決意と表明 その2

 料理が完成に近付き、野草とスパイス代わりの野草が投入され、煮詰まったところに薄く切られた肉も投入されると、それらが合わさり芳しい香りが漂い始めた。

 その匂いにつられてか、ユミルが這いずるようにテントから抜け出してくる。


「……おはよ」

「ああ、おはよう。なんだ、凄い顔だな……どうしたんだ」

「そんなの、慣れない見張りしたからに決まってるでしょ……」


 力なく言って、盛大な欠伸をさせて倒木の一つに腰掛けた。

 言われてみれば当然で、夜営をするなら交代制で見張りをする。平時であれば、ミレイユが担当するのも例外ではなく、箱庭を所持してから加入したユミルなどは、共に旅する間にはした事もなかった。


 ここ最近は特に、奥宮で悠々自適な暮らしをしていたユミルにとって、見張りの番をするのは酷な事だったろう。とはいえ、それが必要な状況となれば、彼女も我儘を言わない。

 昨日は例外的にミレイユが担当から外れていたとはいえ、持ち回りでやらねばならない事だ。


 ミレイユは素っ気なく頷いて、今や遅しと鍋の完成を待った。

 ユミルも眠気に瞼をしばたたかせ、勝手にお茶を器に注ぐ。焚火から降ろして冷え始めたとはいえ、未だ湯気は上げているので、ちょうど飲みやすい温度になっているかもしれない。


 そんなユミルを後にして、そういえば、とアヴェリンへと顔を向ける。


「テントの入口付近にいたのは誰だ? 道中、誰か助けてやったのか?」

「は……、はい?」

「いや、いたろう? 寝ているのが一人」


 はぁ、とアヴェリンには珍しい気のない返事をして、何かがおかしい、と違和感を覚えた。

 ルチアやユミルを見ても同様で、理解していないミレイユをこそ心配している風ですらある。見覚えがない相手とは微塵も思っていないような雰囲気だが、しかし到着早々気を失い、それまで一度も目覚めていないミレイユからすると、知っている筈もないと理解出来る筈だ。


「……何だ、おかしい事を言ったか? 昨日、誰かを拾っていたとしても、ずっと寝ていた私に知る筈がないだろう」

「ずっと? ……ずっとも何も、一度起きたじゃない」


 ユミルから訝しげな視線と共に言われて、それこそ記憶のない事で混乱する。

 ミレイユの感覚としては、到着早々、魔力を放出し、枯渇の影響で気を失い今に至る、という認識なのだ。途中で起きた記憶などない。


 だが言われてみれば、『掌中のテント』はミレイユの個人空間に仕舞われていたものであり、他人のポケットをまさぐるように取り出せる物でもない。

 あれが表に出ているというのなら、それはミレイユが自分の手で取り出したという事になる。

 嘘を言わないと信頼できる、アヴェリンに向かって訊いてみた。


「……私は一度起きたのか?」

「は、然様です。お食事もなされましたし、それだけで限界だったらしく、終わるなり直ぐにお眠りになりましたが」

「そうだったのか……」


 気のない返事をしたところで、そこへまたユミルが口を挟んで来る。


「……記憶がないとか言わないわよね? 変な後遺症とか」

「欠損した記憶など思い付かないが……。そうか、だが昨日は食事を取っていたのか」

「すごく眠そう……というか、半分寝ながら食べてた感じだったけど。……本当に大丈夫よね? これ何本に見える?」


 そう言いながら指を三本立て、そして同時に幻術を駆使し、五本に増やしたり二本に減らしたり、瞬時に指の本数を増減させる。

 イタズラなのか、医療行為のつもりかは分からないが、わざわざ指摘するのも億劫で、見えるままに口にしていく。


「三、五、二、四、五、三、一……」

「……見えてるわね」

「そういうのは普通、立てた指の数は変えないものじゃないか?」

「いや、幻術に惑わされないか、そして変えた本数に対応できるかまで見たかったから。その調子じゃ問題なさそうだけど」

「因みに、惑わされていた場合は?」

「ずっと三本に見えてた筈」


 なるほど、と頷いて、正常である事が証明できたところで話題を戻す。

 本来確認したいのは、そんな事ではないのだ。


「だから、あそこにいた奴は誰なんだ。私に許可取る暇が無かったから、拾った事は良いとして、理由ぐらいは教えてくれ」

「あー……、そう。見えてても見てなかった、ってコト? 本当にアイツの顔、忘れたとかじゃないわよね?」

「何でそう変に勿体振るんだ。出てくる時だって、顔が見えなかったんだから仕方ないだろうが」

「あ、あー、そういうコト。確かに頭まで毛布被って、顔見えてなかったっけ……。なるほどね。――あれ、アキラよ」

「何だって?」


 一瞬、何を言われたか理解できず混乱する。

 アレアキラとは何だ、と首を傾げそうになり、そして直後にアキラだと察した。だが、それなら尚更分からない。アキラは現世にいる筈で、オミカゲ様とて共に送り込んだりしないだろう。


