第二章
街への遠征 その1
ミレイユは今、自らの思考に頭を悩ませていた。
昨晩のこと、日が暮れるよりも少し前、まだ明るさが幾らか残る時間帯、不思議な感覚がよぎり不思議に思った。
ルチアにも同様の感覚があり、確認しようと箱庭を出て、それが確信に変わった。
何かしらの異変があるのは確かであり、それを実際にどういうものか目にしようと、アキラを伴い行った先で結界を見つけた。
結界の出現との存在、そして、そこから現れ出る魔物。
仮説はあるものの、情報が足りず、だから推測の域も出ない。それでも思考は悪戯に空回りにする。
あの“
見た覚えどころか良く知る魔物の存在、それは一体なにを意味している。あちらとこちらが繋がっているなら、それはいつから起きている事だ。
それよりも問題は、一体誰が、何の目的で、それを行っているのかという事だった。
偶然の産物とは考え難い。
ならば誰かが目的を持って行っていると推測するのが妥当で、そしてそれがミレイユ達のいる場所近くで発生しているのは、果たして偶然なのだろうか。
――何者かが狙い撃ちするように、ミレイユ達を害そうとしている。
そのように考えてみた事もある。だが、それだと決定的に矛盾するのが、敵の強さだ。
殺したいと思う相手に水鉄砲を向ける奴はいない。これの中身が硫酸などの劇物ならばまだしも、せいぜい泥水と言える程の物でしかなかった。
嫌がらせにはなっても、傷つけることは出来ない。
ならば嫌がらせが目的なのか、と思っても、その為に行うというには手段が馬鹿げているように思う。嫌がらせがしたいだけなら、他に効果的な方法など幾らでもある。
それに個人的に狙うというなら、前回の位置はミレイユ達から離れすぎていたと思う。
狙いが外れただけと考えることも出来るが――。
つい考え込みそうになるのを、ミレイユは意志の強さで外に追いやる。
考えすぎては沼に嵌る。いま考えて答えが出るものでもない。
だが同時に、思考が横滑りして、何か考え事に没頭しようとするのを妨害するような動きもある。
それと言うのも、原因は周囲の環境にあった。
いま、ミレイユは屋外でバスの到着を待っていた。
先日ファッションセンターで買った洋服を着こなし、大きなツバ広帽子を被って顔を隠している。外に出るなら必要だと、アキラに強く押されての事だった。
ミレイユの隣には定位置となっているアヴェリンがいて、その横にルチアが興味深げに時刻表を見つめている。その更に横にはアキラが迷惑そうに顔を引く付かせ、最後尾のユミルがアキラにちょっかいをかけていた。
今ミレイユたちは、その全員が余所行きの服装に身を包み、街の方へと繰り出そうとしていた。
――あの結界と魔物に遭遇した翌日。
アキラの疲れと緊張が解けたのを見て、作った細工品を質に持っていこうという話が出たのだが、誰がミレイユに着いて行くのか、そこでまた一悶着が起きた。
「――私だ。当然、このアヴェリンが着いて行く。お側を離れず、御身を守り、永遠の忠誠を誓うと誓言した。ここにそれを他にした奴がいるか? なら話は終わりだ」
「暴論ですよ! それに誓言の解釈を身勝手に使いすぎです。それは何も、本当に一度として傍を離れないって意味じゃないですからね! 物理的な距離の話じゃなく、気持ちの問題でしょう?」
「そうよ。臣下としての忠節と意識の距離の話であって、寝る時だって傍にいるという話じゃないワケ。アンタがそれを知らない筈ないじゃない」
「えぇい、うるさいうるさい!」
アヴェリンは手を団扇のように振って、二人の言い分を否定した。
まるで物理的に遠ざけようとするかのようだが、場所は邸宅の談話室。誰もがクッションに身を沈める中、それが成功する筈もなかった。
呆れた顔をしてユミルが言う。
「大体アンタ、何か都合の良いように言い訳して、あの子と二人きりで出かけたいだけでしょ?」
「――は? 意味が分からん。お前を永遠に遠ざけたいとは思っているが、二人きりでなんてむしろ不敬だ。思う筈もない。変な言い掛かりはやめてもらおう」
「あら、そうなんですね。じゃあ、私が一緒なのは問題ないと」
「――は? 意味が分からん。それで何でお前を容認する事になるんだ? 世迷い言は寝てから言え」
その一言には、流石のルチアも耐え兼ねた。
ミレイユに顔を向け、白魚のような指をアヴェリンに突きつけて声を荒らげる。
「ちょっと、ミレイさん! あんなこと言ってますよ! ひどい暴論です!」
「何だ、その子供が親に言いつけるような有様は。何年生きてるんだ、お前は」
