気高き決意 その4

 それは紛れもなく『神器』だった。

 かつて自分で手に入れ、そして管理していた事からも、それが偽物ではないと分かる。

 手を出して受け取るべきか、と一瞬の間逡巡したが、そもそもユミルにそのつもりがあって取り出したのではない、とその視線から分かった。


 伝えようとしているのは、これを握らせる事ではない。

 覚悟を問おうとしているのだ、とミレイユは察した。


「これがあれば、現世に帰還する事も出来る。これまでも、過去の日本へ帰る時、これを使って渡った事もあるでしょうね。そして、アンタが望むなら、何もかも捨てて元の世界に帰るコトが出来るかもしれない。でも、この先ドラゴンの為に使うつもりでいるなら、そのどちらも叶わなくなる。……いいのね?」

「そうだな……」


 ミレイユは自分の過去を振り返る。

 何も知らず、単にゲームで遊んでいただけの御影豊は、数奇な運命を辿るなど全く考えずに遊んでいた。当然だろう。ゲームを遊ぶ事で違う人生観を得られる事はあっても、別人の人生を送る事になるなど、想像もつかない。


 そこへ帰りたいと思うか、と問われたら――。

 今のミレイユはいいえ、と答える。


 寿命も残り一年を切り、世界の命運を握らされ、そしてオミカゲ様も受け継いできた重荷を受け取り、神々との戦争を控えているとしても――。

 それでも、ミレイユは今の自分を選ぶ。


 何も持たず、得る事も求めず、怠惰に過ごしたあの時に戻るくらいなら、痛い思いと辛い思いをしようとも、ミレイユのままでいる事を望む。

 幾度も繰り返し、そして悔恨や絶望のまま死んでいった、同じミレイユの事を思えば、それに報いてやりたいと思う気持ちもある。


 そして、この場で自ら帰還して、敢えてループするという選択もあった。

 かつてオミカゲ様は、一つの道を示している。


 ミレイユが現世に帰還した瞬間、その時から結界へ移動させ、座標の固定をさせない。そしてルチアに協力して貰って『孔』の縮小を狙う、という方法だ。

 電線を利用した転移で即応体制を形成する、という方法もあった。


 次周へ託す事を念頭に置いたオミカゲ様には、ミレイユ達に指摘されるまで気付かなかったアプローチだ。それを今のミレイユなら、上手く準備を整えるなら可能かもしれない。

 残り一年という寿命も昇神すれば開放されるし、オミカゲ様が成せた事なら、ミレイユもまた同じ時代……より良い時代を、形成出来るかもしれない。


 もしかしたら今度こそ、次の周回でループから脱却できるかもしれないのだ。

 神々との抗争という、命を擦り減らし、勝てるかどうかも分からない戦いに身を投じる必要もない。

 より確実な脱却を目指すのなら、もしかしたら次に託す事が、最も成功に導く方法になるかもしれない。


 ――だが。

 ミレイユはこれを最後にすると決めた。

 自分の世界だけでなく、このデイアートに生きる無辜の民を――神々によって良いように使われた民たちを、救い出すと決めたのだ。


「この世から八神を排し、正しく大神に降臨して貰う。崩壊間近な世界の救済、人民の救済を託す。その上でオミカゲ様が築いたあの世界を救ってやろう。全て解決する。――全て、これで終わらせる」


 ミレイユが高らかに宣言すると、ユミルはにこりと笑って神器を手渡して来た。


「いいわ。元よりアンタの為に使う神器だもの。その気高い決意の為に、使ってもらいましょう」

「ミレイ様……! やはり、やはり私の目に狂いは無かった! 我があるじ……、気高き御方……! 貴女様の願いを叶える為、このアヴェリン如何なる命であろうと遂行して見せます!」


 アヴェリンが感動に打ち震えながら、頭を下げた。

 主従として見慣れた光景だが、アヴェリンから溢れるやる気が違う。忠義を示す事は彼女にとって喜びだが、同時にミレイユが気高き足らんとする姿を何より喜ぶ。


 誰よりも高みにあり、誰よりも気高いと信じて已まないアヴェリンだから、ミレイユが言った台詞には、相当心が刺さったらしい。

 ルチアはそこまで強い感情を見せないが、しかし彼女にも彼女なりの真摯な気配が伺える。


 受けた恩以上のものを返す、と誓っている様であり、それは単に自分が受けたものだけでなく、この森全体が受けた恩に対してのように見えた。

 アヴェリンほど苛烈でも、ユミルほど執着してもいない。だが、命を振り絞って共に在りたいと思ってくれている。


 それらを感じ取って、ミレイユはそれぞれに笑みを浮かべ……そして、その笑みを苦いものに変えながら神器を手に取った。


「我ながら無茶を言うと思っているよ。とんでもない事になったとも、とんでもない道を歩いているともな……。しかし、抗うと決めた。乗り越え、覆えし、終わらせると。それに付き合わせるお前達には、済まなく思うが……」

