気高き決意 その3

 ミレイユの表情を読み取って、ルヴァイルは満足げに頷いて席を立つ。それに倣って、インギェムもまた立ち上がった。


「もう話す事だって無いだろ、そろそろ帰るとしようぜ。肩が凝って仕方ねぇ……」

「えぇ、この辺りで退出しなければ……。あまり長く居すぎて、疑念を強めてしまっては元も子もないですからね」

「言っておくが、日が暮れる前から来て、今はもう陽がすっかり登っているからな。これを長くないと言われても、全く信憑性がないんだが」


 言いながらミレイユが指先で窓を示すと、既に十分明るい外が目に入った。

 森の中には薄っすらと霧が掛かり、朝露が葉を濡らしている。雲の少ない空には、黄色い光が更に長く明かりを伸ばそうとしていた。


 指差されるままにそれを見つめたルヴァイルとインギェムは、目を細めて笑う。


「このぐらいならば許容範囲です。そうでなければ、強引にでも話を切り上げるか、もしくはもっと急かしていました。予定通り終わったのですから、文句はありません」

「……それなら良いけどな」


 ミレイユも席から立ち上がると、アヴェリンとルチアがそれに続き、最後にユミルが億劫そうに立ち上がる。


「では、最後の仕事に取り掛かりましょう。竜の谷へ転移する陣を張ります。構いませんね?」

「勿論だ」


 短く返答して、アヴェリンに先行するよう指示する。その後ろにルヴァイル達が付き従い、そしてユミル、ミレイユ、ルチアの順で続いて行った。

 今更ここまで警戒する必要もないと思うが、念を入れるに、入れ過ぎるという事はない。


 地下へ辿り着くと、早速ルヴァイルが魔力を制御し、陣を形成していく。それをインギェムが補佐する事で、それなりに手早く完成させた。

 手際自体は確かなものなのは認めるが、神々の二人がかりとしては粗末なものに見えた。


 あれならば、ミレイユとルチアとでも同じ事が出来るし、やりようによってはもっと速く出来る。タイムを計る競技のつもりでやった訳でないだろうが、落胆の様な不思議な感情が胸の底から湧き上がった。


