気高き決意 その2

 全ての話し合いが終わり、ルヴァイル達が邸宅から離れる時がやって来た。

 長く濃密な時間を過ごしたお陰で、身体の倦怠感も強い。過ごした時間以上に疲れを感じるのは、単に濃密というだけでなく、不都合な事実を多く聞いたからだ。


 ――いや、とミレイユは思い直す。

 胸の奥を刺す様な痛みは、感情的なものだけではなく、寿命の終わりを告げればこそだ。

 思わず胸に手を置いて考え込む様な仕草を見せると、アヴェリンが気遣わし気にそっと顔を覗いて来た。


「お身体の方は、大丈夫ですか……?」

「あぁ、あんな事を聞いた所為で、少し過敏になっているのかもな。特別、体調不良という感じはしない」

「ご無理だけは、なさりませんよう……」


 懇願する様に頭を下げられ、ミレイユは困ってしまって笑みを浮かべる。

 ミレイユは一度帰還した時から、むしろ魔術を使ったり敵を前に戦う様な事は控えていた方だ。多くはアヴェリンやユミルが肩代わりしていたし、これ幸いと楽もしていた。


 だがこれから先、ドラゴンを相手にしたり、神々を相手にする事を思えば、無理をしないなど不可能だろう。この身体がマナを生成する毎に、命の蝋燭を燃やして行くというのなら、その燃やしどころを考えて使う必要に迫られる。


 出し惜しんで負ける事になれば、それこそ本末転倒だった。

 ――だが、アヴェリンが言いたい事は、きっとそういう事ではないのだろう。

 残りの寿命が一年程度と知ったからには、何事に対しても心配せずにはいられないのだろうし、だから下手な事で寿命を余計に磨り減らす様な真似はして欲しくないのだ。


 ミレイユはアヴェリンの肩に手を置いて、安心させる様に笑んでから、ルヴァイル達へと向き直った。


「これからは、もう連絡は取れないと思った方が良いのか?」

「……そうですね。これよりは下手な接触を控えた方が良いでしょう。僅かな隙でも見せるべきではない。地下にあった転移陣も消しておきます」

「それは良いが、そんな事で連携なんて取れるのか? 見つからず接近するのに適したルートとやらも、この場で聞いて分かる事とも思えないしな」


 何しろ、大瀑布を越えようと言うのだ。

 突き出した岩だとか、そういった目印がある様に思えないし、あったとして確実にそれと判断できるほど分かり易い物とも思えない。


「それについては、鳥を寄越すので、その案内に従って下さい。目的地まで誘導します」

「……そうか。では、それも良い。……前提として、私達は今も見張られていると思って良いんだよな? お前の言う五竜……今は四竜か。そいつらが居る場所へ移動すれば、目論見を知られてしまうんじゃないか?」

「そうでしょうね」


 ルヴァイルは事も無げに頷いて、ミレイユは思わず眉根を顰める。

 秘密裏に動くのが目的で、そしてドラゴンに因る強襲も作戦の内なのだから、それでは全く意味がない。何を思って、と詰め寄ろうとしたところで、一つ思い当たるものがあった。


「……つまり、それで転移陣か? それなら悟られずに目的地まで行ける」

「話が早くて助かります。竜の谷の、奥まった場所に陣を敷かせてあるので、そこへ繋がる陣を置いていきます。場所も場所なので危険は大きいですが、そこは監視されてませんから、都合が良いのです」

「なるほど……? しかし、危険? ドラゴンの巣の中なんて言わないよな」

「いえ、単純に断崖絶壁が続く様な、移動に適した場所でない、という理由からです。同様の理由でドラゴンも周囲に居ない筈ですが……遭遇するかは運ですね」


 その四竜に会おうというのだから、道中に野良ドラゴンの遭遇があろうと、当然だとしか言えない。それで下手な騒ぎを起こして注目を浴びるのは避けたいところだが、既に腹は括っている。

 だから、その点については特に気にしていなかった。


「そして、そのドラゴンの交渉や手段については、こちら任せという事か。……私達が向いているとは思えないが、それを言うならお前達は更に向いてない。……まぁ、仕方ないか」

