顔見せと夕食会 その3

「御子神、神鈴由良豊布都姫神みれいゆらとよふつひめ様、ご来臨!」


 咲桜に案内されるまま到着した会場へ、ミレイユが足を踏み入れると同時、朗々たる声が響き渡る。同時に、議場でも見た顔ぶれが一斉に頭を下げた。


 広い室内には幾つもの円形テーブルが用意されており、そこに白いクロスが掛けられている。その上には所狭しと料理が並べられていて、多くは二人で一つのテーブルを利用しているようだった。


 奥には壇上に用意されたテーブル席があり、こちらにも同様の物が二つ用意されている。こちらに誰もいないのは、そこがミレイユ達に用意された場所だからだ。それが咲桜の先導で分かった。


 一つのテーブルを通り過ぎる度、顔を上げていくのが衣擦れの音と、背中に受ける視線から分かる。ミレイユの後ろに付いて来ているアヴェリン達も、同様に居心地悪い思いをしているに違いない。


 彼女たちもまた、今回の為に衣装を改められている。

 御子神の眷属という立ち位置で、巫女服よりも神御衣に近い貫頭衣を纏った姿で参加していた。どれも意匠に僅かに違いがあって、それが彼女たちの個性を際立たせている。

 アキラも同じような姿をさせられて、それですっかり萎縮してしまっていた。


 壇上より最も近いテーブルもまた空席だった。

 まだ誰か来ていない者の指定席かと思いきや、どうやらアヴェリンら護衛の席らしい。しかしアヴェリンは席に着くことを断固として反対した。


「護衛の席というなら、そもそもお側を離れて食事をするなどあり得ん話だ。ここは安全だの、今は護衛を忘れろなどという戯言も聞きたくない。何と言われようと、私はミレイ様のお側に控える」

「……畏まりました。御子神様、どうなさいましょう?」

「アヴェリンならそう言うのは当然だ。やめろと言っても聞かないし、それ以前に言う気もない。好きなようにさせろ」

「そのように。……では、他の方はどうなさいますか?」


 咲桜が目を向けると、ユミルとルチアは顔を見合わせ、そして肩を竦めた。


「アタシはここで良いわよ。壇上だけじゃなく、その下から見張る役も必要でしょうよ」

「同じく。壇上へ近づくには、ここを通らずには行けないみたいですし、有事の際には丁度よい歯止めになるでしょう」


 ルチアがそう言うと、咲桜は最後に残ったアキラへ目を向けた。

 向けられた当のアキラは困惑して、顔と共に両手も横に振る。


「僕が壇上だなんて有り得ないでしょうし、そもそも僕は付き人以下みたいなものなので……! 席すら必要ありません……!」

「では、ユミル様、ルチア様とご同様、そちらの席でお寛ぎ下さい」

「……う、あ、はい……」


 寛ぐなんて出来る筈がない、とその顔には浮かんでいた。

 周囲から向けられる視線で、針のむしろのような感覚を受けているだろう。身の置き場もなく、肩を小さくすぼめて少しでも視線から隠れられるよう、涙ぐましい努力を続けていた。


 ミレイユはそれに困ったような笑みを浮かべ、そうなるだろうな、という感想を胸中で述べた。


 一人だけ場違いなのは確かだし、先方がどう願おうとアキラを自室に残して来ても良かった。それでも連れてきたのは、天涯孤独の身だと思っていたアキラに、身内の影らしきものが見えたからだ。


 単に権力を意識した者が手を伸ばして来たというなら、ミレイユも歯牙にもかけなかった。

 しかし御由緒家当主というなら、既にオミカゲ様の最も信任篤い地位と名誉を受けているという事になる。新しい神に対して覚えめでたくありたい、という欲があったとしても、それを足掛りにどうこうしようという野心はないと判断した。


 落ち目の家という評価もされておらず、また他家を押し退け前に出るという野心もないとの評価を咲桜から聞いた。後に嘘と分かれば、ミレイユから不興を買う。それを理解していて、調べれば分かる嘘を吐くとは思えなかったので、乗ってみようという判断だった。


 初手からこの女官がミレイユに対して良いように転がせるか試しているつもりというなら、ミレイユもまたそれを見て試している最中だという事だ。

 アキラには悪いが、これを一つの試金石にさせてもらうつもりだった。


 ミレイユが壇上の席に着き、アヴェリンがその背後、三歩離れた後ろに控える。

 手にはシャンパンらしきものが入ったグラスを渡され、飲まずに手の中で転がしていたところで、再び朗々とした声が室内に響き渡った。


御影豊布都大己貴神みかげとよふつおおなむちのかみ様、ご来臨!」


 先頬議場で見た姿と同様の神御衣かんみそで、オミカゲ様が入室して来た。

 ただ一つ違うところは、その長い裾を引き摺らないよう、後ろから女官が手に持ち付いて来ているところだ。議場では居なかったと思うし、裾を引き摺るような音もしなかったので、また違う服装なのかもしれない。


 一歩足を踏み入れると同時、ふわりと、一陣の風が肌を撫でるように神威が室内に広がった。

 ミレイユが着た時と同じ様に、テーブル席にいる者たちが一様に頭を垂れる。四十五度の最敬礼より僅かに深く腰を曲げているのは、神に対する最敬礼をしているせいなのかもしれない。


