異世界デイアート その5

 女性が頭を下げ、悲壮感も露わに懇願しているにも関わらず、周りの反応は非常に鈍かった。直接頭を下げられているルチアは元より、アヴェリンもユミルも視線すら向けない。

 何故ルチアなのか、とミレイユがようやく視線を向けて納得する。


 彼女もまたエルフで、同族ならば助けてくれるかもしれないと、そう安易に縋ったからだろう。だが、ルチアはパーティ内で起こる事で、自ら主張する事は少ない。

 今回の様なケースであれば、リーダーであるミレイユの意見を最大限尊重し、まずその意見を確認しようとする。


 ルチアは頭を下げた女性エルフを迷惑そうに一瞥したが、それに声を掛ける事なくミレイユへ顔を向ける。

 そこにユミルが、一時止まっていた雑談を再開させた。


「だからね、森の中なら別に良いワケ。その隙間から、ようやく空が見える程に葉が茂っていたから。別に陽の光が嫌いってワケじゃないのよ、本当にイヤなのは……」

「その辺は同じ眷属となりつつ、ミレイ様が問題なく陽の光の元を歩いていたから分かってる。私が言いたいのは――」

「ちょちょちょちょ……!」


 全く無視した行動を取る二人に、流石にアキラが止めに入った。

 今も地に片膝をつき、そして頭を下げて微動だにしない女性を気の毒そうに見て、諫めるように声を放った。


「何を普通に雑談を再開させてるんですか。そこに助けを求めて来た人がいるじゃないですか」

「……うるさい奴だな」


 アヴェリンが本気で煩わしそうに顔を顰め、それから諭すように言う。


「いいか、この場のリーダーは誰だ」

「それは勿論、ミレイユ様です」

「分かっているなら結構だ。我らはミレイ様以外の命令にも、嘆願にも応じない。ミレイ様が動かないというなら、我らも何の行動も起こさないという事だ」

「そんな、だったら……!」


 アヴェリンの態度は冷酷だったが、チームとして纏まっている以上、その対応をリーダーが決めるのは当然だ。自分の好悪だけで好きに行動を起こせば、チーム内で纏まりを欠く。

 アキラは悔しそうな顔をしてから、縋るようにミレイユへと顔を向けた。


「ミレイユ様、助けを求めて来た人ですよ。このまま無視するんですか……?」

「無視するとは言ってない。どんな相手でも、話ぐらいは聞くものだ」

「じゃあ……!」

「――アキラ。お前の正義感は好ましいが……」


 ミレイユは咎めるように視線の圧を強くした。


「言った筈だぞ。この世で、お前の倫理観など意味を為さない。――話は聞く。だが、それは役者が揃ってからだ。あの女は誰から逃げていたのか、何故逃げていたのか、それは確認せねばならないだろう。だが、一方からのみ話を聞いて鵜呑みにするのは、正しい行いとは言えない」

「それは……そうですけど、でも……!」


 息を荒らげ、何かから逃亡していたエルフの女性、そして追っている相手は武装している。それだけ見れば、どちらへ味方すべきか、あるいはしたくなるかは明らかだ。

 だが、そこだけで盲目的に味方するのは危険だ。


 この世界では虫も殺せぬような顔をして、善人を騙そうとする者は幾らでもいる。

 ミレイユもまた、そのような被害に遭った事があるし、だから警戒するのは当然だ。だから不憫とは思いつつ、近くまで迫っている追手を待つ事にしたのだ。


 ミレイユは視線を感じてそちらに目を向けると、頭を下げていたエルフが、いつの間にやら頭を上げ、そしてミレイユを凝視するように見つめていた。

 口の中で、ミレイユ、と名前を転がしているようでもある。


 エルフの中で、ミレイユの名前は有名だ。遍く広がっていると自惚れる程ではないにしろ、この女性が知っていたとしても不思議ではない。

 だがそれを、まるで呆然としている様に見えるのは不自然に思えた。


 そうこうする間に、追手も近くで馬を降りては、足音を五月蠅く鳴らして近付いてくる。

 金属音は聞こえるが鎧ではない。金具が互いにぶつかる程度の小さなもので、だから憲兵の類ではないだろう、とアタリを付けた。巡回兵にしろ憲兵にしろ、その権威の象徴として金属鎧を付けたがる。


