衝撃的な一言 その1

「ユミル……怒るのも無理はないが、まだ殺すな」

「だから手加減してるでしょ。その気があるなら、とっくに首を切断してる」


 ユミルの声はいつになく刺々しく、また余裕もない。到底、普段ミレイユへ向けている声と同じ様には感じられないが、一族の仇敵と言っても差し支えない相手だ。

 神の甘言に逆らえなかったのも情けないが、そそのかした神こそ、真の仇敵であるとも言える。その神と今も繋がっており、そしてその名を知っているなら、是非とも聞き出したいところだった。


 普段のユミルなら、その程度の計算は出来ていただろう。

 笑顔で接し、歩み寄って油断させながら、しっかりとその背にはナイフを隠し持つ。そういう腹のうちを見せない振る舞いが、出来る人物でもあったのだ。


 その余裕を一瞬で剥ぎ取る刺客を寄越したと思えば、神の策略は進行中とも思え、ならばミレイユこそが油断する訳にはいかない。

 ユミルが大袈裟とも思える攻撃を加えた事で、そちらへ意識を集中してしまった、と今更ながら気付く。咄嗟に外へ意識を向けながら、ルチアにも目配せして警戒するよう伝える。


 前方で背を見せるアヴェリンにも一声掛けたが、こちらにはあくまで一応だった。

 ミレイユが言わない限り、敵と判断できる者が眼の前に居て、油断するアヴェリンではない。

 ユミルは憎々しく睨み付けながら、スルーズの首を更に絞め上げ、地面へと圧し付けていく。


「お前の軽率な行動で、我が一族は滅びた。そのお前が! 今までのうのうと生きていたかと思うと、腸が煮えくり返るわ!」

「か、か、かか……っ!」


 ゲルミル族は寿命を持たないものの、不死とは違う。痛みにも強く、毒物にも強いが、胸に穴が空いたり首が飛んだりすれば、やはり他の生物同様、死に至る。

 窒息についても同様で、そのままでは話を聞けないだけでなく、本当に死んでしまう。


「ユミル……」

「分かってるわ、殺しはしないわよ。今はまだ……!」

「あぁ、それで構わない」


 ミレイユから静かに窘められて、ユミルは手を離すついでに、乱暴な手付きで放り出す。

 スルーズは激しく咳き込んだが、しばらくすれば直ぐ元に戻り、緩慢な動作で立ち上がっては、喜悦の様な表情を浮かべた。


「お怒りは御尤も……。しかし、ゲルミルの滅びは避けられない、と神は仰った。だが、協力すれば生かしてくれると、神が保障したのです! 神が口にした事以上に、信用の置ける言葉などありますか!」

「むしろ神が口にする事以上に、信用できるモンなんてないでしょ。夢見てんじゃないわよ」

「しかし、ユミル様は生き残った! 私もまた生き残った! 神は約束を守ったのです! それが何よりの証拠でしょう!」


 ユミルは侮蔑する目に力を籠め、そして顔を顰めた。

 あくまで結果的にユミルは生き残ったのであって、それが神の策略であったとは思えない。そこだけ切り取って見ても、スルーズは都合よく転がされているとしか思えなかった。

 問題は、何故こうも好きに転がされるのか、といったところだが、こればかりは本人が迂闊だからと断ずるしかない。


「アタシが生き残ったのは、お父様の機転のお陰。そして、あの子が話を聞いてくれたお陰よ。神々はこれ幸いと滅ぼしに掛かってたし、お前が生きさばらえてるのも、どこかで利用する為でしかないわ。願いを叶えたんじゃない、甘言をチラつかせて、体よく利用されていただけよ!」


 神々からすれば、ゲルミルの一族を生かしておく理由がない。それがユミル達と話した時にも出た結論だった。今となっては世界の裏側と言える知識を持つだけでなく、眷属化による支配を脅威と捉えていて、近付く事すらしていなかったのが、その証拠だろう。

 だが、それを覆せる手駒が手に入った事で、滅ぼす手を一気に進めたのだ。


 実際、その絶対命令権は使い方を誤らなければ、実に有効に働くだろう。

 神の言葉とて蔑ろにされるものではないが、そもそも信徒にしか通用しない。敵対派閥の信徒に言う事を聞かせようというのは、まず不可能でしかないが、スルーズならばそれも可能になる。


 彼が今も生かされていたのは、その為ではないか、という気がした。

 神々に叛意を持っていたゲルミル族は手を付けるのを怖がっても、都合よく転がってくれるゲルミルならば、むしろ利用したいと思っての利用なのではないか。


 ミレイユは我知らず、独白する様に言葉を吐いていた。


「ならば当然、最後まで願いを叶えるつもりなど無かっただろうな……」

「そりゃそうでしょ。大体、なんで人間に戻せると思ってるのよ。そんなコト出来るんなら、とっくにやってるでしょ」

「神にとっても、かつて大神が作られたゲルミルに手を付けるのは簡単ではない、という事です! ですが、役目さえ果たせば……私めが労を厭わず働けば、神もまた労してくれると言ったのです」


 スルーズは首を振って頑なに認めようとしなかったが、当然認められる事ではないだろう。その為に一族を裏切り、そして二百年をこの森で過ごして来たと言うのだから。

 その労苦を思えば、ミレイユ達の言葉こそ信じられない筈だ。というより、信じたくないのだ。

 ミレイユは眉根に皺を寄せて、言葉を放るように問い掛けた。


「神はゲルミル族が持つ能力をこそ恐れた……とすれば、只人に出来るならむしろ好都合じゃないのか。孤島に百年閉じ込めれば、それで勝手に自滅してくれる。出来るというなら、とうにやっていなければ辻褄が合わない」

