顔見せと夕食会 その2
一件落着したような気持ちでお茶に口を着けたが、実は何の解決もしていない事に気が付いた。正確に言うと、アキラとしては問題ないのだ。そもそも夕食会など、ミレイユの身内と言う程ではないアキラからすれば、呼ばれる理由がない。
精々が付き人か荷物持ちくらいの立ち位置で、そんな丁稚モドキを招く筈もないと安易に考えていた。
ユミルたちも着替えの必要があると聞いて、辟易していた顔を更に歪め、ミレイユに向けて非難していた。
ルチアはその事については予想できていたらしく、小さく溜め息をついただけで了承していた。アヴェリンは自身に似合う格好などないと、ユミルとは別の理由で嘆いていた。
少々冷めてしまったが、良い茶葉を使っていると分かるお茶を一口飲み、尚も参加撤回できないか、ごねているユミルを見る。
それらに一切関係ないアキラとしては、嫌がるユミルを高みの見物で口元を綻ばせていたのだが、そこにミレイユから特大の爆弾が落とされた。
「何を呑気に茶を飲んでるんだ。関係ないって顔してないで、お前もそろそろ準備を始めろ」
「……はい!? 僕が!? 何故!?」
「呼ばれたからだな」
「誰が? 僕が!? お、おみ、オミカゲ様にですか……!?」
アキラは気が動転して舌が回らない。高級そうな湯呑を、振るえる手で必死に抑えてテーブルに降ろす。落とすと怖いので両手で持っていたのだが、それでも尚、危険な手つきだった。
ミレイユは首を横に振って、それで幾らか不安も収まったが、同時にオミカゲ様からお声が掛かる筈もないと苦笑と共に納得する。
しかしだとすると、何故、誰に呼ばれたのかという問題が出てくる。
「で、でも、僕にお呼びを掛ける人なんて、ここにいないでしょう? 一体誰に呼ばれたんです」
「何とか家のナントカという奴だ」
「それじゃ全然、分かりませんよ!」
「御由緒家の誰かだ。全く……あいつらの名前は分かりづらくて好かん」
「何をサラッと、とんでもない事言ってるんですか。――あ、いや、ミレイユ様なら別に問題ないのか……」
言いながら、その顔を見つめた。
オミカゲ様の御子だと知った今でも、不思議とその実感はない。アキラにとってはいつものミレイユだったが、そのような接し方も本来なら許されない事なのだろう。
ミレイユ本人が何も言わないから甘えさせて貰っている形で、女官の方々など眉を顰めているのではないか。
そう思ってチラリとその顔を窺ってみたが、背景に同化しているかのように動きがない。静かにミレイユの背後で控えているだけで、何かを申し付けられない限りは、ああしてただ待つだけのようだ。
アキラとしては全く落ち着かない気分なのだが、ミレイユには全く気にした様子がない。いっそ無視していない者として扱っているのではないかと思った矢先、ミレイユは片手を上げて咲桜を呼びかけるように手を振った。
咲桜はそれに即座の反応を見せ、一歩前に出て一礼する。
「アキラを呼びつけたのは何と言ったか……?」
「由喜門家の当主、藤十郎様でございます」
「……だ、そうだ。お前も同じ苗字だろう。知り合いじゃないのか?」
ミレイユは手を振って下がるよう指示すると、再び一礼して咲桜は下がる。
使用人に対する振る舞いというものをアキラは知らないが、あのような態度で良いのだろうか。礼の一声くらい掛けても良いのでは、と思ったが、それよりもミレイユの言葉に返す方が先だった。
「いや、まさか……! 単に同じ苗字なだけですよ、今まで会ったことなんて一度もないんですから! もしかしたら遠い祖先から別れたりしたのかもしれませんけど、僕は全く知りませんし」
「だが……、うん、そうだな」
ミレイユは何かを言いかけ、口を噤む。
それがどうにも気になってしまい、アキラは恐る恐る聞いた。
「あの、何かご存知なんですか?」
「なんで私が知ってるんだ。……ただ、お前はいま一人で暮らしてるだろう。早くに親を亡くした。もしかしたら、その親がお前に教える前に他界したのかと、そう思っただけだ」
「それは……」
ないとは言えなかった。
両親としても、そんなに早くアキラを残して逝くなんて考えていなかったろう。教えるつもりがあっても、成人してからとか大学入学を機にとか、そういう考えがあったかもしれない。
今となっては知りようもないが、確かにミレイユの言う事は正解に近い気がした。
実際、そうでなくては可笑しいという気すらしてくる。
関係していると理解していなければ、傍流かどうかすら不確かな相手に声をかけたりしないだろう、とも思う。
少しの間考えてみたものの、答えは出なかった。結局のところ、その真意など話を聞いてみなければ分からないのだ。
とはいえ、だから会ってみろと言われて素直に頷けないのも確かだった。そのように立派な家と関わり合いになった事もなければ、生活の中でちらりとも見た事がない。
難しい顔で唸っていると、ユミルが嫌らしい笑みを浮かべながらアキラへと指を差してきた。
「その辺どうでもいいから、とりあえず参加しなさいな」
「やっぱり、そういう話になるんですかね? 礼儀作法なんて知りませんし、ミレイユ様に恥をかかせるだけなんじゃないかと……」
「作法なんてアタシだって知らないわよ。あっちの作法はともかく、日本の作法はね。何でか知らないけど、こっちじゃすぐ頭下げるじゃない。割りと意味不明よ」
呆れからか、あるいは理解を放棄した故か、諦観のようにも見える表情でユミルは笑った。
「それにアンタ一人だけ楽するなんて我慢できないし」
