遺跡へ向かって その2

 ミレイユが目標を固めていると、他の面々も起き上がり、テントから出て来た。

 朝に弱いユミルは未だに辛そうとしているが、それとは逆に起きた瞬間から意識を明瞭にしているアヴェリンは、ミレイユの様子に目敏く気が付いた。


「おはようござい――ミレイ様、もしや……?」

「大丈夫、何ともない。ただ少し……」

「おはようございます、ミレイユ様。あれ……、何だか顔色が悪いような……?」


 アキラにすら気付かれるというなら、よほど酷い顔色をしていたらしい。

 心の機微には疎い癖に、こういう所ばかりは鋭い。

 ミレイユは何でもない、という風に手を振って、携帯食料を取り出す。


「こんな食事ばかりじゃ、鬱屈ぐらいする。……顔に出ていたか?」

「え、えぇ……。まぁ……、そうですよね。食事は身体だけじゃなくて、心の栄養だとも聞きますし」

「あぁ、それは上手い例えだな。食事は時に、心を豊かにしてくれる」


 ミレイユは殊更笑みを浮かべたが、アキラはイマイチ納得していない様で首をひねる。

 アヴェリンへも顔を向けるが、当の彼女はその視線を無視して、テント傍に用意された倒木へ腰を下ろしてしまった。


 ミレイユの方をちらりと心配そうな顔は向けたものの、アキラに構うつもりはないと明確に示して、同じく保存食と水を口に入れていく。

 それでアキラもそれ以上の追求を諦めて、事前に配られていた食料に手を付けていった。


 無言の中、もそもそとした咀嚼音だけが辺りに漂う。

 手元ばかり見ていると滅入ってしまうので、ミレイユは視線を遠くへ伸ばした。

 針葉樹林に囲まれているとはいえ、木々の間から見えるものはある。


 視界の中に映るのは、花が殆ど見えない草木ばかりで、それ以外では荒野が遠くまで続くだけだ。

 荒れ果てた土地という訳ではないものの、注目に値する光景でもない。


 かつて旅を始めたばかりの頃、見るもの全てが雄大な自然と思ったものだった。

 朝の光で目が冷めて、こうした見るべき物もない光景すら、貴重でかつ美しいと感じられたのは、旅そのものを楽しんでいたからだろう。


 夢と希望に満ち溢れていた、というほど呑気な旅でもなかったが、何も知らず背負う物もないあの時は、実に気楽なものだった。

 心の余裕の有る無しは、見るものを別物に感じさせるのだ、と改めて知った。


 アヴェリンからの心配そうな視線を感じ、ミレイユは表情を取り繕って笑みを向ける。

 これから行う事を思えば、気弱に見えるリーダーなど不安要素でしかない。

 心配な気持ちは変わらないだろうが、ミレイユの意を汲み取って、アヴェリンもぎこちない笑みを返した。


 暫くすると、ユミルの頭も回転し始めて、益体もない会話が始まる。

 すぐ近くから馬の嘶きが聞こえて来て、アキラが断りを入れて離れて行った。

 食事や水の世話もこれで最後、居ても立ってもいられない心境らしい。


 僅かな間でしかなかったとはいえ、世話役を任されたとなれば愛着も湧く。

 それも単なる別れではなく、死別である可能性があれば尚の事だった。

 その背を見送り、食事も終わると、様々な片付けを始めねばならない。


 とはいえ、テントは一々解体するような手間がないし、やる事と言えば倒木を元あった場所に戻し、人がいた痕跡を消すくらいだ。

 地面を踏んだ跡がふんだんに残されているので、このままでは良い目印になってしまう。

 ユミルへ目配せすると、肩を竦めて最後の一切れを口の中へ放り込んだ。


「ま、いいわよ。手早く終わらせましょ」


 そうしている間に、アヴェリンは椅子代わりに使っていた倒木を、目立たない場所へ担いで行く。

 ミレイユとルチアは邪魔にならないよう、また新たな痕跡を作らないよう注意しながら、馬の元へ向かった。


「あぁ、ミレイユ様。こいつらも、水と食料を十分に貰って休みも取れて、随分元気になりましたよ」

「元より単なる動物とは違うからな。回復力も相応に高い。お前が心配する程、ヤワな生物じゃないぞ」

「それは……えぇ、そうなんでしょうけど」


 しかしアキラの心配は、そんな言葉一つで埋まるものではないらしい。

 今は既に轡や鞍が外されていて、縄で木に留めていたりもしていないが、馬たちはアキラの傍近くから離れようとしなかった。

 その懐いている様に見える仕草もまた、アキラが気遣う原因になっているのだろう。


「アキラ、馬に限った話じゃないが、牙を持たない魔獣というのは、戦う力が弱い代わりに逃げ足が速い傾向にある。馬については、更に走る事そのものが得意だから、早々捕まったりしない」