「憂う必要などないのです! 誰しも今更、臆病風に吹かれる者などおりません。貴女と共に歩き、進める事は我が喜び。思うがまま、お好きな様にお使い下さい!」

「あぁ、共に行こう。……お前たち二人も、……頼りにさせて貰っていいか?」


 ミレイユが顔を向けると、二人は揃って呆れたように笑う。


「聞くまでもないでしょ、それは。アンタはいいから、着いて来いって言ってドンと構えていればいいの」

「そうですよ。むしろ、今更そんなこと聞かれたら、梯子外された気持ちになりますよ。アヴェリンと同じ事を期待されても困りますけど、今更離れ離れで生きていくこと自体、違和感あるんですから」


 二人から苦言の様に言われると、ミレイユも我ながら馬鹿なことを聞いたと自省した。

 切っても切れない関係。この四人の事は、恐らくその様に表現するのが相応しい。そして、そんな仲間に囲まれているから――頼りになると思っているから、ミレイユは何でも出来る気持ちになれるのだ。


「それじゃあ、お前達にも苦労して貰うとするか」

「いいわよ。神を相手に売る喧嘩だもの、苦労のし甲斐もあるってモンでしょ」

「苦労だけで済むって考えてる辺り、相当おかしいって自覚するべきですよね。勝てて終わると当然の様に思ってるのが、何とも……」


 苦笑を滲ませて言うルチアに、ユミルは肩を竦めて答えた。


「そうは言うけどアンタ、その位の気持ちでいなくちゃ、やってやろうという気にはならないでしょうよ。――大体、負けてやるつもりもないしね」

「……それは勿論、そうですね。貴女がこういう場面で楽観視するとは思えませんし」

「何を言う、ルチア」


 苦い笑みから諦観を浮かべ始めたルチアを、嗜める様に口を挟んだのアヴェリンだった。


「元よりミレイ様が進む先には栄光しかない。それは分かっていた事だ。途中躓こうとも、最後には必ずやり遂げる。その決意を、今まさにミレイ様が表明したのではないか」

「躓くというには、少し長い足止めだった気がしますけど……。でも、そうですね。負けるつもりで挑戦する気は、私にもありませんから」


 当然だ、とアヴェリンは満足げに頷き、そしてミレイユへと顔を向ける。


「それでは、すぐに行動を? まずは竜の谷へ行く、という事になるのでしょうか」

「そうしたいところだが、まずは休息だな。夜通し掛かった話し合いだ。使いたくもない頭を使わされて、流石の私も相当疲れた……」

「真に、左様ですね。気が逸ってしまい、申し訳ありません」


 いいや、とミレイユは笑って手を左右に振った。


「気持ちは分かる。それに、聞いた話では今日明日で事態が変容するような、急を要する事にはならないだろう。あちらもまだ、私が安穏としていると思っている筈。これから危機感を煽ろうとして襲撃があるにしろ、まだ猶予はある」

「一度眠れば、何か問題に気付いたり、あるいは妙案が思いつくかもしれませんしね」


 ルチアがそう言って皮肉げに笑えば、ミレイユも同意して頷く。

 ともかくも、今日は色々と一度に知り過ぎた。途方も無い事、と本来なら頭を抱えていても可笑しくない状況なのだ。

 それを今一度理解すると、更にドッと疲れが肩に圧しかかって来る気がする。


「それに、いつまでも寒い地下室にいるのも嫌になってきた。陣の方も明日起きてからで、今は後回しでいい」

「あら、それは助かりますね。時間に追われている気分だったので、早く終わらせなければ、と思ってましたよ」


 顔には出さずとも、思う所はあったらしい。嬉しそうな顔を繕おうともせず、胸の前で手を叩いた。

 それに先程、ルチアが言ったとおりだ。

 疲れた身体と頭では、ロクな事を考えないし、考えつかない。一度に多くの情報を教え込まれた所為もあり、ミレイユとしても、とにかく眠ってしまいたかった。


「互いの認識の擦り合わせや、今後の方針についても、また明日にしよう」

「その方が良さそうね」


 ユミルもまた口元に手を当てて、大きく欠伸をした。

 戦闘をした疲れよりも、こうした疲れの方が負担は大きい。誰からもその気配が伝わって来て、ミレイユを先頭に、地下室を後にする。

 大きく背伸びをしつつ、欠伸を噛み殺しながら階段を上がって行った。

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