幕間 その2

「随分と珍妙な格好をしているが……」

「格好に惑わされるな。特に帽子を被った女性……、あれは危険だ」


 七生が険しい顔で指摘して、他の面々も同時に注視する。

 強い力を持つと分かるが、それがどれ程なのか迄は分からない。薄ら寒いものを感じていると、紫都が緊迫した声を上げた。


「結界を解析された。もうあれは、牢としての役割を果たせない。あの銀髪がその気になれば、いつでも自由に解除できる」

「……それ、不味くねぇか?」

「とても不味い。それに――」


 言っている間に、集まった女性達が結界内に入っていく。

 銀髪の女性はそれを見守り、最後の一人になっても結界内に入ろうとしない。それどころか、その場で待機して油断なく周囲を見張っている。


「侵入された。中には土鬼しかいないし、あちらの戦力は未知数だけど……何するつもりで来たのか不明」

「武器を持っている以上は、戦闘するつもりで来たのだと思うが……。七生、未だに待機でいいんだな?」

「ええ、命令に変更なし、待機のまま」


 七生はヘッドセットのマイクに口を当てながら答えた。

 その拳は固く握られ、幻像の奥を睨み付けるように窺っている。


 そうして動向を伺っていると、入った四人のグループは入り口で待機して何やら物言いを始めた。魔女帽子を被った女性など、どこからか出した椅子に座って寛ぎだす始末で、七生はどう反応していいのか迷ってしまう。

 握っていた拳もすぐに解けた。


「え、なに? 何なの……? 何してるの、この人たち」

「鬼を前にして、椅子に座る奴なんているのか?」

「大体、あれどうやって出したものだ? 生成か? 変性か? 召喚か?」

「早すぎて分からなかった。制御力が桁違いで、どうやったかすら不明。でも、理力を持ってるのはこれで確認できた」


 紫都の意見に七生が反応する。顔を向けて、その肩を掴む。


「確かか?」

「間違いない。見た目はああだけど、間違いなく理力を使った制御だった。あの人はオミカゲ様より力を授かった人」

「マジか……。じゃあ、敵じゃないんだな?」


 漣が呟けば、紫都は首を横に振る。


「そうとは限らない。あれだけの制御力を持つ人が、私達御由緒家の誰も知らないというのは、まず異常。正体不明、理解不能という相手には変わりない」

「……そうね。宮司様はきっと、この情報が欲しかったのよ」

「そういうことかよ……」


 漣の納得とは逆に、凱斗は疑問を呈した。


「この正体不明のグループの、尻尾を掴みたかったという事か?」

「そこまでは分からないわ。今はただ、これを最後まで見届けましょう」


 七生の言葉に、全員が頷きを持って返す。

 そして見守る幻像の中では、たった一人だけ刀を振り回して戦っている。土鬼相手に苦戦という程ではないにしろ、善戦してはいるようだ。


「……なんだ、戦闘は素人か? つまり戦いにでも来たってか? 武者修行的な」

「見ている限りは、そのように見えるわね。入り口辺りで待機してる三人なんて、明らかにやる気が見えないけど」

「戦っているあの一人だけが、素人なのかもしれん。他のメンバーは高みの見物で、早く終わらせろとでも思ってる感じだが……」

「……変な集団ね。目的が見えないわ。まさか、本当に武者修行させるのが目的な訳ないでしょうし」

「……不可解」


 それぞれが観戦を見守りながら好き勝手口にする。

 二度ほど攻撃を許すような状況もあったものの、戦い自体はあっさりと決着が付き、肩で息をしながら呆然と立つのが見えた。

 戦闘中の動きと、この光景を見るに、どうやら本当に戦闘は初めてだったらしい。


「おい、マジで素人だったのかよ。何しに来たんだ、コイツら。結局あの三人は最後まで動かねぇし……」

「まさか、ないわよね。本当に武者修行的な扱いで、ここに来たなんて……」

「いや、だが状況だけ見ると――待て!」


 凱斗が困惑した声で七生に応えていた時だった。

 刀を持った女性に、他二人が労いに来ていたような状況で、孔が一際大きく鳴動した。そして幾らもせず中から孔を引き裂くようにして、大きな鬼が姿を表す。


「あれって……!」

「おい、あれ不味い、シャレにならねぇぞ!」


 孔から出てきた鬼は、元戻鬼と呼ばれる大鬼だった。

 大抵の傷は見る見る内に塞がってしまうし、その巨躯から繰り出される攻撃はコンクリートぐらい簡単に砕く。一撃でコンクリートの壁を粉砕し、車すら圧壊させた光景は何度も見てきた。

