遺跡へ向かって その3

 いざ歩き出そうと足を踏み出して、ミレイユは唐突に動きを止めた。

 アヴェリンが咄嗟に庇う様に動いて来て、ミレイユは苦笑しながら手を振る。


「いや、そういう事じゃない。――ルチア」

「何でしょう?」


 ミレイユが後ろへ振り返りながら名を呼ぶと、ルチアは小首を傾げて見つめ返す。その手元へ指先を向けて、タクトを振る様に四角形を描いた。


「『氷刃』の解除を頼む。ヴァレネオに伝えてやってくれ」

「今からで良いんですか? もっと後でも良いんじゃないでしょうか」

「……そこは悩ましいところだな。だが、遺跡に辿り着いてからじゃ遅いと思う。彼らは森で待機していて、いつでも飛び出せる準備も済ませているだろうが、物理的な距離までは埋められない。行軍していく必要がある以上、半日以上は移動時間に使う事になる」


 ルチアは小首を傾げたまま、顎の下に拳を置き、斜め上を見つめながら言う。


「これから半日以内に遺跡へ到着して、『遺物』まで行こうって言うんですよね? そして、待機する事なく使用するつもりでいる。でも本来の目的って、『遺物』を使う事じゃなくて、そこから更にドラゴンと接触、交渉する事にあるんですよね?」

「その上、交渉だか説得だかを終わらせた後、神々に急襲するところまで視野に入れてるわよ」


 ユミルが横から口を挟み、そうして横目でミレイユを見た。


「入れてるんだけど……果たして、神々の目を逸らすタイミングとして、これは最適かしらね?」


 今更それを言うのか、という気持ちでミレイユは二人を見る。

 どのタイミングでその札を切るかは、ミレイユに一任されている筈だった。

 勿論、失敗は許されない以上、積極的な意見は歓迎するところだが、それなら言うべきタイミングはもっとあった筈だ。


 ミレイユも絶対の自信があって、このタイミングと指示した訳ではない。

 だから、意見そのものは有り難いのだが、移動するタイミングで議論をぶつけられても困る。

 ミレイユは一つ息を吐き出し、眉間に皺が寄るのを防ごうと指先で揉み込んだ。


「現状、私達が姿を消してから、未だ見つけられていない、という前提で話をする」

「いいわよ。あちら側が馬鹿しない限り、確認しようもないワケだし」


 ルチアも変わらぬ仕草のまま頷いて、ミレイユは続ける。


「森で姿を見失ったとはいえ、一夜明けても見失ったままだというなら、もう少し大胆になるものだろう。言葉を飾らずに言うなら、血眼になって探そうとする」

「そうかもねぇ……。神々の計画の中では、アタシ達はそろそろ森から出て、移動して貰いたいみたいじゃないの。目論見は複数あるらしいけど、何れにしても追い立てたいのは確かみたいね」

「だから森から出たは良いものの、そこで足取りを追えなくなると、困る訳ですよね? 躍起になって探そうとするのは確かだと思います」


 二人から賛同があって、ここまでは認識に齟齬がないと安心し、そして持論を開陳する。


「オミカゲにした様に、欺瞞情報も渡したいと思えば、何らかの形で接触は必須だろうと思う。それが一種の安全装置として働くのを期待している以上、勝手に居なくなって貰っても困るだろうな」

「そうよね……。いずれ『遺物』は使わせるつもりだろうと、そもそも今すぐ転移しようという発想自体がない。理屈を知らないと、現状使える状態にある事すら知ってる筈もないもの」

