神明裁判 その7

 閉廷と退出を命じられたものの、アキラはその場を動く事が出来ないでいた。

 一番最初にオミカゲ様が入ってきた扉から退出されると、次にミレイユの退出の番となるようだった。老齢の巫女が姿勢を正して恭しく連れ出して行くのを目で追った。


 裁判長も退席してしまえば、後はアキラ達も自由に退席して良いようなのだが、そもそもアキラ達の罪状やその他諸々はどうなったのか不明だ。

 全てが有耶無耶になってしまった感じがして、アキラ達の行方も宙に浮いた状態な気がする。傍聴席にいた方々も、何やら興奮気味にそれぞれ話しているようで、アキラ達には関心を向けていない。


 そうして自分たちの退席の番となったのだが、思考をどこに着地させて良いのか分からず、今では単にボーっと前を向いていた。

 そうしている間に女官らしき人がやって来て、アキラ達――というよりアヴェリン達に向かって丁寧に一礼した。


「お初にお目にかかります。女官長より皆様をお部屋へお連れするよう、申し付けられています。今から向かっても宜しいでしょうか?」

「ああ、構わん。……が、そこがミレイ様より離れた部屋というなら断固拒否する」


 アヴェリンが不遜とも言える態度で言い切ると、女官は柔らかく笑んで頷いた。


「はい、お任せ下さい。全て心得ております。皆様にそれぞれ一室、御子神様の近くから順に割り当てさせて頂いております」

「分かった。しかし私はミレイ様と同室が良いのだが……」

「私は案内を仰せつかっただけですので、細かい調整については、また別の者とご相談下さい」

「ふむ……、そうか。先程まで使っていた部屋とは違うのか?」

「左様でございます。あちらは客間で、今回は専用の個室となります。では、ご案内致します」


 女官は一礼すると踵を返して扉から出ていく。

 扉の両脇に控えていた兵は、近くに寄った時点で踵を揃えて直立した。穂先を上に向けた槍を両手で捧げ持ち、槍を身体の左から右に向けて脇を締める。最後に槍の石突きを床板に落とし、腰を浅く前に倒した。


 二人は全く同じ動きを見せて、その練度の高さを伺えるものだった。

 恐らく敬礼のような意味合いがあるのだろう。アキラは背筋が伸びる思いで二人の間を通り、アヴェリンに続いて外に出た。


 向かう途中何度か女官や巫女の方々とすれ違い、その度に一度足を止めて廊下の端へ邪魔にならないよう移動し、通り過ぎる度に一礼を受ける。

 とはいえ廊下の幅は広く、大人五人が横に歩いてもまだ余裕があった。端に寄る必要はないように思えるが、礼儀の問題なのかもしれない。


 まるで自分が偉い人物になってしまったかのように錯覚するが、これは全てミレイユのお付きに対する礼儀なのだろう。アキラはお付きですらないが、アヴェリン達に対して無礼な態度は取らないという表明なのかもしれない。


 来た時と同様、どう歩いているのかも分からない状態で廊下を進み、時に階段を降り、複雑に廊下を曲がって目的の部屋に着いた。

 女官が踵を返して一礼し、襖の前で膝を折る。丁寧な手つきでスルスルと開けて行き、入るように促してきた。


「こちら御子神様のお部屋になります。戻るまでこちらの部屋でお寛ぎ下さるよう、申し付けられております。また後になりましたら、それぞれのお部屋にご案内いたしますが、今の内に確認しておきたいという事でしたら、ご案内致します」

「……どのくらい待てば良いかも分からないしな。今のうちに部屋の場所だけでも確認しておくべきか」

「そうね、何か良く分からないけど、どうせすぐには来ないでしょ。部屋の場所ぐらい確認する時間はあるわよ」


 ユミルも同意すると案内が再開され、ミレイユの部屋より目と鼻の先へと案内される。アヴェリンの部屋が最も近いが、構造上の問題で隣という訳にはいかなかった。


 増改築の弊害なのか、ホテルのように部屋が横並びになっていないのだ。アキラにすら一室用意されていて非常に恐縮してしまったのだが、しかし女性ばかりの中で誰かと同室だとしても、それはそれで問題がある。

