退魔鎮守 その1

 ミレイユは歪な形に変じたエルゲルンの前に立ち、どうしたものかと考えていた。

 前に立ったとはいえ、その顔は後ろを向いており、目を合わせられる訳ではない。それでも傍にミレイユが立ったと分かって、緊張した雰囲気を纏う。


「お前に聞きたい事は幾らでもあるが……」

「そうだろうな。だが話さねぇよ。言えることも限られるし、知らされてねぇ事の方も多い。俺は伝令役……メッセンジャーだ。言うべきこと以外、何一つ大事なことを知る立場にないのさ」

「なるほど? では侵入したのも、あくまで伝言の為だけだったと?」

「だから余計な破壊も殺人も、何一つしてねぇだろ? まぁ、襲われたからには反撃したが、その時の怪我はまた別の話だよな」


 その言葉には一定の信憑性があった。陽動のつもりで、どこか離れた場所で破壊工作をしてから神宮に向かった方が、邪魔になる人数は減らせた事だろう。

 こちらの戦力を侮っていたのだとしても、事をスムーズに進めたいなら、損にならない手は打つべきなのだから。


 今回のケースで言えば、離れた場所で爆発一つと多くの死傷者を出しておけば、御由緒家の到着を遅らせる事が出来ただろう。エルゲルンの目的が何であれ、そうすればミレイユ達の到着も間に合わなかった。


 神宮への侵入を謀ったというなら、オミカゲ様が目的だろうと推察できるが、しかし分からぬ事もある。この世界に根ざして神へ昇華したミレイユ――オミカゲ様には既に用はない筈だ。

 むしろまだ神化していないミレイユこそが狙いだと、オミカゲ様も予想していたが、まさか何か思い違いをしていたのだろうか。


「そうだな、侵入しておいて何て言い草だとは思うが。……いいだろう、そこは置いておいてやる。お前の狙いはオミカゲ様なのか?」

「そのオミカゲ様ってのは分からねぇな。人の名前らしいが……それはどうでも良い、俺の狙いはシンジンだ。つまり、お前だよ」

「なんだ、やはりそうなのか。それは予想されていた事だが……つまりお前は、人違いでオミカゲ様を狙ったのか」

「こんだけ濃密なマナがある場所だ、ここを根城にしてるんだろうと思って探りに来たのさ。別に確信があって来た訳じゃねぇ。見つけ出すまでが俺の役目だ」


 なるほど、とミレイユは一つ頷く。

 つまりマナの収集と集積を担うこの場所は、エルゲルンからすれば捨て置けぬ場所で、単に立ち寄って見たというだけの話だったらしい。


 この世にいるのを確信しているからこそ、マナのある場所にいるだろうと予想を立て、そして目についた一番強いマナを目指して接近した。そういう事か。


「……つまり、虱潰しに探すつもりで、まず最初に来たのがここだったと」

「そうだ。隠れようと思えば何処にでも隠れられるんだろうしな。だが、高密度のマナのある場所に住むと考えるのは妥当だろ? だから来た、そして出会えた。狙い通りってこったな」

「分からん話じゃないが……。この状態も狙いどおりか?」


 エルゲルンは肩を竦めて首を振ろうとしたようだが、歪められた身体はそれを表現できず、ただ首を横に振るだけになってしまった。その頭も後ろを向いているので、全くサマにならない。


「伝令役という言うには、随分派手に暴れたな。それで役目が果たせると思ったのか?」

「いや、なんつーか言葉が通じねぇよ、アイツら。いや、言葉は通じるけど会話できねぇ……これ、意味分かるか?」

「侵入した場所が場所だしな。何を言おうと捕縛へ走るだろう。ちなみに、何て言った?」

「……ここにいる神っぽい奴に話がある、って感じだったか。チャンスがありそうなら連れ去るって事も言ったか」


 ミレイユの目が鋭く細まり、顔を背けた。

 どちらの言葉も聞き捨てならないが、その神っぽい奴の表現には、最大限分かり易い言い方に直した配慮が見える。だが、それでは何も知らない者からすれば、オミカゲ様の事だと誤解させるし、侵入者が言う台詞なら尚の事問答無用という反応になるだろう。


 そして連れ去るという言葉。

 ミレイユとしても、それは理解していたし覚悟もしていた内容だが、実際に相手の思惑として聞かされると不快感が込み上げてくる。


 思わず手が出そうになって、ミレイユはそれをグッと堪えた。この男を殴ってウサを晴らしたところで意味はないだろう。結局のところ、ミレイユ奪還を考えている神があちらにいる限り、その意思を翻させるには、この場――この世界にいる限り不可能だ。


 千年の間、その意志が変わらなかった事と同様、鬼を防ぎ続けているだけでは、その意志を折る事は出来ない。

 ――分かっていた事だ、そんな事は。

 ミレイユは吐き捨てる思いで改めてエルゲルンへと向き直ると、何かを言うより前にユミルが問い質した。


「アンタは伝令役だって言ったわよね。……の伝令役なの?」

「どういう意味だ? この件に携わっているのは一柱だけだぜ?」

「そんなワケないでしょ。十二の内、最低でもその半数が関わらないと、こんな大規模なコト出来ないワケ。たった一柱がチチンプイプイと指振るぐらいで可能になってたまるもんですか」

