街への遠征 その2


 それから、アヴェリンの方から一方的にアキラへ明日同行するように申し伝え、その日は眠りについた。翌日は朝から風呂に入って身嗜みを整え、朝食を済ませた後、箱庭から出る。

 そこには手持ち無沙汰でソワソワと待っていたアキラが、既に疲れを滲ませた顔で迎えてくれた。


「おはようございます、ミレイユ様、それに皆さん……。これから、同行しろとしか聞いてないんですけど、一体どういう?」

「おはよう、アキラ。……うん? 何も聞いてないのか?」

「ええ、幸いなのか何なのかどうかは知りませんけど、とにかく聞いてません」


 疲れた様子なのは、朝稽古のせいという訳ではないようだ。

 渡された水薬は服用しているようで、身体的な問題はないように見える。となれば、内容を薄々感付いているのかもしれない。

 期待に満ちた様子がないのはよく分かる。おそらく懸念材料の多さ故に、内容を聞かずとも碌でもないと察しがつくのだろう。

 その察しの良さには報いねばならない。


「これから街に出かける。質に入れて現金を手にする為で……つまり、遠征のようなものだ。お前にはその世話を任せる」

「あ、お腹……、お腹痛くなってきた……」


 急に顔を青ざめさせたアキラは、急に死んだ目を浮かべて腹を抑えた。

 仮病のようには見えないが、しかし本気で調子を崩しているのだとしても、ミレイユとしては逃がす気など更々なかった。


 その細くとも鍛えられた腹に魔術を当てながら、にっこりと笑む。


「今から腹をふっ飛ばされるのと、癒やされて一緒に着いて行くの、どっちがいい?」

「……それ、選択肢になってるんですか?」

「選ばせてやってるんだ、選択肢になっているに決まってる」


 青い顔を更に青くさせて、ぶるぶると震えながら、悲壮感を湛えた顔でアキラは頷く。


「いっそ楽に……」

「――ああ、癒やされて一緒に着いて行きたいんだな? 物分りのいい奴だ」


 言葉を遮り、ミレイユは魔術を行使する。

 手の平から溢れる白い光が一気に膨れ上がり、アキラの腹を中心に広がる。光は三秒と待たずに消えたが、光の奔流から開放されると、アキラの顔色は目に見えて良くなっている。


「さぁ、これで万全だな。憂いなく着いて来るといい」

「いや、なんか凄い体調だけは良いですけど、気分は滅茶苦茶良くないです」


 顔色が良くなったのも束の間、また顔色を悪くさせて肩を落とした。

 そこにアヴェリンから声が掛かる。


「往生際が悪いぞ。単なる案内だ、理不尽な要求という訳でもない。何よりミレイ様が望まれたこと、快く引き受けろ」

「うう……、はい」


 やはり悲壮感を滲ませて頷くアキラに、ミレイユも内心で同意する。

 絶対に面倒事を引き起こすと分かっているのに、案内役を引き受けたくはない気持ち、よく分かる。何も当人に暴れたり騒ぎを起こすつもりがないと分かっていても、騒ぎのような事態に発展するだろう。


 特にアヴェリンとユミルは何かと反目しがちだ。

 右に行くか左に行くかというだけでも、逆のことを言い出して収拾がつかなくなる。それを宥めてどちらか選べば、今度は別の事で反目し合う。さっきはどちらが優先されたのだから、今度はこっちが選ばれるべき、と言う理屈が、お互いに納得いく形で収まる事はまず起きない。


 これを御する事は、ミレイユもとうに諦めている。

 とはいえ、どこかで止めないといつまで経っても進めない。

 想像するだけで頭が痛くなるが、起きる問題はそればかりではない。


 ルチアもまた面倒事を起こすという意味では同様で、とにかく色々な事を見ては質問を繰り出してくる。説明すればいいだけではあるのだが、その実、説明役というのは難しいものだ。

