対立 その8
「メンツを潰すっていうのは成功したかもしれないけど、でも、どっちにしても更に面倒事が増えそうよ?」
「――殺しますか?」
アヴェリンの提案に、ミレイユは首を横に振った。
やった事を考えれば、まず間違いなく報復は免れないだろう。ヤクザは何も武器を振りかざすだけが、報復の方法だとは思っていない。
本人に勝てないと分かれば、その周りを攻撃する。怒らせた事を後悔させる事が出来れば、相手は報復が成功したと考える。そして精神的に参った相手に、要求を突きつけるだろう。
死か、あるいは別の何かか――。
それを止めようと思えば、徹底的に資金を潰すのが有効だ。
ヤクザも資金がなければ動けず、そして尽く奪われれば何も出来ない。忠誠のみで動ける者は少ない。非常に少ないと言っていい。まず金銭という土台がなければ忠誠は付いてこないものだ。
ミレイユはアヴェリン達を順に見渡し、次の方針を伝えようとしたところ、それより先にルチアが口を開いた。何もない空中に視線を向けているようにしか見えないが、彼女には見えているものがある。
「包囲を作っていた者たち、既に一キロ四方まで迫っています。あと、それに先駆けて三名がやって来てますね。……速いです、もうすぐ到着します」
「そうか。ありがとう、ルチア。では、こちらも動かなくては」
それまでジッと成り行きを見守っていたアキラが、ここで初めて口を開いた。手を挙げて、恐る恐る問いかけるように聞いてくる。
「……あの、それより、これどうするんですか?」
「男の事か?」
「それもですけど、そうじゃなくて! こんなヤクザに喧嘩売っちゃって! お金だって上納金だって言ってたじゃないですか、じゃあその上のヤクザとか横のヤクザとか敵に回ったという事じゃないですか!」
「どうにかなる」
「そんな適当な……!」
アキラは構わず喚いていたが、それをアヴェリンが横殴りにして黙らせた。重い音がしたものの、すぐさま立ち上がった辺り、そう強くした訳でもないらしい。
「ミレイ様が言ったなら、それは万事問題ないという事だ。お前が喚いて何になる」
「でも……、やっぱり不安で……」
「難儀な性格してるのね」
ユミルが肩を竦めて溜め息をついた。
彼女はゆったりと構えていて、焦りや不安とは全く無縁のように見える。事実、ユミルはそうなのだろう。何かがあっても何とかするし、どうにかなるとミレイユが言ったなら、どうにかなると信じている。
ミレイユは椅子から立ち上がり、男の執務机に近づく。
その壁面には周辺地図が張ってあり、それぞれの縄張りだとか集金するルートなどが書かれている。それらを指差しながら、ミレイユは机へ腰掛けるように座った。
そして、地図を見ようと他の面々も近づいてくる。
「これから生霧会のボスが取引に動くのは、アレから聞いたとおりだ」
「刀なんて売るにしても、そんなに実入りがいいのかしらね?」
ユミルは小馬鹿にするように息を吐いたが、存外外国には高く売れる物のようだ。
ただし、わざわざ組織の頭が動くというのは意外な気がした。取引相手との格差のせいかもしれない。
今回たかが息子が病院送りにされただけで、随分大きな騒ぎにしたという実感はあった。だが、その背景には取引を円満に終わらせること、舐められたらタダでは済まさないという覚悟の表明、そういうメンツの問題が絡んで起きた事らしい。
もしも、その大事な取引がなければ、穏当に済ませ今回のような事態には発展しなかったかもしれない。
これらは全て、催眠中の生路に聞いた事だった。
だからとりあえず、ミレイユはこの取引を滅茶苦茶にしてやろうと決めていた。
刀と取引して得るものは麻薬だというから、受け渡し現場で刀を奪い、取引自体の成立を防ぐつもりでいる。場合によっては麻薬も燃やしてしまってもいいかもしれない。
ミレイユは地図を指差したまま、上方へと動かし、海が見える地域を見せる。
現在地から北へ十キロ、遠いとも言えないが、近いとも言えない距離だった。特に移動手段が基本的に徒歩となれば、尚の事だ。
「聞いた通り、夜七時、ここの埠頭で取引が行われる。どこかの倉庫でやり取りするらしいな」
「何か、明らかにお約束って感じ……」
