顔見せと夕食会 その1

「途中で飛んできた、あの紙に何か重要な事でも書いてあったんですか?」


 アキラが尋ねると、ミレイユは素直に頷いた。


「……重要ではないが、そうだ。話が進まん、今は従えとな。すべて説明する用意があるからとな。私に対し、個人的に」

「信じたのですか?」


 アヴェリンが訝しげに問いかけたのも当然かもしれない。

 別に詐欺に加担したという訳ではないが、その場で明らかにされるべき全てを、あれで有耶無耶にされたという思いがあった。


 オミカゲ様からすれば、あの場を利用してミレイユを神と認定する証拠が出れば――神威の発意があれば、それで良かったのかもしれないが、大事な部分は何一つ分からなかった。


「信じるというより、あの場ではそうするしかなかったという話だ。あの場では最初から着地点は決まっていただろうし、対して私の望む答えを教えるには、その場所が悪いという事情でもあったんだろうさ」


 ミレイユが最初茶番だと言っていたとおり、これは最初から、裁判の形をした新たな神を知らしめる場に過ぎなかった。無罪をそれと分かる形で報せる必要もあった、という理由もあって、一挙両得に収めるつもりだったのかもしれない。

 しかし、やり口が少々乱暴のようにも思える。


 今まで人心を案じ、長い歴史と日本の礎を築き続けて来たオミカゲ様にしては性急過ぎたようにも思えた。アキラのような小市民には分からない何かがあって当然とも思うが、同時に不自然さも感じてしまう。


 アヴェリンは続けて問う。


「では、ミレイ様の望む答えはこれから得られそうなのですか?」

「どのような答えであれ、得られる機会はあるだろう。あの流れは私にとっても予想外な展開だったが、過程に違いがあっただけの事。話す機会はある、知るのはその時でもいい」

「オミカゲサマが、あんたの母神だって話? それまでは御子神様とやらを演じるワケ?」


 呆れたように見つめるユミルに、ミレイユは難しそうに眉根を寄せた。


「演じると言うと語弊があるが。しかし、それに付き合ってやる必要はあるだろう。答えが得られた時、どうなるかまでは分からないが」

「あの、そんなこと言っちゃっていいんですか。……聞かれてますけど」


 アキラがおずおずと、ミレイユの後ろに控える女官を指差した。咲桜は目を伏せ何も反応を示さない。ミレイユはアキラの問いへ、つまらなそうに手を振って答えた。


「私がどのような腹積もりなのか、その程度の事はオミカゲも承知している。以前と違い、敵とも味方とも言えない立ち位置から、明確に味方に与するよう動いて来た。それ以降どうするつもりかは、まぁ御手並み拝見といったところだろう」

「……そうですか。ところで、ここで暮らすつもりなんですか? 別に住む場所はどこでも困らないのでは?」


 ルチアが口を挟んで、そのような事を言ってきた。

 思わずアキラの心臓が跳ねる。いつまでも一緒にはいられない、いつまでも鍛錬に付き合っていられない、そういう発言は何度もされてきた。


 アキラもそれに納得していたが、今日からとなれば幾らなんでも急過ぎる。

 別にアキラの部屋に住んでいる訳でもないし、それこそ小箱を移動させれば引っ越しも終わるという手軽さがあるから、ルチアが言う事も分からないではない。


 しかし、アキラは単純に離れたくなかった。もっと一緒にいたいという気持ちが胸の中を支配する。

 アキラはミレイユがどのように答えるのか、祈るような気持ちで待った。

 そしてミレイユは冗談めかしたような口調で、ルチアに答える。


「そうだな、確かに困らない。食費に頭を悩ます必要もなくなるしな」

「ああ、やっぱり困ってたの? 最近やけにケチくさいと思ってたのよね」

「うるさいんだよ、まだ余裕はある。しかし収入が……ああ、そこも解決したか。また質に細工品を持っていけば良いんだ。変に警戒する必要もなくなったしな」

「つまり……?」


 ルチアが詳細を促し、アキラの祈る気持ちが弥増しに増して強くなる。思わず身体を強張らせ、前のめりになりつつ続く言葉を待った。


「様子見だ。しばらくはここにいながら、という事になるだろう」

「そうですか、了解です」


 ルチアがあっさりと頷き、アキラはガックリと項垂れた。

 その対比に気付いたミレイユが、困惑の色を滲ませて何事かと聞いてくる。


「……どうした、さっきから?」

「いえ、もう会えなくなるのかと思うと、寂しくて……」

「なんで……?」


 不思議そうに首を傾げて言ってきたのはユミルだった。それに多少の苛立ちをぶつけながら答える。


「何でって、普通そうでしょう……! 僕はここに通えるような身分じゃないし、皆さんはここに住むんですから……!」

「そうね?」

「そうしたら、もう会う機会なんて滅多にないじゃないですか。鍛錬の方はどうなるのかという気持ちはありますけど、今までは温情で稽古を付けて貰ってた自覚もありますし……!」

「いや、だから、なんで会う機会がこれからも減るなんて思ってるのよ? アタシたち、別にアンタの部屋の中で暮らしてたワケじゃないでしょ」


 やはり不思議そうに首を傾けたまま、ユミルが言う。

 暮らしていなかったのは確かだし、最近は箱庭への通行許可も貰えたので、会うとなればすっかり箱庭の中が定番になっていたが、それだって結局箱庭が持っていかれるのなら同じ事。

