楽しい遊び場 その1
ミレイユの目についたのは銀行だった。
それは外見上、単なる銀行に過ぎなかったが、しかしおかしいと思ったのは、その銀行名についてだった。
足を止め、見ている先に気付いたアキラが、ああ、と明るい声で解説を始めた。
「不思議に見えますか? 神社銀行です。オミカゲ様の」
「ああ、不思議に思ってたが、むしろ不審さが増したぞ。神社で銀行で、それがオミカゲ様? ここにもオミカゲ様の名前が出るのか?」
通行人の邪魔になると、ミレイユが道の端に寄って、改めて銀行を見上げる。神社を表すような印は見えないが、銀行のトレードマークらしき物は行名の横についていた。犬――あるいは狼――の横顔に雷を模したマークが、シンプルな形で表現されている。
しかし、何故ここでまたオミカゲの名前が出てくるのか。
「銀行を日本で始めて作ったのはオミカゲ様ですから。歴史の授業にも出てきますけど、かなり古い年代からあったみたいです」
「そうなのか?」
「ええ、個人的に誰かへ預けるような事はあったでしょうけど、安全と信用を両立できるような預金場所はなかったとされています。その点、オミカゲ様のお膝元に預ける事には信用もあります。不正もなければ、盗み出そうとする者もいなくて安全だったんです」
ミレイユにとって、オミカゲ様信仰がどれほど日本の信心に根付いているのか分からない。
しかし傷を治したり病を治したりする以外に、人の生活を支援するような取り組みを考えつく神がいれば、それはきっと信仰を後押しする結果になったに違いない。
「実際に神が守護する金庫なら、そこ以上に安全な預け先などなかったろうな……」
「当時の人も、きっとそう思ったでしょうね。実際、この金融業として神社が関わる事は歓迎されていたみたいです。暴利で金貸ししていた人達は、職を失ったらしいですけど」
「なんとまぁ、手が広いことだな」
ミレイユは呆れて息を吐いたが、アキラは得意顔だ。
「神の手ですよ、広いに決まっています。それに日本に資本主義を根付かせたのもオミカゲ様ですし、経済の神とも言われてます」
「……あちらこちらに信仰の根を伸ばしすぎじゃないのか。節操ないと言われるぞ」
「それだけ御威徳が高いということですよ。でもきっと、こういうところが、海外で神様否定説が出る原因なのかな、とも思いますけど」
ミレイユは少し面白くなって口の端に笑みを浮かべた。
「へぇ、海外ではオミカゲ様は否定的なのか」
「全部が全部じゃないですけどね。オミカゲ様には、病気平癒、怪我治療という、絶対的な見返りがありますから。信仰とは見返りを求めてするものではない、と言われていて、薬を買う事と同様に見られます」
「まぁ、間違っていないと思うが。仮にオミカゲが実際に見て触れられる神だったとして、何もしない神だったとしても今と同じだけ信仰するのかどうか……」
アキラは苦笑して頬を掻いた。
「そこを指摘される人は多いですね。オミカゲ様が無力な存在なんて想像もできないですけど、もしもの仮定で考えてみたら、確かにここまで強い信仰心は持ってなかったかもしれないです」
「おや、そこは素直に認めるんだな」
「ただ身近には感じるんじゃないですかね。今も傍に寄り添って下さる御方ですけど、同時に恐ろしい御方でもありますから」
「そうなのか?」
多くを知らないミレイユには、それが意外な事に思えた。
今のところオミカゲについて知るところは、病と傷を癒やし、財産を守護する善神だ。慕いこそすれ恐れる要素はない。無論、神としての威厳に対し敬う気持ちはあるだろうが、それだけではないとしたら、そこから恐怖に結びつく何かがあるのだろうか。
「オミカゲ様には多くの側面があって、その内一つが雷神としての一面で、猛り怒る雷雨を自在に操るとされます。時には罪人の頭に落とすとも言われ、雷を見たら手を合わせて謝れば免れるとも」
