神明裁判 その8
それからどれだけ時間が経ったのか分からない。視界の外でアヴェリン達の話し声などは聞こえていたが、それが意味を伴って拾ってはいなかった。
時折窓の外へ視線を移していたぐらいで、さしたる動きも見せていない。
そうしていると、背後から襖の開く音がして誰かが入ってくる気配がする。
真っ先に反応したアヴェリンが、早足で近寄っていくのを横目で見てから、アキラも椅子から立ち上がって姿を確認しようとした。
「ミレイ様……!」
いつもどおりの姿を想像しながら振り向いたアキラは、そこにいたミレイユを見て度肝を抜かれた。常とは違う荘厳な御装束を身に着けている。
壇上にてオミカゲ様が纏っていた、巫女服にも似た
よくよく観察していた訳ではないが、オミカゲ様のものとは作りに差があるように見える。もしかしたら、簡略式のような者なのかもしれない。
だがその姿は神々しくも美しく、アキラはその姿から目を離せない。
ミレイユはアヴェリンに近づき、その肩を叩く。
疲れた顔でありつつ優しげな瞳で、次にまるで幼子を安心させるような手つきで撫でた。アヴェリンは感動の面持ちで肩へ置かれた手に、自分の手を重ねる。
分かっている、という風にミレイユが頷き、それで肩から手が離れた。
そうしてアヴェリンの横を通り過ぎると、次にルチアとユミルに顔を向けた。
それぞれからはアヴェリン程の熱い歓迎をされなかったが、しかし安心したと顔には書かれている。そして最後にアキラへ顔を向け、そして怪訝に顔を傾けた。
「どうしたお前、やけに暗い顔だぞ」
「いや、これは……」
「どうも自己嫌悪中って奴らしいわ」
「は……?」
アキラが何か言うより先に、ユミルはその心情を暴露してしまった。
眉根を寄せて見つめる視線に目を合わせる事ができず、アキラは俯いて口を固く結ぶ。
「なんか自分の罪状がどうなるか気になっていたみたいで、その事あれこれ考えた結果、あんな感じなのよ」
「さっぱり分からん……が、お前たちの罪は無かったことにされる。それは確約する」
「あら、やっぱりそうなのね」
「そもそも表に出せない判例故の、秘密裁判だしな……」
言いながら、ミレイユは広い長方形型のテーブルの上座に座ろうとする。
だがその前に、いつの間にいたのか、アヴェリンより先に女官がサッと動いて、その椅子を引いた。ミレイユは一瞬動きを止めたが、何を言うでもなく腰を降ろす。
女官は若く、溌剌とした雰囲気を発していた。
ミレイユが座った後も椅子の後ろ――右斜め視界に入らないギリギリ――に位置取り、無言のままに控えている。部屋から立ち去る気はないようだった。
「それに有罪にしたところで私の家人だ。わざわざ神にまで承認しておいて、その不興を買うような真似はしない。例え有罪判決を言い渡しても、私が握り潰すだけ。意味がない」
「いやいや、普通に話を続けないでよ。そっちの説明は何もないワケ?」
ユミルが先程の席に座り直しながら、女官に人差し指を向けて言う。
そうだった、とミレイユは苦笑して、背後に向けて手を軽く上げた。手招くよりも更に小さな動きで、女官に向けて簡潔に命じる。
「自己紹介しろ」
「畏まりました」
女官は一歩前に出て一礼する。
「お初にお目にかかります。御子神様の世話役という大任を仰せつかりました、京ノ院
「世話役だと?」
アヴェリンが剣呑な眼差しで咲桜を見つめた。その目には、そんな奴は必要ない自分一人で十分だと如実に語っていたが、しかし当のミレイユが疲れた顔を横に振った。
「我慢しろ。ここにいる限りは、その世話を受けねばならんだろう。この服も一人では着られないし、それにまだ私の世話役は三人いる。面通しを許したのは、この咲桜だけだ」
「まだいるの……?」
「名前から察せられるかもしれないが、咲桜は身分が高く、また信任篤い家柄の生まれだそうだ。基本的に他の三人は、この咲桜の指示で動き私と直接会話はしない。部屋の掃除や着替えなど、そうしたメイドのような扱い……らしい」
ルチアが納得するような息を吐き、ユミルが面白そうに笑う。
