ミレイユの邸宅 その9
「その初代デルン王となる戦士ですが、その後すぐに行方を眩ましておるのです」
「行方を……? どこかへ逃げたと、そういう話か?」
「そこまでは分かりませぬが、初代デルン王の治世というのは存在しません。一年とも半年とも言われるものの、その間だけ在位しており、後の行方を知る者はいない、という話を聞いた事があります」
「それは、つまり……」
ミレイユがユミルへと目配せすると、得心のいった表情で頷く。
「そういう事でしょ。本来の目的である……かどうかは、本人にしか分からないけど、昇神するため再び旅に出たとか、そういうコトじゃないかしらね」
「小神は私たちが一柱倒した。その代わりとなる神を、奴らは欲していただろう。その為に旅立った、とするなら疑問でも何でもないな……」
「あるいは、アンタの代わりでも良いけどね。……実際、どうなの? あれから新しく神が生まれたりした?」
「……はい、おります」
ヴァレネオは青い顔をしながら、首を縦に振った。
この世は神々に見守られていると知っていても、基本的に無関心だと思っていたのだろう。かつてはルチアもそう思っていたし、世の誰もが似たような共通認識を持っている。
しかし、実は神の手が縦横無尽に行き渡り、自己都合で動かしていたのだと、今更ながら知った。世界の裏側を垣間見たようで落ち着かないのだろうし、だから、ヴァレネオの顔色も優れないのだろう。
無理もない、と思った。
「カリューシーと呼ばれる男神で、楽器や芸術を嗜む、と聞き及びます。人の世に感心を示さず、取り分け粗暴でもないのは、他の神にも珍しくない特徴ですが……。オズロワーナやデルン王国に対し、有利に働き掛ける様を見た事もありません」
「ふぅん……。案外、その線引はしっかりしてるのね。自分が一度は手にした国とはいえ、神になればそんなコトも気にならないのかしら。権能について、何か知ってる?」
「奏楽と創奏のカリューシー、と呼び敬われますな。実際、嗜むばかりでなく、芸事の守護を司るとも言われています。この森にあっては神々と無縁な為、それ以上詳しい事は分かりかねますが……」
ヴァレネオが恐縮して頭を下げて、ミレイユは構わない、という風に手を振った。
神に見捨てられたと思いつつ、病毒からの守護という庇護があっては、その恩恵を望む心は容易く捨てられない。実際、一縷の望みを掛けられるとすれば、その新神に対してのみだったろう。
ヴァレネオが青い顔をしていたのは、その信仰を願い出た神こそが、自分たちを窮地へ追いやったと理解したからかもしれない。
眉根をきつく結びながら言ったヴァレネオは、それで口を閉じてしまった。
「音楽好きの神ね……、平和そうで結構なコト。まぁ、今までに無いタイプとは言えるかもね」
「まだそれが、初代デルンと決まった訳でもないが、しかしまぁ、しっかりと小神の補充は済んでいる様だ。現時点で六神いる事は疑問でもないが、それは私を昇神させても、即座に使う事を加味しているからか……? 最初から神の末席に加えるつもりなど、更々ないんだろうな」
ミレイユが鼻を鳴らすと、アヴェリンもまた腕を組んで不快げに息を吐いた。
加わるつもりもないから別にそこは構わないが、神々としても他の小神同様の扱いをする気がない、という狙いが透けて見える。
世界を越えてでも取り戻そうとするくらいだから、ミレイユの扱いは最初から別格と言えるかもしれないが、その様な特別待遇は求めていなかった。
ミレイユが敵意を抱いている事など承知の上、だから他の小神同様、神に至ったからと好きに遊ばせるつもりなど無いと推察できる。
いずれにしても、とミレイユは他の面々へ視線を移した。
「当初の目的は達した。神具がここに無い事は確認できたし、そしてそれは現在、デルン王国にあると考えた方が良いのか……? 使う者が使えば、それこそ森を攻めるのに有効そうだが……。ヴァレネオ、そこの所はどうなんだ?」