「途端に嘘くさくなったな……」
「そんな事ないですよ。世界大戦で敵国の兵士は、戦後雷を見ると恐慌をきたしていた、というのは有名な話ですし」
「何でまた?」
「制空権も制海権も取れなかったのは、オミカゲ様が雷雨を完全に制御していたからです。雨の代わりに雨のように振る雷、なんて表現されていたとか」
アキラの横顔からは、ほんの少しの自慢と大きな誇りが見えるような気がした。
もしもその話が戦場伝説じゃなければ、相手にする兵士からすれば悪夢だったろう。似たような話を知っているだけに、ミレイユは何とも言えない顔をした。
それまで黙って話を聞いていたユミルが、ヒョイと顔を出して悪戯好きな笑みを見せる。
「――あら、じゃあアンタも代わりにオミカゲサマできるじゃない」
「するか、そんなもの」
「……え、どういう事ですか?」
「この子も、ちょっと前に戦場で、視界いっぱいに映る敵兵相手に、雷降らせて一掃したから」
「そんな事できるんですか!?」
ミレイユは胡乱な視線でユミルを見返そうとし、帽子のつばが邪魔で結局できず、それで仕方なくツバの側面をなぞった。
沈黙しか返さないミレイユに代わって、ユミルがニヤニヤと笑いながらアキラに言った。
「あれは確かに雨のように、という表現が正しかったわねぇ。あの数相手にどうするの、って誰もが思ってたし、敵数は十万、こちらは掻き集めた総力で僅か二万。そのまま圧殺されて終わりだと思ったものだけど……」
「結果は別だったと」
「そう。右翼から順に雷の餌食になっていってねぇ」ユミルはくつくつと笑う。「舐めるように雷が順に襲うものだから、半狂乱になって逃げ出して、戦意も陣形もバラバラ。こちらに重傷者は出ても死者はなし。敵は八万の犠牲が出て大勝利」
「マジですか……」
「秘策があるとも聞いてなかったから、相当絶望的な状況だったのよ。それなのに、土壇場になってこの子が、仕方ないと言って使ったのが、雷霆召喚」
それは膨大な魔力消費と魔力制御を必要とする、雷光系魔術の最秘奥だった。天才が魔術書を読み込んだ程度では到底扱えない、秘術と称して何ら遜色ない魔術だが、使えるとも聞いてなかった仲間達は驚愕したものだった。
その制御の起こす魔力振動が、地を震わせ空気を震わせ、そして制御の余波だけで、術者の身体を宙に浮かせる程だった。
そして起こした結果は、先程ユミルが言ったとおり。
あの時からだろう、信奉者の数が目に見えて増えたのは……。
遠い目をしたユミルが過去に思いを馳せるのも束の間、肩を小突かれて我に返った。
「余計なことまで話すな」
「あら、ごめんなさいね。でも、少しぐらい知ってもいいでしょう? アンタのコト、軽んじられたら我慢できない人とかいるし」
そう言ってチラリとアヴェリンに視線を向ければ、聞こえぬ振りをして周囲の警戒に勤しんでいた。じろりと睨まれるように見つめられて赤面する者もいれば、気まずい雰囲気で顔を逸して行く者もいる。
「僕は別に軽んじた事なんてないですけど、でもやっぱり凄い人だったんですね。皆が敬意を払っているのは感じてましたけど、でも実際どれだけ凄いのかはよく知らなかったので……」
「まぁ、ただ凄い、ただ強いってだけじゃ、アタシだって一緒になってなかったしねぇ。けど話すと長くなるのよね、何を例に挙げたとしても」
「今はそんなツマラン話はどうでもいいんだ。かといって、別にオミカゲ様の話を再開したい訳でもないが」
ミレイユが殊更大きな溜め息をついて見せると、ユミルは肩を竦めて笑った。
元より銀行名に神社とあって不思議に思っただけで、オミカゲサマとやらの偉神伝が聞きたかった訳じゃない。つい足を止めて話し込んでしまったが、そろそろ出発しようと思ったところで、自動ドアが開いて誰かが出てきた。
開いたドアの向こう側、壁には大きな絵が飾ってあって、そこに白髪の女性が写されていた。
バストアップの写真には、金糸銀糸で飾られた白い神衣を着ていて、表情を出さず斜めから見下ろすように写った姿が収められていた。
髪は長く姫カットとも呼ばれるもので、その髪色も神衣と同じ純白、化粧は薄くアイランに赤い色が乗っていて、その瞳までもが赤。それがまた神秘性が増しているように思えた。
ミレイユは思わず身体が固まる思いがした。
ミレイユの視線を追ってユミルもルチアもその先を見つめ、そしてやはり息を詰めたり固まったりしている。
自動ドアが閉まり、額縁も見えなくなると、固めていた身体を解すように息を吐いた。
「……確かに、似てたわね」
「アキラから似ているとは聞いてたが……」
「印象も随分違ってましたけど、ミレイさんがあの姿で目の前に現れたら、見破れないかもしれません」
ルチアが言う事に、ミレイユも我知らず頷いていた。
アキラがミレイユの顔を見るなり態度を豹変させたのは、熱心なオミカゲ信者だったからだろうが、例えそうじゃなくとも、似姿に驚く者が出ても当然に思えた。
「ていうか、こんなに似てるなら初めに言ってよ」
「いや、言いましたけどね!?」
「似顔絵があるなら、用意するとかすれば良かったじゃない」
「だってミレイユ様、あの時から明らかに不満そうだったし、仮に見せても絶対不機嫌になってましたよ」
「……それはそうね」
数秒思案してから同意するユミルに、アキラもこくこくと頷く。
憮然としたミレイユは帽子のツバを摘んで深く被り直す。
そこで、先程からやけに静かなアヴェリンがどうしたのかと思い立った。先程のオミカゲサマを見れば、何か一言くらいあっても良い筈なのに、それもない。
らしくないと思いつつ視線を向ければ、何やら男達に絡まれているようだった。
ユミルもそれに気付くとニヤニヤと笑って、アキラの腹を肘で突付いた。
「ちょっと、あれどうなの? 男に声かけられてるわよ」
「かけられているというか、絡まれているというか……」
「日本は世界一犯罪が少ないとか言ってなかったか?」
「いや、ナンパは犯罪じゃないですし……」
「だがあれは、ナンパとは言えんだろう」
ミレイユが指摘したとおり、アヴェリンは複数の男に囲まれていた。単に声を掛けている訳でも、話してみたいだけのようにも見えない。どこか高圧的で、遠慮がない。自分達の誘いを断られないと信じているような様子だった。
アヴェリンは素気なく断っているし、まるで興味を示した様子はなかったが、男達は諦めず、尚も言い募ろうとしている。
ユミルは猫のような人を食った笑顔から、獰猛な獣のような笑顔に変えた。
「面白そうね、行くわよ」
「あ、やば。ヤバいです、絶対ヤバいやつですよ、これ……!」
アキラが振り返ってミレイユに助けを求めるように情けない声を挙げた。
ミレイユは深く息を吐いては首を横に振るばかりで、その場から動こうとしない。組んだ腕の一方を上げて、握った拳を顎に当てる。
考えるポーズでアヴェリンの様子を見守る態勢に入り、アキラは顔を青くした。
「ちょちょ、ちょと待ってください、ユミルさん!」
「いやよ、待たないわ。待たされるのは嫌いだし」
アキラが裾を掴んで引き留めようとしたが、逆に腕を捕まれ引きずられる。
情けない声を出しながら足を踏ん張ったものの、まるで功を奏せず、つんのめるように後を着いていく破目になっている。
ルチアも後を追って行ったところで、取り残されるのも詰まらないと、最後尾で追いかける事になった。
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