街への遠征 その3
待っていたバスは、幾らもせずにやって来た。
前回出発してから二十分経っていたのが幸いし、走行経路とは逆向き――信号機の向こう側にその姿が見える。
随分早かったな、という気持ちでいると、バスが赤信号に捕まって止まる。
こうした事にヤキモキするのも、バス待ちでは良くある事だ。
懐かしい気持ちで隣を見ると、アヴェリンが不機嫌そうな顔をしていた。頭一つ分大きいアヴェリンを近くで見れば、自然と見上げる形になるので、帽子のつばを上げながら笑いかける。
「そんな顔をするな。幾らも待たずにやって来る」
「――いえっ、そんな子供じめた気持ちでいた訳ではありません。あれだけの巨体なので、突っ込んで来たら危険ではないかと思っただけです」
「……別にそんな危険は来ないと思うが」
「その危険を常に考えるのが、私の役目です」
異論はあったが、ミレイユはとりあえず頷いておく。
アヴェリンにはまだ、この世界における安全の基準を持っていない。これがあちらの世界なら、大型馬車一つで騒ぎにする事もないし、目線で警戒はしても声に出す事もない。
その基準を自身の中で構築されるまで、こういった事態は限りなくあるだろうが、あまり口煩く言うつもりもなかった。
結局、自分が納得しない限り、何を言っても無駄なのだ。
バスが目前まで近付き、速度を落として停車しようとした。
アヴェリンが自身の体をミレイユの前に滑り込ませ、背に庇う。空気の排出音に警戒し、それと共に扉が開くのを油断なく見つめ、開き切ってから聞こえるアナウンスに顔を向ける。
声の出どころを探し、それが人ではない事を不審に思いながらも確認し、そこでようやく背後を窺った。
「……当座の危険はないようです」
「ああ、そうだな。では乗車していいか? 運転手も待っている」
アヴェリンの背中を避けて乗口に向かおうとすれば、腕で制され止められた。
「いえ、私が先に。――ユミル、お前も警戒を怠るな」
「はいはい」
アヴェリンが鋭く視線を向けた先では、ユミルが気楽に手を振っていた。
危険性の有無について、ユミルは早々に見切りを付けたようだ。一応窺ってはいるようだが、それは危険というよりも好奇心で、乗口やその周辺にある電光案内などを気にしているようだった。
アヴェリンが足を掛け、手摺りに手を伸ばすも掴まず中に乗り込み、左右を素早く確認する。
ここのバスは中央が乗り口で運転手のいる前方に降り口がある。ミレイユとしては、運転手が困惑しているのが容易に想像できるが故に、迷惑になる前に動かねばならないだろう。
頭上からICカードを確認をするメッセージが聞こえてくるが、持っていないので整理券の方を取り出す。一枚抜けば、すぐ二枚目が出るので、それも取ってまだ中央で警戒しているアヴェリンの背を押す。
「ほら、整理券を受け取れ。そして前後どちらかに動いてくれ」
ミレイユは言いながら、運転手側と後部座席側を指差す。後ろにはミレイユの真似をして整理券を取るルチアが、乗口を上がれなくて困っている。
アヴェリンはミレイユの肩を抱いてルチアを中に招き入れると、後部座席の方を指差した。
乗客の数は疎らで座る場所に困る事はなさそうだった。そもそも五人全員座るようなスペースは最後尾しかないが、初めから二人が座れれば良い方だろうと思っていたミレイユとしては、近くに纏まって座れそうなだけ御の字だと判断した。
ルチアは素直に後部座席へと移動し、興味深そうに椅子と、その椅子の背部分に付けられた手摺りを見る。そしてようやくどこに座ればいいか振り返ってきて、更にアヴェリンが指示を飛ばした。
「一番後ろの端にしろ。ミレイ様はその隣に」
そして後ろを振り返って、乗車してくるアキラとユミルにも指示を出す。
「お前たちはルチアの前の座席にしろ。ミレイ様を囲むように座れ。何かあったら都度、対処する」
「そこまでする必要ありますか……?」
「あるかどうか分からん内は、私の判断に従え」
「――アキラ、いいから。今は言うこと聞いておきなさい」
アキラは二人に頷いて、アヴェリンの横を通って座席に座る。その隣にユミルが座ると、アヴェリンもようやく座席に座り、ルチアと合わせてミレイユを挟み込むような形になった。
「……若干、窮屈だが」
「狭い座席です。足を十分伸ばせるような作りになっていないようです」
「……うん、そっちの意味ではないな」
アヴェリンの意図は良く分かる。ルチアを壁際にしたのも、もし横から車が突っ込んで来るような事があっても、ルチア自身を盾にするつもりだからだろう。
アヴェリンがミレイユを挟み込むように座ったのもその延長で、ミレイユを守れる場所でありつつバス全体を見渡せる席だからだ。
前の座席に二人を置いたのも、いざという時の為の盾であり矛とする為だ。
過剰な反応だとは思うが、同時に理解もできる。
始めての乗り物、それに中途半端に広い空間、何事か騒ぎを起こしたければ起こせる密閉された空間というのは、アヴェリンに警戒させるには十分な要素だった。
とにかく、普通にバスに乗る分には問題など起こらない。
好きなようにさせて、満足させるのが一番だ。
ミレイユは小さく息を吐いて、帽子を深く被り直す。ツバの広い帽子ならば脱いで膝の上に置くのがマナーだろうが、左右は見知った二人だ。
