異世界デイアート その4
ミレイユが断言するからには、それで間違いないと自分を納得させたようだが、しかし腑に落ちないのも確かなようだった。
ミレイユはそれを一つ一つ、指差しながら指摘してやる。
「まず、轍の跡だ。突然、進路を変更したのが分かるだろう」
「です……けど、急変更という訳でもないような……」
「車のようにサスペンションがある訳でも、グリップが利く訳でもないからな。それに動かしているのは馬だ。怯えさせて混乱させたら、手を付けられなくなる。好きなようにハンドルを切れる車と、その扱いが根本的に違う」
「あぁ……、なるほど」
アキラは幾度となく頷く。
実際、馬の機嫌が悪ければ出発さえままならないのが、馬車というものだ。人間だって重い物を轢いて歩きたくないのと同様で、馬だって嫌がる時は嫌がる。
エンジンキーさえ回れば、いつでも命令通り前進してくれるような物ではない。
ミレイユは次に野原に生える雑草と、根本から土ごと落ちている雑草とを指差す。
「見ろ、蹄が草を抉り、根本から弾き飛ばしている。鞭を打って走らせた証拠だ。道の上に蹄の跡はあっても、土を蹴った跡はなかったから、道から逸れて初めて速度を上げたのだと思う」
「何故でしょう?」
「馬は重い、そして蹄の音も意外と響くものだ。追跡してくると知った直後に走らせたのでは、勘付かれたと教えるようなものだ。草の上なら、それも幾らかマシになる」
「ああ、草がクッションと防音効果を生むんですか」
意図した事を素早く理解したアキラに、優秀な生徒を褒めるような眼差しで頷いてやる。
そして次に、車軸と車輪の接合部に指を向けた。
「そう、逃げる機会を窺っていた、恐らくそういう事だろう。そして逃げ出したつもりだったが……見ろ、鏃の跡だ」
「……本当だ、何かが刺さっていた跡があります」
「そうして車輪と車体の間に固い物が挟まった所為で、車輪が固定され、バランスを崩し、そして横倒れになった。そのように推測できる」
「なるほどぉ……」
「……荷も手付かずですから、目的は持ち主の命でしょうかね?」
姿が見えないと思っていたら、馬車の中を物色していたらしい。外から見た限りでは、そもそも幌さえ付いてない馬車だから、荷物らしい荷物も見えなかった。
着替えらしきものが入った袋と、備え付けられた椅子代わりにも使われる箱、そして水が入ってると思しき小さな樽があるだけだ。
元より商売人や、身分のある者が利用する馬車ではない。
野盗にしても盗むような物がないと分かるだろうし、今日の食い扶持すらままならない奴らでなければ、襲うものではないだろう。
とはいえ、どういう意図があったにしろ、ミレイユ達には関係ない事だ。
むしろこの横転した馬車は都合が良い。
「持ち主がどうなったにしろ、今のところは感謝しよう。丁度良い風除けになる。……今日のところは、ここで夜営にしようじゃないか」
「……え、あの、いいんですか?」
「少し早いが、日の傾きも見せている。準備が済んだ頃には、稜線に沈む頃合いになっているだろう。――薪を取ってこい」
「あ、はい。了解です。……でも、ここに戻って来たりとか……」
アキラの怯えた懸念に、ミレイユは眉根を寄せる。
「持ち主が、って事か?」
「いえ、襲撃した誰かがです。もし取り逃がしたとかしたら、何か探しに来たりするんじゃ……」
「だったら何だ。好きに探させてやればいい。私達は、何も馬車から取ったりしないんだしな」
「……そういうものですか」
アキラは更に何か言い募ろうとしたようだが、結局何も言わずに薪を探しに行ってしまった。
とはいえ実は、薪が必要でアキラを使ったのではない。森の移動中、あるいは森を離れてからも、目に付く小枝や薪になりそうな木は集めている。
日が暮れてから探し始めるのでは遅いし、場所によっては見つからない事もある。歩きながらそれとなく薪を拾う癖は付いているものなのだが、敢えてアキラに命令したのは、この場で話を聞かれたくなかったからだ。
「それで……何がいた?」
「ご存知でしょう? 荷台の二重底に隠された――あるいは、匿われた子供がいました」
「『荷は手付かず』……荷以外の何かがある、という暗喩だったな」
「奴隷商人にも良くある手口なんですけど、親が子供を隠すのにも使われるんですよね」
農民が使っていそうな荷台だというのに、そこに不自然な厚みがあるから嫌な予感はしていた。中に隠されたのが商品なのか、それとも親に匿われた子供なのか、それで話は変わってくる。
追手から逃してやりたい一心なら救いはあるが、密売などで隠しておきたかっただけなら、子供だけでは逃してやっても良いだろう。
だがその場合、追手の立場も様変わりする訳で、どこをどう突いても厄介事にしかならないと分かり切っていた。
弓矢の扱いを考えても、追手の中には腕に覚えのある者がいる。鏃の痕のみで矢が抜かれていた事を思えば、一度荷を改める為に足を止めたのだろう。
二重底に気付かず持ち主を追ったのは良いとして、それが再び戻ってくるかもしれない、というのは面倒な気がした。
傭兵くずれなら良いが、憲兵のような者なら、共犯を疑われる可能性すら出て来る。商品の直ぐ側で火を焚く真似をすれば尚の事だろう。
だが、もし親が敵を欺き、そして上手く撒いた後に帰って来たというなら、その機転には賛辞を与えてやらねばならない。
狙いが子供なのか、それとも親なのか、捕らえるつもりなら理由は何なのか、そちらもやはり厄介事を運んで来そうだ。
