魔力と鍛練 その3
夕方、アキラが帰ってきて箱庭内で鍛練している様子を、ミレイユは不機嫌な様子を隠そうともせず見ていた。
原因は一つ、昼より前にスーパーへ行ったというのに、卵が予想以上に早く完売してしまったからだ。とりあえず一人一巡して購入する事はできたのだが、ミレイユの予定では姿を変えて更にもう一巡りするつもりだったのだ。
卵は何かと便利に使える食材だけに、今日の特売で大量に仕入れる事を考えていた。賞味期限を気にせず保管できるからこそ、仕入れる機会があれば数を確保したかったというのに、この品切れは予定外だった。
今も目の前でアキラが吹っ飛んでいく光景を見ながら、今週の食材をどのように調達するか頭を悩ませているところに、横に座ったユミルが声を掛けてきた。
「……アンタ、何でそんなに不機嫌なの?」
「そう見えるか?」
「見えるから言ってんの」
ユミルにそう指摘されて、ミレイユは眉間を指で抑えてほぐしてみた。果たして効果があるかは分からないが、やっておきたい気分だった。
今は珍しくユミルも一緒にアキラの鍛練を見ていた。
パラソルを立てて簡易的な日差しよけを作り、その下にテーブルと椅子を用意して観戦気分だ。水差しには柑橘水が並々と注がれてあり、グラスには自分で氷を作って入れている。
今度は逆方向に殴り飛ばされていくアキラを目で追いながら、グラスに口をつけて少量飲む。ユミルも同様に口をつけて、それからすぐに口を離して渋い顔をした。
ミレイユは苦笑して、そのグラスの中に氷を精製してやる。グラスを回して氷を溶かし、それで幾分薄れたものを渡してやる。ユミルはそれを口に含んでから吟味するように転がして飲み、ようやく満足したように息を吐いた。
「それで、どうしたのよ……アキラのコト? あれが弱いのなんて、今に始まったコトじゃないでしょ」
「いいや、それは別に関係ない。別に弱くても、私が困る事なんてないしな」
ユミルは眉を持ち上げて疑問を向けるように顔を傾ける。
他に何かあるなら言え、という意思表示だったが、しかし素直に言うのも憚られる。
ユミルが珍しくこうしてミレイユの傍にいるのも、気を使っての事だろう。実際まだ百万以上の貯金があるが、これを少しずつ切り崩しての生活というのは、中々にストレスが溜まる。
しかしそれをユミルに言ったところで、彼女には理解できまい。侮っていうのではない、単にやり方の問題だ。
ユミルなら悪事に手を染めて金銭を得る事を厭わない。
単に楽だから、目の前にあるからという理由で簡単に相手から金を掠め取る。時に催眠を使った暗示であったり、時に力づくで奪うこともある。
ミレイユがもし金が欲しいといえば、彼女なりに気を遣った方法で金を集めてくるだろう。しかしそれは、現代日本において多くは犯罪となる方法で集めてくる事になる。
一言漏らせば、ミレイユの為だと思って、躊躇なくそれを実行するだろう。止めたとしても、目の前に絶好の機会があれば、やはりやるだろう。
前回のように既に金銭の入手方法が決まっている状態ならともかく、まずどうやって金銭を入手するかを考えていると知られれば、きっとそうなる。
だから、迂闊にユミルの前で金について口にするのは避けたかった。
何か上手い言い訳がないかを考え、咄嗟に頭の中に浮かんだ単語を口に出した。
「……結界、がな」
「うん? 例の蠱毒?」
ミレイユは咄嗟の事ながら、出した話題が物騒になりそうで後悔した。
しかし、ここで不自然に断ち切るのもまた難しい。とりあえず流れに任せて続けてみた。
「ああ、最悪の想定として、その蠱毒があるというのはいい。しかし何の為に、そういう事を考えていた」
「ふぅん? まぁそれなら難しい顔になってもおかしくないけど……、考えて分かるコトかしらね?」
「分からずとも、幾つか想定を用意しておくのは悪い事でもない。自分の想定に捕らわれてしまわないよう気を付ける必要はあるが」
ユミルは納得したようなしてないような曖昧な顔で頷いて、グラスに口をつける。
「それじゃ、一つ想定ゲームでもしてみましょうか。まず最初の想定として、あの結界を作った理由を考えてみましょうよ」
「だがそれは、魔物が先かそれとも後かで、想定が変わりはしないか?」
「アンタ、この世界に魔物はいないって言ってたじゃない。じゃあ先に魔物なんじゃないの?」
