街への遠征 その4
バスから降りる前より感じていた事ではあるものの、実際に降り立って見てみれば、その印象も随分違った。
住宅街と比較するものではないが、人の往来は激しく、車は引っ切り無しに行き交い、背の高いビルが乱立する。ともすれば、目眩を引き起こすかのような光景だった。
目を輝かせて周囲を見渡すルチアに、目につくものなら物でも人でも興味深く視線を向けるユミル、傍を通る人々を油断なく見据えるアヴェリンと、三者三様の様子を見せる。
その中にあって、ミレイユはやはり懐かしさと新鮮さを感じながら周囲を見ていたが、すぐにユミルへ顔を向けた。
「それで……、質屋は探し当てたか?」
「そんな顔しないでよ、ちゃんと調べてあるから。地下鉄入り口から徒歩二分、とか書いてあったけど……アキラ、これどこ?」
ユミルがスマホを差し出しながら聞くと、引ったくるように奪い返して確認する。ミレイユの記憶のとおりなら、この道を真っ直ぐ歩けば地下鉄入り口はある筈だった。
やはりそこは間違いないようで、アキラは道の先を指差しながら教えてくれた。
「ええ、この道進んで左折して、そこからすぐですね。写真を見る限り、店舗の庇の上にも看板が大きく出ているみたいなので、すぐ分かると思います」
「そうか。では、行ってみよう」
アキラが先導して歩き始め、ミレイユがその後に続くと、アヴェリンもまた付き従いそのすぐ傍に着く。何かあれば手を出しやすい位置を心掛けていて、周囲への注意を向ける目は厳しい。
ルチアもユミルも興味が尽きない様子であったものの、問題なく着いてきているようだった。
歩き始めてすぐ、アヴェリンが不快げに眉を顰めた。
「なぜ誰も彼もこっちを見つめて来るんだ。この髪色がそんなに珍しいのか?」
アキラもそうだが、待ち行く人々に最も多いのが黒髪だった。次に多いのが茶髪で、金髪も多くはないが見かける事が出来る。周囲の髪色と比べて、浮いているのは否めない。
アキラは少しの間だけ振り向き、苦笑する。
「違いますよ。皆、師匠の華やかな容姿に目を奪われているんです。背も高くて目立ちますから。そしてルチアさんとかユミルさんにも目を移して行って、レベルの高い集団に驚くと……そんな感じなんだと思います」
アヴェリンの美貌は言うまでもなく、更に女性的に起伏に富んだ身体やすらりと長い脚なども合わされば、一流モデルが歩いていると勘違いしても無理はない。
テレビやネットで美人を見慣れているとしても、視線を止めずにはいられなかったろう。
「……実に不愉快だ。何より不快なのは、時折ミレイ様の顔を伺おうとする輩がいる事だ。何たる不敬だ……!」
「この集団の中にあって、唯一見えない顔の美醜がどうなのか、気になるんだろう。醜ければ、それはそれで溜飲が下がる奴もいるんだろうさ」
「実に下らない……!」
「それはそうだが。言ったところで始まらん、お前も気にするな。まだ街に着いたばかりで、そのようにイライラしていたら身体が保たないぞ」
アヴェリンもミレイユからそう言われてしまっては黙るしかない。ただし、その視線は更に険しくなっており、警戒する姿勢は前にも増して強くなった。
そんなアヴェリンを引き連れ、アキラの先導にしたがって歩けば、目的の質屋が見えてきた。
表通りから一本内側に入っただけで、繁華街というより市街地に近い様相を見せたが、しかし赤い大きな看板は眩しいぐらい目についた。
入り口の戸は霞ガラスになっていて、店内の様子は伺うことが出来ない。ただ上下のごく一部が透明ガラスになっているお陰で、店内の明るさ程度は知れる。
入り口脇に立って、アキラがどうしたものかと振り返った。
先頭に立って入る事には臆したようだ。確かにコンビニ感覚で入れるような場所ではない。ミレイユにしても、こういった店に入った経験は一度もなかった。
だが幸い、こうした店をあちらの世界で多く利用していた。
