退魔鎮守 その3
孔の中から出てきた巨大な何かは、孔を押し広げるように鼻面を左右に動かした。そこからずるりと顔を覗かせると、そのまま全貌が姿を現す。
顔は鱗に覆われ爬虫類を思わせる形をしていて、黄色い瞳に黒い虹彩は縦に割れ、眦は大きく開いている。頭の上に二本の角があり、アギトは大きく開いて鋭い牙も見えている。その牙の間から太い舌が時折見えて、喉奥からは炎がチロチロと燃えていた。
「え、あれって……まさか!」
アキラの焦った声が響く。
その様子を見れば、孔から覗く顔を見て何を想像したのか予想は付いたが、全身が見える頃になれば意見を翻すだろう事も予想が付いた。
頭の全てが孔から出ると、次に出てくるのは首だったが、肩が出てくる様子はない。
そのまま全身の半分程も姿を見せると、困惑するような声が上がるようになった。
本来なら肩口と、そこから伸びるであろう翼はなく、まるで蛇のような身体を晒す。逞しい腕や足、本来ならあるはずのドラゴンらしい体躯などはない。雄々しい顔面が張り付いているだけに、初見ならばまず間違いなく混乱するだろう。
西洋ファンタジーに慣れ親しんだ者ならば、尚の事そのギャップに困惑する事になる。
だが、あれの名前はこう呼ばれる。
「……ドラゴンだな」
「えっ、あれが? あれがそうなんですか!? 想像してたものとだいぶ違うんですけど!」
「この危機的状況にあって、それを言えるのは余裕の現れか? それとも単に馬鹿なのか? ……まぁ、私も最初見た時は何の冗談かと思ったがな」
それを正確に呼ぶのなら、ドラゴンヘッドとも呼ぶべき存在に思える。蛇の身体に竜の頭、そういう類の魔物なのだと。
だが実際、あれはドラゴンに違いない。蛇の身体に模様のように見える部分は確かに翼であり、そして腕であり、足なのだ。
「よく見ると翼もあるのが分かるだろう? あまりに小さく、退化してしまった部位のような有様だが、かつては私達が想像するような形だったろうと思わせる名残がある」
「でもアレは、自然環境に適応しようと退化したってワケでもないのよね」
ユミルがやるせない表情で息を吐きながら、注釈を加えるように言った。
「歪められたのよ、その存在と形を。空を飛ぶ権利を与えられたのは鳥のみ、神がそう定めた。空の王たる彼らは地に落とされ、そして本来から掛け離れた、名残の見える姿へと変貌させられてしまった」
「何でそんな……」
アキラの呟きに返って来る言葉はない。
何故、神がそこまで空に拘るのか知る由もないが、いま考える事でもないだろう。あれが地上に落ちてくれば、並の隊士では歯が立たない。一方的に蹂躙されるだけだろうし、防壁も大した意味は持たない筈だ。
あれはミレイユ達が対応せねばならない。
「アキラ、お前も下がれ。防壁の間で、漏れてくる残敵の相手をしろ。……無理はするなよ」
「はい、ミレイユ様も……皆さんにも、ご武運を!」
「ああ、精々生き残る事を考えろ」
「――はいッ!」
ミレイユの端的な激励に感動した面持ちで返事をして、アキラはその場から離れていく。その足音を背後に聞きながら、ドラゴンに対して顔を向け直した。
既にその身体は孔から半分以上抜け出して、鎌首をもたげては睥睨するように周囲を見ていた。
ドラゴンはその権威も能力も神から奪われたが、その知性まで奪われた訳ではない。人間や他の動物と同様、個体によってその差はあるが、成竜したなら最低でも人間並みの知能は有している。
長く生きた個体なら、人間では及びもつかない知能や知識、そして魔術も操って見せるのだ。この個体は若いように見えるから、その心配はないだろうが、この後に続いて出現してくる可能性はある。
――いや。
ドラゴンが神の要請を受諾するとは思えない。神と竜の仲は最悪だという逸話には枚挙に暇がない。現世で言う犬猿の仲という言葉を、そのまま神と竜に置き換えて言う事が出来る程だ。
だから、出現するのはそれすら分からないか、あるいは理解していない若い個体に限られるだろう。それをユミルに尋ねてみると、首肯と共に答えが返って来た。
「そうね、その考えで良いと思うわ。上手く誘導されたのか、あるいは孔へ興味本位で近寄った馬鹿なのかは分からないけどね。他の魔物同様、あまり賢くない奴が来てしまったというコトね」
「異国の地で果てるのは可哀想だが……、ここに来たのが運の尽きと思って貰うしかないな」
「本人――本竜にその自覚はないでしょうけど、でも尖兵となっているからには、倒さないって選択肢はないのよね」
「あのドラゴンですら、始まりに過ぎない事を忘れてしまっては困りますよ」
ルチアが嗜めるように言えば、ユミルが頷き、ミレイユも頷く。
「そうだな……。私を連れ出すつもりで孔を拡げている以上、私と釣り合うだけの魔力総量を保持した相手が出てくるまで、これがしばらく続く筈だ。完全に拮抗する相手であるのか、それより僅かなりとも少ないかで話は変わってくるが」
「少ない……あぁ、多少強引でも連れ出せるなら、孔が開き切っている必要はないのかも、と? ……そうかもしれません。先程のドラゴンも、そしてそれより前の魔物も、自ら孔を拡げて出てきてましたものね」
「連れ出せる最低条件さえ満たせば、後はどうとでもなる、という考えなのかも。……ま、そこはどうでも良いわ。応じてやるつもりもないんでしょ?」