 生活の中では、意味が分かって使っているものと、構造まで理解して使っているのとでは話が違う。蛇口から水が出る理屈を、一から十まで問題なく説明できる人間は少ない。

 だが、ルチアが求めるのはそういう問題であることが多い。

 聞かれてみると、いかに自分が無知であるかを知らされるのだ。


 ミレイユは意外と答えられることが多いが、それでも濁して伝える事も数多くある。

 街中に入れば質問攻めに遭うだろうことは想像に難くない。ミレイユにしても今から憂鬱だが、それを半分でもアキラが受け持ってくれれば随分と楽になる。

 許せよ、とアキラに静かな眼差しを向けてから、玄関口へと顔を向けた。


「バスで行く予定だが、時刻までは調べてない。……だが、それほど待たずに済むだろう?」

「日曜のこの時間ですから、街に行くバスならそこそこあると思います。最悪でも三十分は待たされないかと……」

「うん。それぐらいなら、まぁいいだろう」

「しかし、わざわざミレイ様を歩かせる上に待たせるとは……。あちらなら、馬車は呼べば自宅まで迎えに来たものだが。こちらにそういう御者はいないのか」


 アヴェリンが不満を滲ませながら言うと、ユミルが呆れたように言った。


「馬鹿ねぇ。昨日だって見たでしょ、馬車なんて一台も走ってないんだから。車に対して馬車は大きすぎるし、誰だって車持ってるんだから。馬車なんていらないし、御者もいないんでしょ」

「いえ、そちらが言う似たようなものに、タクシーなんてサービスもあるんですけど」

「たくしぃ?」


 ユミルが不思議そうに首を傾げれば、訂正を口にしたアキラが説明を続けた。


「はい、自宅まで迎えに来てくれて、目的地まで運んでくれる車のサービスです」

「あら、いいじゃない」

「でも問題が……」

「へぇ、問題?」


 アキラが難しい顔をした事で、ユミルは逆に好奇心が刺激された。


「……ええ、つまり、お金が掛かります」

「はぁ? それだけ?」


 問題はお金だけ、と聞かされたユミルは、途端に興味を失ってつまらない顔をする。

 アキラは苦い笑みを浮かべたが、同時に問題の根幹を理解してないことも察した。


「バスと比べて何倍も値段が変わって来るんですよ。目的地が遠ければ、その分値段が上がっていきますし……」

「遠い場所を指定すれば、その分値段が上がるのは普通じゃない?」

「いや、はい、それはその通りなんですけど……」


 見兼ねたミレイユが、しどろもどろになったアキラに代わり口を挟んだ。


「タクシーの値段というのは、学生からすると尻込みしてしまうような値段という事だ。特に裕福でもないなら、バスより自転車を使う方が多いぐらいだ」

「ですね。一人で街まで出る場合は、やっぱり自転車使いますし」

「そのジテンシャって何です?」


 更に横から疑問を飛ばして来たのはルチアだった。

 そら来た、とミレイユは密かに口許をヒクつかせる。一つ疑問が浮かべば、芋づる式に疑問を浮かべ質問攻勢へと移る。自転車の形が分かれば、そのシンプル故の構造に興味を抱くだろう。

 出掛けようというのに、これからその説明をしていては、いつまで経っても外に出られない。

 ミレイユはルチアの質問を、身体を玄関口に向ける事で遮った。


「その質問はまた今度にしてくれ。今日はどれだけ時間が掛かるか分からない。ここでずっとこうしているつもりか?」

「……そうですね。今日は外でしか見られないものが沢山ある訳ですし、そっちを優先した方がいいですよね」

「そうだな……」


 お手柔らかに、と心中で願いながら、ミレイユは玄関で靴を履こうと向かう。

 そこでアキラから待ったが掛かった。


「ミレイユ様、ちょっと待って下さい。……そのまま行くんですか?」

「……ああ。何か可笑しいか?」


 ミレイユは言いながら、自分の体を腕を広げて見下ろした。

 以前買ったものそのまま、別に改造もしてなければ魔術を付与もしていない、こちらの世界現製品だ。やはり防御系の魔術秘具を用いているが、これはアクセサリーとしてそこまで可笑しくない筈だ。少々無骨過ぎるきらいがあるから、そこが浮いて見えてしまうのかもしれない。


