神と人の差 その11

 ミレイユの一言に、アキラは顔が引き攣るような思いがした。

 実践的な助言、と彼女は言った。今までも散々転がされてきたその事実が、何よりも雄弁に実践的な助言として語られていたと思う。


 周囲に気力も体力も、そして理力も使い果たして倒れる生徒達。

 治癒班も支援班すら、直接的な攻撃を受けていないのにも関わらず、気力も理力も使い倒されて体を横にしていた。中盤からは、まるでわんこそばの様に次々と送り込まれる生徒達を見て、愕然としていたのは見えていた。


 治癒しても治癒しても、途切れない負傷者というのは、悪態を吐くには十分な光景だったろう。

 支援班にしても同様で、味方への援護を飛ばさなければ刀を打ち合わす事すら出来ないのに、支援したところで一撃で転がされるのを幾度も見ている。


 それを常に周囲を四人に囲まれ、そして間隙なく攻撃を仕掛けられているというのに、顔色一つ変えずに捌いてしまうのが御子神様なのだ。

 アキラから見て、まるで魔法みたいだ、という感想が飛び出すくらいなのだから、他の者から見ても意味不明な光景だったに違いない。


 アキラは改めて目配せするように、立っていられる他の三人へ視線を向けた。

 誰しも未だ士気軒昂ではあるものの、体力と理力までは付いていかない。ミレイユの言う『実践的』な助言に何処まで食らいつけるか、そこに不安は感じていた。


 単なる汗ではないものが、額から流れていくのが見える。

 ミレイユは木剣を持っていない方の手で、小さく手招きしてアキラを呼んだ。


 自分か、という苦い思いを飲み込みながら、アキラは改めて木刀の柄を握り、細い息を吐く。そして再び息を吸うと同時に、一気に理力を練り込んで足を踏み出した。

 一瞬で狭まる距離、そして広がる視界。強化された動体視力は周りの動きを遅く見せるのに、ミレイユの動きは軽やかで何より速かった。


 振り下ろした木刀を流すのではなく受け止め、そして……来ると思った反撃が来ない。咄嗟に木刀を引いて更に打ち込めば、受け流すのではなく正面から受けられた。


 今までは一撃に対して致命的な一撃を返され、それで為す術もなく倒れるか転がされるかのどちらかだった。力の反発すら利用しているようで、反撃が何一つ上手くいかない。

 反撃に対するカウンターを狙った事もあるが、それにすらカウンターを合わせられて打ち負けた事がある。


 だというのに、今回のミレイユは打ち続ける事を許していた。

 何をするつもりにせよ、一撃で終わらせるような真似はしない、と言っているようであった。あるいはその防御に徹している間が、実践的な助言を意味するのだろうか。


 アキラは構わず攻撃を続ける。

 隙があると思えば打ち込み、またなければ隙を作るべく横へ動いたりフェイントを交えたりした。どれもが有効的だったとは言えないが、ミレイユから基本的に攻撃はして来ない。

 あるとすれば、それはアキラが明らかな隙やミスを見せた時で、その場合ですら躾けるような打撃があるだけで、打ち負かすような攻撃ではない。


 アキラが何度目かになるか分からない攻撃を繰り出し、また何度目かになるか分からない反撃で肩を打ち据えられてから、ミレイユが口を開いた。


「攻め所、守り所、堪え所、そして勝負所。その四つをハッキリさせろ。漠然と戦っていてはミスをするし、その誘発も出るだろう。よく考えて武器を振るえ。お前には、まずそれが足りてない」

「はい、ありがとうございます! 肝に銘じます」


 言われたことを念頭に置いて、アキラは木刀を振るう。

 しかし言われた事を即座に実行できるような小器用さがあるなら、アキラはこれまで苦労などしていない。ミレイユは困ったような顔をしたが、特に何を言うでもなく、今度こそアキラを打ち倒した。


