決意と表明 その1

 ミレイユが目を覚ましたのは、朝日が昇り始めた、まだ肌寒い時間の事だった。

 目が覚めて、薄暗い室内と、そして見覚えのない天井を疑問に思う。ここ最近まで見ていた、起床と共に見る天蓋の天井画はなく、ただ薄黒い布製の何かが見える。


 背中に当たる硬い感触と薄い毛布、それだけが寝具だと悟って身動きしたところで、隣にユミルが寝ている事に気付いた。

 次いで首を軽く起こして見渡してみると、六畳程の広さの中に簡素な家具と収納庫、そして開け放たれた入り口が見える。登り始めた日光が入り口を照らし、そこから薄く煙を上げる焚火も目に入った。


 それでようやく、ここが自分の用意したテントである事に思い至った。

 『掌中のテント』と呼ばれる魔術秘具で、本来なら嵩張る携行道具を、ごく少量に収める事が出来る、という便利道具だった。個人空間があって手荷物は減らせる前提があるとはいえ、この空間に収められる容量には個人差がある。


 その個人差とはつまり魔力総量と直結し、そして体積と重量が大きければ、それだけ収納量を圧迫する。この収納量が少ない者は、優先するものを考えて個人空間に収めなければならない。

 多くの場合、破壊や損失の大きいものなどを優先するし、食料など嵩張る物を容れる者が多い。

 最も多いのは水薬など、貴重でありつつ破損しやすい物で、それら二つが収まってなお余裕のある者が武器や防具などを収納していた。


 テントは畳んで小さくできるとはいえ限界があるし、人によってはそれ一つだけで個人空間を圧迫してしまう。自分一人用のテントを各自持つか、パーティの誰かが複数用のテントを預かる、というのがが普通だった。


 テントを用意していてもこれほど巨大な物は稀で、持っていれば収納量を削減できるだけでなく、とにかく便利だから冒険者垂涎の品なのだが、当然高価だ。

 都市部の家屋一軒と同等の価値があるので、それならば装備を充足させるとか、拠点となる家を購入する人が多くなる。


 箱庭を手に入れてからというもの死蔵していた物だったのが、売り払う事も譲る事もしていなかったのが幸いした。

 箱庭は、このテントを数十倍便利にした代物だし、そもそも悪天候すら関係ない。猛吹雪が吹き荒ぶような日は、移動も出来ないからテントに籠もるしかないのだが、その風の具合次第ではテントを押さえつける為に苦労する羽目になる。


 防護術で壁を築くとしても、その維持を数日に渡って行うのは拷問に等しい。

 箱庭にはそういったデメリットもなく、ただ埋もれないよう注意した場所を選ぶだけで良かった。


 ミレイユは毛布をどけて、上半身を起こす。

 顔を向けた先、焚火の近くにはルチアがいて、鍋を置いて何かを煮立たせている。アヴェリンの姿は見えないが、近くで血臭がしていた。すぐ傍という訳ではないし、人の血でもない。


 かつて旅をしていた時によく嗅いでいた、獣血の臭いだった。

 近くで襲い掛かってきた獣を返り討ちにしたか、あるいは獲物を狩って解体しているかのどちらかだろう。


 しだれかかるかのように腰の辺りへ覆い被さってきたユミルの腕を戻し、毛布も整えてやってから立ち上がった。テントの中というのは基本的に中腰で移動するものだが、このテントは立って移動できるだけの十分な天井高がある。


 テントから出ようとして、その端に小さく身体を丸めて寝ている誰かが目に入った。

 毛布を目の高さまで被っているので誰か分からないが、黒い短髪である事だけ判別できる。誰だと思いつつ、テントに招き入れる判断をされたというなら、後ほど紹介があるだろう。


 そう思って特に気にせず外に出て、朝霧が漂う中、肺の中へ目一杯空気を取り込む。

 そうして、現在地が森の中である事を再確認した。テントの中からも後ろに木々が見えていたとはいえ、その規模までは分からない。林を背後に見ているだけかもしれず、あるいは複数本の木々が偶然視界に入っていただけかもしれなかった。


 腕も大きく上に広げて身体を伸ばすと、凝り固まった筋肉が伸ばされて気持ちがいい。

 背骨や腕などからバキバキと骨が鳴る音が聞こえ、息を吐くと同時に脱力する。もう一度深呼吸を終わらせてから、焚火を挟んでルチアと対面した。


「おはよう、ルチア」

「おはようございます、ミレイさん。よくお眠りでしたね」


 倒木の一つに腰を降ろしながら、ルチアに困ったような笑みを向ける。

 不甲斐なさを感じると共に、後先考えず魔力を放出した事を申し訳なく思った。だが感情に歯止めが利かず、また発散せずにはいられない心境だった。


 ルチアにもまた咎める意図はなかったと思うが、ミレイユの反応を見て自分の失言を悟ったようだ。慌てて言い直そうとしたところで、ミレイユは片手を挙げて左右に振る。


「……いいんだ。実際、よく眠らせて貰ったしな。お陰で身体が少しダルい」

「もう少し、この辺で休んでおきますか?」

「……そうだな、どうしたものかな」


 身体自体に不調は感じない。

 全ての魔力を放出したにしては、軽い方だろう。以前、大規模魔術を使って枯渇させた時と比べても、その差は大きく、体調も万全とは言えない。


 とはいえ、ミレイユが言葉を濁したのは、それが原因ではなかった。

 そもそもの現在地が分からない所為だ。


 深い森の中、周囲全てが木々に囲まれ、そして空すら葉に隠れて満足に見えなかった。薄く上がる煙が葉の隙間を通っていけば、そこから見えるのは薄明るい空に映る雲ぐらいしかない。