「ハ……、武具の所在については、私も存じ上げません。指揮官や兵士などに、その武具を纏った者が出てきた所を見た事も、また聞いた事もありません」
「それもそうか……。大事に仕舞い込んでいるのか、そのデルンが旅に出る際、身に着けて行ったのか……。後者の方が有力かな」
当時のエルフ攻めは、所謂神の試練の一つに過ぎなかったろう。半年程度は国に留まったらしいが、結局旅を再開したというなら、有力な武具は手放さず、身に着けて行った方が合理的に思える。
「そのまま昇神にまで至った、というなら神の手元に帰ったとも思えるし、それならそれで別に良いんだが……」
「元より神の持ち物、在るべき所に帰ったと言えるしね。危機感を持ったのだって、それらが宙に浮いた状態で、しかもどう扱われるか分からなかったからでしょ? 所在不明には違いないけど、神がその気なら何処へでも下賜できるもんだし」
「そうだな……」
自分で使うつもりもなく、持て余すばかりで封印するしかない、と思っていたから、最悪の状態でないだけマシだった。
探し出し封印し、隠すのが最良だったろうが、ユミルが以前言ったとおり、神がその気になれば、新たに作る事だって出来るのだ。そこであまり気を揉んでも仕方がない。
「確認したい事も済んだ。まずは上に戻ろう」
ミレイユがそう提案すれば、異を唱える者はいない。そのまま部屋へ入って来た順とは逆に、それぞれ戻り始める。
テオの待つテーブルまで戻ると、カップを口に咥えてブラブラと揺らして暇を潰していた。その様な姿を見ていると威厳など欠片もなく、本当に子供のように見える。
これを味方に引き込んで本当に大丈夫なのか、と今更ながらに不安になった。
カップを上下に揺らすのを止め、ぞんざいにテーブルの上に置きながらテオは小さく手を挙げる。
「おぅ、お帰り。そんで、何か見返りでもあったか?」
「あったとも言えるし……いや、あったと見て良いかな。用事は済んだ、それで後の事だが……」
「どうするつもりよ?」
それぞれ元の席に着席しながら、ユミルが挑戦的な視線を向けてくる。
自分で言い出した事ながら、エルフの里の面倒を見る、というのは、そう簡単なものではない。ノウハウ以前に、この里が抱える問題などを書き起こし、それにどう対処するかを考えなくてはならないだろう。
そしてそれは、ミレイユの秘匿を前提としたものだった。
難しいのは承知の上だが、ミレイユが望む未来の為には、ここが踏ん張りどころだ。このままその話を進めても良いのだが、それより気掛かりに思っていた事を思い出した。
「ヴァレネオ、今までのゴタゴタですっかり後回しになってしまったが、例の死霊術士について詳しく知りたい」
その一言でユミルの目が細くなり、ヴァレネオへと顔が向く。
腕組みした上で、苛立たしげに指先がその腕を叩き始め、ユミルの機嫌が急降下した事が伺える。
「確かにそれは気になっていたわねぇ……。そいつって呼べるの?」
「今も厳戒態勢ですから、奴がどこにいるか所在を掴んでいる者は少ないでしょうが、しかし戻って来ていると考えられます」
「その口振りからすると、里の中には元より居なかったの? 森から飛び出た遊撃隊の中に、それらしい奴も見掛けなかった気がするけど」
ミレイユ自身は途中で野営地方面の警戒をするのに動いたから、その森から飛び出して襲撃した者たち全てを見る事は出来ていない。
ざっと見た限りでは、その八割が獣人たちで、残りはエルフだという認識だった。千人以上にのぼる数だから、そこからたった一人を見つけ出すのは困難だろうから、あの場に居たと言われても分からない。
森の外縁から接近していたユミル達としても、そこは変わらないだろう。
だがユミルの指摘に、ヴァレネオは頭を振る。
