追逃走破 その3

 アヴェリンは窓を割って飛び出し、掴んだままでいたアキラの首を手放した。

 割れたガラスと窓枠が宙に舞い、光を反射してキラキラと輝く。後ろからは一拍遅れて、ユミルも飛び降りてくるのを気配で感じた。


 滞空時間は数秒、目の前に迫る地面――車道へ軽やかに着地し、四方を囲む結界までの距離を瞬時に把握する。

 敵の数も複数、四人一組の一塊で近付いてきているのを感じる。あまりうかうかとしていられない、と考えて背後へ振り返る。


 そこには今しがた覚束ない足取りで着地をし、勢い余って転んでいるアキラがいた。

 早く立て、と腕の動きだけで指示をし、一拍遅れて着地したユミルを見た。


「どういうルートで行く?」

「アタシは西廻り、アンタは東廻りで行きなさいな。あるいは素直に北上でもいいけどね」

「……そこは相手の動き次第だな」


 そうね、と素直に頷いて、ユミルは両手を翳して魔力の制御を始める。紫色の光が淡い色を発するのと、制御が終わるのは殆ど同時だった。

 その光をアヴェリンとアキラに当てて、東側を指差した。


「とりあえず、いま隠蔽の魔術を掛けたから、結界を抜けたらそのまま走り抜ければいいわ」

「隠蔽魔術って注意して見られたら、姿を隠せないんじゃ?」

「そうよ、だから今この結界内にいる連中には無意味かもね。でも、車道を疾走はしるなら必要でしょ?」


 盲点を突かれたようにアキラは顔を歪め、そしてアヴェリンはそれを苛立たし気に見つめる。

 弟子の察しの悪さはいつもの事だが、急ぎたい今のようなタイミングでは邪魔でしかなかった。

 アヴェリンはアキラの肩を軽く叩いて、走る方へ身体を向けさせる。そしてアヴェリンも同じように身体を向け、首だけ残してユミルを見た。


「では、埠頭でな。取り逃がすような真似はするなよ」

「そんなヘマしないわよ」


 鼻で笑って手を振ると、ユミルは踵を返して走り出す。

 アヴェリンもそれを見送って首を前に戻し、今にも逃げ出しそうにしているアキラの背を叩く。


「いい加減、覚悟を決めろ。ここに残っていても、周囲の奴らに拘束されるだけだぞ」

「いや、いっそそれも一つの手段かなって……」

「本気で言ってるなら大したものだ」


 アヴェリンが殺意を乗せて睨み付けると、アキラは全身を硬直させた後、諦めたように項垂れた。

 最初から素直に頷いていれば、こんな茶番めいた遣り取りも必要ないものを、と心の中で愚痴りながら走り出す。


 助走を必要としない、一足飛びの前進で一気に距離を駆ける。アキラも慌ててその背に続き、同じように速度を上げて追い縋って来た。


 アキラに戦闘の才があると思った事はないが、内向を使っての走破については一定数認めても良いと思える才能がある。

 アヴェリンもまだ全力で走っている訳ではないが、それでも追ってこれる者は多くない。

 アキラは既に全力に近い走り方だが、それでも追従できている。これは中々馬鹿に出来ない才能だった。


 そのまま走り、十字路に差し掛かろうとした時、左右から飛び出してくる四人組が二つあった。

 アヴェリンは先に行くよう指示を出し、向かってくる左の集団に狙いをつけた。

 魔力を練り、足に力を込め、そして思い切り踏み出す。


 景色が一瞬で過ぎ去り、集団も過ぎ去る。

 ただ横を通り過ぎたのではない、相手が突っ込んできたと認識した瞬間には、既に制圧が完了している。アヴェリン程になると、特別な防御策を講じなければ、単なる突進すら対処不能の攻撃になる。

 走り抜ける瞬間の空気の圧が、そのまま衝撃波となって全身を襲う。


 アヴェリンは通り過ぎた一瞬、その後で更に地面を強く踏んで、来たばかりの逆方向へ踏み切る。本来なら止まろうと思っても、地面で滑って急な転換など出来るものではない。

 しかし、これもまた内向魔術の強みの一つだった。


 全身を強化するだけでなく、全身を覆う魔力の膜、これを足の接地部分へ応用すれば、本来物理的に有り得ない挙動も可能になる。

 一歩目で急加速するのも、この応用に寄るものだ。


 一度通り過ぎた一団に、同時と思える程のタイミングで切り替えして又も突撃した。

 最初の一撃を対処できたとしても、前後に挟まれた衝撃波は逃げ場を失くし、更に威力を増す。その衝撃波に突っ込むというのだから、やる本人もただでは済まない筈だが、しかしアヴェリンは平然と衝撃波を突き抜けた。

 確かに強力な衝撃とはいえ、その程度でアヴェリンは止まらない。


 更に足に力を込め、挟み込んだと思っていた右側の一団へ、今度は正面から突っ込む。

 一歩で十字路まで戻り、次の二歩目で同じように吹き飛ばす。切り返すところまで同様で、十字路に戻って着地すると、吹き飛ばされた左右の集団が宙に吹き飛ばされるのが見えた。


 最初の一団はともかく、二つ目の一団が何の対処も出来ずに吹き飛ばされたのを、アヴェリンは不甲斐なく思う。せめて盾となる者が前に出て、アヴェリンを受け止めるべく動いて然るべきだった。

