顔見せと夕食会 その4

 食も程々に進み、横目でオミカゲ様を盗み見ている時だった。

 普通に食事を取るんだな、などと野次馬のような感想を抱きながら見ていると、こちらに顔を向けてきた。立食であっても上品に見える食べ方は、年季の違いに寄るものか。


 見ているだけでは飽き足らず、空になった皿を側仕えに預け、こちらに向かってやってくる。


 来るなとも止めろとも言えず、皿に盛られた一品を箸で摘んで口に入れた。大いに顔を顰めながら顎を上下させていると、珍しくオミカゲ様が表情を崩した。

 苦笑としか言えない表情でミレイユを見てくる。


「そのように嫌な顔をするでない」

「すまないな、育ちが悪いものでね」

「またそういう事を言いよる」


 オミカゲ様が近づけば、アヴェリンも身動ぎして警戒を顕にする。そこに笑みを含むものを見せながらも、あえてそちらに注意は向けずミレイユの横顔をひたと見つめた。


「今だけの辛抱、少々は付き合え」

「そういう言い方をする奴が、少々であった試しはない」

「なかなか痛い所を突く」


 面白い冗談を聞いたかのように、オミカゲ様は眉を上げた。

 丁度、給仕をするため近くでそれを見ていた咲桜は、驚愕に目を見開く。しかし己の失態に気付いて、即座に表情を隠し給仕を終えてミレイユの背後に控えた。

 それを訝しげに思いながら、単なる好奇心で聞いてみる事にした。


「今の咲桜の表情……、何か思い当たる節は?」

「さて、とんと思い当たらぬが……あるいは、表情を変えたせいかもしれぬ」

「確かにお前は鉄面皮のようだと思っていた。だが違ったな」

「表情を動かすほどに、感情を動かされるような事がなかったせいやもしれぬな。長く生きると、色々な事に慣れてしまう」

「……含蓄の溢れる言葉をどうも」


 ミレイユが大いに皮肉を交えて告げ、適当に取った物を口に入れて咀嚼する。それでとうとうオミカゲ様は相好を崩して、ほんの小さな笑顔を見せる。

 周囲の者が歓談をやめ、驚愕しては言葉を失っていた。


「そういう台詞を聞いたのは何百年振りの事か。……やはり良い、心が洗われるようだ」

「ああ、そう。それは何よりだったな」

「何がそんなに気に入らんのだ」

「言わなければ分からないか?」

「いいや。そなたの不満、よく分かる」


 オミカゲ様は笑みの中に悲しげな色を浮かべて言った。平坦な表情から悲嘆すら窺えるような目を見せられると、ミレイユも思わず口を噤んでしまう。

 しかし、このミレイユそっくりの顔をした――オミカゲ様と呼ばれる何者かが、その真実を語らない限り、強硬な姿勢を崩すつもりはなかった。


 その正体を嘘で固めているのも、それに拍車を掛けている。

 全てをつまびらかにしない限り、そして要求が重なり続ける限りにおいて、ミレイユは何一つ心の内を開くつもりはなかった。

 その正体について確信すら得られているからこそ、その気持ちは強かった。


「この場で改めて誓っても良い。全て話す、必ず全てを。だから、それまでは現状を飲み込め。決して悪いようにはせぬ――しないつもりでいる」

「そう願うよ。その嘘も隠し事もな」

「何を嘘と言うかは受け取り手次第と思うが……だが我の信じる真実を話す。それは約束しよう」


 ミレイユが小さく何度も頷きを見せた後、上目遣いで問いかける。


「それはいつだ?」

「近々、としか言えないな」

「日にちの指定ぐらいしろ」

「そうは言っても……実は衝撃の事実だが、我は暇している訳ではない。こう見えて多忙である」


 誰にも言うな、と唇に人差し指を立ててあるかなしかの笑みを浮かべたが、実につまらない冗談という感想しか浮かばなかった。


 実は多忙なんて言われなくても、食べて寝るだけの生活ではない事ぐらい予想がつく。多くは経営権を手放しているとはいえ、五百社を超える会社を作ったのはこのオミカゲ様なのだ。