「実際にデルン軍が野営地へ来るより前……、数日前だったと思いますが、その時には既に森から発っておりました」
「……何の為に?」
「ミレイユ様をお探しする、そういう名目で森から出て行きました」
ユミルの目が一層細まり、腕を叩いていた指が止まる。
言外に疑わしい、と告げているに等しかったが、ヴァレネオは言葉を続けた。
「森へと落ち延びた、エルフ親子の事は覚えておりましょうか。その親子から伝え聞いた段階の事で、未だ確信を持てぬ中、本人は探しに出ると申し出て、許しを得るより前に飛び出してしまったのです」
「あぁ、あの親子ね……。母の方は、リネィアとか言ったっけ……?」
「はい、そのエルフです。その時点では、未だ親子から詳しく話も聞けておらず、本当にミレイユ様であったのか不明な状況だったのですが、制止の声も聞かず行ってしまいまして……」
「そんなに向こう見ずな性格なの、そいつ……?」
ユミルの声に苛立ちと不機嫌さが合わさり、視線だけで射殺せそうになる。更に機嫌が下がるより前に、ミレイユが苦笑して声を挟んだ。
「ヴァレネオを責めるな。ありのまま報告してるだけだろう」
「そうね……、悪かったわ。ただ、ちょっとアタシにとっても、冷静でいられないコトなのよ。分かるでしょ?」
「それはそうだが、ヴァレネオに当たってどうなるものでもないだろう。敢えて無理して冷静になる必要もないが、話すヴァレネオに敵意を向けるな」
「そうね……」
これには素直に納得を示し、そしてヴァレネオにも形ばかりの謝罪をする。
それで居心地の悪さを感じていたヴァレネオも肩の力を抜き、それから続きを話し始めた。
「えぇ、それで……。その時、私としても不審に思ったのです。あまりに強引、性急すぎると。それにどんな手を使っても探し出す、という彼の宣言には不気味さもありました。……ただ、ミレイユ様が本当にいるのだとしたら、見つけ出すのは歓迎できる事でもありますし……」
「明らかに怪しいじゃないのよ……。何でそんなの信用してんのよ」
「この森に落ち延びてから、まもなく加わった古参の一人だからです。それまでの間、外の情報収集も担っていて、だから多少強引に見えても信用して良いか、と思い……」
「なるほどね、古株……。二百年前から……。それから、ソイツの姿は……?」
「一度も見ていません。ただ、死霊を見た、という獣人の報告が上がりまして。あるいは、その辺りで何か行動を起こしたのか、と勘ぐったりしましたが……」
ふぅん、とやはり不機嫌な態度を崩さず頷いた時だった。
アヴェリンが咄嗟に壁へと顔を向け、その更に向こう――邸宅の外へと意識を向け、他の誰もが警戒を高める。ヴァレネオは自分とテオの二人以外、ほぼ同時に動いた事に驚いた様だった。
「一体、どうされたのです……!?」
「何者かが来た。離れから出て、こちらに近付いてきている」
ミレイユがその様に言うと、アヴェリンが言葉を引き継いだ。
「まだアーチ部分には到達していません。急ぎ足ではない。緩やかな歩速で近付いて来ているようです」
「……誰にも近付けさせないよう、衛兵には伝えてありましたよね。これってつまり、侵入者って事ですか?」
問うというより、確信を言葉にしている口振りだった。
ミレイユが同意すると、即座にアヴェリンが立ち上がる。武器と盾を取り出し、先陣を切って扉へと向かった。
その背に続いてミレイユもルチアも立ち上がり、最後にユミルがそれに続き、ヴァレネオの隣を通り過ぎようとしたところで、立ち止まって問い掛ける。
「すぐに分かりそうだけど、一つ聞かせて。……ソイツの名前は?」
「スルーズ、と本人は名乗っていました」
その名を聞くと同時、ユミルは激しく形相を歪め、それから盛大な舌打ちを響かせた。
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