 そうして唐突に思い至る。

 ミレイユは期待していたのだ。心の何処かで、神ならば出来て当然、有能で当然、自分より遥か高みで当然と。


 しかし、ミレイユという素体は、その神々の中でも最高傑作たらんと作成された。

 彼女らがつたないのではなく、ミレイユが規格外だと考えるべきなのかもしれない。

 ミレイユの不躾な視線に気付いたのか、ルヴァイルが苦笑しながら言った。


「何を考えているか推測できますが、妾も別段、魔術の扱いに秀でている訳ではありませんからね。だったら何が得意だと言われたら……、困ってしまいますが」

「言っとくけどな、己らを過小評価する前に、自分がオカシイって事実を受け入れろよな。多芸で羨ましいって言ったのは、皮肉でも何でもないんだよ」


 インギェムまで睨み付ける様に言ってきて、それで降参するように手を挙げた。


「それはすまなかった。それで、いま作成した陣の方は、私が魔力を流すだけでも作用する、と考えて良いのか? 使用期限や回数制限は?」

「今込めた魔力は時間経過と共に減衰して行くので、それまでの間なら何度でも。しかし、七日程度で作動しなくなると考えて下さい」

「七日ね……。それまでの間に、色々と済ませてしまわねばならないか……。了解だ」


 ミレイユが頷くと、ルヴァイルは視線を合わせ、決意を込めた表情で口を開く。


「次に会うのが神域である事を願います。言ったとおり、戦闘での助力は望めませんが、神々の合流を阻止するか、あるいは遅らせるかして援護しますから」

「何があろうと己らの先は長くないだろうが、終焉だけは阻止する。……頼むな。……本当に、頼むぞ」


 インギェムの言葉は切実で、懇願の色が濃く浮き出ていた。

 ミレイユとしても、こちらとあちら、どちらの世界の終焉も受け入れるつもりはない。そして、これが最後だという覚悟と決意の元に動いている。

 これまでもそうだった。そして、これからもそう動くのだ。


「分かってるさ。お前達もヘマをするなよ。こちらを救い終わったら、次はあちらだ。それまで死ぬ事なんて許さんからな」

「へっ……、許さないってか。神に言う事じゃないんだよなぁ……、まったくケッサクだ」


 目を細めて笑い、それから泣き笑いの様な表情で握った拳を向けてくる。


「お前とは違う形で知り合いたかった。そうすりゃ、きっと良い友になれたろうにな。今更お前にやったあれこれを許してくれとは言えねぇが、今回だけは飲み込んでくれ」

「……そうだな、許してやるとは言わない。……だから、今回だけだ」


 決して笑みを作るでもなく、嘆くでもなく、平坦な表情を心掛けて、拳をコツンと突き合わせる。インギェムは感謝するように小さく顎を上下させて、視線を振り切るように身体を反転させると、元より用意されていた陣へ入って行く。


 それを目で追って消えるの見届けると、次にルヴァイルがミレイユの前に立った。


「最後に思いがけない土産を、ありがとうございました。自己満足でしかないと分かっていても、貴女には感謝を。必ず報いは受けますから、どうか必ず成し遂げましょう」

「あぁ、全てを終わらせる。――終わらせてやろう」


 ルヴァイルが瞳に涙を溜めて頷き、おずおずと掌を差し出してくる。

 何をしたいか察して、ミレイユはその手を握り、上下に軽く振った。

 ルヴァイルは嬉しそうに笑い、離した手を大事そうに胸へ抱いて一礼した。そうして、インギェムの後に続いて陣を潜り、姿が消える一瞬、振り返った姿に泣き笑いの表情が映る。


 それは一瞬の残滓に過ぎなかった筈なのに、ミレイユの瞼には強く焼き付いて残った。


 ――


 二柱の神が姿を消して、地下室に沈黙が降りる。

 只でさえ物音がせず、寒々しい地下だ。沈黙が残ると、更に寒々しい気配に満ちる。

 自分の感情を整理しきれないまま転移陣を見つめていると、構成していた線がスパークする様に光り、次いで焦げ付き煙が上がる。


 それは蝋燭が消える直前に見せるかのような細い煙で、部屋に充満するほど大きなものではなかった。ただ、再使用出来ないよう、あちらから何か働きかけて自壊させたと分かって、物寂しい気持ちになる。

 転移陣があれば何かと便利とは思うが、これはもう二度と来る事はない、という意思表示であると共に、訪れた証拠隠滅も兼ねているのだろう。


 ミレイユは右手で魔力を制御して、ごく小さな旋風つむじかぜを行使して煙を霧散させる。そして背後を振り返って、ルチアの目を見ながら、焼き切れた陣へ親指を向けた。


「悪いが、あの陣の処理を頼む。そして、その代わりに別の転移陣を敷いてくれ」

「それは構いませんけど……。どこへ繋ぐ陣ですか? ……というか、私はマーキングとかしてないので無理ですよ。まさか二百年前に描いたものが残っているとも思えませんし」


 当然の疑問と指摘に、ミレイユは用意していた答えを言った。


「最後の仕上げは私も加わる。敷いて欲しいのは、ここへ繋がる転移陣だ。移動時間を短縮するのに使いたい。これから向かう分には仕方ないとして、そこから更に竜の谷まで行くとなれば時間との勝負だ。極力無駄は省きたい」

「それは了解しましたけど……。でも何処へ向かうと言うんです? ――いえ、先程は何やら当然の様に『遺物』の話を口にしてましたけど、つまりそこへ向かいたいと言うんですか?」


 そうだ、とミレイユが首肯すると、ルチアは疑問を顔に貼り付かせる。

 理解出来ないのは当然だが、それを説明するより先に、アヴェリンが問いかけて来た。


「先程の神々からと話し合っていた事からして、そもそも『遺物』を使う前提でいる様でした。ドラゴンどもと交渉するにしろ、その願いが歪められた姿を戻す事にあるのなら、それは『遺物』を使わなければ無理だという理屈も分かります。しかし、前提として無理が先立つのでは?」

