決意と表明 その5

「かつては、その信頼を嬉しく思った。自分にその価値があるかは分からないが、その信頼を向けられるに相応しいだけの存在になろうと」

「いいじゃない、そうなさいな」


 ミレイユは力なく首を振る。

 言うは易しの典型だ、と陳腐な台詞を言うつもりもなかった。向けられたその時と、今この時とでは状況が違う。


 平穏で安全な日本、気楽に生きて行けると思う下地があればこその余裕だったように思う。その余裕を取り除かれて尚、気高く振る舞うのは難しい。


 結局、メッキはメッキでしかなかったのだ。

 だが、そんな後ろ向きの思考を先回りするようにして、ユミルは言う。


「気張んなさい。かつてのアンタ――オミカゲサマだって、やってのけた道でしょ。失敗はしたかもしれないけど、その覚悟は本物だった。それなら、アンタにも出来ない道理がない」

「そうかもしれないが……」


 今となっては、どうしてそのように動けていたのか疑問だ。

 だが少し考えてみれば、オミカゲ様は送還された時点で既にアヴェリンを失っている。違いがあるとすればそこで、その怒りや喪失こそが原動力となっていたのではないか。


 いつまでも煮え切らない返事をするミレイユへ、ユミルは諭すように言葉を落とした。


「アンタに救われた命だもの。いざという時は、この命を捨ててでも、アタシが上手いコトやってあげる。だからアンタも、やるべきコトをやんなさい」

「――無論、このアヴェリンも同じ気持ちです。この命、如何様にもお使い下さい」

「僕も、僕も同じ気持ちです! ミレイユ様に受けた恩義は、僕にとってそれ程の……」

「やめろ!」


 流石に黙って聞いていられなくなり、ミレイユは声を荒らげて強制的に話を止めた。

 彼女らの信頼は嬉しい。それを向けられる事を誇らしくも思う。それが独り善がりのものではなく、双方向のものだと分かっているから尚更の事だ。


 だが、だからこそ恐れてしまう。

 そこまでの信頼を向け、そして向けられる相手を喪う事を恐れる。ユミルが口にした事は、オミカゲ様が異世界にいたとき実際やっていたからこそ、自分も必要ならそうする、という実感を持って言えた事かもしれない。


 ミレイユにとって、それは意外でもあったが同時に納得もできる。

 ユミルは損得の計算に、己の命も含めて考えられる人物だ。そうするべきと結論を下したなら、自身を犠牲にしてでも、ミレイユを逃がす位はやってのけるだろう。


 アヴェリンは言うに及ばず、ミレイユを護る為なら文字通り命を投げ出し、事を成そうとする。

 しかし、むしろそれこそがミレイユの恐れる事だった。屍を築き、その死を背負って生きる事。この先を進むという事は、そうなる公算が非常に高いと予想できる。


「私は怖い。お前達を死なせてしまう事が怖い。神々と戦い、しかし敵わず逃げ出して、お前達を喪うばかりで事を成せないのが怖い。それを考えれば、頭を掻き毟りたくなる。その上、その業を背負って千年生きろというのか……。次のミレイユに託す為、孔から出て来る魔物と戦い続けながら、それでも生きろと……」

「ミレイ様……」


 アヴェリンからの気遣う声を聞いた時、いつの間にか、視線は地面を向いていた。

 到底、弱気な表情は見せられない。情けない表情をしていると思う。だから顔は上げられなかった。


 ミレイユという存在は時の流れに囚われている。幾度も繰り返す流れを止めようと、都度ミレイユ達は挑戦して来た筈だ。しかし止められず、現世の崩壊すら招く要因となって、単に己を繰り返す流れから、逃げ出させる事だけが目的ではなくなった。