質屋という訳ではないが、物の売り買いは全て個人商店のような商人相手に行うもので、バイト店員相手に規定価格で買うものではない。
値段は常に変動するし、仮に相場が安定しているものとて、突然値崩れを起こす事もある。旅の後期ともなると、自ら値段交渉するような事は減っていったものの、果たしてこちらではどうだろうか。
脇に避けたアキラへ小さく手を上げ、前を通る。扉を開けようとしたところで、アヴェリンが前に出て小さく一礼する。
ミレイユに直接戸を開けさせるのは非礼だという思いと、まず自分が入って危険の有無を確認するという意思表示だった。
ミレイユは鷹揚に頷いて、アヴェリンに任せる。
アヴェリンが再び一礼して戸を開ける。
続いて中に入れば、白い壁に様々な商品――ブランド物と思わしきバッグなどが目に入る。ただし、夥しい数があるというよりは、見栄えを重視して陳列されており、清潔感すら感じられる。
アヴェリンも思わず感嘆めいた息を吐いたのが聞こえた。
ガラスのショーケースには様々な貴金属が置いてあり、ネックレスもあれば指輪も、イヤリングもある。金製品だけでなくプラチナ製もあったり、宝石類も充実しているように見える。
アヴェリンが中に進むへ連れて、待機していた店員らしき男性が恭しく礼をした。高級そうなスーツをパリッと着込んだ中背中肉の男性で、白い物が混じり始めた髪を全て後ろに撫でつけている。
「いらっしゃいませ。私どもの店にお出でいただきまして、誠にありがとうございます」
「……うむ。――ミレイ様」
店員の更に後ろ、ショーケースの後ろ側、レジ横にはメガネを掛けた茶髪の女性店員の姿も見える。こちらも上品な佇まいで男性店員――おそらく店長――の一礼と同時に頭を下げていた。
アヴェリンは二人の態度と店内の様子に満足し、一歩横にどけて道を譲る。
帽子を取った方が礼儀に叶うのだろうが、アキラの言が正しければ、やはり面倒な事になるのだろうか。見たところ、よく弁えた店主だと思うから問題ないと思うのだが、念には念を入れそのままにしておく事にした。
高圧的に見えてしまうだろうが、ここはむしろ、そちらの方が都合がいいのかもしれない。
ミレイユはアヴェリンの位置に代わり、店主の前に立つ。
「突然の訪問を許して欲しい、店主。今日は質に入れたい物を、見て貰いたくてやって来た」
「承知しました。是非ご確認させて下さい。あちらのお席へどうぞ」
再び恭しく礼をして、店内の一角に用意されたテーブルとソファーを、指先までぴしりと揃えた手で指し示す。ソファーの背後には摺りガラスが置かれていて、他の客がいても誰がその場に座っているか分からないようになっている。
ミレイユが一秒だけ女性店員に目を留め、ユミルへ向かって頷いて見せる。
それから指示された方に足を向けたが、アヴェリンがさっと前に出て、先に中へ入って確認する。そこには応接室に使うようなインテリア一式が揃っていた。
重厚な色をしたテーブルには二対のソファがそれぞれ二つ、向かい合うように備え付けられている。その内一方、手前側にミレイユが座り、その隣にルチアが着く。
アヴェリンはミレイユの後ろで直立不動で立ち、ユミルはそれらに追従せず、店内の商品を順に見て回っていた。
どうにも身の置き場がないアキラは、アヴェリンの隣に立つ事にしたようだ。
ミレイユ達の後に付き従っていた店主も、全員が位置についたところで一礼し、ミレイユの向かい側に足を揃えて座った。
「では、質に入れたい品を、ご確認いたします」
「うん、よろしく頼もう。……ルチア」
ミレイユが背もたれに背をつけぬまま、隣に座ったルチアに目だけ向ける。
ルチアも心得た物で、背中の辺りに隠していたかのような身振りで一つの箱を取り出す。これは勿論個人空間に入れていたものを誤魔化す為の動作で、予想よりも大きな物が出てきた事に店主は驚いたようだった。