 知能は低く、暴れる事しかしないが、その暴れる動きを止める手段が難しい。

 傷を与えるには切り裂いて傷口を燃やすのが有効なのだが、それすら時間を与えれば塞がってしまう。動きを止めようにも巨体ゆえ難しく、足を狙おうにも巨体を支える足だからこそ堅固で傷すら付けられない。

 ダンプカーに使うタイヤのようだ、といつか漣が言っていたのを、七生は思い出していた。


「流石にあれは、傍観していちゃ不味い気がするわ」

「許可は取らなくていいのかよ?」

「今から取るわ――あ!」


 七生が思わず声を上げたのは、言い合いを始めた二人に元戻鬼が飛び掛かったからだ。

 大きく振り上げた拳は重機のハンマーのような一撃になる筈。未だに警戒すらせず、呑気に言い合いをする二人がトマトのように潰れる光景を幻視して、思わず顔を顰めた。

 しかし――。


「……は?」

「な、なんだ、何が起きている?」

「潰れるだろ、普通? 何で平気な顔して立ってんだ?」

「……理解不能」


 幻像の向こうにある光景が理解できなかった。

 片腕一本、盾一つで、あの大鬼の巨腕の一撃を受け止めている。コンクリートを砕き、車さえ圧壊させ時に両断さえする一撃を、まるでボールを受け止めるかのような気軽さで受け止めたのだ。

 頭が理解を拒むかのような光景だった。


 防御に特化した理力を扱う凱斗であっても、同じ事をするのは不可能だ。しかもあれは、理力を用いない純然たる身体能力から来るものだ。

 凱斗が憧れる、内向理力の理想系がそこにあった。


「まさか、そんな……!」


 その呟きは盾で受けた防御だけではなく、続く反攻にも掛かる事になった。

 打ち崩すことが出来ない下半身をたった一撃で態勢を崩し、あまつさえ横倒しにした相手へ腹部への一撃で昏倒、更にもう一方が頭部へ理力による雷の一撃。念を入れたもう一撃で、完全に沈黙させた。


 まるで子供をあしらうかのような、あまりにも他愛ない決着だった。

 ここにいる御由緒家は同年代の誰より優秀だ。だからこそ御由緒家でいられる。しかし、その四人をして、この二人の足元にも及ばないことは、この光景を見れば理解する。

 いや、理解せざるを得ないのだ。

 自分達の実力をよく知るからこそ、あの者らが隔絶した能力を持っていて、そして全力の一割も見せていないのだと。彼我の実力差を認めないではいられない。


 凱斗は口の中が乾いているのに、今更ながらに気付いた。


「これか……。これこそ知りたかった光景なのか? この情報を持ち帰れと……」

「なるほど、そりゃ俺たちがいる訳だ。いざとなった時の足止めじゃ、他の誰だって力不足だろうよ」

「私達でも同じこと。あの人達が全力で向かってきたら、果たして足止めが叶うかしら」

「命をかけて、それで三分の賭け、そんなところだろう」


 絶望的な数字は、それでも甘く見据えてのものだろう。実際にはそれより低くなるだろうと、この場の誰もが理解している。

 後は相手が敵対的でないことを祈るしかないのだが、果たして……。


 元戻鬼が倒され、結界が消えた後の事だった。

 どうやってこの場から見つからずに去るかを検討していた時、あのメンバーの一人がこちらに顔を向けた。誰もが幻像を見ているなか、咄嗟に凱斗が気付いたのは偶然でしかなかった。