アヴェリンの言い分に少しの間動きを止めて、改めてルチアが言った。
「ちょっと、ママ! あんなこと言ってますよ! ひどい暴論です!」
「何でそっちの方向で言い直すんだ。大体、そのママ呼びは止めろ……」
ルチアの見た目は十代半ば、その容姿だけで見れば、あるいはママ呼びは自然かもしれない。だがこの四人の中で二番目に長く生きてる事実を知っていれば、許容できる筈もない。
とはいえ、仮に何歳であったとしても、やはり許容しなかったろうが。
ミレイユは面倒臭げに腕を振って、より深くクッションに身を沈める。
「誰が行くかで揉めるなら、最初から私一人で行く。むしろ、当初はそのつもりだったんだから、それでいいだろう」
「ですから、御身一人で出歩くなど、あってはならないと話した筈です!」
「それ言うなら、別に護衛が必要な身分でもなければ、か弱い乙女でもないでしょ」
「そもそもですよ、実利の面で考えて欲しいんですよ。護衛はいらなくても商人に解説し、それを元に交渉する役は必要ですって!」
ルチアは片手を広げ、もう片方の手を自分の胸に当てて力説する。
それを見たアヴェリンは眉を上げ、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「……交渉役?」
「そうですよ。まさしく、それ以外には見えないでしょう?」
「ああ、確かにどこから見ても交渉役って感じだな。――却下だ」
「なんでアヴェリンが却下するんですか、納得できないですよ!」
ユミルがやれやれと首を振って、ソファに身を沈めた。長い時間が掛かりそうだと、傍観する構えに入ったようだ。
ルチアはめげずに食って掛かろうとしたが、ふと冷静になって半眼になる。
「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。これ、前にも同じようなこと話してませんでした? 何度繰り返すんです、この会話」
ルチアが呆れたような声を出せば、ミレイユも疲れたような顔で頷く。
「そうだな。じゃあ、私が一人で行く」
「駄目です、そんなの。認められません」
「あらら。まるで、イヤイヤ期の子供じゃないの。ちょっとママ、躾はちゃんとしなさいな」
「だから、やめろって……」
ミレイユは額に手を当てて溜め息を吐く。
疲れた顔で眉間を揉んで、それから顔を上げて一同を見渡した。
「全員で行く。……それでいいな?」
「そうですね。まぁ、お一人で行くというよりマシですし……」
アヴェリンが渋々と認めれば、他の面々も頷いて見せる。
最初からこうすれば面倒がなかったな、とミレイユは思ったが、ちらりとユミルへ視線を向ければ満足そうな顔をしている。
最初からこういう展開になるのを望んでいたようだ。
一人で行かせてもいいと言いつつ、本当に一人で行くと分かれば徹底的に抗戦するつもりだったのかもしれない。
「面倒くさい事になった……」
「あら、そう? アタシは楽しみよ。こっちの娯楽にも興味あるのよねぇ」
「……変なところには行かないぞ」
「その『変』がアタシ達には分からないのよ。面白そうな場所なら、とりあえず行くわよ」
「まったく……。どこか知らないところで下手な事をされるくらいなら、まだ目の届く範囲でやられた方がマシか……」
ルチアとユミルの未知への探究心は日に日に増していくばかりで、知らない物にはとりあえず飛びつく癖が身に付きつつある。
その探究心とも好奇心ともつかないものが満たされれば、途端に興味を亡くすので、ある程度付き合ってやれば満足してくれるのだが、それまでが長いのだ。
こちらの世界に慣れれば、そのような事も減っていくのだろうが、その兆しがまだ見えない今、好奇心を刺激するであろう街中へは連れ出したくない、というのが本音だった。
あるいはひと月ぐらい、こちらの生活に慣れた後なら。あるいは一般的な知識を身に着けた後なら、そうした場所に連れ出すのにも不安は随分と薄れると思う。
だが、今の反応を見る限り、まずミレイユが一人でそういった場所に行くと分かれば、着いて行こうと必死に抵抗してくる。
無理を通せば、後で何を要求されるか分からない。
ミレイユは諦観にも似た思いで天井を見上げた。
幸い、明日は日曜日。アキラも日中から自由に連れ回せる。仮に予定があっても、こちらを優先させようと心に決めた。
あれがいれば、少しは負担が軽減されるだろう、と目論みながら。
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