異世界デイアート その3

 準備が整えば、出発までは早かった。

 簡単な偽装工作をして設営場所を分かり辛くさせ、それからアヴェリン先導の元、森の奥へ向かって歩き出す。


 頭の中に測量器具一式詰まっているのは伊達ではなく、ろくに空も見えず周辺から方向も判断できないような状況でも、アヴェリンは迷いなく進んでいく。


 かつて旅の道中、何度と無く助けられたアヴェリンの先導だ。

 ミレイユは何一つ危惧を感じる事なく、その背へ続いて歩いて行く。

 一日中歩き通しで、小休止を挟みながら進み続け、昼の休憩を経て、陽が傾き切る前に野営設営の準備をする。


 そうして、それまでと同じ様に代わる代わる見張りをして夜を明かし、また簡単な朝食の後に出発する。そうして有るき続けること暫し、陽の光が中天より傾いた頃になると、森の外と思しき光が視界の中に入って来た。


 暗いばかりだったの木々の間に光が差し始め、それが森の途切れを教えてくれる。

 今までも小広場のように開けた場所は幾つか見てきたし、実際そういう所を設営場所に選んでいたが、視界いっぱいに広がる光の差し込み、というのはこれまで無かった。


 森を抜ければ直ぐにオズロワーナという訳でもないが、旅程の三割ほどは消化した事になる。

 ミレイユが小さく息を吐いた時、背後からも盛大な溜め息が聞こえてきた。


「あぁ、良かった……! ようやく終わりが見えてきた……!」

「あら、アンタ……森がお嫌い?」

「いえ、嫌いっていうか、単純に歩き難いじゃないですか。地面は柔らかくて足が滑りますし、柔らかいと思っていれば何か固いもの踏んじゃったり、倒木を越えたり避けたり……」


 辟易として言った後、それから周囲へ気配を窺いながら更に続けた。


「それに周りを囲む不穏な気配とか……、とにかく心休まる瞬間なんて無いですから……」

「それら何一つ考慮に値せんだろうが、馬鹿者」


 厳しく叱責したのは、先頭を歩いていたアヴェリンだった。

 アキラは素早く背筋を伸ばして、自らの失態を悟る。


「魔獣など可愛いものだ。時に魔物は縄張りを越えてでも追って来る。その襲撃もなく、ただ歩き辛いだけの道程など、旅をする間では散歩と変わらん。それを、この程度で泣き言とはな」

「はい、すみません……」

「まぁ、いいじゃないのよ」


 アヴェリンの厳しい追求に合いの手を入れたユミルは、悪戯げに笑う。


「アキラはまだ子供なのよ。世界の常識、言葉遣いも五歳児並、旅の知識もそれ相応。僕ちゃんはいたわってあげなさいよ」

「じゃあ、野菜も沢山食べないと。今夜からサービスしますよ」

「アンタの作るやつは野菜っていうか、野草でしょ」

「いいじゃないですか、ちょうど良さそうな山菜見つけましたし」


 アキラは実際未成年で、日本の法律では子供であったかもしれないが、ユミルが言っていたのはそういう意味ではないだろう。明らかに小馬鹿にするような物言いで、ルチアもそれに乗っかって囃し立てている。


 お陰で重くなりかけた空気は払拭されたが、当のアキラは困惑気味だった。アヴェリンの言にも一理あると納得して、その叱責を甘んじて受けつつ、そのフォローされた内容にどう返して良いのか分からない。

 何かを言いたいのだろうが、何も言えないと、その表情が物語っていた。


 森を抜けると、その先は小高い丘になっており、その奥には峻峰な山々が見える。

 丘の上には神を祀る祭壇があったが、今は信者の姿は見えない。

 この祭壇には特定の神を祀る事もあれば、特定せず神そのものを祀るもの、あるいは複数を祀るものと、三つの種類があるものだ。そしてあれは、特定の神を示ていない祭壇のようだった。


