対立 その7
「まず最初に、一つ聞いておこうか。お前、名前は?」
「
抵抗らしいものも見せず、男は素直に名を名乗った。この状況で沈黙を貫くつもりはないらしい。とはいえ、それは調べればすぐ分かる事でもあるので、名前ぐらいなら問題ないという考えかもしれなかった。
「では生路、私達が何故ここにいるか分かるか?」
「……俺が連れてくるよう命じた」
「そうだな。そして四人を引き連れて、一人の男が恫喝と共に言う訳だ。詫びの一つで許してやるから来い、とな」
言いながらも、ミレイユの声はまた一段と低くなる。不機嫌、不愉快、そう言っているのが伝わって、市蔵は眉に皺を寄せる。
「お前たちは本当に道理に合わぬ事を言う。――メンツ」ミレイユは呆れたように息を吐く。「メンツか……。確かに大事だが、女に振られた事を理由にメンツを振りかざすとはな」
「だが、病院送りの怪我はやり過ぎだ」
ああ、とミレイユは面白そうに声を上げた。
「なるほど? 袖にされたら十人を超える数で取り囲み、使った後は泡に沈めると脅すような事は、問題にすらならないと?」
「ぐぅ……!?」
生路は呻いて顔を顰めた。この反応は痛い所を突かれたというより、そもそもそんな事を知らなかったという反応だ。いくら情けない理由であろうとも、怪我をさせたなら相応の詫びを、と考えていたのだろうが、今では悔やむような表情をしている。
「なぁ、そんな奴には教育が必要だと思わないか? やり過ぎだと思ったか? たかが両手両足、何れか折るだけで済ませてやったんだ。お前は温情を感じないか?」
「だが……、本当にお前たちだけであれをやったのか? 男を十人、数の不利だって……」
「常識的に有り得ない、と言いたいのか? 気になるのはそんな事か。この状況で、まだそんな事言っているのか?」
市蔵はドアの奥を睨みつけた。震える身体は憤りか、あるいは恐怖から来るものか。
角度からして奥の部屋の様子は見えないだろうに、それでも見つめた視線は外さぬまま、市蔵は唸るように聞いてきた。
「他の奴らはどうした……」
「殺してはいない。私達はお前らのような無法者とは違う。幾らか痛い目に――とても痛い目に遭ってもらっただけだ」
「何者なんだ……?」
「おや。ようやく、その質問が来た」
ミレイユは愉快なものを耳にしたように、口の端を吊り上げる。だが、それと同時に横を向き、不愉快に鼻を鳴らした。
「……お前たちのメンツを潰したい者だ。いい加減、お前たちの様な者どもに付き合っていられない、というのが本音でな。私の生活に、お前たちのような者をいれたくない」
「何言ってやがる。お前、俺達のこと分かってねぇだろ。手を出したらどうなるか、本当に理解してやってるんだろうな?」
お前、という市蔵の台詞にアヴェリンが動こうとして、その前に手で制す。
男の言い方は恫喝というより説得のような声音だった。痺れていた筈の右手を何度か開け閉めして、その具合を確かめている。
「ああ、その手の台詞は何度も聞いた。私は分かっているし、そして分かっていないのはお前の方だ」
「何だ、お前らまさか、マフィアだとでも言うのか?」
市蔵は左右に並ぶ、明らかに日本人ではない美貌の女性たちを見て、そのような事を言ってきた。ミレイユはその発言を無視して市蔵に目を向ける。
「ここが事務所だっていうなら、金品を入れておく金庫くらい用意してあるものじゃないか?」
「何……? 何を言ってる」
「ないのか? 表に出せない金とかコカインとか、何か入れてたりするのが大好きだろう、お前たちは」
「そんな分かりやすいところに置くわけないだろう」
ふぅん、と聞いたわりに興味なさそうな声を出してユミルを見た。
「本当かどうか、ちょっと聞き出せ」
「ま、いいけど」
気楽に言って、ユミルは無造作な足取りで机の横を通って、市蔵の前に立つ。目が合うと同時に胸ぐらを掴むと、その顔面を殴りつけた。
「ガハッ!」
二発目を殴りつけようと拳を振り上げたところで、ミレイユから待ったを掛けた。
「何してるんだ」
「見れば分かるじゃない」
「分かる。……分かるが、意図が読めないと言ってるんだ」
「だってアタシ、顔面殴るの大好きだし」
「初耳の上に、やはり意味が分からないが?」
ユミルは朗らかに笑うものの、ミレイユは痛いものを堪えるように眉間を揉んだ。
「だってホラ、自尊心へし折れるし、そうしたら素直に吐くでしょ?」
「それに、腫れ上がっても目立ちませんしね」
ルチアが茶化して言い差すと、まさにそれ、と言いたいように笑顔で人差し指を向けた。
ミレイユが軽く息を吐いて、改めてユミルを見た。
「もっと手早い手段でやれ。今も取り囲もうとしている奴らはいるんだろうが」
ミレイユがルチアに顔を向けると、しっかりと頷きを見せて返事をする。
「包囲は少しずつ狭まっています。どこまで近づくつもりかは不明です」
「うん。……そういう訳だから、ユミル」
「はいはい、分かったわよ」
ぞんざいに返事して、ユミルは市蔵の顎を掴んだ。その手を振り解こうと市蔵がユミルの手首を握ったが、まるで万力のように離れない。
顎を握る圧力が強まって、市蔵は暴れようとしたが、その前にユミルと目が合う。
抵抗はすぐに収まり、力が抜けて椅子の背もたれに身体を預けた。
「……これでいい?」
「ご苦労。それじゃあ金庫か何か、隠し持っているものがないか聞き出せ」
「今日はいつになく働かされるわね」
「もっと働いてもらう予定だが?」