気にせずバスの出発を感じ、風景が横に流れて行くのを見るともなく見る。
「わぁ……!」
隣のルチアが感嘆めいた声を上げた。
窓の外に視線が固定され、両手をガラスに当てている。まるで小さな子供がするような仕草だが、しかし彼女にはそれが妙に合っていた。
「結構、早いんですね。外から見る分には、もう少し遅く感じるかと思ってたんですけど」
「バスより早く走る人がよく言うよ……」
前方からアキラの呟きが聞こえて、ミレイユは小さく笑った。ルチアは気にも留めず外を見続けている。実際、アキラの戯言など気にならないのだろう。
外を歩く事はこれまで数回あったものの、気軽に楽しめる状況というのは余りなかった。
ここ数日は細工作りで缶詰状態だったし、家を出たと思えば昨日の出来事だ。
これぐらいの気晴らしが日常的に出来るようになれば、皆にこの世界を楽しんでもらう事も出来るのだろうが――。
今は何しろ金がない。
「世知辛いな……」
「何か仰いましたか?」
「いや、何でもない」
そうして、ルチアから目にするものを質問され、それを無難に回避したり解説したりとしながら時間を過ごした。
ユミルも同様にアキラへ質問をよくしていたが、むしろアキラを困らせる為にしていたようであり、終ぞアキラに安寧の時間は訪れなかった。
アヴェリンの視線は常に前方へ固定され、入ってくる乗客に一々睨みを利かせていたが、トラブルに発展することもなかった。人によっては、その美貌に見つめられて非常に気まずい思いをしていたようだ。
バスが曲がり、大きな通りに出たかと思えば、今度は見渡す限りの草原が見えてきた。
「突然、何もなくなりましたね……」
「そうだな、見渡す限り草ばかりで、花や木もないしな……」
ルチアの呟きにミレイユも同意する。
建物が一切ない訳でもないのだが、町と街の境い目、開発に取り残された区画がここだった。長い道路の間に中古車ショップや土建の会社などチラホラと見えるくらいで、自然が残るというより寂れた風景を感じさせる。
道も一本、草原を縦に大きく貫くばかりで他に見るべきものもない。
精々、遠くに見える山や、そこにかかる雲に思いを馳せるしかなかった。
しかしそれも、五分も走れば過ぎ去るもので、すぐに都会の雰囲気を見せる繁華街が見えて来る。街の入り口にはパチンコ店などを含む複合センターなどもあって、牛丼のチェーン店や正規カーディーラーなど有名店が軒を連ねる。
ルチアの視線は再び窓の外へ釘付けになった。
そこで、ミレイユはふと思い立って、アキラに声を掛けた。
「そういえば、アキラ。質屋は駅前にあるのか?」
「え、何です、突然?」
前の座席から身を捻って顔を向け、驚くような呆れるような顔を見せた。
「いや、私の知る限り駅前にあった筈なのだが、よくよく考えてみると、私の知る日本と随分違うと思い出した。ここまでの風景も、似ている事には違いないが、やはり違うところもある。行ったところで違う店になってる可能性も……」
「調べます」
アキラは真顔になって正面を向いた。
ポケットからスマホらしきものを取り出して、操作を始める。それを後ろからルチアが羨ましそうに見つめ、隣からユミルが自分にも使わせろと手を伸ばしている。
「ちょっと、やめて下さいよ。調べれないじゃないですか」
「そういう楽しそうなコトは、アタシにやらせなさいよ。大丈夫、やさしく扱うのは得意よ。色々とね」
「……いや、駄目です。困ります……!」
手をあちらこちらと伸ばしてユミルの追撃をかわそうとするが、地力の違いか、すぐに奪い取られてしまった。情けない声をだしてスマホを目で追い、手を伸ばそうとするが、パントマイムのように手が空中で止まる。
見えない壁をぺたぺたと触る様子は熟練の技術を感じさせるが、これは本当に見えない壁が張ってあるだけだった。本気で殴ればアキラであっても破壊できるような厚みしかないが、今の状況ならそれでも十分効果がある。
壁をどかそうと引っ張るような押し込むような動作を見せるアキラに、ミレイユは声を殺して笑う。
「……あの、ミレイユ様? 笑ってないで助けてくださいよ」
「面白いから、もうしばらくやっていろ」
「嫌ですよ……! ひどい、ひどすぎる……」
ついには諦め、泣き真似までして椅子に座り直した。
ミレイユはその様子を目で追い、やはり喉の奥で笑い声を上げながらユミルに釘をさす。
「遊ぶのも結構だが、調べてなければ後で怖いぞ」
「えぇ、大丈夫。そこはほら……アタシだから」
「納得できる答えをありがとう。――アヴェリン、後で殴る準備しておけ」
「お任せください」
「やるってば。ちゃんとやるわよ!」
「そうである事を願うよ」
スマホから目を離さないユミルの後頭部に言葉を投げながら、窓の外に目を向ける。
流れる風景はよく知るものではあるものの、やはりどこか違っている。区画であったり道の形や本数は同じなのに、そこに並ぶ店の名前や形は知らないものばかり。
例えば数十年ぶりに故郷へ帰ってきた心境、という感じが、最もしっくり来る気がした。
不思議な気持ちなまま街中を見つめ、そして都合三十分に満たない時間で、とうとう終点に到着した。
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