ユミルが首を傾げて聞いてきて、ミレイユは眉間に皺を寄せて頷いた。
「勿論だ。こちらから赴く事になろうと、あちらの手管で連れ去られるつもりはない。……だが考えてみれば、どうやってオミカゲの奴は私達を送り込むつもりだったんだ?」
「気になる疑問だけど、集中して下さいよ。もうすぐ全身、姿を現しますよ」
ルチアの注意で意識を切り替え、そちらへ集中しようとした時、遂に孔の中から落ちてくる。尻尾の先で巨体を支えていたと見え、尻尾が抜けると同時にその巨体が地響きを立てて降り立った。
その際、何か悲鳴にような声と何かが潰れるような音が聞こえたが、その様なこと些末な問題だろう。まだ成竜ではないとしても、ドラゴンは油断できない魔物である事は間違いない。
他所へ視線を移したり、意識を割くような真似は出来なかった。
蛇のように舌先を出さないまでも、似たような仕草で周囲を見渡す。
見た事もない建造物に興味を示しているようにも、見ず知らずの世界に出現して困惑しているようでもある。
そして、その双眸がひたりとミレイユと合う。
「ギャォオオオウ!!」
鋭く叫んで威嚇するような叫び声を出した。
標的を見つけたとでも思ったか、あるいは単に、周囲にいる唯一相対する人間を敵と定めたか。
ユミルがいっそ、愉快そうに声を上げた。
「あぁ、声からしても分かるわ、若い個体ね。――来るわよ。行ける、アヴェリン?」
「忘れたのか、ユミル。私は今、完全武装しているんだぞ」
アヴェリンが余裕の笑みで返すと、ミレイユもまた余裕を持って鷹揚に構え、その左手で制御を始める。敵の頭に喰らいつき、そして一番槍を任せるのは誰なのか、それは既に決まっていた。
「アヴェリン、行け。好きに暴れろ、こちらで補う」
「畏まりました!」
ミレイユが命じると、それに応じてアヴェリンが一人突出して飛び出した。
敵意を感じたドラゴンは喉元で燻っていた炎を吐き出し、全面を覆う程の巨大な火炎の息を吐き出す。ミレイユが制御をしていた魔術を行使し、アヴェリンの身体能力を上げるのと同時、ルチアが既に察して氷の盾で炎を防ぐ。
本来なら即座に溶ける氷の盾は、アヴェリンの動きに応じて炎を完全に遮り続けて移動を助けた。表面は溶け始めているものの、その速度は非常に緩やかで、アヴェリンがドラゴンに到達するまでは十分に保つように見える。
そしてルチアは、何も盾を出すだけで役目を終えるつもりもない。
右手で制御を続けつつ、左手に手を持ち振るう事で、そこから氷の礫を射出する。礫と言っても、単に先端が尖った射出物というだけでなく、魔力が相当に籠もっていて、見た目よりも大きなダメージを負う。
それが二度、三度と、一定の間隔を持って放たれれば、ドラゴンとしても無視していられない。礫は皮膚を貫通する程ではないが、間違いなく表面を傷をつける程度には斬り裂いてくる。そしてルチアは頭を執拗に狙うので、眼球を守りたいドラゴンは顔を左右へ激しく振った。
「ギャオオォォオオオ!!」
顔を振る度、炎の息もそれに合わせて左右へ揺れる。
しかし構わず接近するアヴェリンにも盾をしっかりと追従させ、時折そちらへ流れてしまう炎にもしっかりと防御させている。
接近するアヴェリンか、後方から礫を放つルチアか。迷うように視線を動かした時には、もう遅かった。既にアヴェリンの攻撃範囲に入っていて、一際強く地面を蹴りぬくと、一瞬の間に肉薄する。
その勢いを乗せて、振り上げたメイスを力いっぱい殴り付けた。
「ギィィイイ……ッ!?」
凄まじい衝撃音と共に、骨を砕く音が響く。
ミレイユの横で完全に観戦モードだったユミルは、それを見て大いに顔を顰めた。
「やだやだ、これだから馬鹿力ってのはねぇ……」
「ドラゴンの骨は、そう容易く折れるものではないが……。そこはまぁ、アヴェリンだからな」
ミレイユが支援魔術で補助している事を抜きにしても、その膂力と魔力制御から繰り出される一撃は凄まじい。鋼鉄よりも固いとされるドラゴンの骨すら、アヴェリンの前には他の動物と変わらない。
殴れば折れるという、この世の理にケンカを売るような所業を、いとも簡単に実現するのがアヴェリンなのだ。
ドラゴンはより脅威なのがどちらなのか、それで決定付けたようだ。
外からチクチクと攻めるルチアを無視して、アヴェリンへと顔を固定させた。だが、ひと一人とドラゴンではその大きさが違う。一口で丸呑みしてしまえば終わる距離とはいえ、それが容易く行えないとなると、今度は逆にその大きさの比率が枷となる。
実際、ドラゴンが巨大なアギトを広げて食いつこうとしても、飲み込むより前にアヴェリンは姿を消してしまっている。そして反撃として一撃加えて去って行くので、ドラゴンとしてもたまったものではないだろう。
炎の息を吐いても、動き続ける対象を捉え続けるのは難しく、氷の盾に守られては尚のこと無理だった。そうしてアヴェリンが殴り、ドラゴンの反撃という反撃が空振りを続け、幾度もその衝撃音が轟き続ける。
掛かる時間も長いものではなかった。
脅威と思われたドラゴンはあっさりと沈黙した。
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