 アヴェリンはつまらなそうに鼻を鳴らし、前を向く。


 指示の通りアキラは全速力を続けている。アヴェリンもまた、その背を追うべく地面を踏み抜いた。




 アキラの背に追い着くのもまた一瞬だった。

 横に並ぶと、アキラが驚愕というより畏怖に近い顔つきで叫ぶように言ってくる。叫ぶように、というのは正確ではない。実際に叫ばなければ速度の問題で声が聞こえないのだ。


「師匠! 何したんですか、凄い音聞こえましたけど!」

「お前にも出来るようになったら教えてやる!」


 全くの師心でそう返してやれば、アキラの顔は奇妙に歪んだ。

 どうも有り難いと思っている顔ではない。技をその身に受ける事を思って、また死ぬ目に遭う事を想像したというなら、なるほど納得できる。


 アキラの予想は正解だ。

 技を使うとなれば、その衝撃に耐えられるだけの内向魔術を練り込めるかにかかって来る。手加減するつもりだとはいえ、衝撃波をその身に受けて耐えられるか、その確認として幾度もぶつける必要が出てくるだろう。


 辛い修行となる事は間違いない。だがアキラならば耐えられると信じている。

 アヴェリンが憐憫と期待の眼差しを向けると、アキラは顔を青くして震えながら背けていった。


 不愉快な思いで鼻白みながら、距離を縮めたとはいえ未だ遠い結界の境を見て奇妙に思う。

 いつも魔物討伐を行う結界に、ここまで大規模な広範囲に設置された結界は見たことがなかった。大きさそのものに違いはあっても、多少の違いでしかなく、最も大きいものでも平均の倍程度。

 今回の結界は十倍では利かない大きさだ。


 アヴェリン達を食い止めるのに、これだけの大きさ――引いては被害を被る可能性があると踏んでのものであったなら、なるほどこちらの戦力を過小評価していないと見える。


 しかし同時に疑問にも思った。

 だとしたら、向けてくる兵士が弱すぎる。最初に出会った阿由葉とその部下達は、なかなか出来る者たちのようだった。

 特に阿由葉は別格で、他の二人より頭三つは抜けていた。


 あのレベルの者をリーダーとして小隊を組み、アヴェリン達を拘束するべく動いてくると思ったのだが、どうも当てが外れた。


 ミレイユによって『ぶちかまし』と名付けられたあの技も、阿由葉クラスの力量ならば対処できないものではなかった。無傷でもなかろうが、単に避けられず直撃を受けるという失態だけはなかった筈だ。


 奇妙な齟齬を発見した思いでいると、今もまた十字路に差し掛かり、前方と左右から襲ってくる者たちがいる。

 アヴェリンが察する限り、力量も先程と大差なく、唯一前方にいる二個小隊がそれらより一つか二つ頭が抜けている。つまり、阿由葉に程近い力量と言う事になる。


 ――さて、どうするか。

 アヴェリンは一瞬の間、逡巡する。

 左右を無視して進めば、前方と接敵した時点で前後から挟まれる形になる。左右どちらかを相手にすれば、その間に距離を詰め、厚みを増した防衛戦を築くつもりだろう。


 アヴェリン一人ならば、どうとでもなる。

 先程同様、御し易い左右どちらか一方を倒し、その先へ進めば良い。

 そう考えて、いや、と思い直す。

 御し易い部分を突破すると考えるのは、戦局を見る目がある者ならば最初に思いつく事だ。先の一戦で、止められない事も理解した筈。


 その上で同程度の力量の者を当てて来るのは、果たして単なる戦力不足か、あるいは罠かと考えてみれば――。


「罠があると考えるのが妥当か」


 まさかそれほど戦力に厚みがないとは思えない。

 奴らとて凡愚ではない、止めるべくして最善の策を用意してある筈。事前にこれだけの結界と、これだけの魔術士を用意しているのが、その証拠とも言える。


 あるいは、前方の二個小隊で受け止めきれると思っているのか。


 結界の外で彼らの姿を見た事がない。

 アヴェリン達が結界内で好きに魔物を討伐している間も、結界が解けた後も、やはりその姿を見た事はなかった。

 結界の外で活動する事を厭う、あるいは力を振るう事を忌避するという考えが根底にあるのなら、彼らも結界内で決着を着けようとするだろう。


 そういう意味なら、彼らも必死だ。

 この二個小隊を抜けられれば、結界の境まで幾らもない。ここが最後の防衛線だろう。


 今も一歩、また一歩と近づく度に彼らの表情が鮮明に見えてくる。

 緊張は勿論、畏怖と諦念のようなものも伺える。だが同時に、死なば諸共という気概も見て取れた。死ぬならその前に必ず一太刀入れてみせる、という情念にも似た覚悟は、アヴェリンをして感じ入ってしまう程のものだった。


 それ程までの覚悟を持って挑むというなら、アヴェリンも一個の武人として応えてやらねばならない。

 しかし、だからといってミレイユより下命された任務を、蔑ろにして良いという事にはならない。片方しか完遂できないというのなら、アヴェリンの心は最初から一つに決まっている。

 武人としての矜持より、大事にしなければならない問題があった。


 アヴェリンは決死の覚悟をして向かってくる者達を前にして、アキラに一つ指示を出す。


「私の後ろにぴったり貼り付け! 巻き込むぞ!」

「わ、分かりました! でも、何する気ですか!?」


 アキラの声に返答している暇はない。

 アヴェリンは魔力を漲らせて、より濃くより力強く制御していく。その様を見てアキラは慌ててアヴェリンの真後ろに着いた。


 相手までの距離は、アヴェリンから見て残り三歩。

 歯を食いしばり、魔力制御を全身に張り巡らせてから足に力を込めた。両手を持ち上げ、前傾姿勢を取り、まるで闘牛の突進のように見える格好で、膨れ上がった呼気と共に踏み込んだ。

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