 だが、理解を拒絶する様が、本当に不調である様に映ったらしい。

 アヴェリンは心底心配そうに顔を覗き込み、労るように声を掛けてくる。


「本当に大丈夫ですか? 記憶の混濁や、体調に不良があるのなら、食事の後にすぐお休みになられた方が良いのでは……」

「いや、済まない。大丈夫、言ってる意味は分かったが、意味の理解を拒絶しただけだ。……それにしても、アキラ? 私達のよく知る、あのアキラか?」

「……あぁ、なるほど」


 繰り返し聞き返せば、アヴェリンから得心の表情が返って来た。


「何故この場にいるのか理解できないと。その気持ち、分からないでもありませんが……どうやら我々に続いて孔を潜って来たようです」

「何故……?」

「それは本人の口から聞くべきでしょう。ただ、やむにやまれずでもなく、偶然や事故でもなく、本人の意志で孔の中へ飛び込んだようですが」


 馬鹿が、と罵る言葉が出そうになって、その直前で息を止める。

 世界を渡ってミレイユに付いてくる行為を馬鹿にするのは、同様に後を付いてきたアヴェリン達も馬鹿にする行為に成りかねない。


 あの時と状況も違えば、個人が持つ力量も違う。大いに違う、というべきだろうが、それでも決意を持って後を追おうとする行為に違いない。

 それを口汚く罵るようでは、彼女達の決意すら汚してしまう事になる。


 代わりに長い溜め息を吐いて、まだ痛む気がする頭を眉間を揉み解す事で解消しようとした。その仕草を見て取って、やはりアヴェリンは気遣う仕草を深める。


「お気持ちは分かりますが、我々からも問い詰めた結果、アキラなりの決意あっての事だと分かりました。全てはミレイ様のお気持ち次第で、どのような返事も受諾すると言質を取ってあります。話だけでも聞いてやって良いかと……」

「うん……? 随分と――」


 高く買ってるんだな、と続けそうになり、やはりミレイユは言葉を止めた。

 どうにも失言が口から飛び出そうになってしまって、未だ本調子ではないのか、と自分を疑いそうになる。


 アヴェリン達にも、アキラに共感する部分などがあったのかもしれない。己らの身の上に起こった事を思えば、後追いする気持ちも分かるのかもしれないし、アキラの決意には聞いてやるべき価値があると思ったのかもしれない。


 だが、アヴェリンからそういう進言が出るというのは意外で、早く送り返すか切り捨てるべき、という台詞が出るものだと思っていた。

 ユミルに視線を向けても無言の頷きが返って来るだけで、それなら話を聞いてやるだけ聞いてみても良いか、という気持ちになってきた。


 とはいえ、溜め息を吐きたくなる方の気持ちは増すばかりで、居た堪れない感情が湧き上がってくる。正直な事を言えば、これ以上の面倒事は御免だ、という気分だった。

 自分一人でさえ持て余すような状況、ここにアキラを加えた場合を想定すると頭が痛くなる。連れて行くと決めたなら、その命には責任を持たなければならない。


 アヴェリン達にも同様の責任を持っているが、彼女達は強い。それが信頼の背景になっているので、腫れ物を扱うような気遣いもいらないのだ。

 勝手に付いて来て、死ぬなら勝手にしろと言うほど、冷酷にも無責任にはなれなかった。どう扱うべきか考えているところに、料理が完成して器に盛られ始める。


 パンを細かく砕いて入れているので、まるで雑炊のような食事だった。食べ応えもありつつ消化に配慮した料理で、ルチアの心遣いを感じ取れる。

 手渡してくれた物をありがたく受け取り、木製のスプーンで具を掬う。


「いただきます」


 同様に配られている間に、一足先に口を付けた。

 調味料の問題で美味と言える出来ではないが、それでも何もかもが足りていない状況で、よくここまで調理してくれた、という思いが勝る。


「……うん、美味いぞ」

「ありがとうございます」


 感謝の言葉を口にすれば、はにかむようにルチアが笑った。

 アヴェリン達も口を付け始め、それで一気に食事が進む。器自体は大きいものではないので、それ一つ食べれば満足できる、という量ではない。

 おかわり自由という訳でもないが、肉の量などパッと見では分からないものだ。控えめに取っていたつもりでも、底の方にはもう幾らも残っていない、という事は珍しくない。


 腹を満たそうと思えば、出来るお代わりは早めにするに越した事はなかった。

 ミレイユが珍しく、勢い良く食べるのを見兼ねてルチアが言う。


「お肉、追加で入れましょうか」

「……そうだな、頼めるか」


 了解です、と短く返事をして、未だ血臭のする方面へ歩いて行く。

 アヴェリンへ目を向けると、小さく頷きが返って来た。


「肉の量は大丈夫ですが、他は手早く干肉に変えてしまおうかと思っています。本来なら長らく時間を掛けて作るものですが……」

「あぁ、分かった。後で手伝おう」


 流石に主人へ働けと口にするのは難しかろうと、率先して言ってやる。

 明らかにホッとした表情をして、アヴェリンは仄かに笑った。

 ミレイユは器の中から雑炊状になったパンを掬い取り、それをしげしげと見つめながら言う。


「それにしても、良くパンなんて持っていたものだ。現世で必要になる機会などなかったろうに……。誰が持っていたものだ?」

「あぁ、それは私とルチアです。私の場合は危機管理の観点から、常に持っておりました。ルチアについては、何か不穏なものを感じて、箱庭から奥宮へ向かう直前に幾らか食料を持ち出していたようです」


 なるほど、と頷きながら二人への危機管理能力の高さに舌を巻く。

 ミレイユも最悪の状況を想定していたとはいえ、食料を持ち出す事には無頓着だった。箱庭に備蓄していた様々な素材を思い出しては後悔が渦巻く。


 あれには文字通りのひと財産が入っていた。

 それを失ったのは大きく、また旅の助けになるものも実に多い。その助けが丸々得られないというのは、これからの旅を困難なものに感じさせる。

 箱庭を持っていない時は、テントすらなく野宿する事すらあったというのに、贅沢な思考をするようになったものだ。


 ミレイユは心中で自らに苦笑していると、テントの中から物音がし始めた。

 問題のアキラが起き出したのだろう。

 どのような話をしてくるつもりか辟易するのと同時に、どういう対応が適当だろうかと、テントから出て来る姿を認めながら考え始めた。

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