「うん、お前が言いたい事も分かる。私としても、神々に対してはカマをかけたつもりだった。そして、誰も異議を挟まないので、どうやら間違いではないと分かった」

「誰も……。ルヴァイルとインギェムが、という事でしょうか?」

「いや、ユミルもそれに含まれる」


 言うと同時に、アヴェリンの剣呑な視線がユミルを射抜く。

 当の本人は飄々とした視線を崩さず、むしろ楽しげにアヴェリンを見返していた。

 何を言うつもりもないと見て、アヴェリンが一歩踏み出そうとしたところで、ミレイユが手首を持ち上げる様な動作で止めた。


「あの場で直接的に言葉を出すのは憚られた。本当にあちらが知っているのか、その確信が持てなかったからな。別の何かと勘違いしているなら、それを教えてしまう愚は犯したくないし、仮に知っていようとも、念のため口に出したくなかった」

「では、ミレイ様は何を知ってカマをかけたと言うのですか? ユミルが関わる……隠して……」


 ユミルを見つめながら口に出した事で、点と点が繋がったらしい。

 アヴェリンは瞠目しながら、ユミルに指を突きつける。


「それがさっき言っていた、伏せ札というやつか? 幾度となく、ルヴァイルに苦汁を舐めさせたと思しきもの……」

「神の思惑を越えて、そのテーブルを引っくり返す様な真似、となると手段は限られてくる。その上で何を隠し持っていたかを考えれば、それは『神器』以外に有り得ない」


 ミレイユがアヴェリンの言葉を継いで言うと、ユミルはクイズの解答者を褒めるかのような気安さで手を叩いた。

 間違いなく正解だと、その表情からも伺えるのに、しかしアヴェリンは未だに納得できないらしかった。眉根に皺を寄せ、突き付けた指を上下に振って詰問する。


「だが、そんなものいつ手に入れた? ミレイ様と出会うより更に前から、どうにか入手していたと? そして、それを今まで誰に言うでもなく、隠し持っていた……?」

「馬鹿ね。神がアタシに試練なんか課す筈ないじゃない。試練を超えた誰かから奪ったワケでもない。良いコト? 単純な引き算よ」


 ユミルは指を一本立てて振り、ミレイユを指差してから、その手を開いて指を広げた。


「この子は五つの神器を集めた――集めさせられた、と言うべきかもしれないけど。そして一つ使って現世へ帰還する願いを叶えた。そしてアヴェリン……アンタも、率先してその後に続く願いを口にした。見てるとやっぱり、一つの消費で済むらしい、と……。じゃあ、ルチアとあたしも同じく消費は一つで済むと分かるワケで……。となれば、集めた内の一つは、余る計算よね?」

「宙に浮く一つを、その場に残して行く事を良しとせず、くすねていたという訳か……!」

「言い方ってモンがあるでしょ」


 ユミルはジト目でアヴェリンは見つめてから、ミレイユへと顔を向ける。


「だから、もしもの保険、使わずに済む鬼札として、懐に仕舞い込むコトにしたのよ。使う事態なんてなれば、それはロクな状況じゃないと分かるし、秘している方が良いと思ったのよ」

「うん、お前の考えは正しい。そしてお前だからこそ、有効に使えるんだろう」


 ユミルには、覗き屋連中から姿を隠せるフードがある。

 隠密術にも長けているから、手足となる者を派遣しても逃げ果せるのだろう。そしてきっと、強引な手段でミレイユを拘束したり、契約を強いたりすると、神器を持って覆してしまうのだ。


 『遺物』に関与できない契約を、後先考えずに結んでしまった神々としては、臍を噛む思いだろう。そしてだからこそ、ルヴァイルは強引な手段で目的を達成できないと、知っている発言をしたのだ。


 ミレイユは改めて労う台詞を口にしようとしたが、それより前にユミルが真摯な表情を向けてくる。いつになく真剣な表情に気圧され、ミレイユは開きかけた口を閉じた。


 アヴェリンもルチアも、その雰囲気を感じ取って口を挟まない。

 そしてユミルが懐から『神器』を取り出し、顔の前で掲げて見せた。

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