街への遠征 その5
「これで、よろしかったので?」
「ええ、上出来です。苦労を掛けました」
「……苦労という程のことでは」
宝天屋の店主は、そう言って顔を歪めた。
今まさにに労いの声を掛けてきたのは店の中に置いた女性店員で、カツラを外して髪をかき上げ、メガネを取って顔を振った。
改めて髪を手櫛で直しながら、その女性は釘を差してきた。
「言っておきますが、他言無用です。いまの取り引きで受け取った物品は、倍の値段でこちらが買い取ります」
「……適正価格で買い取ったと自負しておりますが」
「分かっていますとも。ですが我々は、それに倍の価値があると判断しました。そう思っていただけませんか?」
そう言って女はにこやかに笑ったが、ではつまり実際は別に理由があるという訳だ。
この女は、突然店にやって来て、そしてあらゆる不満を押し殺して言うことを聞けと言ってきた。内容は今から来る客が売る物を必ず買い取る事、身分が証明できなくとも取り引きを完了させること、この二つだった。
何を理不尽な、と思ったが、次いで見せられた手帳に身が竦んだ。
御影本庁と印字された手帳を開いて顔写真を見せられ、出した本人と比べれば当人としか思えない。仮に偽造であれば、命知らずの馬鹿としか言いようがないから、これは本物なのだろう。
御影本庁といえば、神のお膝元、オミカゲ様直轄下の組織。
神の意志を現世で実現させる為に動く、警察とも公安とも違う治安組織だった。特別犯罪捜査をする組織でもあり、警察とも違う特権を有している。
下手なことをして睨まれたくなかったし、何よりこれがオミカゲ様の意志だと言われれば、言うことを聞くしかなかった。
何も宝天屋に詐欺を働けという訳でもない、客との適正な取り引きをすればいいだけとなれば、断る理由もなかった。
そうしてやって来た客に、宝天屋は仰天するような思いがした。
最初に入ってきたのは背の高い金髪の女性、モデルであれば一流以上だろうし、あるいは女優として活躍しているのだろうかと思ったが、物腰自体が物騒で、ガードマンのような印象を受けた。
それは実際正解で、次いでやって来た客こそが本命だったのだと、そこで理解できた。
上品な佇まいだった。嫌味も横柄さもなく、不遜でも高圧的でもない。不思議な威厳が彼女にはあり、安物の衣服を身に着けているのも擬態のような理由からだと察しがついた。
顔を隠しているのも疚しい事があるからではない。顔を見せない事がむしろ礼になると思っている佇まいだった。
査定されている間も、帽子の向こう側から見られているのを感じていた。
――見定められている。
何故か分からないが、不逞を働きたくない、と強く思った。
この方に失望されるのは、心を燃やす程に恋した相手に振られるよりも辛いだろうと思った。
とにかく必死に、真摯に取り組み、しかしそれをおくびにも出さず、見事やり遂げたと思った。
感謝の言葉と握手を求められた時は、全ての労苦が報われたと思った。この一時間に満たない時間のことではなく、この人生全ての労苦に。
是非また来店して頂きたいと思った。
適正以上でも以下でもなく、正しい商取引を行い、彼女に認められたい。その気持ちを胸の奥にぐっと仕舞いながら、退店して行く様子を頭を下げて見送った。
肩の荷が降りるような思いがすると共に、この話を持って来た女性を不審に思った。
御影本庁の名前を犯罪目的に使うとは思っていない。この名には、それだけの権威がある。しかし、なればこそ逆に分からなくなる。
だからつい、強い口調で問い質すような事を聞いてしまった。
これで、よろしかったので、と。
彼女は問題ないと言った。だが同時に信用できるものか、とも思った。目の前の女性と、顔を隠した彼女、どちらが怪しい、どちらを信じると言われたら、宝天屋の心は既に決まっていた。
再び店の扉を開ける音が聞こえて複数の男性がやって来た。恭しく例の木箱を持ち上げ、別に用意されたクッション付きの容器の中へ仕舞っていく。
惜しい、と思った。
あれ自体は単なる精巧な細工品でしかないが、あれは彼女の持ち物だったのだ。手元に置き、神棚に置いて拝み、と考えたところで思考が止まる。
それが出来たら、どれだけ素晴らしいだろう。
何故だかそれがとても腑に落ち、あるべき姿のように感じた。
あの方は神の御使いだったのではないか。神使とよばれる、オミカゲ様より直接ご下命頂き動く人間がいるという話は、あまりに有名だ。
その神使の方が現金欲しさに物品を売るというのは、イマイチ繋がらない部分があるものの、御影本庁が背後で動いている事とは、何か繋がるものもある気がした。
