遺跡へ向かって その4

 登山口も無ければ、整備された登山道も無い山だが、足の踏み場があるという意味において、道はあった。

 単に歩きやすそうな場所を選び、獣道程度に道筋が立っていれば、そこを進む事が出来る。

 そうして、ひたすら上を目指して登って行くと、次第に山が雪化粧に覆われ始めた。


「流石に寒くなって来たな……」


 白い息を吐きながら、ミレイユは愚痴ではない小言を零す。

 登山用の装備を持たないミレイユ達だが、大抵の事は魔術で代用できるから、大した問題にはならない。


 初級魔術に限定して考えても、即興の寒冷地仕様対策は容易だ。

 標高の問題で草木すら見えなくなってくると、次第に山肌は岩と雪ばかりが見えるようになった。


 全体的に雪が覆われているとはいえ、ところどころ岩が露出しているものの、もはや道らしきものもない。

 既に岩肌の側面に出来た溝を、歩くようなものになっていた。


 左手は壁、右手は崖という、非常にスリリングな光景が目に入る。

 辺りをすっかり一望でき、空は青く、大地はどこまでも広がっている様に見えた。


 崖側面の道は大人が三人歩いてなお余裕のある道幅があるものの、強い風が直接肌をなぶり、安定感は皆無だ。

 ここまで歩いて来た道筋は、あまり記憶に残っていなかったが、ようやく覚えのある場所に出て、ミレイユは隠れてホッと息を吐いた。


 しかし対照的に、アキラはこの状況に絶句している。

 上空へ投げ飛ばされようと文句も言わずに付いて来た彼だったが、これを誰も文句を挟まない事態には、流石に黙っていられなかったらしい。


「この道を進むんですか……?」

「そうだな。以前は通った道だし、それ以外の道を知らない」

「でも、これを道とは呼ばないのでは……?」


 ぐずぐずと言い募り、足を前に進めようとしない事に業を煮やし、アヴェリンが背中を叩いて、自ら先に進む。


「歩ける以上、そこは道だ。さっさと歩け」

「あっ、し、師匠……!」


 我先にと、ずんずんと先へ行った、その時だった。

 頭上の高い部分に、はみ出してくっ付いていた巨大な氷の塊が、グラついたと思った瞬間、アヴェリンの頭上へ落ちようとしている。


 岩肌に不安定な状態でくっ付いていたのだろう。

 僅かな振動がそこに伝わり、呆気なく崩れたという事らしい。


 アキラは慌てて手を伸ばしたが、それより前にユミルが肩を掴んで後ろへ引っ張る。

 落氷は巨大で、民家程はありそうに見えた。

 それ程の体積を持つ巨大な氷だったが、アヴェリンが気合一閃、呼気と共にメイスを振り上げると、一瞬その落下と拮抗する。


 そして、一呼吸の間を置いて、ぴきりという引き攣った音が聞こえ始めた。

 直後に一本の筋が通り、氷の割れる音が鳴り響く。


 そうなると、そこからは早かった。

 あっという間に罅が全体へ行き渡り、真っ二つに割れて片割れが崖下へと落ちていく。


 もう片方は崖側へ倒れ掛ける様に落ち、その重い落着音は足を震わせる程の振動を伝えて来る。

 見掛け以上の体積があるようだし、また、今の衝撃で別の落氷を誘発しそうであった。


 雪崩が起きても不思議ではなく、足を止めていると次なる危険が襲って来るかもしれない。

 それを分かっているから先へ行くよう促すのだが、アキラはアヴェリンを呼び止めようと、手を伸ばしたままの格好で固まっていた。


 だが、彼女が何事もなかったかの様にメイスを一振りするのを見て、ようやく、その肩から力を抜く。


「流石、師匠……」

「まぁ、アヴェリンにとっては、あんなの障害でも何でもないでしょ。アンタも、その辺よく分かってそうなもんだけど……」

「いや、でも、あれはちょっと心配になる大きさでしたし……」


 そう言いたくなるアキラの気持ちも、少しは分かる。

 アキラがこれまで見て来た多くは、対人戦において無類の強さを誇る姿だった。