 追手が公的な身分を有するなら、そういった装備をしているだろう、と予想していたので、ならば相手は傭兵の類いか、あるいは――。


 姿を現したのは二人組の男で、どちらも髭面の三十代と思しき年齢だった。全身を革鎧で身を包んでいて、革の品質にこそ違いはありそうだが、同じ姿格好なので同じ組織に属する者なのかもしれない。


 男達には形も柄も違うが、額や頬に入れ墨が彫ってある。風体には似つかわしいが、公的身分の人間と考えた場合、あまりに不自然だった。


 ミレイユはちらりと見ただけで、すぐに視線を焚火に移す。

 お茶を一口含みながら、未だ雑談に話を咲かせている二人の会話に耳を傾けた。


「だぁから、違うってば。嫌いなのは陽の光じゃなくて、空の方よ。見られてるみたいで気が休まらないの。だからフードで隠すのよ」

「フード一つでどうにかなるものか?」

「そりゃ単なるフードならね。これは何処にでも売ってる粗悪品じゃなくて――」

「何をしている、我らの姿が見えんのか!」


 男は威圧的に声を放ち、忌々しいものを見るかのようにユミル達を見る。それから視線を移して、ルチアの背後、蹲るようにして座るエルフ女性に目を向けた。


「そこの女は――」

「手触りだけでも分かるでしょ、一等品の魔術秘具なのよ。監視する目があれば、そこから逃れる事を約束してくれるワケ」

「だが、現世へ行ってからもフードか、それに近しいものを常に身に着けていたではないか」

「そっちは単純に癖よ。今となっては、最早ないと落ち着かないのよね」

「――煩いぞ、なぜ話を続けてるんだ! 黙れと言われないと分からんのか!?」


 とうとう堪りかねて、男の一人が声を張り上げた。

 本人は一喝して黙らせたつもりなのかもしれないが、話していた二人は興に水が差されたと、無表情で抗議の視線を向けている。


 彼女ら二人からすれば、そもそもミレイユから制止が掛からなければ、話を中断する理由すらない。黙れと言われて素直に従ってやる義理がない、と考えていて、更に会話を再開させようとしたのだが、それより前にミレイユが止めた。


 手首を小さく手を上げると、それで開きかけていた口を閉じる。

 男達に目を向けると、それに続いて全員が男に注目し、それで気分を良くした男は胸を張って言い放った。


「そこにいる女をこちらに引き渡せ。それと近くに子供もいる筈だ。そちらもだ」

「……理由は?」

「理由だと? 知れたこと、逃げ出したからよ」

「さっぱり分からんし、状況も掴めない。説明する気があるのか?」

「あるか、そんなもの! お前達は早く引き渡せば良い!」


 ミレイユは息をゆっくりと吐いて、頬を撫でる。

 男達は居丈高で、そしてそれを当然だと認識している。憲兵のようにも見えないのに、その様な態度が出来るというのは異常で、特に彼らのような者は冒険者との衝突を嫌う。


 冒険者は国の庇護を受けない代わり、その身一つで生きる才覚を持つ。

 権力を笠に着ても軋轢を強めるばかりで意味はなく、そして本当に強力な魔物が国に被害を出そうとした時、その助力を得られなくなる事から、その対応は丁寧と言わないまでも不遜にならないものに留めている程だ。