箱の大きさは縦十五センチ横二十センチ程の大きさのオーク製。綺羅びやかではないものの、刻まれた文様は上品で、艷やかで丁寧なニス塗りは、まるで蜂蜜を溶かして垂らしたかのようだった。
四隅の底には色を変えた猫脚が着いていて、この箱が高級なジュエリーボックスである事を表していた。
店主は白い手袋を取り出して身につけると、ユミルから丁寧な手付きで受け取る。
両手でテーブルの上に音も立てずに置くと、やはり丁寧な手付きで蓋を開けた。
中には青いコルベットが敷き詰められ、その上に鎮座していたのは三種の装飾品。ダイヤの指輪、ペンダントのネックレス、蝶形のブローチ、それら全てが純金製で作られている。
ダイヤは形も大きさも素晴らしく、リングには細かで精密な文様が描かれている。
ネックレスはチェーン製で、ペンダントには見慣れぬ形であるものの、ステンドグラスを思わせるデザインを透かし模様で作られていた。
そして蝶形のブローチ。
今にも羽ばたこうとする蝶をその場に留めたかのような躍動感で、その身体部分をプラチナで表現されている。
装飾品というより芸術品と呼ぶべきそれらを、驚愕と驚嘆が入り交じる表情でまじまじと見つめる。ルーペを取り出し、細微に至って時間をかけて確認した。
しばしの後、目を離した時には不躾にならない程度に息を吐く。それぞれを丁寧に箱に戻すと、破顔して白い歯を見せた。
「いやはや、良い物を見せて頂きました……!」
「うん、それで……どうだろうか」
ミレイユは帽子のつばで隠れて、見えない店主の顔を伺う。
今にも作品の解説を始めようとするルチアを手で制して、続く店主の声を待った。
「まず、私ども宝天屋では『常に高く』をモットーにしております。『高くお貸しする』、『高く買取る』。これら『高い』の意味は、業界基準、中古市場の相場に、出来るだけ近い値段で査定するという事です」
ミレイユは黙って頷き、続く言葉を待つ。
「査定基準、中古市場の相場とは何かといいますと、専門業者が参加するプロフェッショナル対象のオークションがあり、そこで流通する価格が基本的な基準となります」
「なるほど」
「通常の質屋であれば数ヵ所しか参加しないオークションですが、私どもは全国各地のオークション市場の七箇所に参加しております」
「それほど多くに参加して、意味があるのかな」
「勿論でございます。全国各地のオークションに参加する理由は、それぞれのオークションに個性があり、同じ商品を処分するのでもオークションによって落札値が異なるためです。高価査定を実現するために、より高い落札価格がつくオークションを求めていけば、各オークション市場に七カ所参加というところで落ち着いたのでございます」
「なるほど。勉強熱心なのは、実に感心だな」
店主はまたも、恭しく頭を下げた。
「恐れ入ります。そこの部分を踏まえまして、こちらの品を査定させて頂きましたところ……」
店主はテーブルに備え付けられていたメモ用紙と万年筆を手に取る。万年筆は元より、そのメモ用紙までも一目で高級品と分かる見栄えをしていた。
その用紙にサラサラと数字を記入し、それを逆向きにしてテーブルに置く。ミレイユに見やすいよう、両手で手前に押し込んで内容を見せてきた。
「ゴールドリング五十七万、ゴールドネックレス四十二万、ゴールドブローチ五十五万、そしてジュエリーボックスに一万、しめて百五十五万にて買い取らせて頂きます」
予想以上の高値がついて、ミレイユは驚く。表情に出さないよう努めていたが、アキラは思わず声を出してしまい、慌てて口を塞いでいる。
ミレイユは努めて冷静に、抑揚を出さないよう気を付けて聞いてみた。
「その値付けに一切不満はないのだが。――しかし聞かせて欲しい、なぜ一つだけ値段が低いのかな」
「単純な金の使用量によるものでございます。どれも芸術的価値のある物でございますが、しかし歴史的価値のあるものでもございません。そうなりますと、どうしても金の含有量にて値段が変わってしまうのでございます」