 この世界にはそういった祭壇が各地にあって、信者たちの礼拝を受けている。時に巡礼者が各地を回って礼拝を行う姿も見かける事はあるが、そこまで熱心な信者は実に稀だ。


 そして、その丘と森を挟むようにして、細い道が一本入っていた。

 轍も立っているから、頻繁に行き来するのに使われている道だろうが、路面の状態は良くない。主要道路ならば、もう少し整備されていて良い筈だから、ここは少し外れた道なのかもしれない。


 ミレイユに続いてルチアとユミル、そしてアキラも顔を出す。

 ユミルは空を憎々しく睨んでは、フードを被ってミレイユの背後に立った。


 アヴェリンは視線を巡らせ、次いで遠くにも目を向けてから表情を厳しくさせる。

 森を抜けて魔獣の気配も遠巻きに消え、新たに感じる気配もない。警戒を増やす要因は無いように思えたのだが、アヴェリンはミレイユへ向き直ると頭を下げた。


「申し訳ありません、ミレイ様。道を間違えました」

「お前にしては珍しい……。まぁ、そういう事もあるだろう。だが、あの祭壇やその奥に見える山々の連なりなど、見覚えのある物もある。オズロワーナへ近付いているのは確かじゃないか?」

「私もそう思っておりました。ですが、御覧ください」


 言いながら、アヴェリンは祭壇が見える丘より左手側を指し示す。

 そこにもやはり木々があり、そしてそれは小さな林などではなく、大きな森が拡がっているのが確認できた。ミレイユの記憶からして、あの近辺に森と言えるほど豊かな植生は無かった筈だった。


「……見知らぬ森だ」

「然様です、私にも記憶にございません。もしかしたら、全く違う方向、全く別の場所に出ていた可能性も、あるやもしれません」

「確かに……小高い丘も、そして祭壇も珍しい物ではないからな……」


 村や街の中に祭壇や神殿があるのは当然で、そして村と村、あるいは街を繋ぐ街道の間に祭壇があるのも良くある事だ。それ一つ見ただけでは、記憶違いが呼び起こされるのも不思議ではなかった。

 しかし、そうすると困った事になる。


 アヴェリンにも分からないとなれば、ミレイユ達は現在地を見失ってしまったという事だ。とはいえ、目の前に小さいながらも道がある以上、それを辿ればどこかへ通じるのだろうし、大きな通りへ出る事が出来れば希望はある。


 主要な辻には大抵、看板が立っているもので、距離までは書かれていないまでも、主要な都市かあるいは街の名前くらいは示しているものだ。

 それさえ見つかれば、目的地へ向かう事も出来るだろう。


「だがまぁ、オズロワーナへ向かう前提で進んでみようじゃないか。道の上を歩くなら、そう拙い状況にもならない」

「然様ですね。では、当初想定していたとおりの方角に向けて進んでみましょう」


 ミレイユの背後にいたルチア達にも目を向けて、了解の意志が返って来ると同時に歩き出す。ミレイユもまた歩き始め、空や山々に視線を向けながら、今更ながらに帰って来たのだと実感が湧いてきた。


 かつて旅していた時も、こうして遠く見える山々、空を流れる雲、近くに見える木陰など、様々な場所に視線を移して楽しんでいたものだ。

 遠くに向ける視線は純然たる趣味だが、近くに見えるものにも向けてしまうのは癖のようなもので、襲撃を事前に察知する為の警戒だ。


 魔物に限らず野盗の類いも、そして命を狙う物好きも、常にミレイユ達の傍にいたものだ。それが名を上げるつもりで挑む者であれば可愛いもので、ユミルに賭け事で負かされた事の腹いせであったりもする。


 どちらにしても不意打ちで先制を取ろうとする者が多く、そうした動きは木陰からでも察する事が出来る。機会があると思えば、その敵意や戦意を隠して戦う事は難しい。殺気となれば言うまでもない。


