決意と表明 その4

 ミレイユが難しい顔で黙りこくっていると、しばらくしてルチアがおずおずと声を掛けてくる。

 しかしそれにも返事をせず、眉間に皺を寄せて片手を額に当てたまま目を瞑った。考えなくてはならないと理解していても、思考がまとまらず徒に空回りする。

 考えなければ、という考えのみが脳裏を支配し、だが結局何一つ考えが纏まらなかった。


 そもそもの解決案があるなら、それに向けてどうすれば良いのか考えれば良いが、その解決案こそが不透明だ。失敗は許されない。

 失敗してもやり直せる希望があるとはいえ、それは結局次のループを動かす歯車になる事を意味する。


 今回でループを終わらせたい。

 自らの数奇な運命から逃れたい。

 だが現状は、雁字搦めで身動き出来ないような状況だ。

 これまで数多のミレイユが紡いで来た、己の運命の糸に捕らわれ動けない。その様な気さえしていた。


 果たして上手くやれるものだろうか。

 そして失敗した時、そのまま己の命が終わる事より、生き長らえる事の方が余程つらいのではないか。

 その時が来たのなら、きっと隣には頼りになる仲間が欠けている。それを考えるだけで胸が痛かった。


 最早、解決策を模索する事すら嫌気が差す。

 いっそ逃げ出せば……神々との抗争から棄権すれば、ループも終わるのではないか。

 そのように考えてしまう。今までのミレイユから受け取った重荷を投げ出し、神々から逃げ続ける事を選べば、あるいはそれが正解となりはしないか。


 思考が後ろ向きに働いていく。

 解決出来るというのなら、とっくにしている筈だった。繰り返す時の中で、一度も解決まで導けなかったというのなら、それが答えなのではないか。


 神々に抗おうと考える事すら――。


「――ミレイ様!!」


 突然、肩を揺さぶられ、思考が強制的に中断される。

 声がした方を見れば、アヴェリンが心配そうに顔を覗き込んでいた。

 それでようやく事態を理解する。ルチアに声を掛けられたところまでは覚えているが、そこから他人の声は一切耳に入って来ない、一種の瞑想状態になっていた。


「あぁ、なんだ……?」

「いえ、難しい顔で考え込んだと思ったら、一切反応を返さなくなったもので……」

「うん、少し……分からなくなってな」


 そう言って溜め息を吐いて、今度は両手で顔を覆う。

 全体を揉み解すように上下させ、そうして次に、前髪を持ち上げるように腕を動かす。そこで唐突に動きを止めて、焚火を注視した。

 ちろちろと鍋の底を舐める火先の動きを見ていると、次第に思考が麻痺したように固まる。考えようとする程に、何も考えられなくなっていった。


「ねぇ、アンタ……大丈夫なの? まだ調子悪いっていうんなら、テントで横になったら?」

「そのとおりです、ミレイ様。まだご気分が優れないなら、無理するような事でも……」


 ユミルとアヴェリンの二人から、心配そうな声音で言われたら、そうなのかもしれないと思えてしまう。

 だが実際、多少のダルさはあっても肉体的には問題ない。むしろ身体を動かして暴れたい気分だった。

 問題があるとするなら、精神的なものだ。


「いや、大丈夫だ。体調は問題ない。ただ……」

「ただ……、何です?」

「……何もかも億劫になってくる」


 その一言は周囲に衝撃をもたらしたようだ。息を呑む音すら聞こえたが、一つ弱音が吐き出されると、次々と口の奥から湧き出てきた。


「私に何が出来るっていうんだ……? 私はつまらない人間なんだ、大事を為せるような大人物という訳じゃない。そもそも荷が重いんだよ」

「ミレイ様、お気持ちは分かります。オミカゲ様から託されたもの、軽い訳がありません。お辛いでしょうと、気軽な慰めも出来ません。弱音とて、吐きたくなるのも当然というもの。しかし……」

「――違う。そうじゃないんだ。そんなもの託されたって、どうにか出来る訳ないんだ」


 吐き捨てるように言って、顔を背ける。

 ミレイユは、そもそも日本で御影豊みえいゆたかとして生を受けた。何かに挑戦した事もなく、程々の努力をして、程々の収入で、程々の趣味で生きていた。


 順風満帆の人生とは言えない。不満があるにしても身の丈にあったもので、もう少し給料が高ければとか、もっと休日が欲しいとか、その程度の些細なものだった。


 大それた野望なんて持った事もないし、何かを成し遂げたいと思った事すらない。

 程々に趣味を楽しむなどして生きていければ、それで良かった。それが身の丈にあった人生というものだった。


 それが、たかがゲームで遊んでいたというだけで一変した。

 デイアートという異世界へ降り立ち、自分がゲームで作っていたキャラクターそのものになり、そしてゲームと同じ世界を駆け回る。


 ミレイユに――御影豊にとって、異世界での暮らしはゲームと混同し、ごっこ遊びをする場と変わらなかった。姿形が女性だから、自然と話し言葉は女性に寄っていったし、その動きや仕草も同様に変わっていった。


 戦う事は不自然でなく、依頼を引き受け解決するのは当然という認識だった。受ける依頼は薬草採取から魔物退治へ、そして山賊団の壊滅などに傾き、より強大な敵との戦闘へ変わっていった。

 それがゲームと見分けが付かないほど自然になったのは、一体いつ頃だったろう。


 ゲームだからと大胆になれていた物事や、他人への接し方すらゲーム的だった事に気付いてからは、逆に恐ろしくなった。

 逃げ出したいと思うようになり、戦う事、そして死ぬ事が恐ろしくなった。


 それまでが、あまりに順調すぎたのもある。

 肉体的に優れ、覚えるのに苦労する魔術すら簡単に習得し、それを持って強敵を倒す。力を振るうのは快感で、魔術の修得には全能感を覚えた。


 だが、唐突に気付く。

 いつだって自分は薄氷の上で勝利を掴んできたのだし、ゲームと割り切っていたからこそ大胆になれたのだと。死んだところでやり直せる、と頭から思い込んでいたところがあり、だが気付いてしまえば一瞬だった。


 命の奪い合いとは一方的なものではない。

 いつだって、自分が死ぬリスクを孕んでいる。そして武器を振るい、戦闘に身を置いている限り、そのリスクは永遠に付き纏うのだ。

 現世で交通事故に遭う確率など笑い話にしかならない程、非常に危険な綱渡りをし続けなければならない。


 それからは、この世界から逃げ出せないか模索する事になった。

 だが同時に、その手段だけは直ぐに思い至った。この世には全てを叶える全能の『遺物』がある。


 帰りたいという決意は最初からあったが、それが戦闘での高揚感や全能感で追いやられていると感じると、帰還の準備を整えるのは早かった。


 そして実際、ミレイユは逃げ出した。

 それまでの全てから背を向けて、アヴェリン達もNPCだと言い聞かせ、全てはゲーム内の出来事だったと自分に言い訳して帰還したのだ。


 だがアヴェリン達が追って来た事で――いや、最初から神の思惑があった事で、全ては夢想の霧と化した。

 ミレイユの実感として、デイアートで行っていた大胆な行動は、全てゲームと混同していたから出来ていた事だ。それが実世界で、どれほど荒唐無稽な行動に見えたとしても、ゲームならば許される。