「チチン……?」


 本気で困惑した声を出したエルゲルンに、一瞬虚を突かれた様な顔して、それからユミルは顔の横で手を振った。


「あぁ、気にしないで。……アタシもだいぶ現世に染まって来てたみたい。ま、とにかく一柱で行えるモンじゃないって、もうバレてんのよ。……こうなったからには隠す必要もないでしょ? 誰がなのか、それを知っておきたいのよね」

「うぅむ……」


 エルゲルンは言葉を濁して黙りこくった。

 世界の創造と維持を司るとされる十二の大神は、その全てが維持に関心を示しているものではないという。何かしら関わっているのは間違いないとはいえ、ただ在るだけで維持の要となっている神もあれば、大きく動きを見せる神もいると聞いた覚えがある。


 それまで黙って聞いていたルチアは、興味を抑え切れぬ様子でユミルに問うた。


「私は神の全てが狙っているものだと思ってましたし、だから全てが敵だと思ってましたけど、そういう訳じゃないんですか?」

「違うでしょうね。神の権能も様々で、そして神の性格も様々なのよ。常に眠っている神もいるし、そういう神は、己の生にも世界の生にも興味がない。ただ在るだけだから、それは敵になり得ない」

「つまり、海のようなものですか? 水害は脅威だけど、別に悪意あって起こるものではないと」

「そっちは明確な悪意があって起こるものよ。むしろ『西神のくしゃみ風』と呼ばれるアレが、悪意なしの方ね。あの突風は時として家屋を吹き飛ばす程強力だけど、大気の循環のしわ寄せで起きるようなものだから。じゃあ循環しないでいいかと言われたら、それは困るワケよね」


 停滞する空気は淀む。淀んだ空気は腐り、そして様々な場所で被害を出すだろう。それを未然に防ぐための不可抗力というのなら、確かに受け入れざるを得ないのかもしれない。

 ルチアが尚も興味深そうに質問を重ねようとしたところで、ミレイユが手を挙げて止める。

 確かに重ねて聞いてみたい内容だが、それより先に確認しなければならない事があった。


「だからね、結構気になるところなのよ。どれが加担して、誰が首謀したものか。意外と予想外な名前が出てきたりして……、どうなのよ?」


 ユミルが顔の横で振っていた手を、くるりと回転させるように動かすと、後ろを向いていたエルゲルンの顔も元に戻る。そこには苦々しく思っている事を窺える表情が浮かんでいた。

 更に催促してみても、口を閉じて何も話さない。


 そこへ無防備になっている――元より一切の抵抗ができない――腹に、アヴェリンがメイスを叩きつけた。


「ボゴホッォ……!!」

「お前に黙るという選択肢はない。話せないならそう言え、だが沈黙は許さん」

「だっ、たら……! それっ! 殴る前に言ってくれ! 拷問されたって知らねぇ事は言えねぇんだから!」


 そうだろうな、と同意を示すようにミレイユが頷いて、それでアヴェリンは一歩下がって答えを待つ。顎をシャクって続きを促した。


「だが、お前に指示した奴の名前は言えるだろう」

「言えねぇ――いや、そうじゃない! 知らねぇんだよ、誰からの指示かなんて!」

「伝令役が、誰からの伝言かも知らないで使いっ走りになったの? 神の指示なら、そりゃ喜んで使いっ走りもするでしょうけど、それなら尚更どの神の指示か明確になるモンでしょ」


 ユミルが口を挟めば、エルゲルンは頷く。

 

「確かにな、俺はラウアイクス様から命令を受けて来た。だが別の神の発案であるとは仰られていたからな、それがどの神なのかまでは知らねぇんだ」

「なるほどねぇ。でもとりあえず、ラウアイクスの加担は間違いないと……」

「水源と流動の神、ラウアイクスか……。いきなり大物の名前が出てきたな」


 大神の一柱に数えられる神だから、どの神の名前が出ても大物には違いない。

 だがラウアイクスの権能は世界の根幹、その中心に根ざすものだ。他とは一線を画すと言って良い権能で、だからその名が出てくるのは予想出来るのと同時に、出てきて欲しくない名前でもあった。


 やさぐれたい気分で溜め息を吐くと、エルゲルンへ促すように手を差し出す。


「……正直、相当面倒臭いが……まぁ、いいさ。お前は伝令役なんだろ? そのメッセージとやらを聞こうか」

「俺がメッセージだ」

「ああ、自己紹介は良いから、さっさと言え」

「そうじゃない。俺がこの場にいる事そのものがメッセージ、って意味だよ。……本当に分からないか?」


 察しの悪さを毒づくように、エルゲルンは顔を顰めて言った。

 それでようやく一つ思い当たるものがある。


 エルゲルンの魔力総量から言って、彼が通過できる程の孔というのは、生半な大きさではない。上級魔術士が通過できるというだけでも頭の痛い問題だが、それより問題なのは、エルゲルンの通過によって、さらに広がっただろう孔の方だ。


 そしてそれは、これまで何としても防ぎたいと思っていた事態が、遂に起こってしまったという意味でもある。


「……まさか」

「そのまさかさ。もう止まらない。今日一夜で最大限まで拡大される。そうなれば、もう……後は分かるだろ?」


 エルゲルンの言葉に、まるで呼応するかのようだった。

 それまで何事もなかった空を、覆い尽くすかのように数々の孔が空く。大きさは様々だが、最も大きい物で民家を丸ごと飲み込める程にもなっている。それは今まで見てきたものでも類を見ず、絶望的な状況をまざまざと示していた。

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