街への遠征 その6

「へ?」


 言われてアキラは、そこで初めて気が付いた。

 そう、ユミルだけは応接室のような一角にいなかった。店の中のショーケースや、壁際に陳列された商品などを歩き見ていた。


「あれが外から全体を見渡していたように、アタシも見渡せる位置にいたかったからに決まってるじゃない。アヴェリンがあの子の内側に着くのは当然、だからアタシが外側から警戒してたワケ」

「最初から……分かっていたんですか? でも、どうやって知れたんです?」

「見れば分かるのよ。それが一般人であるか、戦闘経験があるか、そして魔力制御を修めている者であるか、そういう具合をね」


 アキラは目を見開き、そして尋ねた。


「魔力を持った人間が、この日本にいるんですか!?」

「別に不思議じゃないでしょ。魔力がデンセンを通ってて、そして結界なんて作る技法が存在しているんだもの。魔力を扱える人間がいるのも、不自然とは思わないけど」


 至極当然の論理だとでも口にするユミルに、アキラは茫然と頷いた。そして、その言葉を噛みしめるように再度頷いてから口を開いた。


「それは……確かに。じゃあ、もしかしてその女性店員は、魔力を使って何かしてたんですか?」

「いいえ、何も。上手く自分を隠そうとはしてたみたいね。でも隠そうとすれば、それは同時に制御する事にも繋がる。よほど上手くやらなければ、分かる者には分かってしまうの」

「――それで、自分達が尾行けられていたのだと察した」


 ミレイユが言葉を引き継ぎ、アキラに顔を向ける。

 店からは誰も出てこないし、店に近付いて行く者もいない。それでとりあえずの警戒は解いた。


「いつからか、と言われれば、あの結界に乗り込んだ時からだろうな。あれに関わる人間がいれば、そこに押し入り魔物を倒した誰かがいる事はすぐに分かったろう。姿を消して帰ったが、万全に備えて警戒していた訳でもなし」

「まぁ、いつから漏れたと言われたら、あそこだと想定するのが自然でしょうねぇ」

「――炙り出すのも可能と思いますが」

「いや、今はまだいい」


 控えめに口を挟んだアヴェリンに、ミレイユは首を横に振った。

 アキラはミレイユが見ていた方向、宝天屋とその周辺に視線を彷徨わせながら聞いてくる。


「じゃあ、すぐに逃げた方が?」

「いいや、あちらに事を荒立てる気がないのは分かった」

「……えぇと、何故です?」

「私と円満に商談を終わらせたからだ」


 そもそも、身分証明のできない相手に売買成立させたのは、その女性が手を回したからだろう、というのがミレイユの考えだった。

 何も知らない店側が、敢えてミレイユに譲ってやる必要がない。いま証明できる物を持っていないと言われたら、では後日またお越し下さい、と言えば済む話だ。

 持ち込んだ品は提示した金額からも悪い物ではなかったろうが、法を破ってまで無理に商談を成立させる程ではなかった筈だ。


 ならば、それを成立させる事を望んだ第三者がいたという事になる。

 問題は、何故敵に塩を送るような真似をしたかと言う事だが――。


「まぁ、事を荒立てる意志はない、そう伝えたかったのかしらね?」

「……うん。そう考えていいと思う。塩を送る意図は何かと思ったが、むしろ塩を送る事が目的なのかもしれない」

「敵対する意図がない、と?」


 アヴェリンが窺えば、ミレイユは眉根を顰めて頷く。


「状況だけ見れば、そうだという気がするんだが。こちらの位置も人数も顔も知りながら、しかし表立った接触はせず、希望する結果を橋渡ししてやる。そして、直接カネや物を送る程、お近付きになりたいわけでもないらしい」

「そうねぇ、アタシも同意見かしら。結界について報復など考えておらず、さりとて面識を得たい訳でもない。友好的である事だけは仄めかして、着かず離れずの関係を望んでます、と。そういう事かしらねぇ」