 町端で喧嘩を見て見ぬ振りをするのが普通でも、ゲームならば仲裁したのち二人共地面に沈めても許された。それをするだけの実力と、そして実力を背景にした信頼があった。


 常識知らずの行動さえ許される。それが結果として良い方へ転ぶと、なお称賛されて推奨された。

 それもこれも、現実と混同して見ていた、大胆不敵さが根底としてある。


 ――メッキの勇気だ。

 自分一人の力量ではなく、自分の努力で勝ち取ったものですらない。

 ミレイユがアキラを買っているのは、それが理由だ。自分にはない眩しいものを持っている。


 ミレイユが残した足跡、成し遂げた偉業。

 それらがどれだけ自分の力量で成し遂げられた事か……。今となってはそれさえ分からない。


 ゲームではないと理解しているデイアートで、ミレイユは一体何が出来るだろう。それこそ無惨に敗北して、やはり逃げ出す事しか出来ないのではないか。


 逃げ延びたと思ったら、しかし捕まり再び連れ戻された。

 神々の思惑通りというのなら、その思惑から逃げ出せるとは思えない。

 もう成るようにしか成らないとさえ思う。


 ミレイユは、不思議なものを見るような眼差しを向けるユミルへ、自身へ落胆しながら息を吐いて言った。


「私は何もかも覚悟が足りていなかった。ゲームだと思っていたからな。そんな私に何が出来る。……何も出来やしない」

「ゲームってあれ? オミカゲサマとも何か話してたけど、結局良く分からなかったのよね。つまり、お遊びってコトでしょ?」

「そうだ……! 遊んでいただけだ! 何一つ――」

「なぁんだ」


 感情も露わに吐き捨てようとしたところで、ユミルはあっけらかんと笑った。

 一種の懺悔のような気持ちでいたというのに、それを事もなげに振り払い、面白い冗談を聞いたような反応で顔を向ける。


「それってつまり、本気じゃなかったってコトでしょ? お遊び感覚であれだけ出来るっていうんなら、むしろ期待できるってモンよねぇ」

「なに? 待て、ユミル」


 ユミルの一言に食いついたのはアヴェリンだった。


「あれだけの偉業を為しておいて、未だ本気ではなかったと言うのか、お前は」

「本人がそう言ってるもの。……そうなんでしょ? 覚悟も無く、腹も括らず、それで世界を三回ほど救っちゃうのよね?」


 そういう事もあった。

 世界を焼き尽くそうとする巨大な邪竜、全ての生物を闇の中に閉じ込めようとした魔族、人類支配を利己目的で目論んだ堕ちた小神。


 その全ては放置していれば、世界の存続が危ぶまれる程の事件だった。

 まだ全能感に酔っていた時期のミレイユは、神器を入手するという目的を果たす為、それに頭を突っ込んでいった。

 思えば、その何れも神々の誘導に寄るものだったのだろうが、今更知ったところで意味もない。


「何を言ってるんだ、何を勘違いしているか知らないが……」

「――いいから、腹括って覚悟決めろって言ってんのよ」


 へらりと笑っていた表情が、精悍に引き締められる。

 ユミルにしては珍しく、ミレイユに刺すような視線を向けていた。その表情にはくだらない言い訳や言い逃れ、逃避を許さないと語っている。


「アンタが覚悟なく力を振るっていたなんて、こっちはとっくに知ってんの。アクセサリー感覚で魔術を身に付けていた辺りからね」


 それはつまり、出会って間もない頃という事になる。

 魔術の使い方を勘を頼りに動かしていたのを、見咎められて無理やり押しかけ師匠のような形で教わる事になった。


「覚悟がなくてもあれだけのコトが出来たんでしょ? だったら、覚悟を決めさえすれば、それ以上のコトが出来るって寸法じゃないの。簡単なコトじゃない」

「だが……私の身体は、力は……」

「その力は、神の素体があるからこそだって? だから何よ。自力で手に入れた力を、馬鹿みたいな使い方をするヤツだっている。それを考えれば、よっぽど上等な使い方じゃない」


 ユミルの吐き捨てるような物言いに、今だけは咎める事なくアヴェリンも同意する。


「ミレイ様に救われた人は間違いなくおります。それが間違った力の使い方とは思えません。私とてその一人……いえ、ここにいる誰もが同じ様に思っている筈」


 見渡してみれば、確かに全員が頷いている。

 ユミルでさえ、軽く顎を引いて頷くような仕草を見せた。

 だがミレイユは、それに苦い顔を向けてやる。


「数々の偉業と持て囃すが、それだって神々の誘導あってのものだ。誰が私の意志だと証明できる? 全てお膳立ての上で、進む道を歩まされていただけだ」

「だったとしたら、アタシはアンタに殺されてた。神々が我が一族を邪魔者としていたからこそ、アンタは私達の前に現れたんだろうし、そこで殺されるまでがシナリオだった筈」


 ルチアもそれに同意して続ける。


「神々にさえ、全てが想定通りになんて出来ないって、そんなのミレイさんが世界を離れたところから理解できるじゃないですか。実際には行き当たりばったり、偶然に任せていた部分も多いと思いますよ」

「ミレイ様は、その御気質で多くの事を成し、そして御自身の力を正しく用いた。それを傍で見ていたからこそ、我らが傍にいるのです」

「……あの時言った台詞、もう一度言いましょうか? 築き上げてきた信用と信頼が常人とは違うし、その信頼をアンタは一度として裏切って来なかった。それが全て」

「私達がミレイさんに向ける信頼は、私達に向けられる信頼の裏返しです。単に貴女が強いからじゃないんです」


 方々からそう言われて、頭の霧が張れていくような気がした。

 極端な卑下が心の何処から生まれたものか、実際のところは分からない。神々を強大な存在として見るあまり、その実像と掛け離れたものを幻視していただけかもしれない。

 己の想像が肥大し、それで勝手に自滅していただけなのかも。


 ミレイユは髪に当てていた両手をそのまま乱暴に動かし、もう一度息を吐いてから天を仰いだ。

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