ユミルが言ったのは思いつきの何気ない一言だったのだろうが、それこそ真理のような気がした。魔物というより、正確には孔が、という気がするものの、そこに大した違いはないだろう。
だが魔物が先にあったというなら、結界の存在は封じ込める為、と考える方が自然な気がした。
「だが、むしろ私はルチアの案の方を考えたいんだよな……。最悪を想定した、という考えの方を」
「それじゃ魔物の方が後にあって、先に結界が生まれたコトになるけど」
「……こうなると、いつも後手なのが痛いな。結界が生成される瞬間、先に孔があればそれは封印目的となるだろうが、結界が先ならむしろ孔を呼ぶか作るかしているという事になる」
ユミルは興味深そうにミレイユの顔を見て、正面に顔を戻した。
目の先ではアヴェリンに攻め立てられ、防御から攻撃に転じられないアキラが見えた。
「呼ぶ、ね……。つまり召喚儀式ってワケ。私達の知る魔物が出てくるのも、そういう理由なのかしら」
「個人的にはそうだ、という気がしているんだが。蠱毒は行き過ぎた考えだとしても、喚ぶ事が目的……いや違うか」
「私達が処理してきた魔物の数も、まぁ結構な数になってるワケよ。それが困るというなら、とっくに邪魔してきてると思うのよね」
「そうだな。……それこそ可能かどうかは別として、私たちを結界内に封じたままに出来ないか、試すくらいはするだろう」
「――そうよね? じゃあ、別に魔物が倒されるコトは問題ないって考えてると想定できるワケ」
ミレイユは顎先を摘むようにして指を添えた。
「ガチャみたいなものかもな。目的とする魔物を召喚したいが、狙って召喚する事はできない。あるいは困難極まる。だからとりあえず数を増やして召喚してみる、と……」
「えぇ……? だとすると、相当お粗末な召喚術士がやってる事になるけど。少なくとも、あんなゴブリンだとかトロールは目的とした魔物じゃないワケでしょ? より強力な魔物が欲しいっていうのは分かるとして、まずそんなのしか喚べないって時点でねぇ……」
ユミルの言わんとしている事が分かって、ミレイユは苦笑した。
術士の力量と召喚できるモノの力量は同等程度とされる。自分より弱いものを召喚する事もないとは言わないし、実際弱くとも数を揃えて召喚する戦術もある。
そして対象と契約をして召喚しないタイプの術なら、まず自分の力量に見合わない相手はその召喚に応じてくれない。
これは相手が善良であろうと邪悪だろうと共通した認識で、己を使役するに値しないと判断されれば、どのような供物を捧げようと応じない。
そして今回の結界の首謀者が、そのランダム召喚に賭けているというなら、現在は精々トロールを喚ぶ力量しかない、という事になる。
トロールをこの世界に解き放てば、それはそれで脅威となるだろうが、このような小物に召喚主が興味ないというのは、ミレイユ達の妨害を苦にしない辺り容易に想像できる。
「トロールしか喚べないというなら下級術士程度の力量しかないという事になるが、それにしてはアンバランスに結界は強固だ。ルチアに解析できたとはいえ、あれは別に容易な術という訳じゃない」
「そうよね、そこもまた分からない部分よ。じゃあ元々は結界術士なのかしらね。そして召喚術を学び、それを強めつつある」
それは一考の価値がある想定に思えた。
最初の頃はインプがいた。最下級の魔物である。そして、そこにトロールが混ざるという具合だったが、今では最初からトロールがいるのが当たり前で、インプの姿が見えなくなっている。
前回アキラが相手をした結界でも、やはり最初からトロールが、それも二体いた。
これは召喚主が力を強めた結果だと見る事もできる。
「あり得るな……。一つの術に長けた者が、別の術に手を出すのはよくある事だ。今回もそのパターンかもしれん。そうなると、結界の方が気になってくる」
「そうね、電線を利用して網目のように自在に展開する結界術というのは、よく錬られた方法だと思うわ」
「そこで一つ気になった事がある」
ミレイユは顎を掴んでいた指を離し、人差し指を立てて見せる。それをゆらゆらと揺らして脳裏に描いていたものを口にした。
「電気を世界で初めて実用化させたのは、例のオミカゲだそうだ」
「あぁ、知ってるわ。アタシもね、スマホを手に入れて色々調べたものだけど、その一つとしてオミカゲについて調べた事があるのよね」
ウィキペディアは言うに及ばず、個人ブログや書籍など、多岐に渡ってオミカゲの行った偉業を称えていた。それは確かに人間社会を――より正確に言うと日本社会を豊かにし、世界に先取りさせるように技術を提供していた。