「暮らすだけでも息苦しそうね。監視役も兼ねてるってワケ?」
「どうだかな。私としては当然そうだろうと思っているが、素直に頷く筈もない」
「それもそうね」
「――滅相もございません」
ユミルの言葉を遮り、深々と一礼したのは咲桜だった。
「限りなく快適にお過ごし下さるよう、配慮した結果でございます。オミカゲ様は只々、御子神様に過不足ない環境を整えたいだけなのです」
「……今はそういう事にしておこう」
ミレイユが言うと、咲桜は再び一礼して下がる。いつだったか、良いメイドは気配すら主人に察知させず仕事をすると聞いた事があるが、もしかしたら彼女もそういう類の存在なのかもしれない。
そこにユミルが不機嫌そうな顔をしたミレイユへ、取り直すように話しかけた。
「あー……、それで? アタシたちは無罪になったって? もうなってるの? それともこれから?」
「そこは既に進めさせている。近い内に正式な書面で届くだろう」
「アタシは別にどうでもいいけど。――ほら、良かったわねぇ、アキラ?」
ユミルが顔を向けてきて、アキラはギクシャクとした動きで頭を下げた。
「う……あ、はい。ありがとうございます、ミレイユ様!」
「元よりお前だけは、無罪にするよう掛け合うつもりでいた。私の我儘に付き合って将来を棒に振る必要はない」
「あら、随分気にかけていたのねぇ」
「そもそも未成年だという事を忘れていたしな。最初からアキラだけは他とは違う扱いだったろうが、そうでなくとも前科が付かないよう配慮するつもりだった」
ミレイユの心底を知って、アキラは胸の奥が熱くなるのを感じた。目頭も熱く、油断してれば鼻水が出てきそうだった。
そんなアキラの顔を見て、ミレイユは困ったように見つめたが、結局何も言わず視線を入り口に向けた。
入室の許可を求める声が聞こえてきて、それで咲桜が素早いのに見苦しさを感じさせない動きで襖へ向かう。開いた先では盆にお茶を乗せた女官が見えた。
咲桜が戻ってきて、それぞれに配膳を始めようとしたところでミレイユから声がかかる。
「いつまでそうしているつもりだ。とにかく、まずは座れ。話さねばならない事もある」
「あ、……はい!」
言われるままに先程まで座っていた席に戻り、アヴェリンもいつも通りミレイユの最も近い席に座った。ルチアも無言のままそれに続き、全員の着席と、それぞれにお茶が配られたところを確認して、ミレイユは口を開いた。
「これから夕食があるが、どうにも面倒な事になった」
「あらら……。アンタが面倒と言うなら、相当なんでしょうね」
「例の御由緒家を交えての夕食会だ」
うげぇ、という声がユミルから漏れた。アヴェリンも端正な顔を歪ませ、既にルチアは視線を窓の外に向けて現実逃避を始めている。誰もが貴族とのパーティに良い思い出がないので、自然とそういう反応になった。
「あの……僕は関係ないですよね? そんな偉い人たちとは今後も交わる事ないでしょうし」
「そんなコト言ったら、アタシにだってないわよ」
「いや、ユミルさん達はミレイユ様の身内じゃないですか! 紹介なしとはいかないんじゃ?」
痛いところを突かれたとでも言うように、ユミルは顔を歪ませて言葉に詰まる。縋るような視線をミレイユに向けるが、そのミレイユが顔を横へ緩やかに動かした。観念しろと言っているようだ。
「まぁ、諦めろ。私だって嫌なんだぞ」
「そりゃそうでしょうけど、アンタは仕方ないでしょうよ。大体なんだって、あそこで神威を見せろとか言われて従っちゃうワケ? そんなコトしたら、承認されるかもとか考えられるじゃない」
「そうもいかない事情があった」
ミレイユは後悔を滲ませた溜め息を吐いた。
アキラはもしかして、という思い当たるフシがある。
途中、不自然に、まるでメモでも渡すかのように、白い紙がオミカゲ様から流れてきた。それと何か関係あるのでは、という気がした。
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