 いくら気を抜いているように見えても、この癖ばかりは消えてくれない。

 ちらりと見た感じでは誰もが似たようなもので、唯一例外なのは、森を抜けた事で気が抜けたらしいアキラだけだ。


 旅慣れぬアキラに最初から最後まで気を抜くな、という事は難しい事だ。それに言ったところで、今すぐ出来るようにはならないだろう。

 その辺の事はアヴェリンか、あるいはその他に任せて、ミレイユはただ歩くに身を任せる事にした。


 しばらく歩き続けていると、道から外れて馬車が倒れていた。荷車代わりに使われる、幌すら付いていない農民向けの馬車だ。


 だが奇妙な点もあって、荷台が異常に分厚い。荷台の底を開けて、他にも何かを入れれそうな造りをしていた。重くなるばかりで農民の荷台としては似付かわしくないものだが、全く無い訳でもない。


 そこそこに重量があって、速度を出して走っていただろう事は、轍の後を見れば分かる。そして道を外れて外の野原へ飛び出し、しかし車軸が壊れて横転したという事らしい。


 現場を見る限りでは、どうやらそうと見るしかない。馬はないので上手いこと外れて逃げたか、あるいは連れ去られたのか。死体もないので、馬車の持ち主は馬に乗って逃げたのかもしれない。

 ミレイユと同じ様に倒壊した馬車を見たユミルは、愉快そうな笑みを浮かべて言った。


「……これはヤバい感じね」

「あぁ、戦闘のあった後だ」

「だからアタシが、そう言ったでしょ」


 互いに視線を合わせぬまま、馬車を見ながら口撃が始まる。


「お前はヤバいとしか言ってない。それで何を分かれと言うんだ?」

「見れば分かるコトだからよ。戦闘があった痕なんて自明でしょ、賢い者は短弁なのよ」

「あそこでアホ面晒しているアキラなんぞ、お前の発言に首を傾げている有様だったろう。伝わらないのなら短弁である意味もない。愚か者の短弁なぞ、誰が求める」

「それは真理を汲み取れない愚か者が悪いのであって、アタシの知ったコトではないわね」

「意味と真理を短弁で語れればこその賢者ではないのか。伝わらないなら、発言していないのと変わらない」

「そこが違うのよねぇ。真理を悟れぬ愚者全てに――」


 よしよし始まった、という頭の中を明るく照らされるような光景を見て、ミレイユは即座に観戦モードへ入った。アキラは嫌なものを見たように顔を歪めていたし、ルチアも辟易したような顔をしている。


 ミレイユが楽しもうとしているところに、そんなルチアが近付いてきて、傍らで腕を組んで溜め息を吐いた。


「何でミレイさんは、あんなの見て喜ぶんですか」

「楽しくないか? 私はあの二人が仲良くしている光景が見れて嬉しいんだが」

「仲良く……まぁ、ある意味、仲が良いんでしょうけど……」

「じゃれ合いには違いないが、元より馬の合わない二人だ。時々ガス抜きする位で丁度良い。最近、少し我慢をさせ過ぎた。このような場なら、殴り合いになっても問題ないしな」

「いやぁ、問題ないとも言い切れない気が……」


 ルチアが大いに顔を歪めたところに、アキラが不安げな表情のまま寄ってきた。

 剣呑な雰囲気を増し続ける二人の間に入ることも、そして近付くことも嫌だったらしい。


「ミレイユ様、いいんですか、あのまま放っておいて……」

「構わない、お前も気にするな」

「でも……戦闘があった後だとか言ってましたよ。本当なんですか?」


 馬車の轍が狭いとはいえ、突然道から逸れた事からも、何か追手のような者から逃げ出そうとしたのは明白だろう。急ぎ旅だったとしても、やはり道以上に馬車を安全に走らせられるものはない。


 この惨状を示すとおり、石に車輪を取られたり、草が変なところに絡まったりと、ろくな目に遭わない。少し考えただけでも、他に幾つでも不安材料が思い浮かぶので、急ぐからと道を逸れるなどという選択肢はない。

 それこそ、道を逸れるだけの、大きな問題がない限りは。


「アヴェリンが言った事は間違いない。血の跡も死体も、何もかもないが、ここで起きたのが事故じゃないのは確かだ」

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