 ユミルの見解に、アキラは元よりアヴェリンも首を傾げた。


「しかし、それではやはり目的も意図も分からんが……」

「そうよ、分からないわよ。だから今は泳がせておきましょうって、最初に話してたじゃない」

「あれってそういう意味だったんですか……」


 アキラが呻くように頷いて、ユミルはニヤニヤとして嫌らしい笑みを浮かべる。


「感謝しなさいよ。一々細かく説明なんて、普通しないんだから」

「確かに、ミレイ様は基本そういう方針だ」

「ですねぇ。本当に着いて行っていいのか、疑問に思う事は多かったものでした」


 アヴェリンの同意に、ルチアも懐古するように表情を綻ばせた。


「え、そうなんですか? ろくな説明もないのに、よく着いて行く気になりましたね?」

「お前なら着いて行かないとでも言うつもりか?」

「いえ、滅相もない!」アキラは慌てて両手を振る。「ただ、皆さんなら色々言うのではないかと思っただけで……」

「言ったわよ。聞けば説明してくれるし、話し合いにも応じてくれるからね」

「だが、聞かなければわざわざ説明して下さらない」

「だから、色々と話し合う癖がついたとも言えますが」


 アキラは迂闊な事を聞いたと即座に後悔した。

 しかし、散々な言われようをされたミレイユは、苦笑するばかりで何も言わない。反論する要素が何一つなかったからだが、続くアヴェリンの一言から様子が変わった。


「しかし、言葉少なくとも着いて行く事に不安はなかった。私にとって共に歩く事は躊躇いなく、そして戦える事は誇りだった」

「まぁ、そこまでは言わないですけど。話し合いと納得が一緒になってから動くようになったのは、旅の後期でしたし。でも、とりあえず着いて行けば大丈夫っていう、ある種の信頼感はありましたね」

「え、何故です……?」


 アキラが向ける当然の疑問には、得意顔になったユミルが答えた。


「その時には意味が分からなくても、後になれば、そういう事だったのかと納得する。この子の行動っていうのは、そういうものだから」


 アヴェリンもまた、顔面に誇りを貼り付けたような笑顔で頷いている。

 ミレイユは面映ゆいというよりは気まずい思いがして、会話を断ち切った。何もかも誤解であると説明したところで、無意味だろうと分かっている。

 何しろ実績があり過ぎるので、ただの謙遜と受け取られるのがオチだった。


「その話はいいから、移動するぞ。本日の目的は完了したし、予想外の実入りもあったが……」

「そう、何にしても百五十万ですよ! 一気にお金持ちじゃないですか!」

「そこは、ルチアが良くやってくれたお陰だな」


 アキラの弾んだ声に誘われるように、ミレイユがルチアへ顔を向ければ、そのルチアは上機嫌になって胸を張った。

 

「終わってみれば、随分簡単でしたね」

「そうだな、途中ヒヤリとする場面もあったが……まずまず上々と言ったところだろう」

「上々どころか、それ以上じゃないですか。百五十万なんて、そう簡単に手にできる金額じゃないですよ」

「そうなの? 一万って金貨一枚と同じ位なんでしょ?」

「魔術秘具でも何でもない、ただの装飾品として見た場合なら、その金額はあちらの世界であっても妥当なものだ」


 ユミルの疑問にミレイユが歩きながら応える。

 ルチアの肩を柔らかく押し、人通りの多い方へと誘導しながら背後を窺う。同じように着いて来る面々の内、アキラを手招きして傍に置いた。


「とりあえず、借りてた五万は後で返す」

「いえ、あの、五万はどうか取っておいて下さい。あの刀を頂いただけでお釣りが来ますし……!」

「あれはお前にやったものだ。お前の意志に敬意を払ってな。敬意に対し、値段なんてつけるものじゃない」


 ミレイユの放つ真摯な言葉に、アキラは息を詰まらせた。

 だが、その困った顔を見ると、あまり押し付けるのも気が引けてくる。どうしたものかと考えて、とりあえずの妥協案を提示してみた。


「早めに取引が済んだ事だし、予定を繰り上げてこれからどこか行こうと思う。だから今日一日の払いは、こちらで持とう。それでどうだ?」

「あー、それは……」

「余程の暴飲暴食、下手な使い方をしなければ五万など行くものじゃないだろうが……。それでも無償にならないだけマシだと、そう思う事はできないか?」


 アキラは迷う素振りを見せたが、やがて頷いた。


「そう……ですね。分かりました、それでお願いします」

「うん。それじゃあ、昼飯を摂れる場所を探しがてら、少し歩こう。デパート辺りでも近くにあればいいんだが……。色々足りないものが欲しいし、だがまずは財布が必要かな……」


 ミレイユは自分の姿を見下ろし、次いでルチアに視線を移す。

 ミレイユの見る先はルチアだが、正確にはその先――個人空間にある現金へ向けられていた。


 仕舞う場所に不自由はしてないが、人の多い場所でお金を取り出すのに財布を持ってないのは不自然だし、小銭を取り出すのも不便だろう。

 普段暮らす箱庭の中では、別に衣服に困る事はないが、これから外に出る機会が増える一方、服はこれ一着しかないのも不便だ。服があれば、それに似合う靴やバッグも必要になるだろうし、そうなると小物だって必要になる。

 それが四人分となると、手に入った大金も途端に頼りなく感じた。


 そしてこの金額は、今後の食費や生活費にも使われる事になるのだ。

 こちらの世界のシャンプーや石鹸を知れば、もう元の物には戻れないだろうし、色々と買い替えて行くことになるだろう。順次の切り替えでいいとはいえ、女四人が現代で生活する際必要になる出費というのは、ミレイユの想像を絶する筈だ。


 財布の紐を緩めすぎないように――財布はまだないが――気を付けようと心に誓う。

 そしてミレイユがルチアに向けていた視線を前方に向けようとした、その時だった。視界の端に映った物が奇妙に思えて、ミレイユは思わず立ち止まった。

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