下手に勘ぐれば、何があるか分からない。
だから宝天屋は運ばれていく木箱を羨ましい気持ちで見送る。もしもまた、この店をご利用いただくことがあったなら、その機会は絶対に逃さないと近いながら。
「では、我々はこれで。さきほど言った現金は、本日中に用意します。夕方五時までに届かなかった場合、こちらに連絡して下さい」
そう言って、女は名刺らしきものをテーブルに置いて去っていった。
正直にいって、夢でも見ているような心地だった。今も足元がふわふわしている。
――今日は早めに店を閉めようと思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
緊張から解き放たれたのも束の間、ミレイユは一応店の方に振り返り、辺りを窺う。店から誰かが出てくる様子も、その周囲から誰かが出てくる様子もない。
別に詐欺を働いた訳ではないが、最後の身分証明不要、という部分については胡散臭く思えた。単なる親切心でやった事とは思えない。
今後も取り引きを継続したいという言い分も、単なるお為ごかしに過ぎないだろう。
警戒しすぎるに越した事はない。
――何しろ、あの店員は尋常ではない。
ミレイユの思考が顔に出ていた訳ではないし、出ていたとしても帽子で見えなかったろうが、それを察したように最後尾にいたユミルが近付いてくる。
そして面白そうに口元を歪めて聞いてきた。
「放っておいて良かったの? 面倒事にならない?」
「……今はいい。追手があるかどうかだけ警戒しろ」
「来るかしら?」
「――近くには来ないだろう。だが、着いては来るはずだ」
アヴェリンにも顔を向ければ、納得した表情で首肯する。ルチアは既に感知を周囲に向けて発していた。とはいえ、街にこれだけ人がいれば、明確な敵意でもなければ特定するのは難しいだろう。
その様子に慌てた様子を見せたのはアキラだった。
「え、あの、見張られてたりするんですか、僕たち!?」
「そうだろうな。店員は尋常な者ではなかった。一般人とは思えない」
「確かに、すごいやり手そうな店主さんでしたけど……」
「――そっちじゃない。あれは確かに強かな商人だろうが、問題は後ろで控えていた方だ」
思い出すかのように頭を捻るアキラだったが、結局顔は思い浮かばなかったようだ。実際彼女は気配を消す技術に長けていたようだし、メガネをしていたのも本当の自分を見せたくなかったからだろう。地味な印象を付ける工夫の一つだ。アキラが思い出せないのも仕方がない。
何しろ目の前の店主の方がインパクトが強く、そして途中の遣り取りには緊張感に満ちていた。その空気に
店の奥で待機しているだけの店員は記憶に残らないのも当然だった。
「茶の一つも出なかったろう?」
「……言われてみれば」
「マナーとして、商談の――あれを商談と言えるかはともかく、その間に茶と茶菓子くらいは出すものだ。そして用意するなら、それをあの女性店員がするのが妥当だ」
「確かに……、そんな気がします」
「では、何故しなかったか? それはあれが店の人間ではないからだ。出したほうが自然でも、それを用意している場所を知らなかった。そして打ち合わせして、お互いの役割を決める事は出来ても、不自然にならないだけの準備をするのが精一杯だった」
つらつらと推論を述べるミレイユに、アキラは逐一頷いて相槌を打つ。
「私達が今日、質屋に行くことを知っていた人間はいない。後を着けられていたにしても、目的地まで知られていた筈はない」
「ですね、僕すら知りませんでしたし」
「ならば、それと知れたのはバスの中か、バスを降りた後だったろう。だから先回りは出来ても、それ以上の事はできなかったんじゃないか。女性店員は店主の近くには寄らなかったし、レジ近くから動く事もしなかった」
「……まるで、店内全体を見渡せる位置にいる事を、望んでいたかのようだったわねぇ」
最後にユミルが口を挟んで、ニコリと笑った。
しかし、アキラにはその説明だけで納得できるものではなかったようだ。
難しい顔で腕を組み、首を傾げた。
「幾つか気になる点があるのは理解できます。でも、疑うにしても弱いような気も……。質屋の常識なんて知らないですけど、お茶が出ないとか近付いて来ないとかで、追手がいると決めつけるのは――」
「なんでアタシがソファ周りに行かなかったと思ってるのよ、お馬鹿さん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます