ミレイユの邸宅 その10
完全武装したアヴェリンを先頭に、五歩の間隔を開けてミレイユが続く。
その両脇をルチアとユミルが固め、その更に後ろ、十分な距離を開けてヴァレネオとテオが付いて来ていた。
邸宅から出れば、すぐ目の前にアーチがある。
そのアーチ周辺に広がる広場に、黒髪赤眼の男が黙って待っていた。あまり邸宅へ近付くのは憚られる、と考えている態度ではない。むしろ、この広場で迎え討つ為に待機しているように見えた。
広場の入口でアヴェリンが立ち止まるのを見て、ミレイユもまた足を止める。それとなく周囲へ注意を向けてみたが、伏兵の様な者はいない。
ルチアは既に感知の魔術を外へ向けていて、そこにも引っ掛かる誰かは居なかった様だ。ミレイユへ顔を向け、左右に振って教えてくれる。
では、攻撃や襲撃の意図があって来た、という訳ではないのだろうか。
相手の男が、本当にユミルと同じゲルミルの一族だとすると、視線を合わせるだけで催眠状態へと持っていける。ただ、それは相手が誰であれ成功する、というものではない。
警戒している相手には通じ辛いし、実力者相手や魔術耐性が強い者には、やはり通じ辛い。ここにいる誰もが、催眠に対して警戒した状態で通じるものではないから、それを頼りに大胆不敵になっているのなら、大きな勘違いだ。
――あとは……。
ミレイユは周囲にある樹木や植物に注意を向ける。
毒性が高く、そして罠としても有用なそれらは、上手く利用されたなら、とても厄介な事になる。
破裂毒の樹の実は、触れただけで破裂する危険があるから、投げつけようとすれば自分まで被害に遭う。そんな馬鹿な使い方はしないだろうが、武器となる物が溢れている事には気を付けねばならない。
残る手段としては死霊術を使った攻撃、という事になるのだろうが、呪霊を倒された事は理解している筈だ。最も強力な死霊術の一つを潰されたなら、他の術も有効ではないと分かる事だろう。
何をするつもりで来たのか、出来るつもりでノコノコ姿を見せに来たのか、それが分からず困惑してしまう。
男の姿を目に留めたヴァレネオが、ミレイユの後ろからそっと耳打ちしてくる。
「あの男が、先程言っていたスルーズです……」
「なるほど……」
そのスルーズが、感極まったかのように身体を震わせた。目には涙を薄っすらと浮かばせ、ユミルを一心に見つけて腕を広げる。大きいものではない。肘から先を僅かに外へと向ける、自らの姿を良く見せる様な動きに見えた。
「ユミル様……!
「あら、そうなのね。それで……?」
白熱と言うべきか、熱狂というべきか……。
スルーズが口にした言葉の意味は分からないが、しかし、本人には大変な事を成し遂げたつもりでいるらしい。ユミルは蔑みの視線で、淡白に言葉を返す、その対比も激しく、上手く理解が追い付かない。
アヴェリンは目の前の男から、視線も警戒を切らさず、鋭くユミルに問い質す。
「……どういう事だ。あれの台詞はどういう意味か、今すぐここで説明しろ」
「無理よ。アタシにだって意味不明だもの」
「だが、奴は明らかにお前を知っている。お前の指示で動いていた、とも言っているんだぞ」
「してないし、知らない。大体、そんなのいつ出来たってのよ。いつも一緒に居たじゃない」
ユミルの顔に動揺は無い。事実を述べているだけだろうし、疚しい事がないからこその態度だろう。声音にも、それが表れている。
ユミルを疑う訳ではないが、しかし、だとすればスルーズは何を思って、あんな事を口走っていると言うのか。
スルーズの瞳には、狂気にも似た歓喜が見える。
その様子を見れば、あるいはこの男こそ催眠を受けて動かされたかに思えるが、判断を下すにはいかにも情報が少なかった。
「オズロワーナの宿、夜に何処かへ出掛けていたな。私達に知られず接触できない、という言い訳は通用しない」
「そりゃ出てったケドさ、そんなのいつものコトでしょ。あの時だって、酒場に行っただけだし」
「何の証明にもならん。いつ出来た、とお前は言ったが、その時なら出来た、と証言をした様なものだろう」
「全っ然、違うでしょ……!」
ユミルが一歩踏み出し、語気を荒らげる。
アヴェリンがしつこくユミルに問うのは、そこにミレイユを誘き出す、という文言が、スルーズの口から飛び出して来たからだ。明らかな利敵行為を行った、となればミレイユの忠臣としては黙っていられない。
追求せず済ませられない気持ちは理解できる。
しかしミレイユは、二人のやりとりを聞き流しながら、スルーズの様子を冷静に観察していた。
男の表情には歓喜が浮かんでいるものの、罠に嵌めてやったという、愉悦の様な感情は見えて来ない。やり切った、という感情は滲み出ているが、してやったり、とは思っていない。
まさか神々は、本当に仲違いさせてやる事を、画策していたりするのだろうか。
そう思ったりもするが、やはり違う、と判断を下す。
もしも本当にパーティの瓦解を狙っているのなら、それこそ言い訳できないだけの状況を作り出す。かつてゲルミルの一族が世界の敵と認定された様に、全ての状況が言い訳を許さない、という形まで持っていくだろう。
対して今の状況は、と言えば――。
せいぜい、痴話喧嘩の原因程度の状況だ。ユミルとしても自己の潔白を証明できていないが、さりとて一切の言い訳すら許されない状況でもない。
チグハグ……、というより稚拙、というべきだろうか。
やりたい事は分からないでもないが、全てにおいて足りてない。何かしたいのは透けて見えるが、詰めの状況まで持って行けていないのだ。
ミレイユは一つ息を吐いて、傍らに控えるルチアへ視線だけ向けた。
「稚拙と言っていいのなら、この稚拙さには覚えがあるな……」
「その稚拙は分かりませんけど、どうにか出来るなら、早くこの状況をどうにかして下さいよ」
ルチアはうんざりとして、前にいる二人へと視線を移す。
今ではスルーズをそっちのけで、二人で言い合いを始める始末だった。男の目的が混乱を与える事なら成功と言えるが、そんな事をする為にやって来たとは思えない。
そろそろ本題を聞きたいと思えてきた頃だし、二人の諍いは止めねばならなかった。
「二人とも、一旦やめろ。どういう結論を下すにしろ、まず話を聞いてみる。敵か味方かも含めてな」
「敵でいいでしょ。というか、なんで話を聞いてやらなきゃいけないワケ? アタシとしては、意味不明な一言を言いだした辺りで、くびり殺してやりたかったけど」
「だが、こいつが神に繋がる可能性がある以上、そういう短慮は出来ないだろ。それでお前の容疑が深まろうと、私は気にしない。いいから、聞くだけ聞いてやれ」
ミレイユが語気を強めて言うと、ユミルは大きく息を吐き、渋々ながらも頷く。
アヴェリンがミレイユの傍で控える為に戻って来て、視線をスルーズに合わせたまま聞いてきた。
「ミレイ様は……、ユミルが
「そうだな。夜間に断り無く外出するのもいつもの事だし、そこで酒を引っ掛けてくるのも、またいつもの事だ。そこで誰かと密会していたか……それは分からないが、私に牙向くものでない事くらい分かる」
「何故、そう言えます」
「私がお前達を頼りすると決めたからだ。信頼する相手を、信用するのは当然だろう。私は――」
言い差して、ミレイユはアヴェリンにもルチアにも、親愛の眼差しを向ける。
「例え目の前で裏切る宣言をされたとて、それが敵を惑わす罠だと信じて已まない。何一つ保障も確信も無くても……、それが信じるって事だろう?」
いつだったか、アヴェリンとルチアが言った台詞でもあった。
ミレイユが薄い微笑を向けると、アヴェリンもそれ以上何も言えなくなってしまった。困ったような笑みを向け、しかし誇りと感動を目一杯向けながら、意志の力で前を向く。
未だ敵から目を逸らす訳にはいかず、それでルチアが呆れた様な声を出した。
「そういう台詞は、もっと心安らげる状況で言って下さいよ」
「それはすまなかったな……」
「後でユミルさんにも言ってあげて下さい」
「……機会があればな」
この二人には素直に言える事でも、ユミル相手には気恥ずかしい。三人に優劣を付ける訳では無いものの、やはり普段の行いから言い易い相手というものはある。
ミレイユが改めてユミルの背中を見つめると、ユミルが丁度、顎を動かし話を催促する所だった。
あくまで嫌々ながら、という感情が全面に押し出された表情で、ユミルは言われたとおり、話を聞いてやるだけ聞いてやるつもりでいるらしい。
そうすると、男は歓喜した顔に恐悦を浮かべながら口を開く。
「私はやり遂げたのです! だから貴女の望むとおり、貴女は人間に成れるのですよ! 我らは共になれるのです……!」
「言ってる意味が、全く分からない。アタシがアンタに何を頼んだってのよ。意味不明な妄言にも、限度ってもんがあるでしょ……!」
スルーズが一言口にする度、ユミルの機嫌が急降下していく。
ミレイユ自身、あの男の顔に覚えはないが、ユミルが毛嫌いする様な仕草を見せる以上、二人はやはり知り合いであるのだろう。
同族の一人なのだとすれば、そこまで毛嫌いする理由も、即座に殺してやりたいと言い出す理由も不明だが、あるいは、と思える部分はある。
それが事実なら、確かにユミルは一言足りとも発する事を許さず、殺してしまいたいに違いない。
酷な事を要求してしまった、と自責するが、スルーズの思惑は気になる。
追い込んだ、という台詞も無視する訳にもいかず、そして追い込んだつもりであるなら、次の罠がある筈だ。踏めば発動する、というほど分かり易い罠ではないだろうが、ならば次に何が来る、と思案を巡らしながら話へ耳を傾けた。
「ですが、貴女は仰った……! あの孤島で、あの寒々しい海を見て、その望みを口に出された……!」
「ハァ……? だったとして、それをお前に叶えろと命じたコトも無かったけどね。……ねぇ、ちょっと。もうこいつ殺して良い?」
ユミルが殺意を全身に巡らせて、ミレイユの方へと振り向いて来た。
その望みは叶えさせてやりたいが、まだ早い。ゆっくりと首を振ると、ユミルはうんざりした顔をしてから、怨嗟の瞳を男へ向けた。
「神は望みを叶えると言った! 望む働きをすれば、願いを叶えると! だから私めは、必死になってやり遂げたのです! 地を這う様な思いをしながら、黴臭く青臭いエルフどもに協力しながら……!」
神という単語一つで、遂にユミルの我慢は限界を越えた。
呼び止める制止が間に合わず、一足飛びで接近すると同時に、その手で首を捩じ上げる。頭上まで持ち上げたと思えば、身体を捻って地面へ投げ飛ばしつつ圧し付けた。
「――ぐほっ!!」
「随分な言い草ね。――それに神ですって? 神が何で言うコト聞くと思ってんのよ! お前が良い働きをしたら、その願いを叶えてくれるって!? そんな馬鹿な言い分信じて、それで一族を裏切ったの!?」
予想は的中していたか、とミレイユは重い溜め息を吐いた。
同胞最後の生き残り、それが本当ならば、ユミルが歓迎しない筈はない。なのに最初から強い敵意を向けていたのは、ユミルが言ったとおり、あいつが裏切り者だと分かっていたからだ。
ユミルの一族――ゲルミル族破滅の始まりは、一人の同族が行った魔術行使に端を発する。
隠れ住むゲルミル族が、その魔術で騒然としたのは間違いないだろう。使われた魔術は在住する孤島で行われ、そしてその頭上で渦巻く闇として現れたからだ。
魔族が世界を闇に閉ざそうとしている、という噂が飛び交ったのは、正にそれからだった。そして例に及ばず、そこへミレイユが参画する事にもなった。
裏切り者として処分されたか、一族全員死亡したと思われた時、当然その時死んでいたと思っていたのだろうが……事実は異なる、という訳だ。
そして、本人の言が確かなら――今この時、ミレイユを森へ押し込む事を持って、その悲願を達成したという事らしい。
己が望み、あるいはユミルが願う望みを叶える、という神の口車に乗せられて――。
ユミルならずとも、馬鹿が、と吐き捨てたくなる気持ちになる。むしろ、その様な口車に乗せられて、よくもこれまで生きて来れたものだ、と呆れた気持ちになる。
そんな馬鹿に、一族全てを殺された様なものだ。
ひと目見るなり、一声発するなり、殺してやりたいと言ったユミルの気持ちは良く理解できた。
そのまま殺せ、と許してやりたい。
だがこの男は、ミレイユ達が姿を消していた、空白の二百年を過ごしていたのは事実なのだ。この者が何処まで関与して、神の思惑が何かを知るまでは、殺してしまう訳にはいかない。
申し訳ないと思いつつ、ミレイユは更に問い質すよう、ユミルに指示した。
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