刀と一口に言っても色々あります。今回、闇取引で行われる品は神刀です。これは国外への譲渡、売買を禁止されています」

「刀殿に飾られていたような品か?」

「左様です。生霧会はそれを違法な手段で手に入れました。そして国外のマフィアへ麻薬と引き換えに取引すると分かったので、我々が動いていたのです」


 ミレイユは首を傾げる。素朴な疑問を投げかけてみた。


「それは警察とか公安の仕事になるのではないか?」

「麻薬取引が現金との交換ならば、そのとおりです。あるいは他の貴金属類でも。対象が神刀であれば、これは御影本庁の管轄です。今夜、取引があるところまで突き止め、それらを逮捕する段取りも全て済ませていました。しかし……」


 そこでようやくミレイユも合点がいった。妙に納得した気持ちで、何度も頷く。


「そこで我々が事務所に襲撃をかけたから、か……。当然、そのような事があったとなれば、警戒を引き上げて今夜の取引は中止にしよう、という話になる。せっかく用意した準備が全て台無しだ。だから、『拘束』だったんだな?」

「仰るとおりです」

「なるほど……」ミレイユは大きく息を吐く。「それは悪い事をしたな」

「では……!」


 結希乃は声を弾ませて顔を上げた。まだ計画の成功は残されていると見て、その瞳にも輝きが戻る。

 だが、ミレイユはきっぱりと拒否の姿勢を見せた。


「しかし、それとこれとは話が別だ。大体、襲撃についてはもう相手方に伝わっているのではないか?」

「いえ、まだ正確な情報は伝わっていないかと思います。あなた方に倒された者たちは、全て身柄を拘束し連絡の取れない状態にしてありますから、連絡がないことは不信に感じても襲撃されたとは思っていない筈です」

「うん……が、駄目だな」


 結希乃の表情が固まり、青く染まる。

 ミレイユはそれに頓着する事なく続けた。


「奴らは私の不興を買った。メンツなどという下らないもののせいでだ。ならば、当然そのメンツを潰してやらねば気が収まらない」

「ミレイさんはこうと決めたら、必ず実行しますからね。そのせいで百の組織を敵に回して、その上で全てを葬って来た人ですからね」

「余計な事は言わなくて良いんだよ」


 ミレイユはその頭をちょんと叩いて、ルチアは行儀を見咎められた子供のように肩を窄めた。


「お前たちには悪いがな、もう決めた事だ。――安心しろ、刀は奪い返しておく」


 それだけ言うと、ミレイユはルチアの肩に手を置いた。もう片方の手には淡い紫の光が渦巻き、魔力の制御を始めている。フラットロは肩口へと両手を乗せて、その邪魔をしない様しがみついていた。


 それで状況を理解したルチアは行使していた制御を解く。部屋の中の氷が一瞬で溶けて消えた。

 状況を機敏に察知した結希乃は刀に手を掛けたが、その時既に、ミレイユの制御も終了していた。実際の使い方としては邪道もいいところだが、瞬間移動のように使う事も出来る為、ミレイユが頻繁に使う魔術の一つだ。


「向かう先はアヴェリンでいいか。あれならば、既に到着していても可怪しくないしな」


 ミレイユは独り言を呟くように言って、それから結希乃に視線を飛ばした。


「ただ一つ言っておく、我々の邪魔をするな」

「――待て!」


 結希乃が抜刀と同時に踏み出すのと、ミレイユ達の姿が掻き消えるのは同時だった。

 一瞬でその距離を接近できたのは見事だったが、しかし結希乃の刀は空を切る。当てるつもりもなければ、動きを止められれば良いと考えての一閃に見えた。


 まさか瞬間移動などという、夢物語が目の前で実行されるとは露ほども思わなかったのも、初動が遅れた原因だろう。


 結希乃の喉の奥から、今日何度目かと思える唸り声が響いた。

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