ミレイユはネックレスを見て納得する。ネックレスはその透かし模様というデザインを採用したが為に、使用された金も少なかった。
店主の値付け理由を考えれば、妥当な事に思われた。
ミレイユは頷いて、ルチアを制していた腕を膝の上に戻した。
「納得の行く理由をありがとう。では、それで進めてくれ」
「畏まりました。……そう致しますと、お客様の身分を証明するものが必要になるのでございますが……」
「なに? そうなのか?」
「はい、運転免許証、パスポート、顔写真の入ったものなら、何でも結構でございます」
ミレイユは唸って腕を組む。
質屋はそういう面倒な手続きなく金を手に入れられると思っていたのだが、詐欺や盗品対策などで、そういう制度も取り入れたのかもしれない。
そうとなれば、どこか別の、もっと寂れた個人経営の店でも探して――。
「いえ、この宝天屋、よく理解しております」
既に別の店に質を入れようと考えていた時だった。
にこやかな声と共に、掌を見せて小さく腕を上げている。
「お嬢様がやんごとなき身分である事、分からぬ筈もございません。ここは一つ、お嬢様へ信用と信頼をいたしまして、身分証不要でお取引させていただきます」
「それは……助かるが。いいのか?」
店主は大きく首肯し、それから頭を下げた。
「勿論でございます。そしてこれからも、もし質に入れたい品がございましたら、その時はこの宝天屋をご贔屓にして下されば、これに勝る喜びはありません」
「……では、今回ばかりは感謝して、お言葉に甘えよう」
「ありがとうございます。ただいま現金を用意して参りますので、少々お待ち下さい」
立ち上がって深々と一礼し、その場を去って裏手の扉の奥へ入っていく。
ミレイユは小さく息を吐いて、隣のルチアを見つめた。値段の大きさ自体はよく分かっていない顔だが、ミレイユが満足している事は感じ取ったようだ。
ミレイユはルチアの頭を撫でて労う。
子供をあやすような態度にくすぐったいように身を捩るが、結局なすがままに受け入れていた。
しばらくすると店主が帰ってくる。
高級そうなトレイを手に持ち、その上に現金を置いて運んでくる。改めて一礼し、ミレイユの前にトレイを置く。
その上には百万円束が一つと、十枚束が五つ、そして端数の五枚が整然と並んでいた。
「どうぞ、ご確認下さい」
と言われても、札の数え方など分からない。レジの店員が見せるようなやり方は、この場に相応しいものとは思えないし、かといってトランプマジックのようにパラパラ捲って見せるのも違う気がした。
対処が分からず、ミレイユは目で確認しただけで、店主に向かって頷いて見せる。
目線は相変わらず合わないが、その心情を知ってか知らずか心得たように、トレイと一緒に持ってきたと思われる袋に現金を仕舞う。
トレイを隅にどけて、改めて現金だけをミレイユの前へ、両手で差し出した。
「どうぞ、お受け取り下さい」
「ありがとう。……では、世話になった」
ミレイユは立ち上がって握手をする。
少しばかり驚くような反応を見せたが、それでもにこやかに対応してくれる。
「勿体ない事でございます。どうぞ、お気をつけてお帰り下さいませ」
現金の入った袋を持ち上げて、ルチアに手渡す。
大事そうに受け取って、懐に仕舞うように見せかけ、個人空間にしまったようだ。
店主と店員に見送られ、アヴェリンの先導で店を出る。ユミルが最後尾で着いてきて、最後にチラリと振り返って意味深に笑った。
戸を閉めるのも店員の役目になるのだろうが、ユミルはそれを無視して自分で行う。
ミレイユは歩きだして繁華街方面へ向かい、そして喧騒が耳に入るようになって、そこでようやく息を吐いた。大きな大きな溜め息だった。
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