 腹を薙ぐように切り払われ、呻いて膝を付いた所を蹴り飛ばされ、元の位置まで戻って来る。したたかに背中を打って息が詰まったが、もう動けないという程ではない。

 立ち上がろうとしたところで、そのすぐ傍にいた七生が押し留めた。


「え、ちょっと!? まだやれるって……!」

「違うわよ、今度は私をご指名だわ」


 アキラがミレイユへ目を向けると、確かにミレイユの視線は七生に向いており、アキラの時同様、小さく手招きをしている。

 それを見て、アキラは肩から力を抜いた。七生へ視線で謝罪して、それを笑みで返してミレイユへ向かって歩み出す。更に一歩動いてから、まるで前振りもなく七生の姿が掻き消えた。


 理力の制御を事前に見せない、瞬発的な操作だった。

 単に速いだけでなく、その練度が見事なのはミレイユに防御させた事でも理解できる。続く連撃による猛攻が繰り広げられるが、多くは躱されて防がれた。


 アキラと違い、一撃毎に一撃の反撃はなく、ミレイユに反撃を許す事なく攻撃を続けている。

 瞬発力とそれを許す制御力がなくては出来ない芸当だろう。先程ミレイユに助言された、攻め所と信じて打っているのかもしれないし、躱されても続けているのは堪え所と思っているからかもしれない。


 そして、この二人が相対して思うのは、その剣術が良く似ている事だった。どちらも身に着けているのが御影源流だからだろうが、七生の方が洗練されているように見えるのに、優位に立ち回っているのはミレイユだった。


 未だに有効だが一つもない事からも、勢いだけではミレイユの防御を抜けないのが分かる。

 そのミレイユが、七生に存分に打たせてから、反撃の一撃で木刀に絡めた。そこから一気に接近する事で木刀をスライドさせ、足を七生の踵へ差し込み、手首を捻って回転させる。


 転ばされる瞬間、七生は重心を中心に自ら回転して逃げ、側転を二度して改めて構え直した。

 ミレイユはそれを満足気に見つめ、木剣を目の前で掲げては上から下まで矯めつ眇めつする。刃の峰に指を添え、切っ先まで動かしてから木剣を一振りした。


「どこにでも技術はいる……堪え所には、技術が特に重要だ。勝負所には勇気、守り所には理性、攻め所に剣筋が、それぞれ重要になる」


 そう言ってから、ふと気づいたように困った顔になった。


「抽象的……あるいは感傷的過ぎて分かり辛いか?」

「いえ……はい、ちょっと。でも、言わんとしている事は分かります」

「……うん。お前は剣筋は良いのに、守りに重きを置き過ぎる。常に反撃を予期して安全を残した攻撃をするが、だからこそ勝負時を逃していた。守りを捨ててでも、その一撃を振るう勇気……それを持てれば、お前は更に伸びるだろう」