「そう……なんでしょうか?」

「確かに、魔物や魔獣を避けようとして、追いつかれそうになっていた事はあった」


 ミレイユの指示の下、そしてルチア達の報告から、戦闘を避けようと動いていたが、その全てを回避出来ていた訳ではなかった。

 時に追いつかれ、その度にアヴェリンがメイスで殴り付けて追い返したり、接近させまいと低級魔術で威嚇した事もある。

 また時には、何キロも後を追いかけられ続けた事もあった。


 その事実を知っていると、帰りの道中でも同じ事が起きると想像できるし、そして襲撃を受けた場合、退けてくれる者がいない事態を危惧しているのだろう。

 だが、それには根本的な思い違いがある。


「いいか、アキラ。そもそもこの馬たちは、大人二人分を優に超える重量を乗せて、走っていたんだぞ」

「あ……っ!」

「休みは少なく、常に疾走らされ、馬自身の好みとそぐわない方法で逃げさせられていた。そもそも長距離移動を目的としていたから、普段から体力を温存させて走らせてもいたんだ。だが、馬の全速力はもっと速い。大抵のものからは逃げ切れる」

「そう……だったんですね」


 ここでようやく、アキラの顔に笑みが浮かんだ。

 心配そうな表情は変わらないが、それでも生存の芽があると分かって、大分気持ちを持ち直したように見える。


「今はもう、十分な休息を得ているし、そこまで心配する必要はない。道中の危険についても、馬は理解している。同じ道を戻るなら、そうそう危険に近付いたりしない。とはいえ、水や食料の問題は依然としてあるから、安全な水場など知らない馬には、危険が多いのも事実だが」

「やっぱり、そういう部分はありますよね……」


 アキラが臍を噛む思いをしているのは、その顔を見て分かった。

 しかし、それは変えられないし、今更言っても詮無いことだ。


 アヴェリンが倒木を片付け戻って来たのを視界の端で捉え、ユミルの方も後処理はもう終わりそうだった。

 それでミレイユは、アキラを指で差し、それから馬に向かって弾くように動かした。


「ほら、逃してやれ」

「……はい」


 アキラは短く返事すると、馬たちを林の外へ誘導し、昨日やって来た方向へと歩かせる。

 道なき道を進んで来たし、草原には分かり易い目印などもない。

 ここから方向だけを頼りに帰るしかなく、馬にとっても良い迷惑だろう。


 ミレイユにも申し訳ない気持ちは僅かにあるが、これから行う事に比べれば些事に等しい。

 ミレイユは、馬三頭などと比べ物にならない程の重荷を背負っている。


 早くしろ、と手を振れば、アキラは馬の尻を強かに打つ。

 それで驚き悲鳴を上げて走り出し、三頭の姿はあっと言う間に小さくなった。


「……最後に馬がいた周辺を隠蔽したら、すぐにでも出発する」

「了解です。こちらも手持ち無沙汰ですし、ちょっと手助けしておきますよ」


 ルチアがそう言って杖を掲げると、頼む、と短く返事して山を見上げる。

 前回、現世へ帰還するの際にも通った場所だ。

 その時は急いでいた訳でもなく、また未知の場所とあって警戒しながら進んでいた。


 冒険者ギルドにも、この山に関する情報は少なく、どういった危険があるか分からなかった。

 魔物の分布状況は勿論、積雪はどの程度か、天候の乱れについても不明で、全て手探りで進むしかない状況だったのだ。


 登山ルートなど開拓されていないので、まずそこから考えて移動しなければならない、という困難も同時にあった。


 元はドワーフが住んでいたとはいえ、その姿を消してから久しく、遺跡に至るまでのルートは完全に消失していた。

 洞窟の入り口が無事だったのは奇跡の様なものだったが、神々の計画として『遺物』が必要不可欠である以上、仮に落石などで埋まったとしても直していたのかもしれない。


 ミレイユがどういうルートで進もうかと考え込んでいると、隣にアヴェリンが立った。


「……本当に、大丈夫なのですか?」

「あぁ、大丈夫だ。普段から痛みが出る訳じゃないからな。今日の痛みも久々だった。……だからあれは、ちょっとした油断だったな」

「それならば宜しいのですが……」


 アキラが二人の傍に寄って来て、それで会話が強制的に中断される。

 不自然な会話の途切れに疑問を感じた様だが、しかし自分に聞かせられない内容もあると理解しているから、特に何も言わなかった。

 アヴェリンがミレイユと同じ方向へ視線を向け、それから腕を組んで唸る。


「前回もそれなりに苦労させられた山ですが……、どうされます? 今回は箱庭もなく、天候が荒れた時に避難できませんが」

「元より時間を掛けられない旅だ。前回の経験を活かして、突破するしかないだろうな」

「確かに、何もかもが未知だった時とは違います」

「そうだ。今ならば、もう少し大胆に行ける。幸い、いま山の天気は快晴だ。一、二時間は、このまま維持されると期待して良いだろう」

「……もしかして、その二時間程度で山頂まで行くつもりなんですか?」


 不穏な会話を聞き取ってか、アキラがおずおずと会話に混ざって来た。

 今の内容を聞けば勘違いしてしまうのも無理はないが、そもそもとして、アキラは思い違いをしている。

 目的は遺跡へ入る事なのであって、登頂が目的なのではない。


 雪が掛かり始める中腹より上へ行く必要はあるが、そこからは山の内部へと入って行く事になる。

 そこからも先は長いが、天候の影響からは開放されるので、旅路は楽になる。その入り口まで辿り着ければ良いので、そういう意味で言った二時間だった。


 ミレイユはちらりと視線を後ろへ向けると、ユミルと合同で行っていた、隠蔽処理も終わっている。

 最早、ここで待機する理由もなくなった。

 立ち止まっている事は発見のリスクにしかならないので、早々に移動してしまわなければならない。


「いいから、お前は黙って後ろを付いて来い。そう酷い事にはならないから」

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