「でも、見つからないなら網を張ろうとしますよね。ミレイさんが行きそうな場所なんて、想像つくものでしょうか?」


 ルチアが身を捩る様にして首を傾け、難しそうに眉根を寄せた。

 当然、神々にミレイユが向かいそうな場所など分からないだろう。


 見失った地点から、行きそうな場所を類推するしかないのだが、それだって簡単な事ではない。

 何しろ、ミレイユが現世から帰還してこちら、向かった先はオズロワーナと森ぐらいだ。


「想像が付かないから、最悪を避ける為、網を張る事ぐらいはする筈だ。その内一つが、遺跡になるだろう。何も伝えぬまま、誘導出来ぬまま勝手に使われるのが、奴らにとって最悪のシナリオだ」

「あぁ、なるほど……有り得そうですね。でも、見失ってから、まだそれほど時間は経ってませんよ。網を張るにしろ、もっと良く探してからになるのでは?」

「それもそうだ。だが、神の目は一つじゃない事を考慮したい。見失ったなら、援護を求めるなり、何かしら対策を成すだろう。ただ、躍起になって探すだけじゃない筈だ」


 あぁ、とルチアは姿勢を直して頷いた。


「そうですね。十分、考えられる話です。そして、だからその目を一つ、『遺物』へ張り付けておく、という推測に繋がるんですね。だったら、陽動は早くても良い……」

「『遺物』を使った瞬間を見られないなら、尚ありがたい。そういう意味でも、デルンを攻める軍勢の中に、私が居ないか探してくれれば、良い目眩ましになる」

「なるほどねぇ……」


 ユミルが腕を組みながら、大きく息を吸って吐いた。


「切り札を使っちゃったら、後の急襲こそ見破られる可能性が出て来るけど……。ここでバレるのと、どっちがマシかって話ではあるわね。ドラゴンの方はともかく、この時点で潰されたら、そっちの方が拙いワケだし……」