「はっ、はい! ありがとうございます!」


 七生が恐縮しながら頭を下げると、ミレイユは手を振って下がる合図をする。

 もう一度、頭を下げて言われるままに元の位置へ戻った。


 アキラは興奮に頬を紅潮させている七生を羨ましそうに、あるいは恨みがましく見つめる。アキラもミレイユに褒められたかったという欲が、今更ながらに湧いてきた。

 元より幾度も才能なしと指摘されてきたとはいえ、やはり承認欲求というのは抗いがたい。それがミレイユからの、となると尚更だった。


 ミレイユは次に、凱人へと目を向け手招きした。

 今や遅しと待ち構えていた凱人は、喜び勇んで駈けていく。ミレイユが構えると、凱人もまた両手を顎の下で身を縮めるように構えた。


「お願いします!」


 凱人が構えを変えぬまま、ミレイユへと突っ込む。それを迎撃するように木剣を横薙ぎし迎え撃った。凱人の身体が横に流されかけたが、それを耐えて更に一歩踏み込む。

 歯を食いしばりながら木剣を押し返し、また一歩踏み込めば、そこは凱人の間合いだ。


 下から抉り込むようなボディブローが、ミレイユの腹に突き刺さる。重い衝撃音が響いたが、ミレイユは拳と身体の間に、空いた手を差し込んでいた。

 凱人は構わず、もう一発打ち込む。角度を変え、腹から顎先へと狙いを移したが、それは小さく後ろに下がる事で躱されてしまった。


 間合いが離れれば凱人は不利だ。

 下がった分だけ凱人が近づく。顎先へとフェイントを加えつつ、本命の左で腹より更に下、太股部分を狙ったが、それも空振りに終わった。


 凱人は構わず殴り付ける。

 当たらないなら当たるまで、次々と乱撃を繰り返し、そして時に足を使って下段蹴りも繰り出すが、どれもいま一歩のところで当たらない。

 時に腕または手でガードさせる事は出来ていたが、それすら上手くいなされて衝撃を逃している。だから殴りかかった方の凱人が、逆に体勢を崩される事が多かった。


 ミレイユも剣と拳という違いでやり辛さを感じているかと思って表情を盗み見たが、そんな事はないようだった。剣での間合いとするには近すぎるが、しかし攻撃を受け切った後でその間合いを気にせず木剣を振るってくる。


 本来なら不利にしかならない攻撃だが、それをミレイユが繰り出すとなると、決して油断出来ない一撃となる。腕を小さく畳んで手首の返しだけで行う攻撃は、本来なら大きなダメージにはならない。精々牽制程度にしかならない攻撃が、凱人が受けた時は横へ吹き飛ばされる程だった。


 間合いが開いてしまい、ミレイユがその気になれば再びの接近は出来ない。

 凱人にもそれが分かっているから必死に喰らい付き、そして上下に振り分けた攻撃を繰り返す。顎先と思えば腹、腹かと思えば腕、左右どちらかへ集中しないよう、それさえ振り分けているというのに、致命的な一撃は一つとして刺さらなかった。


 ミレイユが突き出して来た凱人の腕を取り、蛇のように巻き付いて固定する。横合わせに密着するような形になり、そこから逃げ出そうと身を捻ったところへ、木剣が振り抜かれる。

 凱人は身を屈めて剣は避けたが、そこを待ち受けていたかのような膝が、凱人の顎を突き上げた。


 もんどり打って背後に倒れ、衝撃をそのまま利用して後転しながら立ち上がる。顎先は青く痣が出来ていたが、凱人は一つ拭うだけで再び構え直した。

 そこにミレイユが、木剣の構えを崩しながら口を開く。


「丁寧にやれ。……丁寧の意味が分かるか?」

「ハ……、意味だけなら」


 ミレイユが口にする言葉は、抽象的で捉えにくい。蚊帳の外のアキラも思わず眉を顰め、やはり質問の意図が掴めない凱人は、困惑した声を漏らした。


「辞典に載ってる意味が知りたい訳じゃない。……お前は少し、雑すぎる。もっと丁寧に」

「……申し訳ありません、やっているつもりでした」

「先に二撃目を決めてから初撃を打て。どう動くのか、動かすのか、躱したら、受け止めたら、それを考えきった上で攻撃しろ。それを丁寧と言うんだ」

「ハッ……! 金言、有り難く」


 凱人が姿勢を正して頭を下げる。

 ミレイユは一度頷いてから木剣を構え直し、早く来いと言う様に切っ先を上下に動かした。

 それで凱人も拳を打ち付け飛び掛かる。

 ミレイユが迎え討った初撃を地面にへばり付くように躱し、木剣を掻い潜って一足飛びに接近する。下から打ち上げるボディーブローは空を切るが、それを即座に戻して二の撃を打つ。


 手を差し込んで防御したものを、更に押し込むように動かし注意を向けたところで、視覚外からの上段の打ち下ろしが繰り出された。

 それすら身を捻って躱されると、押し込もうとしていた腕へ全体重を掛けた、瞬発的な一撃を放つ。体重移動が完璧ではなかったのか、タイミングの問題か、後ろへ飛ばす事は出来たものの、ミレイユはダメージを感じさせない動きで軽やかに着地した。


 ミレイユは自分の手の平を見つめて、面白そうに片眉を上げる。

 凱人へ顔を戻して満足気に頷くと、外へ出るよう手で示した。


「ありがとうございました!」


 凱人にしても会心の出来だったらしく、その顔は実に満足げで誇りに溢れていた。

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