神と人の差 その10

「――次だ」


 アキラは何度目になるか分からない一撃を加え、そしてそれまでと同様、上手くいなされ転がされていた。転んだ先で素早く受け身を取り、空いた隙間に別の誰かが斬りかかる。

 常に四人で斬りかかり、そして誰か一人が上手いこと捌かれ、常に誰か一人が強制離脱させられる、という状況が続いていた。


 打ち込む隙を最小限、ミレイユが誰か一人を捌いている後ろから斬り掛かっても同様で、とにかく上手いこと捌かれ、いなし、弾かれてしまう。

 その剣捌き、体捌きが冴えに冴え、有効打を一つとして打たせてくれていない。


 隙があるように見えて打ち込めば、それを未来予知しているかのように対応され、やはり上手いこと対処されてしまう。

 今も他の隙を埋める為に斬り込んだ木刀が、死角からの一撃だったにも関わらず躱され、その反撃を見事に食らって吹き飛ばされていた。


「はい、次」


 ミレイユの呼吸に乱れはない。

 袂がある袖は動きにくい筈なのに、それを感じさせない軽やかさで対応してしまう。

 たった一人に対して、既に怪我人を後方に下げて復帰した者たち一個中隊、それが代わる代わる斬り込んでいるというのに、全く歯が立たなかった。


 アキラが率いる中隊合計十六人の、その剣術を認められた者たちが、子供と大人以上の開きであやすように転がされている。腕に覚えがある者も多い中、それでもミレイユの前には赤子同然だった。


 明らかに数の利を用いての戦術が、全く有利に働いていない。

 模擬戦の体をしているが、それまでの対処を見ていても、ミレイユは単に打ちのめす事を考えていない。生徒達を試し、どう対処するかを見ている節がある。


 最初の凱人たち中隊だけは例外だが、あれはもしかしたら、単に力加減を間違えてしまっただけなのかもしれない。試すというには、あれは余りに呆気なさ過ぎた。


「えぇい、このっ!」


 アキラは斬りかかるのを止めて、何か突破口にならないかと打突のみで攻撃してみる。理力を練り上げ、突きに速さを乗せて繰り出すが、ミレイユは半身にズレたり突きの距離を見切って僅かに後退するのみ、とまるで当たる様子がない。


 そうしている間にも、横から後ろからと攻撃はある。

 しかしそれすらも躱すか、あるいは木剣で弾いてしまい、場合によっては相手の木刀を握って投げ飛ばす、なんて事までした。


「……次だ」


 一人が外れれば、別の誰かがそこに入る。

 場合によっては連携に慣れた二人が入る為に、敢えてもう一人退くこともあるが、とにかくミレイユの指示が一声上げれば、その空いた穴に誰かが入ってくる。


 そんなつもりはなかったのに、今ではすっかりその様な流れになっていた。

 ミレイユは殴り掛かる元気がある内は、好きなようにさせている。完全に稽古の流れだが、それを不満に思う者はいない。時に反撃もあるが、痛いだけで戦闘不能になるまでは行かない。