「その点はお任せする以外ないでしょう。方法も交渉材料も、好きにして貰って結構です」

「……良いのか? 相当な無茶を要求されると思うが」

「即座の自害など、受け入れられないものはありますが、断るものはありません。大神の復活が何より優先されるべき事で、それを為せねば世界の終焉です。もはや出し惜しみするものもない」


 ミレイユは皮肉げに眉を顰め、何を言う事もなく頷いた。

 ルヴァイルが持っているのは捨て身の勇気だ。次がない、後がない、それを前提としているから出て来るもので、だから破れかぶれの様に見える。


 そしてそれは、恐らく事実なのだろう。

 神に寿命はないが、摩耗はある。摩耗の先に何があるかは知らないが、廃人の様になってしまうのではないか、と予想できた。


 ルヴァイルは確かにミレイユにとっても敵だったが、滅びる世界を看過できず、足掻き続けたという部分だけは共通している。

 その心意気だけは認めているので、これを最後に、という熱意も共通している今だけは、多くを尊重するつもりでいた。


「それについても了解した。――では最後に、これから神々の何れかが、私の前に出て来る事はあるのか? 打ち負かされる事になると、私はオミカゲ……前のミレイユにそう聞いているんだが」

「さて……? それは流れ次第と思いますが、確率は低いと思います。直ぐに『遺物』へ向かう姿勢を見せたなら、敗北を悟ったと見て行動しない可能性もありますが……誤解を植え付けたい彼らからすれば、やはり接触はあると見るべきですか」


 ボタンの掛け間違え、真相を知らせない為の欺瞞、その種を植え付けるのは奴らとしても必要な事だ。精神的にも、肉体的にも万全な状態のミレイユなら、そう簡単に敗北するものではない。

 手を噛まれなくない、と考えている奴らなので、近付くのは危ういと判断されるミレイユなら、何らかのメッセンジャーを送って来る可能性は考えられた。


 現世にて神宮襲撃を行った奴の様に、最初から捨て駒として、ミレイユが誤認する情報を与えて死ぬ役目の者を送ってくるなど、やりようはある。

 負ける振りでもしてやれば、神々は油断するだろうか。その上で『遺物』へ逃げ込む様を見せれば、それなりに効果はありそうに思える。


 監視している者に、果たして猿芝居が通用するか、という問題はあるが……望む結果に見えているなら油断してくれる期待は持てそうだ。


「そういう口振りをするという事は、お前でも確かな見当は付けられないのか? 大まかな予想でも? もっと言えば、お前が話を付ける、という方向に持っていければ話は簡単なんだが」

「妾が口で言った程度では、完全な信用は難しい。むしろ妾の方から行かせてくれと進言すれば、あらぬ誤解を招くだけでしょう。そして予想という意味では、現在の形が既に未知の領域なので、やはり何とも言えません」

「これまでの傾向からもか?」

「これほど安定感を見せるミレイユというのも、妾は知らないですからね……。果たして他の神々が、どういう反応を示すか定かではありません。ただ、近いところを考えると、やはり直接姿を見せない、と考えるべきです。下手な逆撃を受けるのは、避けたいと判断するでしょう」


 ミレイユは顎に手を添えて頷く。

 その逆撃を受けたくないと考えるからこそ、寿命切れの不戦勝を狙う様な奴らだ。

 勝てるとしても割に合わない、と言うのなら、やはりミレイユの推測どおり、メッセンジャーで済ますだろう。

 捨て駒ならば、幾らでも用意できるだろうし、これらがどれだけ反感を買おうと、気にしない事は間違いない。


「まぁ、それならそれで、上手いこと知らない振りでもするか、あるいは無視してサッサと『遺物』へ向かってやるとしようか。……因みにだが、『遺物』使った場合、外部からそれとすぐに判断できるのか?」

「出来ます。何を願ったか、その場で即断できるものではありませんが。昔貴女が使った時、全く姿を見せず、昇神した事すら感知できないから、可笑しいと騒ぎ始めたくらいですから」

「では、使用するタイミング次第では、都合よく誤認をさせられそうだな。……ふぅん?」


 ミレイユが意味深な視線を向けると、ルヴァイルは全て心得ていると語る様に頷く。

 気に食わないものを感じて眉根を寄せ、それから話を別に逸した。


「ところで、私達がオズロワーナへ向かう事は、神々を刺激すると思うか?」

「このタイミングであれば、特別な刺激とはならないでしょう。単に旅立つ前の買い物、という段階で留まるならば、という話ですが。王城への攻撃は必ず警戒しているでしょうし、今更貴女を森に拘束する意味はありませんから、今度は追い立てる為に利用する」