 身の丈倍以上の巨人や、ドラゴンと戦う姿も見ていた筈だが、民家以上に大きな落氷というのは、その感覚を麻痺させるのに十分なものだ。


 アヴェリンは道を塞ぎ掛けている氷塊を、メイスで雑に殴りつけて砕くと、それもまた崖下へと投げ捨ててしまう。

 道上には疎らに氷屑が散らばっているが、通行するのに支障はない。


 道は山肌の側面を、ぐるりと周回する様に続いている様に見えた。

 アヴェリンがミレイユに小さく頷いて来ると、ミレイユも先に進むよう指示して後へ続く。


 他の面々もそれに続き、そうして暫く進んで行くと、途中完全に道が欠けている部分があった。

 元より崖にできた出っ張りを歩いていた様なものなので、こうした欠損があるのは仕方ない。


「ちょっと、これを……、渡るのは……」

「何を怖気づいてるのよ、情けない。アンタこっちで冒険者して、それなりに修羅場潜って来たんでしょ?」


 アキラが崖下を覗き込んで、恐々と顔を引きつらせるのを見て、ユミルは呆れて息を吐く。

 ミレイユもついでに見てみたが、崖上から見えるものは、遥か下方にある地面だけだ。それも雪が風に攫われて視界を隠すので、正確な距離までは霞んでしまって分からない。


「いや、僕がやってきたのは魔物討伐であって、こんな秘境の地でアスレチックする事じゃないですし……!」

「我らについて来るという事は、危険を伴うと理解していたんじゃなかったのか?」


 アヴェリンは全く気に掛ける素振りもなく跳躍し、五メートル程の幅を飛び越える。

 危険の度合いや種類に違いはあっても、こういう類いとは想定していなかったらしく、腹の据わり方が悪い。


 凶悪な魔物、恐ろしい攻撃手段に対して度胸は付いても、こういった脅威に免疫がないようだ。

 培う機会がなかった所為だと思ってやる事もできるが、足が竦んで進めないなどと泣き言を聞いてやる暇はない。


「え、えぇ! それは勿論、そうなんですけど……!」

「だったら早く行け。行けないというなら、置いて行くしかなくなる」


 ミレイユが促すと、アキラは意を決して跳躍した。

 アヴェリンの時と比べると、ひどく危なっかしく見える跳躍だった。


 大きく踏み込み過ぎたせいでアヴェリンを大きく飛び越してしまったが、それでも着地は問題ない。

 それを見届けるなり、ミレイユ達も続いて渡る。


 邪魔にならないよう、先に着いた二人は崖側へ身を寄せ、そこへ全く危なげなく着地すると、ユミル達も続けて跳んで来る。

 それを見届けると、ミレイユは左肩を持ち上げる様な動作で、二人に先へ進むよう促した。


 アヴェリンが先頭に立って移動を再開するが、この様な場では、流石に走り出したりしない。

 それから少し進めば、崖は鉤型かぎがたに曲がっており、先が見えない形になっていた。


 慎重に道に沿って進んでみれば、今度は極端に道幅が狭くなっている。

 背中を壁に着け、横歩きしなければ進めそうにない。

 ――普通ならば。


「まぁ……、お約束だな。とはいえ以前は、こんな道なかった気もするが」

「時間と共に風化したり、或いは先程のように、氷塊が落ちた事で削られたりしたのかもしれません」

「なるほど、確かにそうだ」


 アヴェリンの推察に、同意しながら首肯する。

 かつて来た時より二百年の時が過ぎている事を思えば、もっと大きく様変わりしていも良さそうなものだった。

 今までは運が良かっただけで、これから先は道が途切れていたりするかもしれない。


 細い道を使わなければ、先程の倍では利かない距離を跳躍しなければならず、また向こう側は隆起していて着地点が高い。


 実際の距離以上に高く跳躍する必要があり、素直に壁を背にして行った方が良い様に思えて来る。

 しかし……。


「では、ミレイ様」

「うん、行ってこい」


 流石のアヴェリンも、今度は二歩の助走をつけ、三歩目で跳んだ。