「まぁ、そうよね。それが指を振るだけで出来る簡単なコト、なんて言うつもりはないけど、でも可能というなら、何千年も放っておくものかしら。むしろ、あらゆる策を巡らせて達成しようとするでしょうし……そして、それが出来る奴らでもある」


 或いは、引き籠もっているなら大した脅威と認識していなかった、と考える事も出来た。

 だが、ミレイユという手駒を見つけた途端、滅ぼそうと即座に舵を切ったのなら、やはり目障りに感じていたには違いないのだ。


 次々と二人から指摘されて、スルーズも怯む。

 彼とて神という存在がどういうものか、知らない筈がない。神の手先として動いていたのなら、その策謀に関わる事だってあっただろう。


 全貌を知れる立場で無かったとしても、その悪辣さなど垣間見える事はあった筈だ。

 そして、スルーズが言葉を失っている事そのものが、それを証明している様ですらある。

 スルーズは顔を青ざめさせて、震える手をユミルに差し出す。


「ならば……ならば、私達が共に、人間となる事は……」

「だから、何でアタシが、お前と人間にならないといけないのよ。人間になりたいと、呟いたコトはあったわね。――でも、お前に言ったコトなんてないし、ましてや共にと願ったコトなんて無い」

「だが、だが……! 私達が新しき始祖となるのです! 新たなゲルミルとして、二人の間に子を成し、一族を復興させて……!」


 スルーズが言っている事は支離滅裂に思えたが、彼の中では筋の通った話であるらしかった。

 目も血走り、震える身体は病人のようで、直視するに耐えない。まともな精神状態ではない、という意味では病人かもしれないが、その思いだけで生きてきたというのなら、あまりに哀れという他なかった。


 そんなスルーズを見て、ユミルは小馬鹿にした様に笑い、そして再び瞳に憎悪を燃やした。


「馬鹿な夢を見たものね。あぁ、そう……。お前、一族を再興したかったの。最早、同族が増やすコト叶わないから、それなら人間となって生殖で増やして、それでかつての栄華を取り戻そうって? ――馬鹿じゃないのッ!!」


 力のあらん限りで盛大に吐き捨て、一足飛びで接近する。

 今度はミレイユも、止める素振りすら見せなかった。

 そのまま個人空間から剣を抜き放つと、縦横無尽に剣先を走らす。ユミルが扱うのは細剣だが、レイピアの様に細いものでもない。


 両刃になって良くしなる刀身は、フェイントを加える事で、まるで鞭のように動いて、相手に剣筋を読ませない。実直さとは正反対の武器は、ユミルの気質とも良く合って、時に純粋な武技で勝る相手にも勝てるものだった。


 しかし、当の本人は武器を振るって戦う事を好まないので、あまり披露する機会はない。

 今回、その武器を振るったのは、より大きな怒りを発現させたというだけでなく、恐怖を刻んでやる為だろうという気がした。


 ユミルの剣筋が燐光を発し、それが収まると共にユミルも武器を仕舞う。

 スルーズは何が起こったか理解できておらず、ユミルの顔を凝視していたが、両腕から何かが落ちた事を悟って視線を下へ移す。


 そこには二本の腕が落ちていた。

 二の腕から下の、本人からすると良く見慣れた筈の腕が落ちている。しかし、スルーズはそれが理解できず、次いで自分の肩へと目を移して、そこにあるべき筈の物が無い事に気が付いた。


「あ、あぁ? あぁぁぁ……!? うで、うでが……!!」


 まるでそれが合図であるかのように、両腕から血が吹き出す。

 顔を青ざめさせて膝を付き、その腕を回収しようとしてか、無い腕で拾おうとする。

 そこにユミルが顎先を蹴り飛ばし、地面に背中を強かに打った。


「血は出ても、大して痛くないでしょ? お前はゲルミルなんだから。腕の方もね……治して欲しければ、聞かれた質問にはキリキリ答えるコトよ。嘘を吐いたと判断したら、一本燃やす。答えられなくても一本燃やす。よく心得ておくコトね」

「なんで、なぜ、こんな……!?」

「この期に及んで何故とは、恐れ入る……」


 ミレイユが呆れて息を吐けば、スルーズは未だに理解が追い付いていない頭を左右に振った。

 ここまで救いようがないからこそ、良いように利用されていたのだろうが、これでは滅ぼされたゲルミルの一族が、あまりに哀れだ。


 腕を切り落とされてしまえば、魔術の制御は行えない。練り上げ制御した魔力を掌に集めて解放するのが魔術だから、その運用適性状、両腕を失くせば無力化できてしまう。


 魔術士にとって、両腕をもがれても即座の死を意味しないが、助けの無い孤軍奮闘の状態では何も出来ない。魔力の制御を行う事で流血を抑える事も出来るから、それで急場は凌げる。


 だが結局、常人より緩やかだというだけで、死に向かっている事実は変わらない。

 まだ腕が元に戻る機会は失われていないが、燃やされ、灰になってしまえば、そこから治癒は不可能だ。元の状態に戻すには、欠損が酷くても、せめて接続できる腕が存在してなければならない。


 その事はスルーズも理解しているだろう。

 ユミルが絶対零度の眼差しで見つめる中で、尋問が開始された。

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