退魔鎮守 その2
暗澹たる気持ちのまま、ミレイユは睨み付けるようにして空を見ていた。
見ている間にも孔は増え続け、今では空の中に孔がない部分を探す方が難しい程になっている。その中にあって唯一救いがあるのは、巨大な孔の数はまだ多くないという事だ。
今迄の基準から言って小規模、ないし中規模な孔が主体で、それ以上だと確信できる程の巨大な物は三つ程しかない。
そして孔の出現と同時に、結界が更に何重にも張られていく。
機敏に感じ取った神宮内の結界術士達が張ったのだろう。
この場が決戦の戦場になるのは疑いようがなく、孔一つ増える度に結界も増えていくような有様だった。
その判断は正しい。
ここに来て鬼を外に出さない事、そしてそれが神宮から溢れさせるなど、あってはならない事だ。だがこれで、ルチアのやって来た事が無意味になった。
ルチアは
それは完成を間近に見ていて、猶予が三ヶ月先と考えれば十分間に合うと思える進捗だった。だがそれは、遊園地で受けたアキラの電話内容で一変した。
猶予というものは既になく、結界の即時強化は急務だった。
だから箱庭に籠もり、中の時間を止めてルチアの完成を手伝っていた。外から支えれば結果が出るというものでもないにしろ、傍で見守り、そして急がなければならないという窮地は、ルチアの完成を後押しした。
敵が迫っている事は察知しても、ミレイユ達が遅れたのは正にそれが理由だった。
最後の瞬間まで、その結界封印の完成を目指して粘っていた。そして完成と同時に箱庭を飛び出して来たのだが、遅きに失した。
事ここに至って、結界の強化がどうこうという段階は既に過ぎた。
ここでもまた一つ、失敗したことを悟らざるを得なかった。最大で一年の猶予があると思っていたが、実際には三ヶ月しか残っていなかった。
ルチアが悔恨を滲ませた言葉を落とす。
「私のせいですね……。結界に拘ったりしなければ……結界術の修得とその強化ではなく、孔の縮小へとアプローチしていたら、また違った結果があったかもしれません」
「いいや、ルチアの所為じゃない。それを認め、後押ししたのは私だ。誰の所為というなら、その方針を決定した私の責任だろう」
「最初から目がない事は分かっていたんです。でも私は自らのプライドを優先させました。それがなければ、この結果はきっと生まれていません」
それは事実かもしれないが、結局この『いずれ来る事態』を先延ばし出来るだけだ。稼いだ時間で何が出来たか、それは分からない。だが完全な封印も、孔を出現させない事も、どちらも出来なかっただろう、というのは誰もが持つ共通認識だ。
そこにクツクツと嗤う声が二人の会話を遮る。
見るまでもなく、その音の出処はエルゲルンで、嗤う音に合わせて頭をグラグラと揺らしていた。
「いやぁ、そりゃ結界にイタズラしようって時点で、孔の拡大を急ぐ事になるのも当然だろ」
「なに……? 神にはこちらの動きが見えていたのか?」
「いや、全てが見えてる訳じゃねぇだろうな。だがとある神器なら……その中だけなら話は別だ。異質な空間で何かを始めたから、
エルゲルンが言う事には曖昧な部分が多かったが、だがそれだけで十分だった。
元よりオミカゲ様から箱庭について聞いていた。あれはミレイユに手放すことなく持ち続けさせる為に、便利な道具として用意したのだと。
武器や防具といった神器は実際あって、そして強力な武具であったのも事実だが、ミレイユにとって魅力的な品ではなかった。
単純に強く有用な付与がされた品ではあるが、趣味の問題で防具のデザインが好まず、武器に至っては造形が不気味という理由で飾るに至った。
だから見た目にも効果にも不満が出辛い神器を与えたあの神は、まさに慧眼の持ち主と言えるだろう。強力なだけの武具は、ミレイユにとって魅力的ではなかった。