 結局男女別にしようと思えばアキラだけ別室とするしかなく、結局一人で部屋を使う事になっていたろう。


 アキラにさえ丁寧に襖を開けてくれ、それにペコペコと頭を下げながら足を踏み入れる。客間同様、ここも和風様式なのかと思ったが、意外な事にそうではなかった。


 和洋折衷とでも言うのか、畳よりも床板の方が面積は多く、また家具の多くは洋式だった。テーブルや椅子、ベッドなどがあり、普段からそれらに慣れている身からすると、随分と生活し易そうに感じた。


 それ以外の、例えば小物棚であったり箪笥であったりとした部分は和風だったが、別にこれらは使用する事もないだろうし問題ない。

 別に寝る時は布団だけでもいいのだが、やはり食べたり飲んだりするなら椅子とテーブルの方がいい。


 十分に確認が済んだところで部屋を出ると、同じように他の面々も部屋から出て来たところだった。アキラにしてみれば、そもそも今日泊まるかどうかも分からないので、あまり気にしてもいない。

 一人暮らしの身だから誰に断る必要もないとはいえ、流石に学校を無断欠席する訳にはいかない。二連休だったから事なきを得たようなものの、流石にこれ以上は難しい。


 このまま無罪放免で出して貰えるならいいのだが、もしかしたらそうはならないかもしれない。大きい波は乗り越えたものの、実際はどうなるか分からない。

 丁寧な対応ぶりを見れば大丈夫のような気もするが、はっきりと言葉に出された訳でもない。


 不安がアキラの胸中を支配する。

 大丈夫なのかと眉根を寄せながら先程のミレイユの部屋まで戻っていると、隣に立ったユミルが顔を覗き込んできた。


「ちょっとアンタ、何て顔してるのよ」

「……そんな酷い顔してますかね?」

「まぁね、不安と不満が合わさった上で、光の見えない闇の中を歩いているみたいよ」


 アキラは力なく笑う。


「まさにそのとおりって感じです。あの裁判、あくまでミレイユ様の裁判であって、僕ら完全に添え物だったじゃないですか。罪状はきっとミレイユ様と同じでしょうに、僕らってどうなるんですかね?」

「さぁねぇ……。最初に求刑されたとおり、アタシ達にそれが適用されるんだか、それとも日を改めて別の裁判があるんだか、どっちかでしょうねぇ」

「あぁ、そうなるんですか……」


 アキラは頭を抱えて溜め息を吐いた。

 明日は普通に学校へ行こうと思っていた自分が馬鹿みたいだ。ユミルの言うとおり、何一つ解決していないのに、そのまま放免されると考える方が可笑しいのだ。


 ミレイユの部屋に戻ってきて、室内へと入る。

 流石にアキラの部屋とは内装に雲泥の差があって、また部屋も広い。ミレイユがベッドの方が好むと知ってか、こちらでもやはり和洋折衷のような様相を呈していた。


 だがやはり、調度品一つを取っても違いが見える。そもそもの配置や、その置き方も見る角度を意識して整えられており、少しでも快適な空間を提供できるように、という配慮が見える。


 一国の王に対するかのような扱いだが、事実としてミレイユはその王より上の神という立場をオミカゲ様から与えられた。

 果たして本当に親子だったのか、それとも違う何かなのか、アキラには分からない。


 ミレイユの裁判が始まる前と後を見れば、彼女にしてもまた予想外の展開だったと推測できる。余裕に満ちた表情から、途方に暮れるような表情を見て、アキラも何とか出来ないかと思ったものだ。


「……さて、色々聞きたい事もあるけどね、本人が帰ってこない事には何も始まらないのよね」

「寝るには少々早いですしね」


 言いながら、ルチアは巨大すぎるベッドに体全体を使って飛び込み、そのふくよかな感触を楽しんでいる。それを子供をあやすかのような表情で見ながら、ユミルはテーブルの席についた。