 神社運営についても、全くのノータッチという訳でもあるまい。

 最終的に認可の印鑑を押すだけのような仕事でも、それが積み重なっているのなら、その数は膨大なものになる。

 相談事を受ける事も多いだろう。それが会社的なものなのか、社会的なものなのかはともかく、頼りにされる存在である事は違いない。


「……まぁ、分かった。あまり煩く言っても早まる訳でもなさそうだしな」


 ミレイユが肩を竦めると、オミカゲ様は給仕の手を止めるように指示を出す。

 咲桜は動かしかけた手を止め、ミレイユの後ろに下がって一礼する。


「そなたとの会話は楽しい故、ついつい時間を忘れてしまいそうになるが……。そろそろ皆に挨拶回りを始めねばならぬ」

「食べてばかりでいられたら楽なんだが……」

「地位に伴う責任である。受け入れよ」

「地位も責任も受け入れた覚えはないがな。……だが今だけ、今だけは我慢しよう。話を聞き終わるまではな」

「それでも良い」


 オミカゲ様が機嫌よく頷き、壇上に掛かる階段を示す。

 観念したように溜め息をつき、ミレイユはアヴェリンと咲桜を伴い歩き出した。




 最初に足を止めたのは、ユミル達のいる席だった。

 まだ何も食べさせていないアヴェリンの腹に、何かを入れさせてやろうと思っての事だった。何かと入れ替わるタイミングが見つからず、結局今まで食べる機会を失っていた。


 だからこれを期に食べるか、食べてる間はルチアと交代させるつもりで来たのだが、アヴェリンは固辞して頭を振った。


「私の食事などより、御身の護りの方が遥かに大事です」

「そうは言っても腹は減るだろう」

「ですが、まだ十全に力を振るえます。私が離れた隙を突かれる様な事があれば、私は悔やんでも悔やみきれないでしょう。どうか、このままでいさせて下さい」


 アヴェリンの瞳から窺える意志は固い。

 言い包めるような事でもないし、小さく頷いて好きにさせた。


 そこでふと目についてアキラの顔を見たのだが、その顔色は蒼白になっている。食事も殆ど手を付けておらず、緊張でそれどころではないという様子だった。


「気持ちは分からないでもないが、お前は何か食べておけ。別に護衛として期待してる訳でもないしな」

「ここで襲われるような事態になったら、そもそも僕が役に立てるなんて思ってません。そうじゃなくて、何ていうかもう、場違い感が凄くて……」

「そうだな……。まぁ注意を向けられている訳でもないだろうが、針の筵という気持ちも分かる」


 ミレイユは一つ頷き、ついてくるよう手を動かす。


「だったら、さっさと当初の目的を済ませてしまおうじゃないか。それが終われば退室できるし、以降は自室で待機していても良いしな」

「……そういう事なら。分かりました、お願いします……」


 アキラが頭を下げて一礼し、アヴェリンの後ろを位置取る。

 そういえば、ミレイユの後を付いて来るような素振りをしていたオミカゲ様はどうしたのかと首を廻らせてみると、壇上近くのテーブルで、どこぞの当主と歓談しているようだった。


 ミレイユと話していた時のような顔はしていない。敬意を示され、敬意を受け取り、それに機械的な返しをしているような冷たい雰囲気が見えた。


 どうにも良く分からない気持ちでそれを眺め、そして咲桜に声を掛ける。


「アキラに用があるという、由喜門家はどこにある?」

「はい、ご案内いたします。向かって右側、一番奥のテーブルになります」


 そうか、とだけ返事をしてアキラを伴い歩いて行く。

 途中幾人もの視線を向けられるが、それに応えるつもりもない。また、話し掛けてくるという事もなかった。不文律として、こういった場では地位の低い者から高い者へと話し掛けるのはマナー違反とされる。


 特に神への奏上は気軽に行えるものではなく、事前の許可無く行えない。

 単純な挨拶の口上すら許されず、必ず声を掛けられるのを待ってからでなくてはならなかった。理由は明快、話し掛けたい者が話し掛けたいまま好きにすれば、目的の場所に辿り着く事すらできないからだ。


 ミレイユはこの立食パーティに参加するに辺り、そのような暗黙の了解があるのだと教えられた。四方八方から話し掛けられて面倒事になるような事態は起きない、とは言われたが、しかし同時に面倒事を回避する事は出来ないとも釘を差された。


 ――好き勝手に、地位を与えておいて。

 そう思わないでもなかったが、同時にやり易くなったのも事実だった。お陰で不法入国として逮捕される心配もなくなったし、金に困る事もない。


 そう考えて、いや、と心の中で頭を振った。

 仮想敵としてのオミカゲ様は鳴りを潜めたが、相容れない部分があるのは確かだろう。それ如何によっては離れる事も考えているし、以前のように敵同然の関係に戻る事はなくとも、新たに身を立てる必要は出てくるかもしれない。


 ――考えすぎるのも良くない。

 それを分かっていても、考える事をやめられない。

 今が瀬戸際だと理解しているからだ。現在の状況が懐柔策だとは思っていないが、それに近いものはあると自覚しておかねばならない。


 そこまで考えて、ミレイユは眼前に迫った由喜門家へ意識を向けた。

 歓談しつつも一直線に歩いてくるミレイユに、彼らは気付いていただろう。幾らかの緊張感を滲ませて、当主と思われる男が顔を向けてきた。


 ここにいる男女は全て第一礼装を着ているので華やかと共に堅苦しい印象を受けるが、不思議とこの周辺ではその空気が緩やかに思える。それはもしかすると、人柄の為せるものなのかもしれなかった。


 ミレイユが男の前で立ち止まると、深々と最敬礼より僅かに深い礼を見せる。続いて近くに立っていた少女も頭を下げた。親子だと分かる顔立ちの、まだ中学生くらいの少女だった。


 見たことはないが、何かが気に掛かる。その事だけ意識の片隅に残しながら、ミレイユから男に声を掛けた。

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