あらまぁ、と呆れた声で笑ってから、ユミルは市蔵に向き直って質問を飛ばした。
◆◇◆◇◆◇
一体いつの間に気を失っていたのか、市蔵は状況が把握できず目を瞬かせた。
今はいつもの椅子に座って、常なら背にしている窓に身体を向けている。おかしな夢を見た。女の集団だった。連れてこいと指示した筈の女達だった。
それが我が物顔で部屋に入り込み、よく理解できない事を言ってきた。
男達は前の部屋に詰めていた筈だが、物の倒れる騒音がしてから音沙汰がないというなら、きっと女達が何かしたのだろう。
……恐ろしい女だった。
帽子を被り、サングラスをした女、彼女らのボスとして君臨する女からは底知れぬ恐怖を感じた。長い事この稼業をやっていれば、大抵のことには度胸が付く。
だが、それもあの女の前では赤子も同然だった。
必死に虚勢を張っていたが、それも果たしてどれ程の意味があったのか。
殴りつけに来た女など、それに比べれば易しいものだった。
そう思って、あまりにその時の感触がリアルだったのを思い出した。
そっと頬に触れて、腫れ上がっているのが分かる。口の端からは既に乾いた血が張り付いていて、なぞると簡単に剥がれて落ちた。
では、あれは現実だったのだ、と理解して、椅子を反転させる。
そこには変わらず帽子を被った女がソファに座っていて、足を組んだあの時の体勢のまま、こちらを見据えていた。
身体が跳ね上がり、ガタリと椅子が音を立てた。
驚いたのは、変わらず女が存在していた事ばかりではなかった。その机の上に、隠し金庫に仕舞われている筈の現金、金の延べ棒、高級時計、各種証券などが置かれている。
金は百万円を一束にしたものが整然と並べて塔を作っている。
どうやって、いつの間に、焦る気持ちが元より少なかった市蔵の余裕を剥いでいく。
周りにいた他の女達も、市蔵へ目を向けた。
失敗を悟りつつ、分からないように腕を机の引き出しに手を伸ばす。こういう稼業だから、いつでも反撃する為の用意は出来ている。
一番下の引き出しには装填済みの拳銃が仕舞ってある。そちらへそろそろと手を動かしながら、市蔵は呻くように問い質した。
「お前ら……それ、どっから持ち出した。いや、そもそもどうやって……」
仮に家探しして見つける事が出来たとしても、金庫には鍵がかかっている。暗証番号と鍵の両方がないと開かない仕組みだ。その鍵さえ別の隠し金庫にしまってあり、市蔵の持つ鍵がなければ開けられない。
そう思っての事だったが、鍵は不自然な軌道を描いて机の上に落ちた。
必要な鍵が二つとも、そこにあった。
「ぐぅ……!」
思わず喉の奥で唸りを上がる。
一体どうやって、どこからこれを――!?
隠し金庫は二つとも、そうと分かる場所には隠していない。そもそも、探して見つけるには苦労する場所に置いてこそ意味がある。探そうと思えば赤外線センサーや金属探知機など、目以外で探し当てる手段が必要だ。
だが同時に疑問に思う。
探し当てたのなら、持ち出して逃げるのが普通だろう。こちらも血眼になって探す事になるのは間違いないが、だからといって悠長にしている必要もない筈だ。
それもああして並べて置くなんて、意味が分からない。
まるで見せつけるのが目的のように思えてくる。
女が言っていた事を思い出す。メンツを潰す、と言っていたのは、まさか――。
そこまで考えて、目の前の女に目を向けた時、盛大な勢いをつけて札束に火が着いた。
「バッ! お前ら、何して――!?」
市蔵は椅子から飛び上がって火を消そうと試みる。何か火を消すのに丁度良いものはないかと辺りを見回し、水でもないかと部屋の外に出ようとして、女が立ち塞がった。
自分を殴りつけた、あの女だった。
にやにやと締まりのない笑みを浮かべて、体格差が歴然としているというのに物怖じせずに向かってくる。
殴り飛ばそうとして腕を持ち上げ、踏み出そうとした瞬間、自分の方が転ばされていた。重心が乗った足を振り払われたのだ、というのは踝が伝える痛みから察せられた。
火の勢いを肌で感じながら、周りの女全てに悪態を吐く。
「お前ら分かってんのか! こんなところで燃やしたら、俺達まで火達磨にされちまうぞ!」
「分かってないのはアンタよ。ほら、ちゃんと見届けなさいな」
そう言って、女は今も尚燃え盛る札束類を指差す。
だが言われるまま見ている訳にもいかなかった。市蔵は起き上がって水か何か持ってこようとしたが、それより前に吹き飛ばされて執務机の辺りに転がる。
そうしている間に炎は燃え盛り、不自然なほど飛び火する事なく、全てを燃やし尽くして鎮火した。テーブルや椅子に火の煤痕はあるものの、燃えた痕跡はない。
そのすぐ傍には先程までいなかった犬のような動物がいる。火を怖がる様子もなく、それどころか机の上に立った部分が燻りを上げていた。
不思議な現象だと思ったが、そんな事はどうでも良い。
灰になったものを見て、市蔵は呆然とそれを見つめる。
喘ぐように口を開いた。
「お前、何か勘違いしてねぇか。あれは俺の金じゃあねぇ……、上に渡す金だ。それが消えたとなりゃ、俺達も終わりだ。だがそれだけじゃねぇ、もっと他に多くの奴らを――!」
そこまで言って、頭に重い衝撃が走った。
意識を失う直前、視界の端に帽子の女が見えた。その雰囲気からは侮蔑の色が浮かんでいた。
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