「どちらにしろ、どこかで見つかるとは思ってる……が、ここでだけは避けたい。だから、今の内に切っておく」

「了解です」


 今度は素直に応じて、ルチアは個人空間から結界の中に封じられ、二つに割られた『氷刃』を取り出した。

 陽動は確実に効果を発揮するものでもなく、呼応されなければ全くの無駄になる。

 だが、今は最善と信じて動くしかなかった。


 ルチアが封印されていた結界を解くと、『氷刃』は煙のように消えていく。

 本来、魔術で生成した氷というのは、こういう消え方をせず瞬きの間に消失するものだ。

 それだけ異常な維持をされていた、という事なのだろうし、これならばヴァレネオ達も気付き易いだろう。


 アキラの方とちらりと見ると、複雑そうな表情をして、その様子を伺っていた。

 直接的な被害は都市部には出ないと説明しても、実際に戦争は起こるのだ。


 状況次第では幾らでも怪我を負う危険はあるし、心配するのは当然と言える。

 あちらとこちらで心配ばかりしていて気苦労が絶えないらしい、とミレイユもまた複雑な心境に陥った。


「ともかくも――、賽は投げられた。急ぐぞ」


 全員から応答があって、ミレイユは走り出す。

 アヴェリンがそれより前に躍り出て、壁役を兼任する。

 坂道を走るのは体力、筋力ともに負担となるし、登山で行う事ではない。


 だがそれは、情人にとっては負担なのであって、ミレイユ達が行う分にはジョギングと大して変わらなかった。

 誰もが当然と、ミレイユの背へ続く中、アキラだけが悲鳴によく似た声を上げる。


「は、走って行くんですか……!?」

「お前だって、走るのだけは得意だろう」

「有り難いお言葉ですが、山道を走るなんて想定してませんよ!」


 内向術士に限った話ではないが、魔術士は総じて身体能力が高いものの、筋力でそれを実現している訳ではない。

 だが、戦闘を生業としている魔術士なら、決して筋力の基礎訓練を疎かにしたりしないものだ。


 アキラも当然、魔力の練度を高めるに当たって筋力を鍛えているだろうから、魔力は扱えるのに体力がない、などという歪な魔術士になっていない。

 だから苦もなく、文句もなく付いて来ると思っていただけに、この反応は少々意外だった。


「お前はもう筋力じゃなくて、魔力を使って走れる様になっているんじゃないのか? 昔はともかく、今なら使う力の比重を魔力に偏らせて走れるだろう」

「それも言うほど簡単な事じゃないんですが……、そういう事ではなくてですね……。これ、結構高い山ですし、道中危険もあるんですよね? 目的地まで保つんですか?」

「その為に魔術を駆使するんだ。初級魔術しか使えないという枷があるのだとしても、やりようは幾らでもある」


 そう強気に宣言したとおり、ミレイユは全員に支援魔術を掛けていく。

 右手と左手を交互に使い、次々と新たな魔術を重ねがけしていき、身体強化、スタミナ持続を全員に行き渡らせた。


 これなら坂道も平地と同等とまではいかないが、それと似た負担にしか感じない筈だ。

 もっと上位の支援魔術が使えるなら、急勾配でさえ羽が生えた様な身軽さで移動できるのだが、それでも今は、これでも十分だった。


「身軽になったし、地面を強く蹴り付けても、骨に痛みが走ったりしないだろう?」

「おぉ、本当だ……。ありがとうございます、ミレイユ様! これなら……!」

「――喜んでいるところ悪いが、単に楽をさせてやりたいだけじゃなくてな……」

「え……?」


 言うなり、ミレイユはアキラを念動力で掴まえ投げ飛ばす。

 悲鳴を上げて坂道を凄まじい勢いで飛んで行き、それと同時にアヴェリン達も駆け上がる速度を上げた。

 ミレイユもそれに付いていき、殆ど並走するかの勢いで坂を登って、アキラが慣性に従い落ちてくるのを横目で見る。


 地面へ無様に落下する事なく、上手いこと着地して見せたが、平地と違って上手く慣性を逃がせない。

 前につんのめるより早く足を踏み出し、駆け出そうとしたところを、またも念動力で掴まえて投げ飛ばす。


「あぁぁぁぁ……!?」


 先程と全く同じ事の焼き増しで、悲鳴を上げながら飛び続け、今度は先程より余程スマートに着地した。

 今度はつんのめる事なく、むしろ慣性を上手く利用してロケットスタートを決め、ミレイユ達の速度に対抗しようとしている。


「あらま。やるわね、アキラも」

「まぁ、そろそろこちらの意図を汲み取れてくれないと困る。何だかんだと、長い付き合いなんだぞ」

「そうね。いつまでも、優しい対応してくれるとは限らないものね?」


 何しろミレイユ達は急ぐのだ。

 それなのに、わざわざアキラの速力に合わせてやる理由がない。

 無理させたところで出来ないというなら、相応のやり方で、強制的に同じ結果を生み出すだけだ。


 時に内向術士とは、その強い出力に耐え切れず、自身の体を痛めてしまう事がある。

 魔力の扱いが巧みならば、出力も損なう事なく運用するのだが、アキラには不器用さがある。


 平地の上ならアキラも上手くやっている様に見えたが、坂を駆け続けるという、非日常的な運用まで上手く出来ていなかった。


 だからこその支援魔術で、そして無駄を省く為に使った魔術だった。

 アキラからは抗議めいた視線が向けられていたが、今も必死にミレイユ達の速度に食らいつこうとしている。

 そしてそれは、実に上手くいっていた。


 もしも速度を落とすようなら――あるいは付いて来れないようなら、お手玉の様に同じ事を繰り返して持ち運ぶつもりでいた。

 アキラは追い詰められてから本領を発揮するタイプなので、最終的にはどうにかするだろう、と期待していたが、予想よりも早い対応に口角が上がる。


 このまま登っていく分には危険も少なく、警戒するべき魔物もいない。

 だが、速さを望むなら、大胆なショートカットも必要だった。


 そして、敵の腹の中――魔物の巣も通って行く必要がある。

 アキラを連れて行くにあたり、今なら丁度良く、その実力を確認できそうだと、頭の中で計画を練った。

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