アキラが言えば、アヴェリンは首を傾げた。
「そうなのか?」
「コソコソと裏で取引するような輩は、大抵埠頭の倉庫を利用するものと決まってます」
「ふぅん?」
ユミルが面白そうにアキラと地図を見比べ、しかし結局何も言わずミレイユの言葉を待った。
「ここへ乱入し、取引を不成立にさせる。刀は奪え、メンツを潰せ。麻薬も奪え、海に捨てろ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
アキラが焦った声を上げて、ミレイユの前に立つ。
「それってつまり、ヤクザを敵に回した当日に、外国のマフィアか何かも敵に回すって事ですか?」
「そういう事になるだろうな」
「いやいや、絶対マズいですよ!」
アキラは声を張り上げて恐慌状態に陥った。頭を抱えて振り回し、部屋の中を言ったり来たりしている。まるで人生の袋小路に迷ったようだが、安心させる材料も用意してある。
「そう難しく考える必要はない。これまでと違い、ここから先は隠蔽させる。姿が見られる心配はない」
「そう……なんですか? でも、この前使った魔術は注意して見れば、見つかってしまうって……」
「では、注意されないように行動しろ」
ミレイユが事も無げに言って、アキラが固まる。言葉そのものというよりは、ミレイユの口から吐いて出た台詞が信じられなかったようだ。
「……え? あの、僕も頭数に含まれてるんですか? そのヤクザの取引現場に、突っ込んでいく役に?」
「安心しろ、お前をここに一人残して行くような真似はしない」
「いやいやいやいや!」アキラは必死で頭を横に振る。「置いてって下さい、全っ然、それでいいですから!」
「我儘言うな、いいから着いてこい」
アヴェリンが言って、アキラの頭に拳を落とす。先程とは違う強い衝撃の重音に、アキラは頭を抱えて蹲る。ルチアも痛そうに顔を顰めて、ミレイユに向き直った。
「もう来ますよ。ドアの前に立ってます」
「おや、意外と早かったな」
ここまで近付けば、ミレイユにもそれと分かる。気配が希薄に感じるのは本人の技術のみならず、魔術を使った隠蔽も併用されているからのようだ。あちらにもそれなりの手練はいると見て、警戒度を少し上げた。
しばらく待つと、三人の気配が部屋の手前で止まった。アヴェリンはミレイユと敵の視線を切らせない位置に移動し、ユミルは余裕の表情で腕を組んで壁に持たれ、ルチアは杖を取り出して胸に抱いた。
そして机の上で灰になったものにじゃれ付いていた火の精霊フラットロが、気配から逃げるようにミレイユの腕に収まる。
召喚した時点で防護術で対策はしておいたとはいえ、こうも易々と腕の中に入ってくると少々怖く感じる。本来、その炎の熱は人体など簡単に発火させてしまう。
「大人しくしてろ、フラットロ」
「してるよ、いつもしてる」
火の精霊は別に特定の形を持たないが、ミレイユがそうして欲しいという提案で小型の狼のような姿を取っている。白い毛皮で尾の先端が燻るように燃えているが、それ以外は遠目には子犬のように映るだろう。
最近は鍛冶仕事もせずご無沙汰だったから、どうせならと紙幣を燃やすのに喚び出したのだ。もう少し我儘を言うかと思ったが、何の心境の変化か、今も言ったとおり大人しく腕の中で丸まっている。
それから数秒と待たず、ノックを三回してから、女性が先頭になって入ってくる。
若い女だった。黒髪を首のあたりの高さで短く切り揃えて、出来る女の雰囲気を見せている。誰もが同じような格好で、胸部に甲冑を付けた足軽のような見た目をしていた。陣傘を被っていたら、間違いなく足軽だと声を上げていただろう。
先頭に立つ女の装備が一際立派で、単に色が違うだけではなく、付与されている魔術も質が良い。
腰に佩いた刀からもそれが分かり、身に着けているもの全てが魔術秘具だ。
ミレイユは警戒指数を更に一段上げて、彼らを見据える。
視線を受けた女の口には笑みが浮かんでいるが、それが虚勢であると早々に知れた。
これが他の者なら分からないだろう僅かな逡巡、それが女からは見て取れた。
ミレイユは何かを口にされる前に、あえて威圧的と聞こえるように誰何した。
「――名乗れ」
「き、きさま、