 アヴェリンは一応、室内をくまなくチェックする事にしたようだ。もはや敵中だとは思えないのだが、彼女からすればあの裁判は味方と判ずる証拠とはならないらしい。


 アキラも部屋の端で立ち尽くしている訳にもいかないので、とりあえずユミルの対面となる場所に腰を下ろした。

 とはいえ広い室内、自分の裁判がどうなるかも分からない。未来を思って不安になる。どうにもソワソワするのが止められず、流石にユミルから咎めが入った。


「ちょっと、その落ち着きのない姿やめなさいな。そんな調子でどうするのよ」

「そうは言ってもですね……。僕の未来の瀬戸際なんですよ……!」

「あぁ、そうかもねぇ。逃げ出したところで、逃げ切る力も跳ね除ける力もないものねぇ」


 ユミルは椅子の背に凭れて小馬鹿にするように笑った。


「でもまぁ、そう不安がる事ないんじゃない? その気になれば揉み消すでしょ?」

「いや、でしょって言われても……。そんな筈ないじゃないですか、ここは法治国家ですよ」

「えぇ、でもそれって人にとっては、でしょ? 法律なんて神にとって関係ないって、今日証明されたじゃないの」

「いや、それはミレイユ様にとっては関係ないかもしれませんけど、僕はれっきとした人間な訳で……!」


 アキラが苛立ち混じりにそう説明すると、ユミルは呆れたように息を吐いた。


「だからアンタ、なんでそう馬鹿正直なのよ。あの子に一言お願いすれば済む話じゃないの」

「お願いって、何をですか?」

「だーかーらー、今回の罪を帳消しにしてくれって頼めばいい、って言ってるの」

「いや、そんなの! そんなの駄目ですよ! 不正ですよ! 大体そんな権利、ミレイユ様にだって……!」


 アキラが両手を広げて熱弁するが、ユミルはつまらなそうに視線を外に向けた。


「でもアンタ、今回何やった?」

「はい? 何って?」

「ホント……。今日のアンタ疲れるわ、察し悪すぎでしょ。まぁ昨日から災難続きで、頭も相当疲れてるんでしょうけど」


 ユミルは息を吐いて視線を戻す。


「だからアンタ、昨日のヤクザ襲撃からこちら、別に何もしてないでしょ? 誰か殴り倒した? 魔術使った? ――ああ、こっちじゃ理力? それとも理術って言うんだっけ? まぁともかく、道路を爆走しただけでしょ?」

「いや、それはそうですけど。それだって、何か理力を外で使っちゃいけない法律みたいなのあるみたいじゃないですか」

「ああ、そうね。アタシの妨害魔術かかってたから、その辺相当グレーだと思うけど。一般人に見られちゃ拙いっていうなら、アンタの姿を見た一般人はそうそういないでしょ」

「それは……でも、見られたどうかなんて証明できないですし」


 アキラがしどろもどろ、指先をもじもじと合わせるのを見て、ユミルは遂に我慢できなくなったらしい。


「うっさいわね。だからやったのなんて精々そんなモンでしょ!? そんぐらいで人生棒に振るくらいなら、素直に助け求めなさいよ。何の為の秘密裁判よ、逆に利用してやろうって思わないワケ?」

「思わないし、思えないです……!」


 ユミルの強弁はあまりに恐ろしく思えた。特に学校教育では不正を行う事を推奨するような教えなどない。全くの逆だ。道徳を育み、集団行動を学び、そして知識を与え、蓄え、将来の糧とする為通いに行く。


 ユミルのように考えるような発想は、そもそもからしてアキラにはない。

 呆れ果てたように息を吐き、ユミルはその手を顔の横で投げ遣りに手を振った。


「……面倒な奴ね。ま、いいわ。既にあの子が何か手を打ってるかもしれないし、そうだったらもうアンタの罪なんて丸っと消えてるでしょ」

「そう……なんですかね?」

「なにを期待してるのよ。自分からやらなくても、誰かが勝手にやってるなら享受するっての? 浅ましい奴ね」


 まさしくそのとおりだったので、アキラは図星をつかれて言葉に詰まった。ぐぅの音も出ないとはこの事で、表情に暗い影を落として俯く。


 アキラは視線を上げる事が出来ない。ユミルはアキラ自身自覚していなかった心情を的確に言い当て、心の奥にあった願望を詳らかにした。

 それがとにかく不甲斐なく情けなく思えて、アキラはそれから口を開く事はしなかった。ユミルもまた何か話しかけてくる事はしなかった。

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