 アキラはそれをマジマジと見つめてしまい、よく似合う格好に顔を赤くする。咄嗟に手を顔の前で横に振って否定した。


「いえ、格好自体はとっても良く似合っています。そうじゃなくて、頭に被るような物があった方がいいかと……!」

「必要か……?」


 ミレイユは外を見ながら頭頂部を擦った。

 天気はいいが春の日差し、日射病になるような気候とは思えない。強くはないが、風もあるようだ。風向き次第では、邪魔になりそうですらあった。


 しかし、アキラは自らの言を曲げず、断固として言い放った。


「――絶対に必要です。頭に被る物というより、顔を隠せるようにするものが絶対いります」

「うん? そっちの意味でか? 日差しじゃなく」

「はい。ミレイユ様の顔を他の人が見たら、絶対に騒ぎになります。街中に出たら、もう動くどころじゃないです。下手すると、交通整理が必要になるレベルで騒ぎになります」

「……そこまでか?」


 ミレイユが頭に当てていた手を頬に当て、不思議そうな顔をしながら擦る。

 吸い付くような肌、という表現が的確な程のハリを見せる頬をぺちぺちと叩きながら唸る。


「まぁ……必要だというなら、そうするか」

「ご理解いただいて何よりです……」


 アキラは明らかに安堵した表情で息をついた。

 ミレイユにとって、オミカゲ様に似ている顔というのがどの程度なのか知らない。しかし有名人とのそっくりさんだと思えば、変に声を掛けられて面倒な思いをする事は想像できる。


 ミレイユは素直にアキラの助言を聞き入れ、ユミルに悪戯っぽく笑って言った。


「そういう訳だから、お前の帽子を貸してくれ」

「恐ろしいこと言うわね。素直に自分の使いなさい。――アヴェリ~ン、取ってきて」

「何故お前に命令されなければならんのだ」


 キッとユミルを睨んで言って腕を組む。

 だが、次いでミレイユと視線が合わさり、頷きを返されては素直に従う以外に選択肢はない。

 アヴェリンは一礼してから箱庭へ向かう。


「では、とって参りますので、少々お待ちください」


 箱庭の中に消えたアヴェリンを目で追い、その箱の蓋が閉まっていない事を確認して安堵する。

 先日、急を要するとしてルチアに作らせた支え棒は、正しく機能しているようだった。誰かが入れば自動的に閉まるようになっているが、これは別に侵入者対策ではなく、遊びに近い機能だった。

 ミレイユが認証してやらなければ入り込む瞬間に手を差し込んだとしても、中に入る事は出来ない。では何故勝手に閉まるのかといったら、機能美としてあれば嬉しいと、作った神が思ったからなのかもしれない。


 そんな事を考えながら待っていれば、幾らもせずにアヴェリンが帰ってきた。

 恭しい手付きで帽子を捧げ持ち、ミレイユに手渡す。


「お待たせしました。どうぞ、ミレイ様」

「あー……、うん。では行こう」


 ありがとう、と感謝を口にしようとして、ミレイユは咄嗟に誤魔化した。

 アヴェリンは簡単に礼を言われる事を嫌がる。主従の関係において、礼を言うような事は限られていると考えている為だ。だが、それでも言える場面は多くなく、例えば身を挺して守った時などが、それに当たる。

 しかし、その場合であったとしても、感謝というより大義であるなどと言う方が好まれる。

 臣下といて主の命と安全を守るのは当然の責務であって、褒められこそすれ感謝されることではないからだ。


 とにかく、アヴェリンから特別その事に関して指摘がなかったことに胸を撫で下ろした。

 アヴェリンは、これらの事に余程強い思い入れがあるらしく、説明されると実に長いのだ。


 帽子を脇に抱えて外に出て、階段を下りてから帽子を被り位置を調整する。

 後から続いて出てくるのを、帽子に手を当てて見やって、それから遠く青い空に目を移した。

 今日は午後から暑くなりそうだった。

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