 数多のミレイユから受け取った重荷、そして世界を救うという責務、その二つが肩に伸し掛かり、到底顔を上げる事が出来ない。

 何故こうなってしまったのか、という悔恨のみが残る。


 元より何も持たない人間だ。何故か神の思惑に乗せられ、たまたま上手くいってしまっただけの一般人。そんな奴に託されたところで、上手く行くものではない。


 どうせまた繰り返すだけではないのか。それを思えば、仲間の命を預かっている以上、軽々しくやってやろうと言える筈もなかった。

 そこにユミルが、柔らかい口調で同意して声を向けた。


「確かにそうね、酷であるのは確かなのかも。自分の為に命を張った仲間がいたのに負け試合、その後の千年は消化試合……そんなのクソッタレよ。でもね、項垂れたって仕方ないでしょ」

「……分かってる」

「勿論、よくご存知でしょうよ。信頼が重い、命が重い、そんなの今更でしょ? アンタは何度でも世界を救った。覚悟も自覚もなしにやれてたんだから、今ここでやる気だしてやんなさいよ!」

「――口が過ぎるぞ、ユミル」


 言葉を吐き出す度にヒートアップしたユミルを、アヴェリンが固い口調で窘めた。普段なら激昂して掴み掛かろうとするだろうに、それがないのはユミルの言にも一理あると思っているからか。


「……良いコト? 黙って聞いているだけでいい、でも顔は上げなさい」


 言われるまま、ミレイユは顔を上げた。

 ノロノロとした動作だったが、それを非難するような言葉も視線もなかった。ユミルと視線が交わると、一本指を立てていた手をアヴェリンに向けた。


「コイツはアンタが誰より信頼する戦士でしょ? 立ち塞がる敵に容赦なく、どのような敵にも怯まず、決して諦めるコトなく立ち向かう。アンタの隣に立つ戦士として、これ以上頼りになる者もいない」

「……当然だな。私はミレイ様の一振りの武器として、望むままに打倒するのが務め」


 アヴェリンは大いに満足した顔つきで頷き、更に腕を組んでからも幾度か頷いた。

 ユミルは続けてルチアに指を向ける。


「高度な魔術制御と最上級魔術を使いこなす氷結使い。アンタの為と思えば、苦手な結界術だってモノにして見せた。高い学習能力もあって、魔術の研鑽も欠かさない。頼りになる後衛として、何度も助けてもらった」

「魔術の分析と、その行使ならお任せを。治癒術にだって一家言ありますよ」


 自慢気にルチアが頷いて、個人空間から取り出した杖を胸に抱く。

 ふわりと周囲を覆う繊細な魔力制御は、一瞬にして朝露を凍結させた。だが同時にミレイユ達へ、その冷気は伝わって来ない。小手先しか身に着けていない魔術士には、到底無理な芸当だった。