そして本当に魅力的に映り、肌身離さず持っていたのは『箱庭』だけだった。
「……インギェムは上手くやったな」
「繋合と双方のインギェムね……。だから言ったのよ、優しい顔した神なんて信用ならないって」
「それは今更、言ったところで仕方ないだろうが……」
当初、そのユミルの発言も手伝って、疑う気持ちが強かったのは確かだ。
しかし箱庭という便利な空間を持ち歩ける事に慣れると、そうした猜疑心は見事に消えた。使い続けるデメリットがある訳でもなし、いつの間にか非常に身近な存在となっていった。
それを計算して行えていたというのなら大したものだが、しかし神となればそれぐらい出来そうな気もする。比較するのがオミカゲ様だと、どうにもそうしたイメージは湧かないが、その執着や執念の強さは知っている。
それを思うと、手段を選ばぬ方法で、と考えれば何をしても不思議ではないのかもしれない。
そしてミレイユは疑問に思う。
口を滑らせたかのように思わせる口調だが、明らかにエルゲルンは情報を隠そうとしていない。拷問めいた攻撃の前に屈したように見えたが、それはあくまで見せかけとしか思えなかった。
人を小馬鹿にして嘲笑うのが好きでも、拷問には簡単に屈するというのは珍しくない気もするが、こういう手合はいつでも逆転する機会を伺っているものだ。
空に幾つも孔が空いた今、味方も多く出現する事を見越してのものだろうか。
確かにミレイユも、いつまでも尋問している訳にはいかない。
孔の出現と、そこから鬼が出現するまでの間には時間が掛かる。だからこそ、いつも結界には後追いの強化が間に合っていたが、エルゲルンにはそこを突かれて逃げられた。
今すぐにも出現してくる鬼がいても不思議ではないのだ。
ミレイユがこれ以上聞くことより対策を優先させる旨を伝えると、誰もが頷いてエルゲルンから離れようとする。すると、焦ったような声が背後から聞こえてきた。
「おい、これどうすんだよ! いつまでこのままなんだ!」
「何で話し終わったら自由にされるなんて思ってるのよ。百害しかない奴を開放する理由ある? 殺されないだけ有り難いと思いなさいな」
「あぁ……、クソッ!」
悪態つく声を無視して歩き出し、孔の多さと大きさに武者震いをしている隊士達を見る。
そこに恐怖で逃げ出すような者は一人もいない。どのような鬼が出てくるものか、慄いている者は確かにいたが、しかし自分が逃げ出す事で、後に何を呼び起こすのか理解しているのだ。
実際、この孔の多さは脅威に他ならない。
そこから一斉にやってくるのなら、間違いなく死ぬ者も出てくるだろう。それが自分であれ友であれ、不退転の決意でいるのは分かるし、中には既に指示を出して動き回っている者もいる。
その中の一人からアキラがやって来て、戦士の表情でミレイユを見てきた。
「ミレイユ様、みんな事態が分からず混乱しています! あれだけの孔が一箇所に集まるなんて異常です、あれは一体なんなんですか!?」
「何だと言われたら困るが、つまり敵はあれを作り出す事が目的で、今まで孔を拡げていた」
「一度に作れる数には限界があった筈じゃ?」
「……そう思わせたかっただけなのか、単に本腰入れていなかっただけなのか……。あぁ、両方かな」
自分がそれを口にさせられるのは非常に不快だった。
何もかもが足りなかった気がする。やり直せるならやり直したい、という気持ちが沸き上がった。そして、それをやり直す手段は、ない訳でもないのだ。
苦渋に顔を歪ませたミレイユを見て、アキラは別の心配をし始める。
この戦いに勝利できない、という風に映ったようだ。ミレイユに引き摺られるように、アキラの表情も曇っていき、それを引き戻す為に肩を叩いた。
そして微かに笑ってやる。
「そんな顔をするな、やりようはある」
「本当ですか、どうしたら良いでしょう!?」
