退魔鎮守 その4

 今し方ドラゴンを仕留めたとは思えない足取りで、アヴェリンは意気揚々と帰って来た。

 とはいえそれは、あくまで一般的な戦士における評価であって、単にアヴェリン一人に向けた評価だと、妥当であるという感想以外、何も浮かばない。


 火炎を吐き出すドラゴンに対して、ルチアのフォローも上手く働いた。簡単に接近できたのは、勿論それあってのものだったが、接近できれば勝てるという簡単な相手でもないのは言うまでもない。

 ミレイユは二人に労いを言って、それから改めてアヴェリンに問う。


「……それで、どうだった。久々の実戦は?」

「なかなか悪くありませんね。少しは錆びついている部分もあるかと思いましたが、想像通りの動きが出来ました」

「それは良かった」


 アキラに付けてやっていた鍛練や、結界に入って戦って身体を動かしてはいた。だがそれは本気を出すというには程遠く、実戦から長く遠退いていたと表現して相違ないものだった。

 時に実戦から離れた勘を取り戻すのに、離れていた時間以上が必要とされるとも言うので、それを考えれば、遜色なく動けたというなら自己鍛錬は欠かしていなかったのだろう。


 そんな他愛ない話をしていると、背後から歓声が上がる。

 何事かと思って振り返ってみると、アキラを始めとする隊士達が両腕を上げて声を張り上げていた。


 少し考えて見れば、良く分かる。

 遠く離れていたとはいえ、見たこともない蛇のような巨大な魔物は、彼らにとって脅威と映った事だろう。遠くにいようと、その威圧や魔力など、感じ取れるものは幾つもあった筈。


 どのような激戦が起きるか、あるいは勝つことすら難しいのでは、と考えていたところに、アヴェリンの完勝だ。全く危なげなく、そしてアッサリと勝利をもぎ取った戦士へ惜しみない賞賛を浴びせたいと思うのは、至極当然の事だった。


 それもまだ、他の孔から敵が出現していない事も影響しているだろう。

 戦局的にまだ傾いてもいない状況での見事な勝利は、それだけ彼らの士気を上げた。これならば勝てる、という気持ちの後押しも得られたに違いない。


 だが、ミレイユは彼らほど楽観していなかった。

 空を覆い尽くす程の孔があって、単なる威嚇で用意したものではない事は明白。これから長引くに連れて、まだ小さな孔すら拡大していくだろう。

 前哨戦が始まった直後でしかない現在、到底甘く見る事など出来ないのだった。


 ――いや、とミレイユは思い直す。

 彼らはミレイユ達に縋りたいのだ。勝利を見せてくれる彼女らに続け、と味方を鼓舞し、そして己を鼓舞する。その為の空元気だと思えば、なるほど、幾らでも利用してくれとすら思う。


 ミレイユがそんな事を考えている傍らで、ユミルはドラゴンの死骸を物欲しそうに見つめていることに気が付いた。


「どうした、ユミル。……まさか、この期に及んでドラゴンの素材が欲しいなんて言わないよな?」

「……何よ、この期に及んでって。言うわよ、言うでしょ普通。せめて鱗の一つでも取って来なかったの、アヴェリン?」

「来る訳があるか。私が何をしに行ったと思ってるんだ」

「……使えない奴ね」


 吐き捨てるようにユミルが言うのと、アヴェリンが剣呑に武器を構えたのと同じくして、空の孔から再び魔物が顔を出す。

 今度は大きめの孔からではなく、全体的に小さいものから出現し始めた。多くは小物だが、しかし最低でもトロールより弱い存在は見当たらないから、隊士の方にばかり任せていては、手に余る事態になるだろう。


 それが地面に着地しては、不揃いの隊列を作って歩いてくる。

 その目や表情には、爛々とした戦意の発露が見えていた。


「あら、生意気。あいつらに真っ直ぐ行進なんて真似が出来たのね」

「あれを行進とは言わんだろう。単に先着順で歩きだしたら、結果そうなったというだけで。……どうなされます、ミレイ様。また私が切り込みますか?」

「そうだな……」


 ミレイユはちらり、と背後の隊士達へと目を向けた。

 今ではすっかり傷も癒えたようだが、消費した理力まではそうもいかない。ここはマナの集まる場所だから、その回復を手助けしてくれはするものの、戦闘中という緊張状態での回復は微々たるものだ。


 彼らの負担を少なくする事を勘案すれば、なるべくこちら側で受け持つしかないだろう。

 アヴェリン一人切り込ませるのは有効な手段ではある。思うさま敵を蹂躙してくれるだろう、という期待に背かない結果を生み出す。だがアヴェリンはむしろ、大物にぶつける方が効果的に働く。


 先程のドラゴンのように、一人を使って一匹を受け持ってくれるなら、そちらの方が戦局的には有利に傾くだろう。

 ミレイユはそう考えると、ルチアとユミルへ目配せする。

 それで全てを察した二人は、気楽な調子で手を挙げた。


「ま、いいわよ。あの程度の小物なら、一掃してしまった方が早いし楽よね」

「大規模魔術は得意ですからね。こういう時こそ、任せて下さいよ」


 二人が気軽に請け負って、アヴェリンと入れ替わるように前へ出る。

 既に眼前では、次々と現れる魔物の群れで、まるで絨毯のように敷き詰められているような状態だった。その全員から向けられる敵意と殺意も本物で、弱い魔物であろうとも、数が揃えば吹き付けてくるようにすら感じる。