 現在地が分からなければ方針も決められないのだが、近くに街があればそこに向かいたいと思った。テントもあるし、水も用意できるが、備蓄できる食料は持っていない。

 箱庭と違ってテントの中に食料を置いても普通に腐るので、収納箱の中には何も入っていない筈だった。保存食などは確保しておきたいし、水も置いておけば何かと便利だ。


 だが、ここが油断できない地域であるなら、街に寄るのは当然却下だ。

 いっそ森を通って、どこか安全な地帯へ抜け出した方が良い。ここで小休止を取ると判断したのがアヴェリンなら、少なくともこの場とその周辺は安全だ。


 復調するまで待機する、という判断の目も出てくる。

 だがまずは、話を聞かない事には始まらなかった。


 ミレイユは心中でその様に結論を下していると、ルチアが鍋から掬ったものを器に注ぎ、それを手渡してくる。器の中には薄茶色の液体が縁まで入っていた。


「どうぞ、お茶です。すぐに朝食に取り掛かりますので、ちょっと待ってて下さいね」

「ああ、そうしよう」


 器に口を付け、湯気の立つお茶に口を付ける。

 火傷する程に熱いお茶だが、今はそれぐらいが有り難い。湿った空気の中だと、焚火を前にしていても冷えるものだ。マントを個人空間から取り出して、それで少しでも暖を取ろうとしたところで、背後からアヴェリンが近付いてきた。


 その手には、今し方解体したであろう肉が握られている。

 それをルチアに手渡しながら、ミレイユの傍に膝を付いて慇懃に礼をした。


「おはようございます、ミレイ様。お加減は如何ですか?」

「ああ、まずまずだ。気づけば森の中だったが……、どうやらここまで運んでくれたのはお前のようだな」

「当然の事です」

「うん、だが大変だったろう」

「何ほどの事もございません。婦女子一人の重量など些細なものです」

「お前の献身に感謝……いや、真に大儀。よく私を守ってくれた」


 ありがとうと言っても、アヴェリンは有り難く思わないし、感謝を受け取る以前に当然の行いと捉える。だから言葉を選び直して、主人に相応しい言葉を投げ掛けた。

 アヴェリンが無言で頭を降ろせば、その鼻先へ向けるように手を差し出す。


 震える両手でミレイユの手を捧げ持つと、それを額に押し当てた。

 ミレイユが出来る、アヴェリンに向けた最大級の感謝を示すに、これ以上の手段はない。たっぷりと十秒そうしていると、流石に居心地も悪くなる。


 ルチアから視線は感じないものの、いつまでやってるんだ、という雰囲気は感じた。

 ミレイユが小さく咳払いをすると、それで両手が離れていき、倒木の座る位置を開けてやる。


「ほら、いつまでも地面に膝を付けてるものじゃない。こちらへ座れ」

「……ハ、それでは失礼して」


 アヴェリンが隣に座るのと同時に、ミレイユと同様の器が差し出される。中身もやはり同様で、薄茶色の液体が波々と注がれていた。

 感謝を口にして受け取り、息を吹きかけながら飲み始める。それを横目に見ながら、ミレイユは肉の方に目を向けていた。


「あれは何の肉だ?」

「鹿肉です。少し足を伸ばしましたが、ちょうど良い獲物がいて幸いでした。疲れた身体には新鮮な肉が必須でしょう」

「ふん……? だが、これだけ血の匂いを出したら、周囲の魔獣が騒ぐんじゃないか?」

「左様ですね。あれらに包囲されておりますが、昨夜の内に脅し付けておきましたので、襲撃の心配はなかろうと思います」


 そうか、とミレイユは素直に頷く。

 アヴェリンのそういった嗅覚は非常に頼りになる。彼女の部族は狩猟民族なので、獣の付き合い方も当然心得ている。旅の合間に幾度も彼女の知見には助けられたので、彼女が断言するなら疑う余地はなかった。


 ルチアも新たに出した鍋にお湯を張って、即席の鹿鍋を作ろうとしている。

 新鮮な野菜は望めないし、調味料とて満足にないが、調理台として用意されていたまな板には、野草を乾燥させた物や粉状の何かがあった。


 周辺を歩いて、使えそうなハーブ類を摘んだりしたのだろう。

 フリーズドライの要領で一瞬で水分を抜き、料理に適した形に整えるのは彼女の得意とするところだ。香草には調味料代わりになるものもあるが、やはり塩や醤油といった調味料には敵わない。

 だが、旅先で現地調達したものと考えれば、それほど悪いものでもなかった。


 無味でも食べられない訳ではないが、やはり味気ない食事は気分も滅入るものだ。

 そうして火力の調整をアヴェリンに任せ、ルチアは食事の準備を進めていく。ミレイユの個人空間には既に食品を取り除いて久しかったから、手元には何もない。


 今回のように急な転移があると予期できていれば、もう少し楽な旅も出来ただろうと思っても後の祭りだ。

 待つより他にする事もなく、出来上がりを心待ちにしていると、ルチアから薄くスライスされたパンが手渡される。

 不思議に思って見返すと、苦笑としか言いようのない表情で言ってきた。


「そんな表情されたら、渡すしかないじゃないですか。とりあえず、それで我慢していて下さいね」

「ひもじそうな顔に見えたか……?」

「というより、物欲しそうな顔、ですかね? そんな表情初めて見ました」

「それは……すまなかったな」


 頬を擦りながらパンを受け取り、口いっぱいに頬張る。

 薄いのにも関わらず固く、そのうえ味気なく、ボソボソとした口当たりだった。だが、不思議と懐かしいとは思わない。長らく口にしていなかった筈なのだが、まるでつい昨日食べたかのような感覚だった。

 奇妙に思ったが、それだけ身近に思っていたのだろうと、特に気にせず料理の完成をただ待つ事にした。

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