「皆、伏せろ!」


 掛け声に不満はなく、誰もが同じように屋上の床に身を伏せる。

 紫都の作った幻像も消され、じっと息を潜めて時がすぎるのを待つ。視界に相手を入れつつも、視線を合わせるような愚は犯さない。

 高い実力を持つ者ならば、二百メートルの距離差など何の慰めにもならない。


 暗闇の中、そして距離も高低差もあればこそ、見つかりはすまい、と思っていた。

 そしてそれはどうやら事実でもあったようで、暫くしてから細心の注意をしながら窺っても、既に気配はなくなっている。

 気配だけでなく姿も見えなくなっているが、この距離なら住宅地の中に入り込まれてしまえば、もう所在は分からない。


 凱斗は声を出さずに手だけで立つように示し、自らもより中心部分へと中腰のまま移動する。

 そして安全圏だと分かる所まで移ると、そこでようやく息を吐いた。


「ここもいつまで安全か分からん。あちらはこっちを注視してたが、見つかってはいないと思う」

「今は姿はもう……?」

「ああ、見えないが、これは単に移動して帰投したのか、それともこちらに接近しているのかも分からん状態だ」

「じゃあ、急いでこの場を離れる必要があるわね」


 緊迫した雰囲気で七生は全員を見渡す。


「この場から離脱します。最悪の場合、今の幻像を再生できる紫都だけは生きて帰す事を優先させる。そのため、先頭は紫都に。後続は足止めとして、都度切り離して置いていく」

「そんな!」

「必要な事よ。何の為の御由緒家か、さっきそういう話をしたでしょう?」


 悲壮な顔をした俯いた紫都に、七生は優しく肩を撫でる。

 そこに漣も凱斗もまた、明るい声で胸を叩いた。


「なに、別に殺されるって決まった話じゃないぜ? 知らぬ存ぜぬで切り抜けられるかもしれねぇし、そもそも戦闘にだってならないかもしれねぇんだろ?」

「ああ、だから最後尾には俺が着く。仮に戦闘になっても、それが最も成功の公算が高い。七生、どうだ?」

「――ええ、任せるわ。次に私、そして漣よ」

「おい、待てよ」漣は不満を顕にする。「俺が二番手だ。切り離されるなら、先に俺だろうが」


 漣は己を親指で指す。

 明らかに自己犠牲を多分に含んだ台詞だったが、七生はそれを切って捨てた。


「勘違いしないでね。私はこの任を全うさせる為にいるの。見栄でも自己顕示欲の強さでもなく、能力を勘案した結果が、この順番なのよ」

「……ああ、分かった」

「皆……!」


 紫都の目に涙が溜まる。身体が震え、声が震える。

 紫都は鬼を畏れない。戦う事も、傷つくこともまた同様に。しかし、ここで身を挺して己を逃がす為に捨て石になろうとしている仲間を、薄情にも見捨てていくのは恐ろしかった。

 七生は殊更明るく笑って、紫都の肩を叩いた。


「大丈夫、これは最悪を想定した場合だから。実は全然、後を追う人なんていないかもしれないんだから」

「そうとも。あくまで最悪だろ? まぁ、でもこっちを見てたっていうなら……」

「馬鹿、やめろ。いいから、即座に動くんだ。追いつかれる危険があるなら、さっさと動くに限るだろう」


 凱斗が促し、七生がフォーメーションを確認しながら指示を出す。まず最初に紫都へ顔を向けた。


「いいわね、誰が犠牲になっても貴女は最後まで、振り返らずに走りなさい。何があっても、誰であっても」

「分かった……!」

「凱斗も、辛い役目を背負わせたわね。でも、頼むわよ」

「任せておけ」

「漣、私達二人が脱落したら、頼みの綱はあんたになる。最後に残すのが、何故あんたなのか、分かるわね?」

「――おう、大丈夫だ。ちゃんと分かってる」

 

 七生は全員を改めて見つめ、そして頷く。それぞれから頷きが返って来て、逃げ去る方向へ指を差した。


「――さぁ、行って!」




 決死の覚悟を決めた逃走だったが、結局後を追う者は現れず、そして遠くから監視するような気配も見つからなかった。

 全員の生還に七生は肩を下ろし、漣と凱斗は笑って何事もなかったことを笑った。

 紫都は全員を労って、涙ながらに抱きついた。

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