 だが、そんな事で今更二人は動揺したりしない。

 使う魔術の違いで制御の完了は、ユミルの方が早く終わった。右手と左手、それぞれ同じ術を制御し、そしてルチアに目を向けていつでもどうぞ、という風に手を向ける。


 ルチアはそれをちらりと目を向け、小さく笑った。

 彼女が制御している魔術は、そう簡単に終わるものではない。ユミルもそれが分かっててやっているのだが、急かすようにも茶化すようにも見えて、つい笑ってしまったようだ。


 ミレイユが邪魔するな、と口には出さずにユミルを見ると、眦を大きく広げて大袈裟に怖がる振りして前を向いた。


 敵の大群は更に近づき、その息遣いさえ聞こえて来そうな距離までやって来る。

 流石に急かしたい気持ちが湧いて来た時、遂にルチアの制御が完了する。両手で掲げた杖の先には、極限の暴風雪を球体の中に閉じ込めたようなものが浮かんでいた。


「――行きます!」

「いつでもどうぞ」


 ルチアが声を掛ければ、ユミルが肩を竦めて声を返した。

 解き放たれるのは攻勢魔術、『黒き冬への誘い』と呼ばれる、扱える人間は五指にも満たないと評された上級魔術だった。


 その名が示すのとは逆に、白い雪の嵐を出現させるのだが、その密度故に前が見えず、また細かな氷片が目を傷つけ、目を開けていられない事からそう呼ばれる。目だけに限らず、露出している部分があれば細かに傷つけていくから、極寒の状態だとそれだけでも脅威だ。

 完全な半球体状ドームの中で、そこだけ雪の嵐に見舞われるという魔術だから、それなら早く抜け出せば済む話ではある。そうなのだが、そこにユミルから放たれる魔術が効いてくる。


「はいはい、ご苦労さん」


 ユミルから放たれるのは『雷兎の戯れ』と呼ばれる中級魔術で、一度直撃するとそこから直ぐ隣の対象へと飛び跳ねるように伝播していく。

 威力は基本的に低く、単体で使うには痺れさせる程度の威力しかないのだが、それが密集地帯で使うと凶悪な足止め効果を生み出す。


 しかも極寒の嵐の中、足を止める一秒毎に体力も気力も奪っていく。目は開けていられず前にも後ろにも進めない状況で、雷撃による麻痺まで起こされるとなると、悪夢でしかない。

 それをユミルがほいほいと、両手で交互に撃ちまくるものだから、嵐に飲み込まれた集団は恐慌を来たす状況になった。


 また、極度に低温まで下げられてしまえば、超電導と呼ばれる現象が起き、電気抵抗を著しく下げる。本来は痺れ程度で済むものが、無視できないまでの痛みを伴って次々と電撃を見舞っていくのだ。


 とうとう阿鼻叫喚の叫び声が嵐の中から聞こえるようになり、そこから抜け出そうと藻掻くほど雷兎の餌食となって痺れる事になる。

 こちらから見る分には寒さも風の強さも感じないが、雷が時折弾けるように瞬き、その中で悲鳴が起きているとなれば、中で起きている惨状も想像が付くというものだ。


 とうとう叫び声すら聞こえなくなって、ルチアは魔術の制御を解いた。それに続いてユミルも制御を止める。

 後に残ったのは、倒れ伏して動かない大量の死体と、雪に覆われた円周状の一帯だった。


「相変わらず、凶悪な組み合わせだな」

「お褒めに預かり光栄よ」


 ユミルがにこやかに笑みを見せると、背後からは再び歓声が上がった。ユミルが振り返って手を挙げてやれば、更に歓声が大きくなる。ユミルもまた大変な美貌を持つので、男女問わず、そうした魅力に引き寄せられて応援する声にも力が入る。


 これで彼らは再認識させられた。

 巨体を持つ敵だろうと、数を揃えようと、ミレイユ達を越えて進む事は出来ない。それをまざまざと見せつけるような内容になった。


 絶望的な状況にも希望が見えた事だろう。

 このまま完封できるとさえ思ったかもしれない。それほどまでに、背後から聞こえる歓声は凄まじいものがある。その歓声が力になると信じているかのように、ミレイユを呼ぶ声が止まらない。


「御子神様! 御子神様! 御子神様!」


 戦っていたのは何れもミレイユ以外なのだが、ミレイユの戦力という意味では正しい。彼らもミレイユが旗印となっている事は理解している。一々訂正して水を差す事でもないので、ミレイユは背後へ振り向かず、そのまま小さく手を振った。


「ウワァァァァアア!!」


 そして上がる歓声に、手を振って終わらせると、じっとりと目を向けるユミルと視線が合った。


「……なんだ」

「いえ、別に。人気者で結構ですコト」

「手柄を横取りしたようで悪かったな」

「ま、それは別に良いけどね」

「――そうだ、我らの評価はミレイ様のもの。我らの武勇はミレイ様の名を高めるのだ。何の不満がある」

「まぁ、そうね。別にアタシ個人がどう評価されようと、知ったコトではないんだけど。アンタはちょっと気をつけるべきよね」


 そう言ってミレイユへ流し目を送り、その意味深な視線が何かを考え、すぐに思い至った。


「……そうか、信仰か」

「そうそう。下手に集めると、アンタ世界に根ざすコトになるわよ。オミカゲ様もそう言ってたじゃない」


 確かにそれは問題だ。

 あれが果たして信仰か、それとも前線指揮官に向けるような敬意なのか、それは分からない。だが安易に手を挙げるようなサービスは、今後控えた方が良さそうだった。

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