その一つが電気であり、電話であり、電線だった。
雷神としての側面を持つオミカゲだからこそ、と言われれば納得してしまいそうになるが、ミレイユの知る歴史ではそうではない。
電気の発明はエジソンだし、電話の発明はグラハム・ベルだ。しかし、実際に発明家としてその名は歴史にあるし、発明者としての偉業もあるものの、それよりも更に早い段階で日本人に技術を教え広めたのはオミカゲ様となっていた。
これは日本人の主張ではなく、客観的かつ歴史的事実として記録されている。
日本における初めての電力会社も、その胴元、御影本庁の直下にあり、送電線の敷設権限すら所有している。日本の何処に電線を敷くか、どのように敷くか、その権利を持っているのだ。
ここまで来ると、結界と電線の関係から、このオミカゲが何の関係もないと言うのは無理がある。むしろ、この結界の主はオミカゲか、あるいはその部下だという事実を現している事になる。
「まぁ、オミカゲが怪しいって話になるわよね」
「部下が勝手にやっている、という可能性もあるわけだが」
「……そうね、別にそこはどっちでもいいわ。いかにも疑わしい、とは思うけど、仮にも神を名乗る者が、あれっぽっちの召喚術しか持たないなんて惨めすぎるもの」
「そして今も努力の最中で、最近トロールを順調に召喚できるようになった訳だ。まったく、いかにも神様って感じだな」
ミレイユの言い草に、ユミルはちらりと笑った。
「そうね、確かに。そう言われると、むしろ部下がやってる可能性は高まったかしら。まぁ、そうすると外敵をわざわざ召喚する意味が分からないけど」
「民には病を癒し傷を癒す善神として信仰されながら、裏では魔物を召喚させている訳か? ……つまりマッチポンプ?」
「どういうコト?」
ミレイユは自分で口にしながら、そうであったらいかに悪辣かと思い至って顔を歪めた。
事実と決まった訳ではない。最初に自らの想定に捕らわれるようではいけない、と口にしたばかりだが、むしろこれは外れていて欲しいと思う考えだった。
「つまり、どちらも信仰を支える大事な金蔓のようなものだ。より深く感謝させる為、あえて脅威を外から呼び出し討伐させる。傷を負えばそれを癒やし、それを感謝させる。敵の中には病や毒を吐き出すような者もいるだろう」
実際、ゴブリンの爪には病毒を引き起こす効果がある。高い熱に加え、筋肉を弛緩させるような病だが、命に関わる程ではない。しかし戦闘を生業とする者には厄介な病でもあった。
「それも快癒できるとなれば、その感謝、願い、信仰の力はどれ程のものになるだろうな……」
「あらあら……、それはまた……」
ユミルは絶句して言葉をなくした。
あの日、街に行った時、ビルの屋上から見下ろす影があった。
単に監視している訳でもなく、結界の出現と共に姿を消した。向かった方向から結界の対処に移動したのだろうと思っていたが、もしそれを出現させたのも対処させたのもオミカゲだとしたら……。
傷の治療、病の治癒も、その信仰を喰らう為に用意されたのだとしたら……。
善神などとんでもない、吐き気を催す邪神だという事になる。
そしてその事を知らず、国民は感謝し頭を下げ、信仰を捧げているとしたら――。
これは単なる想定であり、そして想定ゲームのつもりで口に出したものだ。物的証拠も状況証拠も十分とは言えず、難癖に近い推論だろう。
本当は全く違い、単にミレイユ達の酷い勘違いという可能性は大いにある。
むしろ、そうであって欲しいとすら思っていた。
ミレイユはグラスを手に取り、一口呷ってから傍らのユミルを見る。
「この話は当分、二人の内だけの話としておこう。推論というより暴論に近い内容でもあるしな」
「……まぁ、そうね。もっと穏やかな話になるかと思ってたけど、ちょっと他人には聞かせられない話だわ」
ユミルも納得して同意した。
視線を遠くに伸ばせば、アキラがアヴェリンのフェイントに翻弄されている姿が見えた。
目で追えるようになったからと、目に頼りすぎているようだ。また、上下の急激な視点移動にも対処出来ていない。だから簡単に足元を掬われて転がされる破目になっている。
まだまだ独り立ちには程遠いな、と思いながら、ミレイユは二人に休憩を勧めるため声を上げた。
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