ミレイユの邸宅 その8

 部屋の中に鎮痛な静けさが広がった。

 ヴァレネオの悔しげに歪んだ顔を見れば、誰もが言葉を発せられない。只でさえ温度の低い地下室が、更に寒々しく感じられた。


 ミレイユもまた苦々しく思いながら、溜め息を吐きたいところを、グッと堪える。

 何よりも思うところが強いのは、このヴァレネオだろう。もしも、を考えずにはいられまい。その武具を自分が使えていたら、或いは敵の手に渡っていなければ――。


 今更の事だと分かっていても、悔やむ気持ちは湧き上がって来るに違いない。

 それはミレイユにとっても同じ事だ。

 無防備に、自分には必要ないからと投げ捨てた。それが誰かの手に渡り、誰かが利用するなど考えもしなかった。


 何故なら当時、ミレイユは未だゲームの世界にいると思い込んでいたからだ。それがこの世界に与える影響など、思慮の端にも上がっていなかった。

 問題の火種になる可能性など、最初から一つとして考えていない。

 その事を今更ながらに考えてしまえば、今度こそ溜め息を抑える事は出来なかった。


 痛いほどの沈黙の中、ミレイユの小さな息を吐く音が響く。

 それに反応したユミルが口を開いた。


「……アンタ、自分の所為だとか言い始めないでしょうね」

「全く無しとも言えないだろう。ヴァレネオの話を聞く限り、ここの神具が利用されたのは間違いない」

「そうだとしても、だからと自分を責める必要ある? そもそもが神の意志、ここに武具があるから利用せよ、それから都市を奪還し返せ、そんな指示が多分あったんでしょ? ここに何も無かったとしても、それならそれで直接下賜するなり、何か別の方法が取られていたに違いないんだから」


 結果として見るだけなら、都市の奪還は覆らなかっただろう。

 ユミルの言い分に納得は出来る。神々としては、都市をエルフに不法占拠されているような心境だ。神々が望む形か、それに沿う形で支配してくれる王が、その座に座って居て貰わなければならないのだから。


 エルフが奪還を成功させた時点で、それを取り上げるのは、決定事項だったと思われる。

 そこにミレイユの残した神具があろうとなかろうと、その結末には変わりない。順序立てて考えれば、それも理解できる。


 しかし、当事者であるヴァレネオとしては、簡単に割り切れる問題でもないだろう。

 ミレイユが視線を向けると、ルチアもまた気遣わし気な視線を向けていて、その背に手を当てていた。ルチアは何の言葉を発しないが、その悔恨を分かち合いたいと思っているのは伝わってくる。


 俯いていたヴァレネオは、それからすぐに顔を上げて、ルチアへ優しく微笑みかけた。

 その笑みを受け取って、ルチアの顔にもほのかな笑みが浮かぶ。

 ヴァレネオがミレイユへと向き直り、緩やかに首を横へ振った。


「ミレイユ様の不手際などと申せません。全ては我らが不甲斐ない事から起きたもの。かつての栄華を取り戻し、有頂天になっていたのもまた原因。都市を奪ったからと、それで終わりではない。守り通せぬならば奪われると、我らも理解していた事です」

「……それは、確かにそうだ。だが、心情として素直に頷けないのも分かるだろう」

「そのお気持ちだけで十分でございます」


 ヴァレネオは頭を下げ、それから話は終わりだと、強制的に打ち切るよう顔を背けた。

 既に終わった事ではある。しかし、それで済ませられる程、これは簡単な話ではばない。単に腹に据えかねる、というだけでなく、神々は迂闊な前例を残した。


 ミレイユは背けたばかりの横顔へ、問い詰めるように声を発する。


「……ヴァレネオ。たった一人の戦士……、それが都市を奪還したと言ったな?」

「ハ……、そのとおりです。情けない限り……、ミレイユ様の御助力も無に帰すような有り様で……、大変申し訳なく……」

「いや、その事を言いたいんじゃない。むしろ、仮に返り討ちにしても、結果としては大して変わらなかったろうと思う。別の誰か、あるいは集団、軍が攻めてくるだけだったんじゃないか」