「『遺物』を目指そうと動いている限りにおいて、邪魔する必要はないものな。地上に住まう者を使う程度で、私を害せると思っていないだろうが……しかし、試そうともしないものか?」


 下手に攻める姿勢を見せれば、周辺国へ呼び掛けて森へ押し留めようと考えていた奴らだ。

 ミレイユが利用されているだけの者達を、虐殺しないだろうと思っての事だったとしても、それならそれで、討ち取る事ができれば御の字と思いそうなものだ。

 そう思って訊いてみたのだが、ルヴァイルの表情は芳しいものではなかった。


「人口の激減もまた、神々にとっては好ましくない状況ですからね。それはつまり、得られる筈だった願力の減少を意味する訳ですから。どうせ無理と分かっているものに、自分の血液を積極的に失う様な真似しませんよ」

「なるほど、そう言われたら確かにそうだ。むしろ、慈悲を捨てて、なりふり構わず攻撃してくる事態は避けたい訳か。だから時間を浪費させるのに、森へ押し込むのは良しとしても、積極的に攻め込む兵力として使うつもりはないと……」

「貴女がかつてエルフに助力した時に、それはもう凝りてますからね」


 そう言って、ルヴァイルは力なく笑った。


「一撃で十万近く失われた時は、本気で立ち眩みがしたのを覚えています。国同士の戦争に加担させるべきではない、と強く進言しなかった事を悔やみましたよ」

「あぁ……、それは……済まなかったな。だがそれを言うなら、もっとエルフを救うなり、当時の王国を操作するなり、上手い方法があっただろう」

「今更、それを蒸し返さないで下さい。どうにもならない部分なんですから……」


 ルヴァイルはくたびれた表情で息を吐いた。

 ループが生まれた瞬間は、ミレイユが一番最初、現世へ帰還する時を選択した瞬間だ。


 始点となるのはそこからなので、オズロワーナとエルフの戦争など、既に通過してしまった部分は、介入出来ないし修正も出来ない。

 そこからやり直せれば、と忸怩たる思いを抱いたのは、一度や二度ではなかったのかもしれない。そう思わせるだけの哀愁が、今のルヴァイルには漂っている。


「だが、分かった。それなら街に行くだけなら、なんら問題は無いんだな?」

「えぇ、そうなります。ただし、オズロワーナへ入るというなら、常に見張られている事も覚えておいて下さい。王城へ向かおうとすれば、何かしら手の者が出てくると思っておいた方がよろしい」

「気を付けよう」

「それと、貴女の魔力波形は記憶されているので、建物内など見えない場所に居ても分かります」


 聞き捨てならない台詞が出て来て、ミレイユは顔を歪める。


「それは、常に私の動向が確認できている、という意味か?」

「いいえ。でも、貴女は膨大過ぎるマナの生成があるから、どこかで放出しなくてはならない。そのタイミングで探し出す事が可能、という意味です。見失う事はあっても、ある程度定期的な排出があるので、そこから探し出す事が出来ます」

「それは即座に、直ちに、その場で分かる事か?」

「いいえ、見失った地点については分かるので、そこから円周上に探す、という手段ですね。そう遠くに行かないと分かっていれば、探し出すのもそう難しくない事のようです」


 ミレイユは喉の奥で唸りを上げて、額に手を当てた。

 まぁ良くも、あれこれと活用してくれる事だ、と暗澹たる気分になる。


 だが、それを知る事が出来たのは大きい。ミレイユを目視と魔力から探っているというのなら、それを隠す手段があれば良い、という事だ。


 魔力の放出を極力抑えるような事は、結局時間稼ぎにしかならないし、身体への負担も大きい。

 マナの生成を意志の力で抑えられない事を考えれば、それを上手く利用する方法を考えるしかなかった。


 ルヴァイルにはぞんざいに頷いて、ミレイユはどうするべきか、次を考え黙考する。

 顎に手を添えたまま、十秒程じっくりと考えると、一つ妙案が浮かんだ。顎から手を離し、再びルヴァイルに目を向けた時には、今後の行動プランが頭の中で出来上がっていた。

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