 なるほど、とミレイユは一人ごちる。

 毎回、何かしらの機会があれば、あのように自分のマナを見せているならば、神威の表れだと勘違いする者が出るのも頷ける。


 初めて目にする機会であれば、あの程度なら顔を青くし震える程度で済むだろう。あれが神威だと教われば、神の威光に身体が勝手に反応したと勘違いも生む筈だ。


 ――自身の演出とその効果について、よほど考えを練っている。

 それがミレイユの感想だった。


 神としての権威と威光を確固たるものとする、詐欺にも似た演出。無知な者を引っ掛けて、それで自身の評価を確固たるものとする。

 ミレイユの知る神とは全く違う思考回路、そして思考誘導。

 信仰獲得と維持についても思った事だが、なるほど厄介だな、とミレイユは再確認する。オミカゲ様が来るのを、冷ややかな視線で待った。


 オミカゲ様の歩調は緩やかだったが、しかし遅すぎるという訳でもなかった。

 平坦な表情にはどのような感情も窺う事はできなかったが、しかし御由緒家に対して快く思うような雰囲気は伝わってくる。


 それが彼らにも伝わっているのか、通り過ぎた後、しっかりと五秒経ってから上げた顔には晴々とした表情が浮かんでいた。


 それを快く思えば良いのか判断も出来ず、ミレイユはその光景をただ見送る。彼らの関係を深く知るに連れて、また違う感情が芽生えたりするのだろうか、と他人事のように思っていた。


 オミカゲ様が壇上に登り、ミレイユの横にあるテーブルに着く。

 他のどれより豪華絢爛の様相を呈しているのは、神と人とに対する扱いの違い故だろう。ミレイユの為に用意されたものとも、やはり多少の違いはある。


 立食形式の格式張らない昼食会とはいえ、神が同席するとなればそう簡単なものにはならないらしい。オミカゲ様は壇上より見下ろし、それぞれに顔を向けた。

 御由緒家の誰もが、それに期待するような視線を向けている。

 オミカゲ様が威厳を含ませた声を、平坦な表情に乗せて言った。


「このような形で我が御子を紹介する場を設けた事、不満に思う者もいるかもしれぬ。国を上げて歓迎し、国民全て含めて祝うべきだと考える者もいるだろう。だが、分かって欲しい。我はこの事を公表するつもりがない」


 ざわり、と会場内の空気が騒ぎ、そしてオミカゲ様の目線一つで沈黙した。


「人の戸口は軽いもの、黙っていても判明する事かもしれぬ。奥御殿に閉じ込めるつもりもない。結界への出入りを制限するつもりもないし、その他多くの許可を与えるつもりでいる。無制限、無軌道、傍若を許すものではないが、神の責務を与えるものではないと明言しておく」


 今度は音を立てはしないものの、困惑の表情が強く浮かんでいた。

 それはミレイユも同様で、何を考えているのか不安に思う。暴虐の限りを尽くすつもりはないが、神の認可を得たとなれば、大抵の事は法を無視して動けるだろう。


 このような場で言う事ではないだろうし、また許しを与える事に不信感を覚える者も出る。離反者が出るというほど大袈裟な事ではないだろうが、心の内が見えなくて不安になるのは間違いないだろう。


 ミレイユが先に起こした事件もある。

 あのような勝手が今後も続くのか、と暗澹たる気持ちになる者もいそうだ。

 悪手としか思えない発言に、ミレイユも殊更眉根を顰めて顔を向けた。


「現世に慣れるまでの話である。それまでは、不満もあろうが優しく見守ってやれ」


 オミカゲ様が放ったその一言で、会場にいる者たちの頬が緩む。

 あくまで常識を学び終えるまでの措置であると、母神が御子神を気遣っているだけと判断したらしい。

 そのような中、ただミレイユとその関係者だけが懐疑の視線を向けていた。


「今日この様な立食形式にしたのも、礼儀や作法を極力考えなくて済むようにした為だ。皆も今日だけは礼儀も格式も程々にして、我が御子へ顔見せをしてやって欲しい。後で直接出向かせる、それまでに腹を満たしておくと良かろう。……以上である」


 オミカゲ様がそう言って言葉を締めると、万雷の拍手が会場を包んだ。人数は然程でもないというのに、そこはやはり一人ずつが出せる音の違いか。

 少し見渡してみると、手の空いている者であったり給仕係であったりする者も手を叩いている。

 単に威厳ある存在としてではなく、単純に慕われる存在でもあるのかもしれない。


 新たな発見をした思いでいると、皆がそれぞれ食事を開始したようだ。給仕の者がグラスに酒やワインを注いでいくのを皮切りに、追加の料理なども運ばれて来る。


 自分で動くわけではなく、給仕が全て行って主人へ皿を渡している。

 どのような物から食べていくのかも決まっているのか、淀みなく盛り付けをしていく。いざ食べようと思っても動きにくそうな礼装だというのに、袖の下を上手く捌いて箸を使っている。


 妙に感心した気分でいると、ユミル達がこちらを伺っていた。

 まだ誰も箸やフォークに手を付けていない。食しても良いのかと、その目が問いかけていた。近くに控えていた給仕も困ったようにしているので、ミレイユはそれに頷いて好きにするよう指示した。


 ユミルは早速自分でワインを注ぎ、何から食べるかあれこれ注文し始めた。

 アキラは困った顔して縮こまるばかりで、給仕に仕事をさせるつもりはないようだった。むしろ自分でやりたいと思っているようだが、それを口にするのも憚られるという様子だ。


 アヴェリンにも何か食べさせてやりたいと思っても、代わりの護衛がミレイユの傍に控えない限り、いつまでも食べる事ができない。それで取り敢えずルチアには早く食べてしまうよう、身振りで指示を出す。

 得心した頷きを返すのを見て、ミレイユもようやく一息ついた。


 ミレイユにも当然給仕として咲桜が付いて、まだ好みを知らない故にどれから取るべきか迷っている。指示を乞うような、縋った視線をよこした。

 今は何を食べても味が分からないだろうな、と思いながら、お任せで盛り付けるよう頼むのだった。

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