 神が扱う剣術を身体で教えて貰っているようなものだ。

 最初は剣が当たらぬ事、反撃を受けて為す術もなく転がる事に、苛立ちのような気持ちがあった彼女たちだったが、今ではすっかり従順な稽古待ちの顔になっている。


 実際、アキラから見ても道場主の師範より、確かな剣筋をしていると感じた。

 アヴェリンも同じく敵う相手ではないと思っていたが、こちらはまた別の次元で敵うと思えない。技術としてのレベルが異次元と感じてしまう程、アキラたちとは隔絶している。


 単純な剣捌き体捌きの技術、剣技剣筋の技術、相手の気配の読み方。攻撃と防御の呼吸、複数人を相手にしつつ間合いの妙、全てのレベルが違う。

 その一手一手を受ける度、自分たちの力量を底上げされているようにすら感じた。一つ違えば、そうじゃないこうだ、と反撃を受ける。良しならば、いなされ転がされる。


 それが四人同時に行われている。

 見守っている他の中隊も、羨ましそうに見つめていた。次は自分の番だとすら思っているような視線だった。


 そうして続けること暫し、息が切れ、とうとう立ち上がれない者も出てくる。

 ミレイユはそれに立ち上がれと言う事はない。ただ手を振って外にやれ、という身振りを見せるだけで、他の隊の者が速やかに後方に下げていく。


 直接的な怪我は打撲程度だから、治癒もすぐに済むのだが、倒れた原因はスタミナにあるので戦線復帰はすぐとはいかない。

 そうして徐々に数が減っていき、遂にアキラの他数名が残るのみになると、次いで七生の方へ手を向ける。手招きするような動きを見て、七生は嬉々として中隊を率いてやって来た。


「由喜門くん、まだやれる?」

「勿論。この程度でへばっていたら、師匠のシゴキには耐えられないよ」

「頼もしいわね」


 七生がミレイユから目を離さぬまま、獰猛に笑う。


「外向理術を使われたら勝てないのは分かってた。攻め筋があるなら近接戦闘しかないと思っていたけれど、それすら甘い認識だったわね」

「僕もあれほど巧みに剣を扱えるとは思っていなかった」

「おまけに、すっごくタフだしね……!」


 既に十人以上を体力切れまで追い込んだというのに、当のミレイユは汗も掻くことなく平然としている。多少、息を乱すような事があれば良かったのだが、神と人との間をまざまざと見せ付けられた気がした。


「しかも、常に余裕を残して戦ってるし、本気の五割も出していないと思う。理術を同時に使うとかあり得るかしら」

「出来ないと考えるより、出来る前提で作戦を組み立てた方が良いと思うね」

「そうね、そうするわ。あなたは今まで通り、とにかく御子神様に喰らいついて」

「遊ばれていただけで、喰らい付けていた訳じゃないけど……」


 実際、ミレイユが本気だったら、アキラは一撃で沈んでいるだろう。

 他の者同様、その技量や根性などを見る目的がなければ、一人が一撃放つ度に反撃を受けて戦闘不能へ追い込んでいる。それが容易に想像できて、アキラはげんなりと息を吐いた。


「どちらでも良いわ。せめて、お褒めの言葉を賜れる位はやってみせなきゃ」

「それはそうかもね」


 アキラが頷くと、七生は視線で合図を出して攻め込むように指示を出して来た。言われたとおりにアキラは突っ込む。

 七生が率いる中隊には三年も多く含まれていたようだから、その技量もまた今までより期待できる筈だ。彼らの奮戦に期待して、アキラは自分が出来る事をする。


 そしてアキラに出来る事といえば、愚直に突き進むだけだ。

 何度いなされ、突き崩され、倒れる事があろうとも、その度に起き上がって剣を振るう事しか出来ない。才能がないと言われ続けても、それでも剣を振るう事だけは続けて来た。

 アキラにもアキラなりの矜持がある。

 それを認めて貰いたいという一心で木刀を振るった。


 しかしそうやって挑んでも、アキラに付いて来ていた小隊メンバーは、遂に体力の限界を迎える。一人、二人と離脱して、最後にはアキラ一人になった。


 ――それでもせめて、七生達の準備が終わるまでは食らいつく。

 それだけでもアシストできれば、ある意味でアキラの勝ちだ。挑む目付きでミレイユを見ると、薄く笑みを浮かべて見つめ返された。


 何故だか心を見透かされたような気がして、心臓がドキリと跳ねる。

 その時、七生の寄越した小隊がやって来た。アキラと入れ替わりに三年が猛攻を仕掛ける。それまでの生徒達と技量に大きな違いはないように思えたが、明確に違うのは、その連携の巧みさだった。