無論、厄介事に付き合ってやるつもりも、今更厄介事へ進んで首を突っ込むつもりもないミレイユからすれば、無視して通り過ぎるのが一番賢いやり方だ。
倒れているから見てみたら、空の馬車があっただけ、すぐに離れたから他には何も知らない。
仮に何か聞かれても、そう答えて終わりに出来る。
「どうします? いっそ消してしまった方が、後腐れないと思うんですよね」
「魅力的な提案だ。だがな、……私はしないって分かってて言ってるだろ」
「やっぱり、そうですよね」
無表情で冷酷な事を言ったとは思わせない、実に花のある笑顔を浮かべてルチアが言った。
ミレイユは暫し考え込んで、一つ結論を下す。
「今夜、ここで一夜明かすのは決定だ。それまでに姿を現すなら良し、荷を守る程度の事はしてやれる。だが出立する時まで誰も来なければ、近くの町で人を寄越してやれるだろう」
「あら、優しい。放置じゃないんですね」
「……まぁ、それぐらいはな」
疲れたような顔を見せるミレイユに、ルチアはまたも笑顔を浮かべる。
「宜しいんじゃないですか? ……でも、それなら何故アキラを移動させたんですか?」
「アイツなら、この場に子供がいると知れば、きっと離れようとしないと思うからだ。知らなければ……あるいは後に知ったなら、煩い事も言わないだろうしな」
「ですかね? グチグチと一人で言ってそうです」
「それぐらいは権利の内だ」
ミレイユは眉の端を面倒そうな顔つきで掻きながら、懐からテントを取り出す。
いつまでもじゃれ合っている二人に声を掛け、事情を説明した上で納得させた。薪を拾いに行ったアキラをそのままに、三人はテキパキと夜営の準備を整えてしまう。
当然、アキラの帰りを待たず焚火も熾し、細い煙を天高く伸ばした辺りで、ようやくアキラが帰って来た。既に日は稜線にかかり始めており、アキラが薪を探しに行ってから、随分と時間が経っていた。
「……何ですか、薪なんて最初からあったんじゃないですか!」
「誰が備蓄の一つも無いと言った」
「そりゃ言ってないですけど……、今日の分さえないのかと」
「もしもないなら、私だって道中、自ら薪を探しながら歩いている。それがないというなら、まず大丈夫という事だ」
「……あ、はい、そうなんですね。でもまぁ、薪の備蓄は多くて困るものじゃない筈ですし……」
そう自分を慰めながら、アヴェリンの傍らに腕いっぱいに抱えた薪を置いていく。
基本的に火の調整や維持はアヴェリンが務める事が多いので、自然と薪の置き場所もその近くになる。ただ最近は、アヴェリン指導の元でアキラが行う事も多い。そういう意味でも、その置き場所は都合が良かった。
アキラ以外は、荷車の中に隠れた子供がいる事を知っている。
だが、そちらに意識を向けたり、その素振りを見せるような者はいない。
食事の準備を始める前に、まずお茶を用意するのもいつもどおりで、そしてお茶を片手に談笑しながら、ルチアが料理を始めるのもいつもの事だった。
日も完全に暮れようとした頃合いになって、遠くから蹄が地面を叩く音が近付いてくる。
いつか来るとは思っていたが、意外と早かったと思いながら、お茶に口を付けた。誰もが馬の方にすら注意を向けない中、ただ何も知らないアキラだけが、不安を滲ませた顔を外へ向けた。
蹄が鳴らす音は一定で、しかも一つしかない。
追手の数が一名だけの可能性は十分あるから、まだその正体は掴めない。ただ、馬を走らせるというのは訓練なしでは出来ないし、農耕馬では到底一定の速度を維持させられない。
これは追手の方かな、と思っていると、近くまでやって来た馬が嘶きと共に止まる。
馬の荒い息と共に、馬上にいると思しき者の荒い息まで聞こえてきた。
アキラは一人、馬上の人物を見上げ、それからミレイユ達へと目配せするように顔を動かす。しかしミレイユ達は、その一切に無関心だった。
ユミルは今日歩いた森の話を一人で続けていたし、ルチアはそれに意味のない相槌だけ打っている。いっそ異様と思える雰囲気に、アキラが何かを口にしようとした瞬間だった。
「――しまった!?」
馬上にいた人物――どうやら女性のようだ――から、焦りと苦渋に満ちた声が上がる。
馬首を巡らせ、馬が嘶きと共に向きを変えようとしたところで、矢が一本、風を切って飛んできた。狙いが逸れたのか、あるいはそもそも当てる気はなかったのか――。
馬上から逸れた矢はアヴェリンの直ぐ傍を通過しようとし、そしてそれを途中で掴んで止める。アヴェリンは背を向けていたが、風切り音さえ聞こえれば、彼女からすればどうという事のない芸当だった。
アヴェリンはその矢を、矯めつ眇めつしてから近くへ放る。
避けなくても直撃しなかったにしろ、敢えて掴み取ったのは矢の性能を知りたかったからだ。これに付与された鏃を使っているようなら、それを扱えるだけの資金か実力を持っているという事になる。
だがその矢は、ミレイユから見ても特に着目する所のない量産品に見えた。
となれば、持ち主の持つ背景が、幾らか絞られてくる。
そこで初めて馬上の人物に目を向けると、金髪の華奢なエルフが目を見開いて、今の様子を凝視していた。
咄嗟に馬を降り、その場の全員に目を向けて、その中にルチアの姿を目に留め、縋り付くように地に足をつける。
「どうかお願いします、わたくしどもをお助けください……!」
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