 次にユミルは自分の胸に手の平を当てて、自慢気に胸を張る。


「そして私が持つ多くの知識は、必ずアンタの役に立つ。剣術、幻術、死霊術……それに攻勢魔術。なんでもござれで、あらゆる状況に対応するわ」


 そして、とユミルがミレイユへ指を向けようとしたところで、残りの一人――アキラの熱意あり過ぎる視線を向けている事に気が付いた。

 ミレイユが気付いているくらいだから、当然ユミルも気付いている。


 他の二人同様、自分にも何か紹介してくれる事を願っているようだ。

 その熱視線に根負けしたように、ミレイユへと向けていた指をアキラへと曲げる。


「……で、アンタはアキラ。以上。それだけ」

「ひどい! 幾ら何でもあんまりです、他に何か言って下さいよ!」

「さっき、しれっと自分をアピールしたコト許してないからね。駄目と言われたら諦めるって言ってた癖に。あの流れだと許されると思った?」

「でも、そんな……だからって!」

「今はもう締めなんだから、そこで大人しくしてなさい」


 ユミルはシッシッと蝿でも払うかのように手を振って、ミレイユへと向き直る。


「……ンンッ、ゴホン。で、アンタは言うまでもなく――」

「この流れで続けるのか?」


 思わず口からついて出た言葉に、ルチアがブフォッと盛大に吹き出した。

 アヴェリンもまた苦い笑みを浮かべていたが、ユミルは頓着せずに胸を張る。


「いいでしょ、むしろアタシ達らしいじゃない。気勢を張って何かするって、そもそも向いていないのよね」

「ひどい開き直りだな」

「そっちの方がアンタも好みでしょ。アンタ好みに合わせられる、良いオンナなの、アタシって」

「あぁ、そうか。まぁ……分かった」


 ここで更に話の流れを変えるのも拙い気がして、とりあえず頷く。

 ユミルも満足げに頷いて、何事もなかったかのように話を続けた。


「……で、アンタの実力は誰しも疑うものじゃないでしょ。そして、これだけ頼れる仲間もいる。全てアンタ一人で考えて、そのうえ万事見事にコトを成せなんて言わないわ。アンタはアタシ達のリーダーよ。使いこなして見せなさい、それがアンタには出来る筈よ」

「それが例え、神々に対するものでもか」

「それが何であってもよ」


 ミレイユは笑う。

 その自信は何処から来るのか。あまりに簡単に言いのけてしまえるのは、責任を放棄しているからでも、未来が見えていないからでもない。


 ユミルには、それが出来るという自信があるのだ。根拠のない自信だったとしても、時にそれが身体を動かす原動力になる。

 アヴェリンもまた、熱の籠もった声で言った。


「微力を尽くすなどと、謙虚な事は言いません。我らならば出来る。あらゆる罠を噛み千切り、全ての壁を破壊して突き進む。そうせよ、とお命じ下さい。必ずやご期待に添えます」

「オミカゲ様が受け取った重荷は、貴女にしか背負えません。でも、私達なら支える事が出来る筈。一人で抱え込むのではなく、私達の肩に手を置いて下さい。私達四人で考えを合わせて、計画を練り直しましょう」


 ルチアからも続けて言われて、ミレイユはじんわりと胸が暖かくなるのを感じた。

 一方的に支えているとも、逆に支えられているとも感じた事はなかった。心の中で対等でいると思っていても、リーダーとして一つ上の位置にいるのだと思っていた。

 彼女らを支配し、上手く制御するのが務めだと。


 だが、違うのだ。

 ミレイユはいつだって支えられていた。ただ、メッキの上から触れられていたから感じられなかっただけで、いつだって彼女らはミレイユの身体に手を添えていた。


 気持ちを受け取っていた筈なのに、鈍感だった。あるいは、鈍感でありたいと、どこか責任から逃げる用意をしていただけなのかもしれない。

 ミレイユは天を仰いで息を吸い、そして盛大に息を吐く。

 溜め息ではない。自分の心を見直す為に必要な深呼吸だった。


 オミカゲ様の最後の言葉と表情が思い出される。

 あの時、再びの送還を、違う空を見て感じた瞬間――。

 重圧と共に現実へ直面し、メッキの覚悟で送還され、その為に拒否と逃避で魔力全てを放出した。あれは間違いなく狼煙の役割を果たし、ミレイユの位置を神々へと報せる事になったろう。


 悔やむと言えば、後悔ばかりが浮かび上がる。

 遠くへと逃したつもりでいるオミカゲ様の、その配慮にすら唾を吐くような行為だった。

 ――その彼女は、こう言った。


「お前は上手くやれ。……別れのきわに、そう言われたな」

「ミレイ様……」

「やるさ、やってやる」


 一言、そのように口に出せば、腹の底からやる気が漲ってくる。

 メッキはメッキ、本物にはなれない。だが、本物に変えるだけの魔法をミレイユは持っている。それが目の前で向けられる仲間からの信頼だ。

 彼女らの視線には一点の曇もなく、それが本物だと信じている。ミレイユもまた、それを信じれば良いだけだった。


 そのやる気は熱を持って、先程まで消沈していたミレイユを押し流すかのように身体中を駆け回った。情けなく垂れ下がっていた眉にも力が入る。

 真っ直ぐにユミルを見つめれば、それだけで満足気に頬を緩めて頷いた。


「――お前達を頼る。必ず神々の思惑を打破してやる。どうか力を貸してくれ」

「元よりそのつもりよ」

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