気高き決意 その5

 明くる日の事だった。


 ミレイユが眠ったのは、日がすっかり昇り、樹々に休む鳥の囀りが大きくなり始めた頃だ。

 一度目を冷ました時は疲れが取れず、水分だけ取ってまた眠ったのだが、それから更に目を覚ました時、再び日が昇っていた。


 寝ぼけた頭には鈍い痛みがあって、正常な思考が纏まらない。自分がいつ寝て、そして起きたのか、それすら理解できずにベッドの上で首をゆらゆらと漕いでいた。

 いっそ受け入れられない、といった気分だったが、とにもかくにも朝には違いない。すっかり固まってしまった身体を解きほぐしながら、ミレイユはベッドから起き上がった。


 身だしなみを整えてから食卓へ向かうと、そこには既に全員が揃っている。

 窓の外へ目を向ければ、いつも起き上がる時間とそう変わらないようだった。気まずいものを感じながら、ミレイユは自分の席に座る。

 それを目で追っていたユミルが、ニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべながら言った。


「あらあら、お寝坊さんのお出ましね。あまり長時間寝ると、身体に根が生えるとか言われるもんだけど……ちょっと背中見せてご覧なさいな」

「挨拶の前に言う事がそれか。……寝すぎてしまった私が言える事ではないが」

「少し寝すぎる程度、何程の事がありますか。あの日の苦労を思えば、疲れが多いなど当然というもの。起きたい時に起きて、誰が文句を言いましょうか」


 アヴェリンは援護してくれたが、気まずい事には変わりない。

 寝過ぎれたから怒られる、などと言う事もないが、とにかく倦怠感ばかりが募って精神衛生上にも宜しくなかった。

 ミレイユ自身、自己嫌悪する部分があったのだが、それとは別方向の苦言がルチアの口から出て来る。


「それは確かに、少し寝たぐらい誰が文句言うものでもないですけど、ミレイさんしか裁決できない書類とかあるじゃないですか。父上が一度心配して様子を見に来ましたけど、とりあえず心配ないと追い返しておきました」

「あぁ……、そうだな。その件についても、少し話しておかねばならないか。暫く……いや、今後里長としての仕事を行えなくなるかもしれないしな」

「アンタね、そんな後ろ向きな……」


 ユミルが顔を顰めて注意しようとしたのを、ミレイユは緩く首を振って止める。

 何もこれから来る戦いの結果次第でどうこう、と言いたいのではない。負けるつもりも当然ないが、勝ったからとて同じく里に留まり続けるとは限らない。


「そういう事が言いたいんじゃないんだ。ただ、本当に全て円満に解決したのなら、私はきっと現世へ帰還すると思うからだ」

「あぁ……、それは……。まぁ、アンタは元よりそれが望みだったものね。思うトコロが無いワケでもないけど、でも最初から一貫した願いだったし」

「何だ、その思うトコロというのは……」


 聞いてしまってから、迂闊な質問だったと自分を責めた。

 何を言いたいか思い当たったが、既に口に出してしまっては仕方ない。どうも、未だに頭が回っていないらしい。


「アタシは、まだアンタがこの世の神になって欲しいって気持ち、失ってないのよね。多くの神がいなくなるワケだし、代わりに居てくれると嬉しい限りなんだけど」

「大神が――本当の大神が世に降臨するだろ。本来はその四柱で上手いこと回していくものだろうし、今更私なんて必要ない」

「その四柱ってのが、ちょっと信用ならないっていうか、ねぇ……。ほら、分かるでしょ?」


 ユミルの懸念も分からないではない。

 何しろ、贄としての役割を持たせて小神を作ったのは、その大神なのだ。

 つまり、全ての元凶とも言える。


 もしも小神の役割が、単に信仰を効率よく集める為だとか、大神の手足となって働く事を前提としているだけなら、反逆など起こさなかった。


 我が強く、そして力があったから起きてしまった悲劇とも言えるが、もっと穏便な方法を作れば、ミレイユも今こうして悩む必要などなかったのだ。

 謀略の得意な神がいて、そして大神に比べ小神の数も倍いたとはいえ、あっさり負けて封印されている、というのも不安に拍車を掛けている。


 ルヴァイルは大神を復活させ、その権能を十全に発揮されたなら、世界の崩壊も、終焉も全て解決すると思っている。

 大神の実力や権能の程を知らないミレイユからすると、ついつい本当に大丈夫なのかと疑ってしまう。だが、ルヴァイルが信じると言うのだから、ミレイユもまた信じてみても良いだろう。


「……何事にも、まず疑ってみるのは大事かもしれないが……。しかし、信じるしかないだろう。世界の終焉を防ぎ、救うとは言ったが、何もかも全ての責任を担ってやる、とは言ってない」

「それも分かるわ。ただ、少し心の片隅で置いておいて欲しいのよ。大神が、封印されるに足る程の外道だったとしたら? それはそれとして、じゃあ崩壊は防いたんだし、後はよろしく、ってなる?」


 ミレイユは顔を覆って、テーブルに肘を付いた。

 大きく溜め息を吐いて、もう片方の手をプラプラと左右に振る。


「そういう事は考えたくない。大神の封印が解かれれば、全て平穏無事に収まる……それでいいじゃないか。今の八神は反逆の罰を受けるのは致し方ないとして、復活するのは正真正銘の創造神だろ。この世の全てを作った神、何もかも上手くやってくれる。文字通りのデウス・エクス・マキナだ」

「確かにそうよ、何もかも上手くやってくれるかもね。でも同時に、最悪を考えて欲しいの。もし何もしてくれなかったら? この崩壊する世界に見切りを付け、別に創造し直すと言い出したら? 全てを破棄すると言い出したら? 救うと言うなら、その場合も考えて欲しいのよ」

「――考えてどうなる」


 そう言って、鋭く非難したのはアヴェリンだった。


「確かにミレイ様は、神たらんと戴くに相応しい御方。オミカゲ様の事もある……もしも神として降臨して頂けたなら、必ずや世を平穏に導いて下さるだろう。だが、それはミレイ様の望みではない。既に一度、断られてもいる。私も一度は望んだ事だが……、考え直しては頂けないだろう」

「そうね……、そうだと思うわ。でも、手段があり、方法があり、そして可能であるのなら、考えるだけはして欲しい。これはそう言う話なのよ」

「それは、確かに……考えるだけなら、考えて頂きたいものだが……」


 否定しようとしたアヴェリンだったが、ユミルの言葉に絆されて、否定しきれず曖昧に首を振る。それからゆっくりとミレイユへと顔を向け、困ったように眉根を寄せた。


「神器……そして『遺物』、その二つが揃っているのなら……」

「なんだ、私に昇神しろと言いたいのか?」


 ミレイユが睨む様に言うと、アヴェリンは顔色を悪くして首を振った。


「いえ! ただ……少し、可能性として実行できると思っただけでして……!」

「それも良いけど、いっそ全部まるっと上手いコト解決して、って願うのはどう?」


 ユミルが冷やかすように笑いながら言うと、それを冷ややかな目でルチアが咎めた。


「いやいや、待って下さいよ。いっそ可能なら縋りたくなる気持ちは良く分かりますけど、現実的に不可能じゃないですかね?」

「私とて、何も無責任に縋ったり託したい、と言うつもりはないぞ。決して、お一人で担って欲しいと押し付けるつもりもない。その時は、私も一端を担い、身命を賭してお仕えするつもりだ」

「いやいや、そっちじゃないです。ユミルさんが言った、まるっと解決の方です。手段はあっても、その効果が曖昧だから無理じゃないかって話なのであって……」


 言わんとしている事が分からず、アヴェリンは首を傾げる。

 ミレイユもまたどういう事かと一瞬思ったが、すぐにルチアが何を言いたいのか思い当たった。


 結局のところ、『遺物』は汎ゆる願いを叶えてくれるものでは無い。それを前提として理解しておかねばならない。そして、願いをかける者もまた、その篩に掛けられている。


「ミレイさんは、汎ゆる願いを叶える為の『鍵』として、造られたらしいじゃないですか。でも同時に、『遺物』は下手な願いで世界を混沌で満たしたり出来ないよう、ある種のセーフティが設けられている。例えば、一般的な農夫が叶えられる願いは、やはりそれ相応の微々たるものでしか無いんでしょう」

「……分かる話だ。『遺物』はそれ自体が、世界を崩壊させる危険性を秘めている。子供の思い付きで壊されては堪らない」


 ミレイユが口を挟むと、ルチアは大いに同意して頷いた。


「私達が使えたぐらいなので、神である事、その模造品である素体である事は、絶対的な条件じゃないんでしょう。ただ、より大きな願いには、より大きな力を求められる」

「素体を神の領域に押し上げる……魂の昇華などという曖昧な表現が、つまりそれだろうな。そして、私を小神を越える程の位置まで押し上げた事で、それだけ強い願いを叶えさせようとした」


 あるいは、その力量や魂の昇華を、レベルと言い換えれば分かりやすいかも知れない。

 十や二十で叶えられるものは個人的な狭い範囲に留まるが、これが百ともなると、世界そのものにアプローチできる権利を得る、という様な。

 それが真実、正しい事かは不明だが、イメージとしてはそれが最も分かり易いし、全くの的外れでもないと思った。


「前にミレイさんが願いを叶えた状況って、かなり特殊だったと思うんですよ。神魂に相当する魂が三つも注がれた状態で、更に神器が五つも揃っていた。本来の目的が、ミレイさんに世界を改変させる程の大きな願いだったとすると、それだけの膨大なエネルギーが必要って事ですよね。でも……」

「いま確認できるのは一つの神魂、一つの神器だけ。これでどこまで願いを叶えられるかは不明だが、あらゆる願い、あらゆる現象を引き起こす、と行かないのは明白だろうな」


 ミレイユがルチアの言わんとしたい事を先に告げると、またも彼女は大きく頷く。


「だからこそ、ドラゴンの姿を取り戻す、という小さな願いを提示したんでしょうしね。相応のエネルギーでは、相応の規模までしか叶えられない、という証左です」

「……そうだな。現状の願いで即座に解決できるなら、ドラゴンを味方に着けろなどと言わない。それよりも、封印の解除を願わせれば済む話だ」

「いっそ、その封印に関係した神々を消せれば、もっと話は早かったわよね」


 ユミルが眉根に皺を寄せて、不快気な息を吐いて言った。

 実際、それが出来れば、何もかも話はスムーズに進む。大神は復活するし、それで後は神々同士で争うなり、話し合うなりすれば良い話だ。


 ミレイユの預かり知らないところで、世界を終焉から救ってくれれば良い。

 ――だが実際は、そう話は上手く転がらない、という事なのだろう。

 ユミルの結論を聞いたアヴェリンも、不快気に顔を顰めて腕を組む。


「それならばそうと、詳しく説明して行けば良いものを。何故あぁも胡乱で、何もかも知っている前提で話を進めるのか……!」

「それが神ってモンだからでしょ。後は、ウチの子を随分買っていたのも原因かしらね。言わずとも、それぐらいは推測出来て当たり前、理解して動いて当然と思われてるんでしょ」

「……何とも、はた迷惑な話だな」


 それは事実だと思うので、ミレイユも憮然として頷いた。

 そして勝手に理解して推測し、正解を引き当てると思って疑っていないから、大事な事は言わずに去ったのだろう。口に出さずとも理解してくれる、というのは信頼の表れだが、これに関しては、単なる連絡の不備だとしか思えない。


「それに、本当の狙いは……むしろ、ユミルが言った部分にあるんだろうしな」

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