 会う機会が減るのは当然だと思うのにそれに関心を示さないのは、情緒に問題のあるユミルならではだと思った。


「それはそうですけど、でも絶対会う機会減るじゃないですか。箱庭にだって通えないんですから……!」

「ああ、許可の遣り取りし辛いのが問題だって言いたいの?」

「そうじゃなく、許可の取りようも……」


 そこまで言って、どうもユミルとアキラ自身の認識に大きな隔たりがあるように思えてきた。単にアキラの気持ちが汲めないのではなく、そもそも会えなくなるとは微塵も思っていないような。

 それを考えると、ユミルの言っていた台詞も別の意味に思えてくる。


 アキラはミレイユに顔を向けると、切実な思いと期待を胸に言葉をぶつけた。


「もしかして、別に会えなくなる訳じゃないんですか……!?」

「ユミルがそう言ってたろう」


 にべもなくそう言われて、思わずアキラの肩が落ちた。


「いや、あんな言い方じゃ分かりませんよ……」

「お前が勝手に早合点しただけだ。別に私達は小箱を経由しないと箱庭に入れない訳じゃないしな」

「そうなんですか……?」

「私達、というより私が、というべきだが。しかし行きたいと思えば、登録した相手ならここからだって送ってやれる」

「えぇ……? だって、それじゃ何で今までやらなかったんですか? 外から帰ってくる時、いつも徒歩だったじゃないですか」

「色々と発動までに条件があるから、所謂テレポートのように好き勝手に使える訳でもないんだよ」


 ミレイユからの返答があっても、アキラの疑問にはそれとは別にアヴェリンが横から口を出す。その言葉は威圧が籠もった視線と共に発せられた。


「貴様……緊急時でもないのに、ミレイ様を馬代わりに便利使いしろとでも言うのか?」

「あ、あぁ……! いえ! すみません、ミレイユ様! そんなつもりで言ったんじゃ……!」


 自分の不明さに気付いてアキラが必死になって頭を下げると、分かっている、とミレイユは笑って手を振った。


「お前は時に、本来聞きにくい事でも深く考えず聞いてしまうところがあるからな。……まぁ、気をつけろ」

「はい! 申し訳ありません!」


 アキラはもう一度頭を下げた。

 二人の遣り取りを見て、アヴェリンも怒りの矛を納めてアキラから視線を切る。アヴェリン程にもなると視線にも圧力を持たせてくるので、視線を外せばすぐに分かる。


「だが、覚悟しておけ」アヴェリンは視線を向けずに言う。「明日の早朝鍛錬は楽しい事になるだろう」

「そん……、そんな……! そんなつもりで言ったんじゃないんですって! ミレイユ様もお許し下さったのに!」

「そうだな、だからそれは良い。だから、それとこれとは別の話だ。今回の件で少々尻に火がついたのではないか? お前は弱いが、弱いから仕方ないと、いつまで言ってるつもりだ」


 アヴェリンの言葉は胸に刺さるものがあった。

 マフィアへの追走、結界内の強敵、神宮勢力の精兵たち。

 いずれもアキラ一人の実力では、どうしようもない相手だった。


 実力の差は歴然としている。それは事実だが、彼らに近づく事は出来ないと諦めるつもりはなかった。

 逃げ出したくもない。そして彼女たちと離れたくないと思えば、力を磨くしかないのだ。


 アヴェリンの台詞も、それを慮ったものだと分かる。

 彼女たちは一度はアキラに見切りを付けた。才能の有無以前に魔力がないからと。そして魔力があったとしても、あくまで並よりマシ程度でしかなく、才気溢れるという訳ではない。


 それでも見捨てず、チャンスをくれた。

 着いていきたいという気持ちは本物だが、気持ちだけで着いて行けるものでもなかった。着いていきたいと思うなら、必死になって必死以上の結果を出すしかないのだ。


 アキラは身体の向きを変え、アヴェリンに頭を下げた。


「はい、師匠。申し訳ありません、弛んでました。ご指導よろしくお願いします!」

「私自身、尻に火が着いた思いがしている。私は私の為に鍛錬する。お前はそれに着いてこい」

「はい、師匠!」


 アヴェリンの台詞は意外に感じた。結界内の魔物にしても、神宮勢力にしても、アヴェリンの敵になっていなかったからだ。単純に魔力を込めて通り過ぎるというだけで、相手を無力化した程の実力だ。

 武器を持って本気で戦うというなら、その比ではない力量を示すだろう。


 だが、それでもアヴェリンにも危機に感じる事があるとしたら、オミカゲ様が関係しているのかもしれない。あの神威を身に受けて、もしかしてと思った可能性がある。


 アキラには緩やか、あるいは穏やかにすら感じた神威だが、高い力量を持つ彼女たちならまた別の何かを感じ取ったとしたら……。

 それは別に不思議な事ではない。


 アヴェリン自身、まだ己を高めようという意志が続いているのだ。

 そしてきっと、それはミレイユの為なのだろう。いつでも彼女の盾となるべく、その盾を強靭以上の状態で保ちたいのだ。


 ミレイユはアヴェリンの目を見つめて目礼した。それだけで、彼女たちには言葉も必要なく通じているのだ。

 アヴェリンはそれに対し大きく頭を下げる。ユミルにもルチアにも同じように目礼すると、彼女らはそれぞれに軽い調子に見える反応を返した。

 しかし二人には共通して、不敵な笑みが浮かんでいる。


 アキラは彼女たちの関係を羨ましく思った。

 自分もその中に入れたら、いつか自分にも信頼される視線を向けられたら……。分不相応と分かっていても、ついそのように思ってしまうのだった。

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