 今までは互いに気づいた時は隙を突く、互いの邪魔にならないように動く、という遠慮があちこちに見えていた。それがこの三年には無い。

 互いに何が出来るか、何をやりたいか、というのが分かり切っているようだった。邪魔しないように、ではなく、邪魔にならない立ち回りを理解している。


 ――しかし、それでも。

 それでもやはり、ミレイユには届かないのだった。


 それぞれの巧みな連携すら読み切り、あるいは気配で察し、呼吸を盗んで、的確に対処する。アキラがそうしている様に、外から見ていれば対処出来るかも、というレベルの猛攻が、ミレイユからすれば先程までの延長としか感じないらしい。


 赤子と大人から、幼児と大人に変わっただけで、依然力量差は歴然としていた。

 三年の顔が歪み、余裕がなくなる。一人が転がされ、二人が突き飛ばされ、三人が木刀を逸らされ、そしてそれがほぼ同時に起こった。


 アキラの目には、それは完璧な連携に見えた。

 しかし一つも有効打に成り得ず、ミレイユには通用しなかった。

 思わず七生の顔が歪んだのも、当然と言えただろう。


「……次だ」


 無常にも聞こえるミレイユの言葉に、恐怖すら覚える。

 三年の攻撃を躱すのには、流石のミレイユも激しい動きをしていた。それにも関わらず、相変わらず呼吸も乱さず汗も搔いていない。一体何をすれば突き崩せるのか、そもそも崩せるのか、という思いすらしてきた。


 勝てないまでも、こちらには人数がいる。

 数で攻め続ければ、いずれスタミナだって尽きる。削れ切れれば御の字だが、そうでなくとも息切れくらいは見せるだろう。そこからどれだけ食い付けるか、そういう勝負だと思っていた。


「うぉぉおああああ!!」


 他の三年の小隊が破れかぶれの攻撃を仕掛けるが、それが一番の悪手だ。理性を捨てた攻撃はミレイユに通用しない。

 予想どおり、あっという間に昏倒させられてしまった。続く小隊にも覇気がない。何をどうすれば良いのか、何が通用するか分からなくなっている。


 気持ちは分かるが、気持ちを途切れさせた者から脱落していく。

 見込みのある者は何度でも挑む限りにおいて対処してくれるが、その気概が見えない者は容赦なく沈めて来るのがミレイユだ。それをこれまでの観察から分からないというのなら、退場させられるのも已む無しに思えた。


 遂には三年という弾も尽き、床に死屍累々と転がる破目になった。

 途中から参戦した凱人中隊、そして復帰した漣中隊も混じっての攻勢となったが、結果は大きく変わらない。


 凱人はそのタフネスから戦力維持に一役買ったが、漣達の外向理術中隊は、そこへ組み込める程上手く機能してくれない。間隙をついて仕掛けてくれるのだが、威力不足もあって援護になっているとも言えなかった。


「……次」


 ミレイユの声が――余りに静かな声が訓練場に響く。大きく張った声でもないのに、恐ろしいほど正確に耳に届いた。

 一人また一人と離脱者が増え、支援班も治癒班も理力を使い果たして、ぐったりと倒れていく。既に立ち上がれる者は幾らもいない。


 荒く息を吐いてはいるものの、立っている者は誰の目にも戦意が漲っていた。

 ここまでやられて、ここまでやってもらって、不甲斐ない真似を見せられるか。それが彼らの胸中で渦巻く思いだった。その気持ちを原動力に動いている。


「……あぁ、残るべく者が残ったな」


 ミレイユが、ごく自然体でアキラ達を睥睨する。

 最後まで立って残っていたのは御由緒家の面々。即ち、七生と凱人、漣とアキラの四人だった。

 アキラ達は意志の力でその瞳を睨み返す。必ず一矢報いてやる、という気概が見えていた。


「……うん、私の好きな目だ。では最後まで残った褒美として、少々実践的な助言をしてやろう」

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