「そうだな……。孔の大小があるなら、出現する鬼にも差があるだろう。敵う鬼だけ相手にしろ、防壁と陣を駆使して急増の防御陣地を築き、数を減らすことに専念しろ」
「分かりました!」
アキラの頷きにミレイユも頷きを返し、更に続ける。
「孔は全周方位しているという訳じゃない。私達の後ろ側に居れば比較的安全だろう。なるべく離れた場所に築いて……後は上手くやれ」
「はい、そういった訓練もちゃんと受けています!」
「デカい奴、小さくとも強敵、そういうのはこちらで受け持つ。孔とて無制限に継続できるものではないだろう。持久戦だ、厳しい戦いになるぞ」
「はい、あの……お願いします! 僕らも僕らに出来る事を、精一杯やってみせます! 何か指示があれば遠慮なく言って下さい!」
エルゲルンとの戦いを見て、自らの立ち位置を十分に理解したらしい。
実際、これから出てくる敵というのは、エルゲルンを基準として見て、強敵が多く出て来るのは間違いないだろう。そして、その敵にアキラ達は為す術もない。
ただ蹂躙されるだけだが、逆にそれ以下の敵も多く出てくると予想出来る。
そちらにもとなれば、流石にミレイユ達も手が回らない。場合によっては自分たちへ向かってくる敵を、その防御陣地へ流す事になるだろう。
数多く押し寄せる敵に、的確な対処をしなければ容易く決壊する。
重傷者も多く出ていたようだし、そこの不安はある。だが今実際探して見回してみても、今なお倒れ伏している兵というのは何処にもいなかった。
混乱は見えるが、悲惨さはない。
士気の高さは頼もしいが、不気味にも思えた。最後にはバンザイ特攻すればいい、という破れ被れでいるんじゃないだろうな、という疑念も出てくる。
「やる気があるのは結構だが、何やら怖いな。防御陣地で堪えてもらうが、死ぬ必要まではないからな。逃げるしかないとなれば、逃げろよ」
「はい、その言葉はきっと更に皆の士気を上げますよ。誰の顔にもやる気があるのは、その前線にミレイユ様が立っているという事実があるからです。だから怖くても戦えるんだと思います」
「ミレイ様と共に並んで戦えるのは栄誉だ。それを良く分かっているようだな」
アヴェリンが誇りを感じさせる表情で頷けば、アキラもまた頷く。
「神と戦列を並べて戦えるなんて、まるでお伽噺の世界ですよ。誰もが奮って戦うような状態だと思います。ミレイユ様の背中が見えるだけで、誰もがそれを励みに戦えるでしょう」
「そう言ってくれると光栄だが、これじゃ不甲斐ない真似は見せられないな」
ミレイユがおどけて見せると、それにユミルが乗っかってアヴェリンを指さして笑った。
「それじゃアンタなんて、戦場に立つ事すら止めた方がいいんじゃない?」
「忘れているようだがな、ユミル。今の私は完全武装しているぞ」
アヴェリンが揶揄するように口角を上げ、これ見よがしに手首でメイスを振り回すと、その風圧だけでユミルの前髪が吹き上がる。
ユミルがむっつりと口を曲げて顔を顰めると、ミレイユは声を出して笑った。
「……あぁ、いいじゃないか。窮地で輝いてこそ、我らがチームと言うものだな」
「まさしく、仰るとおりかと。この現世においても、我らが武勇をあまねく広げてやりましょう」
「その時は、私だけ匿名でお願いしますね」
アヴェリンが不敵に笑い、ルチアもまた可憐に笑って杖を掲げる。
それにユミルが笑ってアキラの肩を二度、三度と叩いた。
その光景を見ていた誰もが、この激戦を予想させる直前に見せる余裕と笑みに救われる。神に取っては笑って過ごせる状況でしかないのだと、そう励まされて士気が上がった。
そして今――直上に見える一際大きな孔の中から、一つの影が顔を見せようとしていた。
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