 全く気後れもなく、何気ない動作で跳躍し、アキラは唖然としてその背を見送った。


 彼女が失敗するとは思っていないだろうが、同じ事を自分もすると想像すると、そんな顔になってしまうものらしい。

 だが、急ぐミレイユ達にとって、壁を背にしながらジリジリと移動するのは向いていない。


「次は、お前が行け」

「え……っ!? 僕としては側面の道を使いたいな、と……」


 ミレイユが促すと、アキラは驚愕する表情と共にこちらを見て来た。

 より安全な道があるのなら、無理してやる必要もない、と主張したいのかもしれないが、既に行動方針は理解している筈だ。


 目線で催促し、早く行けと顎を動かせば、顔を歪めて泣きそうな顔で崖へ向き直る。


「――だぁっ、らぁぁああ!!」


 気合いを入れる為か、それとも恐怖を紛らわせる為か。

 アキラは声を張り上げて飛び出したものの、その軌道では失敗すると、すぐに予想が付いた。


 元より、半ばそうなる気がしていたので驚きはない。

 ミレイユは念動力を行使して、落下を始めるより前にアキラを掴まえると、そのまま向こう岸まで投げ飛ばしてやる。


 無様な形で着地したものの、前回り受け身を取って事なきを得た……様に見えたが、視角の問題で姿が見えない。

 あちらでは何か喚いていたり、アヴェリンの叱責する様な声が聞こえて来て、思わず含み笑いが漏れた。


「どうする? 先に行く?」


 ユミルに尋ねられ、ミレイユは先に行くことを選んだ。

 残った者が誰であれ、アキラでないなら大きな問題にはならない。


 内向術士でなかろうとも、この二人ならそつなく跳んで来るという信頼感もある。

 ミレイユもまた、何の感慨もない数歩の助走と共に跳躍した。


 予想外に距離が伸びず、殆どギリギリとなってしまったが、これは風が原因だった。

 アキラの時も、突風でも吹いて勢いを大きく削がれたのかもしれない。


「……だとすると、後の二人も少し厳しいか?」


 後ろを振り返ると、丁度ユミルが飛んだ所だった。

 案の定、突風に煽られ失速し、崖より手前で落ちようとしている。

 それをミレイユが念動力で掴み取り、自分の近くへ持ってくる。


「ナイスキャッチ」

「そうだろう?」


 互いに笑みをかわしている所で、ルチアは魔力を制御しながら跳躍した。

 流石にあの状況を見せられて、何の対策も無しに跳ぼうというつもりになれなかったらしく、そしてその判断は正しかった。


 十分に魔力を練って跳躍した筈だが、ルチアは生粋の外向術士だ。

 こういった事には向いておらず、それでやはり強風に勢いを削がれてしまった。


 しかし、その時点で、ルチアは既に初級魔術『氷の槍』を作り出した上で、投てきしていた。

 僅かばかりに足りなかった距離は、崖に突き刺さった槍の柄を踏み台にする事でカバーする。


 少々危なっかしかったが、初級魔術しか使えない状況ならば、実に上手い対処と言えるだろう。

 満点とは言えないが、失敗してもミレイユが回収していただろうし、それを考えれば、やはり問題はなかった。


 ユミルが一歩どけた所にルチアが降りて来て、背後に振り返りざま、腕を一振りして氷の槍を消す。


「何と言いますか……。今更ながら、簡単には辿り着かないと実感しましたよ」

「そうだな。誰が整備するでも、登山しやすいルートを通っている訳でもないから、余計にそう感じる」

「……まだまだ、先は長いしね」


 同意しながら頷くと、アキラはげんなりする顔しながら、大きく息を吐いた。

 ミレイユがアヴェリンを促すと、アキラの頭を叩いて自らは先導を始める。


 この先も、道とも言えない道と、そもそも道ですらない場所を通る必要があるのだ。

 ミレイユも改めて集中し直して、アヴェリンの背を追い歩き始めた。

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