 ミレイユ達の身なりは、どう見ても冒険者寄りで、平民にも商人にも貴族にも見えない。

 男達の態度に不自然なものを感じながら、ミレイユはエルフ女性を見ながら尚も問い質した。


「その女は奴隷なのか? ……逃亡奴隷だとか」

「いいや、だが奴隷になるだろうな。馬車を盗んだからにはな」

「違う! あれは私が買ったものです!」

「だが店主は違うと言っていた。盗まれたのだと。そうだよな、トルスト?」

「えぇ、間違いありませんや」


 男の一人が、もう一人の髭面に顔を向ければ、下卑た笑みを浮かべた、トルストと呼ばれた男は頷く。

 ミレイユの瞳がギラリと二人を居抜くと、男達は驚いたように身を竦ませた。


「お前達、そんな身なりで憲兵なのか?」

「そ、そうとも……! 見れば分かるだろうが! 我らデルン王国の憲兵だ。お前も人間なら、早くそのエルフを引き渡せ!」

「デルン王国ね……」


 ミレイユが眉根に皺を寄せながら息を吐くと、アキラが恐る恐るという風に聞いてきた。


「あの、どういう国なんですか。人間ならエルフを渡せとか、何か良い感じを受けないんですけど……」

「さぁな、さっぱり知らん。聞いた事もない」

「え、ないんですか、聞いた事……?」

「貴様ら、どこの田舎の出身だ! デルン王国を知らんだと……!?」


 聞いたアキラが驚いて、そして男達も驚いていた。

 ユミルに目配せしても、やはり知らないと首を振る。新興の王国など幾らでもあるのだろうが、男の口ぶりからすると、知らない方が異常と本気で思っているようだ。


 それとも、知っているつもりでいるのは男達の方で、その権威を盗んで野盗が名前を使っているだけとも考えられる。男達の身なりを思えば、むしろそちらの方が正しい気がしてきた。


 だが何より聞き逃がせないセリフがある。まるでエルフ排斥が当然と言うような、人間至上主義を掲げるような発言は、多くのエルフを敵に回す。

 つい最近起きた、エルフ主導で起きた戦争を思えば、そのようなセリフは出ない筈だった。


「聞きたいんだが、お前たちは窃盗の罪でそのエルフを捕らえたいのか? それともエルフだからという理由が先にあって、それで罪をでっち上げようとしているのか?」

「何と無礼な娘だ! 我らデルン王国の憲兵が、捏造した罪でエルフを捕らえようとしていると、そう言いたいのか!?」

「……そう言ったつもりだが。装備が見窄らしいし、何より憲兵には見えない。それに、まるでエルフを目の敵にするような発言は捨て置けない」


 ミレイユがそう言うと、男達の表情がみるみる変わっていく。

 図星を突かれたというよりは、信じ難いセリフを聞いたから出た表情のように見える。怒りを込めた視線をミレイユに向け、それからエルフ女性にも目を向ける。


「エルフに対する保護、そして隠匿! 憲兵への誹謗中傷、不敬により! 今すぐお前らを逮捕する!」

「何を言ってるんだ……。それとも、お前達……まさか、本当に憲兵だったのか? だが、それなら尚更一種族に対する差別発言は……」


 あまりに堂々とした発言をするもので、これが事前に考えていた台本というのなら大したものだった。実にそれらしい台詞に、思わず本物だと思いたくなる。


 だが、エルフはミレイユの助力もあって、時代の支配者となった。エルフ排斥が根底にあって、それを払拭する為に起こった戦争だから、亜人という種族の根底的な排斥は根絶されるよう動いた筈だ。


 ここがどれだけ田舎王国だろうと、その天と地がひっくり返るような衝撃は、遍く大陸中に響き渡った筈だ。支配者層は人間からエルフに代わり、そしてだからこそ、今のようなエルフをを奴隷にする、なんて動きを許す筈もない。


 新たな戦争の火種を自ら作る事にもなる。王の思想はどうであれ、時流を読めず短絡的な行動は、未来を喪う事に繋がりかねないだろう。


「それによく見れば女達も上玉だ。こりゃあ、いい……」

「肌に何も刻んでいないってのも良いですな。こりゃあ、高く付きますぜ」


 ミレイユ思案している間に、男達二人は下卑た皮算用を口にしつつ剣を抜いた。それで男達への評価が決まった。野盗であろうと役人であろうと、もう結末は変わらない。

 ミレイユは男達に一瞥すら向けず、アヴェリンへ首肯する。


 その小さな動作で全ては決した。

 彼らは何も出来ず、何が起きたかも理解できないまま、無力化されて地面へ転がされ、そして両手に縄をされる事になった。

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