「そうね、多分腹いせのつもりもあったろうから、そこに変わりは無かったでしょう」


 ユミルが顔を顰めて同意すれば、ヴァレネオはそちらへ驚いた顔を向けた。

 ユミルは、ヴァレネオが意外に思っている事こそ意外に思う顔付きで、更に自論を展開する。


「あら……? だってもう、後も無ければ未来もない、どうとでもなれ、と捨てた種族が成功したんでしょ? 面白くないんじゃない? 落ち延びた先でも救いの手を差し伸べていなかった、というなら、あながち間違った考えでもないと思うけど」

「ユミルさんの場合、私怨が入っていて、大概悪い方向に考えてしまいますから、どこまで信じて良いものか……」

「あらそう、……気に食わない?」


 ルチアが控えめな反論を見せると、ユミルはむしろ楽しそうに首を傾げた。

 強く反論しようというつもりもなかったルチアは、苦笑しながら手を振る。


「真実は闇の中ですが……、神が利己的に世界を動かしてるなんて、もう分かり切ってる事です。支配者層についても、誰を置くのが望ましいか、それも頷けるものがありました。結局、この結果が変わらなかった事には同意しますよ」

「でも、腹いせについては納得できないのね」

「だって、そこは推測できない部分ですし、悪意しかないじゃないですか。心情的には同意したいですけど、変に誘導するのは止めて下さいよ」


 自分自身、自覚のある事だった為か、ユミルは肩を竦めるだけで何も言わなかった。

 元より神々へ悪感情を持っていたヴァレネオは、ユミルの意見を支持したそうだったが、娘の一言で我に返ったようだ。だが、燻り続けるものは心の中に残ったようにも見える。

 とにかく、とミレイユは話題を戻すつもりで口を開いた。


「神々が過去より世界を支配していたのは分かっていた事だ。自らの操り人形と思わせない範囲で、裏から糸を引いていたりしたんじゃないか。損をしない限り、好きにやらせていたとも言える」

「そうね……。そうでありつつ、時として強引な――或いは大胆な手段でテコ入れもするんだわ」

「そして、ヴァレネオの言う戦士が、その強引な手段に該当するんだが……。こいつから宣戦布告はあったのか?」


 ミレイユが訝しげに尋ねると、ヴァレネオは即座に頷く。


「はい、それはありました。最低限のルールですし、単なる暗殺で王を殺したところで、交代は神が認めません。……認めない、と思いますが、神がルールである以上、あるいはそれすら信じても良いものやら……」

「最低限のルールは守らせた以上、遵守する部分はあるんだろうさ。だがこれは、前提の多くを飛ばした、最低限には違いない。もっと具体的な内容を聞いてい良いか?」


 酷な事を尋ねていると自覚しつつも、聞いておかねばならない事だった。

 ヴァレネオは思案するように首を傾け、それから僅かに口籠りながら言う。


「そうですね……、最初は冗談の類いだと、誰もが信じませんでした。布告名は個人の名で、国名がありませんでしたから。多くはその両方を記載し、御璽による押印も無くてはなりません。ミレイユ様が仰ったように、多くの前提を持たず、最低限のものでしかなかったのです」

「やはりか……。そして、そのたった一人が王城まで殴り込み、そして玉座を奪ったんだな……」

「はい。誰も個人で奪いに来るとは思っていなかったのです。よしんば奪えたとしても、国体を維持できるものではなく、それを支える家臣もいない。たった一人の王がいるだけで、それで万事上手く回るものではありません」

「それも然りだな。……だが、実際は違った訳だ」


 ヴァレネオは悔しげに頷く。

 ミレイユがエルフに助力しながら、その勢力を増やして戦争などという回りくどい方法を取ったのは、それが理由だ。


 たった一つの森に住むエルフ達で、オズロワーナの支配と運用が出来る訳もない。

 奪う事で得られる玉座だとはいえ、その家臣までそっくり得られる訳ではなかった。そうでなくても信用できる家臣がいなければ、専横や横領、多くの不正を許す事にもなるし、支配構造を新たに構築するにも苦労するだろう。