「そっちが本音ですか……」
アキラは苦い顔をして呻いた。
アヴェリンの方へ縋るように顔を向けると、無言で静かに首を振ってくる。その瞳の中には、やはり諦観のようなものが伺えた。どうやら、素直に付き合えという事らしい。
「どう考えても場違いなのになぁ……」
肩を落として息を吐き、一縷の望みをかけてミレイユを見る。
しかしユミルを立ち上がらせ、着替えの準備をさせる指示を出し始めた。アキラの方へは全く意識を払っていない。
あるいは、そんなに嫌なら出席しなくていい、と言われないかと期待したのだが、そのような素振りすら見せなかった。
そこでふと思う。
――ああ、こういうところが浅ましいって言われるんだな。
無意識とはいえ、都合よく救いの手が差し伸べられるのを期待していた。それを自覚して、またも自己嫌悪に陥った。
◆◇◆◇◆◇
奥御殿では、パーティを開くような催しは殆ど行われない。
ただ一柱、オミカゲ様という神を奉じ、また快適に過ごして貰うためだけに存在している。しかし全くの皆無という訳でもなく、慶事があればその為の会を開くし、御由緒家の冠婚葬祭ともなればオミカゲ様から直接の言葉を賜る事もある。
そうした時に利用する為の会場があった。
本日も格別の慶事があって、誰しも心が浮足立つ。オミカゲ様の世話をする為に登宮できるのは、一部の限られた者だけだ。それも大変な名誉だが、本日ばかりはまた違った名誉がある。
普段は広い奥宮を清潔に保ち、また、たった一柱を世話する為だけに百名以上の者が携わっている。厳選な審査があり、また単に育ちが良いというだけでも選ばれない。
とはいえ、代々御殿女官の家系というものは存在する。
試験に際し、全てのものは公平で、贔屓にされる訳でも優遇される事は厳禁とされている。しかし具体的にどの程度の基準を満たせば合格を貰えるかを熟知している家は、幼い頃からその為の教育を施せるので一般枠より遥かに有利だ。
そうして代々御殿女官を輩出する家は名家とされる。
京ノ院家もその一つで、今代の女官長を勤める鶴子が多くの女官たちを前に薫陶を述べていた。
「よろしいですか。本日は千年という永き時の中でもなかった、新たな神をこの奥御殿にお招き出来る
鶴子は既に七十歳を超える老齢と言って良い年だが、未だに後を譲らず大任を身に帯びている。深いシワと白くなった髪は年齢に違わぬものだったが、その眼光には些かの衰えもない。
一同を見渡し、その表情から適度な緊張と些かの緩みもないことを確認していく。
「申し付けられる事があれば、それが何であれ可能な限り実行するよう。出来ません、分かりませんなどという返答はないと心得なさい」
そこまで言って、厳しい表情しか見せていなかった鶴子は和らげて見せた。
「ですが御子神様はオミカゲ様同様、大変おおらかな御心をお持ちでいらっしゃる。理不尽なお申し付けもなく、またお役目には労いの言葉すらあるでしょう。皆の者、その栄誉に預かれるよう、しっかりと励みなさい」
『はい!』
一同から狂いなく揃った返答に、鶴子はようやく笑顔を見せた。
「これよりは御由緒家を皆様方を招いての夕食会。懇親会のような、堅苦しくない場にするよう、オミカゲ様より仰せつかっています。何事も初めての御子神様への配慮です。ご来客の数は多くありませんが、だからと油断せぬように」
再び一同を見渡して、その表情に油断ないものを確認した鶴子は、一層声を強めて宣言した。
「これよりオミカゲ様、並びに御子神様がいらっしゃいます。皆、気を引き締めていくように!」
女官たちが最終確認している間にも、忙しくしているのが料理人だった。
普段からオミカゲ様の食事を任されているだけあって、その腕は日本で指折りの実力がある。いつでも緊張感を持ってその腕を振るっているが、今日はまた特別な緊張があった。
本日より新たに降臨した神――オミカゲ様の御子神、その料理まで任されたとあっては、倍では利かない緊張感がある。
誰しもその新たな降臨に浮足立っているし、今も立食形式で用意された会場では今や遅しと待ち構えている筈だ。
その容姿はオミカゲ様に瓜二つで、鮮烈な衝撃と共に受けた神威には感動を隠せずにいられなかったという。
今は僅かな噂しか耳に入ってこないが、判断に困る噂も同時に入ってきている。
無茶な要求をするとか、あるいは気軽に御声をかけてくる優しい方だとか、ゴシップのような内容だった。人の噂に戸は立てられないとはいえ、あまりに節操がない。
不敬だとも思うが、厨房や使用人専用の食堂などは一種の聖域だ。
誰しも息抜きなしには生きられない。そういう噂話に興じるのも、また人間らしさというものだと理解している。
ゴシップに興味のない人間としては、やはり眉を顰めてしまうのだった。
そして、忙しくしているのは料理人だけではない。
給仕をする者たちなどは、秘蔵の酒を地下のセラーから運び出しているし、食器類やグラス磨きにも余念もない。何一つ粗相が許されないとあって、その準備にも力が入る。
そうしている内に、更に外が騒がしくなってきた。
御子神様が会場に入ったのかもしれない。その姿をひと目見たい衝動に駆られるが、裏方は口ではなく仕事で語る。それで御心を温めることが出来れば、何一つ言う必要はないのだ。
万雷の拍手が遠くに耳に聞こえ、使用人も料理人もまた背筋が伸びる思いで仕事に集中した。
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