「いいのよ」
憤ったのは後ろに着いてきていた女性の一人だった。もう一人は男性だが、こちらは声を出す事なく全員の顔を順に見つめている。
結希乃と呼ばれた女性は、得心したように頷く。
「……でも、これで分かった。貴女は間違いなく神宮勢力ではない」
「分かりきった事ではないのか、それは?」
結希乃は頭を振って否定する。髪がサラサラと追従するように流れた。
「貴女は八房様に認められた方ですから。万が一を考えざるを得ませんでした。それに、私の顔を見ても名前を知らない」
「ああ、女優の顔には疎くてね」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
結希乃はにこりと笑って、胸元から一つの手帳の表面を見せ、それから開いて中の顔写真と名前を見えるように掲げた。
「御影本庁の
「ほぅ」
「み、みかげ……!?」
軽い驚きと共に笑むのと同時に、アキラは驚愕に目を見開き動揺した。
その驚きは尋常ではなく、この世の終わりだとでも思っているかのようだった。
何かと訳知りなアキラの肩を叩き、ミレイユは事情を聞いてみる事にした。
「それで、何を知ってるんだ、アキラ。私にそれを教える気はないか?」
「言ってる場合ですか? もうお仕舞です……!」
「だから、何をそんなにお仕舞だと思ってるんだ」
「だって神宮直轄の特殊組織ですよ!」
アキラはやけくそ気味に顔を向け、悲観する表情のまま声をぶつけてくる。
「オミカゲ様から直接命を賜って動くこともあるって噂です。つまり、この人達が動くのは神のご意思って事ですよ! オミカゲ様に目を付けられて、そしてやって来たのが御由緒家の阿由葉なんですよ!?」
「ふぅん? でも、アンタの言い分じゃ単なる噂なんでしょ? 神が一々指示を下すものかしらねぇ。……単なる建前じゃない?」
ユミルは胡乱げに三人を見渡し、小馬鹿にしたように言った。
それが先程も異議を唱えた女性の逆鱗に触れた。
「貴様! 一度ならず二度までも! 何たる不敬、何たる侮辱か! 我々がここにいるのは神のご意思、神のご勅命と心得よ!」
アキラは更に顔を青くしたが、ユミルは目を細くするだけで何の痛痒も感じていない。
「へぇ? アンタみたいな木っ端が、神から直接言葉を賜ったって?」
「木っ端だと!? 貴様……!」
「いいから答えなさいよ。どうなの、直接対面して言葉を受け取ったの?」
「馬鹿め、そんな事があるものか! 直接対面など恐れ多い! それが出来る者は限られている!」
「……そう、じゃあアンタが受け取ったの? 阿由葉のナンたらさん?」
ユミルは挑発的に目を向けたが、結希乃は固く口を引き絞って答えない。
「あら、じゃあアンタも直接言葉を賜ったワケじゃないのね」
「……だが、だったとしたら何が問題だ?」
アヴェリンが聞いてきたので、ユミルは素直に答えた。
「よくある話よ。神の御業、神のご意思といって、個人が好き勝手、利己の為に組織を動かすってコトが。直接言葉を聞かないで、何でそれが神のご意思って思ってるのかしらねぇ」
「馬鹿を言うな! 大宮司さまが不正を働き、我々を動かしているとでも言うのか!」
「――
結希乃から強い叱責が飛んで、千歳と呼ばれた女性は顔を青くし自らの失態を悟った。
ユミルはにっこりと笑って壁から背を離す。それから慇懃と思える姿勢で礼をした。
「そう、大宮司ね……。覚えておくわ、一応ね。それと、あなた方に働いた無礼、謝罪させていただくわね」
そう言ってユミルは顔を上げ、そして今度はいつもの嫌らしい笑みで二人を見つめる。
ユミルは敢えて怒らせ、挑発し、相手から情報を一つ抜き取って見せたのだ。言葉の端から掴むこともあれば、こうして感情を揺さぶって入手する事もある。
これが価値ある情報かまだ分からないが、相手から引きずり出した事に意味がある。相手は硬直し今度こそはと口を重くするだろう。
余計な口出しが多そうな者を一人封殺できた、という意味でもユミルの功績は大きい。
ミレイユが頷いてみせると、ユミルはしてやったりと笑みを作った。
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