 だから戦争という手段でエルフ侮り難し、と見せ、そして多くの虐げられ、弾圧された同胞を取り込み味方としていった。

 当時、圧倒的少数で、弱輩でしかなかったエルフに味方する者は少なかった。だが勝利を通じて、その主張も意義も張りぼてで無いと悟った者らは、その後のエルフにとって心強い味方となった。


 反して、その戦士には何もない。

 身一つで出来る事など限られている。武器を振り回して得られるものとて、そこから維持は出来ない、と誰もが理解している事だ。

 だが実際として、その戦士は上手くやってのけたらしい。


「そして、その戦士はデルン王国を築いたんだな……」

「そうです。かつて我々が追いやった貴族などを、呼び戻したのだと聞いています。そんな事で上手くいくものかと思ったものですが……、えぇ、神の手引や後ろ盾があったというなら、嘘の様に纏まった事にも納得がいきます」

「夢枕にでも立ったか、元より熱心に祈っていた者がいたのか、それはどうでも良いけど……。もしも一人の戦士が事を成したら協力しろ、とでも言っていたのかもしれないわねぇ」

「追いやられ、逃げ出した貴族達も、今は雌伏の時だと己に言い聞かせるような状態だったろう。そこに神からの啓示やら天啓やらが届いたなら、神の思し召しとして仕えたりしたのかもしれないな……」


 重々しくヴァレネオが頷き、そして重々しい息を吐く。

 気の毒、という一言で済ませられる事ではないが、ともかく労うつもりでその肩を撫でる。恐縮したようにヴァレネオは頭を下げ、すぐに離れてユミルたちを見渡した。


「この初代デルン王となる戦士は、神の私兵の様なものだったが……。これって何かと重ならないか」

「あぁ……」ユミルは顔を顰めて頷く。「全く同じだとは言わないけど、アタシ達――というかアンタと連想できる部分はあるわね」

「たった一人の戦士が、単に神の武具を手に入れたからと、そこまで勝手が出来るものかと思ったが……」


 アヴェリンが握り拳を顎に当て、独白するように呟くと、ミレイユはつまらなそうに頷く。


「単に一人の戦士として見ただけでは強すぎる。当時のエルフは精強だ。油断していたとヴァレネオは言ったが、王城の警備まで油断していたとは思えない。奪取してから二年、多くが足りず内政にも苦労していたと思うが、果たしてたった一人に、思う様やられたかと言われたら……それは疑問に思える」

「でも、そこに神の素体――アンタ流に言えば、神の卵が相手となるなら、それも頷けるってワケね?」


 ユミルが手の平を上にしながら指先を向けて来て、そのとおりだ、とミレイユは頷いた。

 当時のエルフは魔力制御全盛の時代で、ルチアを始めとした実力ある魔術士は多くいた。その中で、ルチアは確かに頭一つ抜ける実力者だったが、それに迫ろうとする魔術士は、やはり多くいたのだ。


 それらが束になって襲い掛かってくるのだから、例えアヴェリン一人で挑もうと、簡単に行くものではない。魔術防御の盾は役立ったろうし、エルフは大いに苦戦しただろうが、それだけで突破できると思えないのだ。


「それが神の卵としてこの世に生まれた相手なら、十分可能だと思う。私が姿二年……、新たに選ばれ実力を手にするには十分な時間だな」

「あぁ、アンタも三年使って、今の力まで磨き上げたんだったわね。誰もが大成するワケじゃないって話だから、複数用意して上手くいったのが、そのデルンなのかもしれないけど……それはまぁ、どうでも良いわね。とにかく色々繋がる部分はある」

「私の代わりに用意された、新たな卵、それがデルンという気がするな。だがそうなると、攻め込まれている森が、今も無事なのは腑に落ちないが……」


 ミレイユに対し罠として用意し、この時までご丁寧に生かしておく理由が、果たして当時にあっただろうか。結果として上手く利用されたが、そこまで読めたか、甚だ疑問だ。

 それにミレイユ自身がそうだったが、進むべき道を、神々はそれと分かり易く引いたりはしない。上手く転がされる、と表現するべきであり、全てが計算づくで動かせるものでもない筈なのだ。


 ミレイユが顎に手を添えて、難しい顔をして思案していると、そこにヴァレネオが声を発した。

 それはヴァレネオ自身も半信半疑のような、実に自信のない声音だった。

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