遺跡へ向かって その1

 ドワーフ遺跡が眠る場所は、トラゥズムと呼ばれる峻峰にある。

 北の最果て、世界を隔てる岩の壁、と称される険しい山は、中腹より上は岩肌が目立ち、山頂には雪が積もっている。


一年中溶ける事のない万年雪で、どれほど離れていても、この白い山頂だけは目に出来る標高を誇っていた。

 デイアートに住む人々にとって、この山は灯台の様に親しみ深いものだ。


 反して中腹より下には草が生い茂り、木々が覆っているのも見える。

 人の手が入っている部分はなく、登山口となるようなものは見当たらない。

 ただ、なだらかに斜面が作られ、辛うじて歩いて行けそうな道なき道があるだけだ。


 この場に辿り着くまで、三日が掛かった。

 馬を預かり森を抜け、荒野を駆け抜け、一つ山を越え河を渡り、走り通しで三日の旅だ。

 宣言どおり、休止時間は短く、またその回数も少なかった。

 アキラは馬から降りる度、ガニ股になってぎこちなく歩いていたが、それは今なお継続中だ。


 アヴェリンを始めとした面々は、そうした無様は曝さないものの、流石に疲れは見えている。

 水薬でスタミナを回復させ、睡魔を退散させ、魔術で疲れを癒したとしても、無理が祟れば身体に支障を来たす。

 到着したばかりの今だからこそ、ここで一日休憩を取るつもりでいた。


 周辺に生えている木々は、背こそ高いが針葉樹林ばかりで、その樹木同士の間隔も広く、姿を隠すのには向いていない。

 しかし、開けた場所でキャンプをする訳にもいかないので、何も無いよりマシと諦めるしかなかった。

 これより先は、キャンプをするのに向いた場所など無い。


 かつて箱庭があった状態なら、箱を収めるスペース、どこかへ吹き飛ばされない場所さえ確保できれば、休息するのに困らなかった。

 しかし、ここからは断崖絶壁となる場所も随所にあり、その様な呑気を晒せる機会は存在しないのだ。

 休息できる機会はこれが最後と思って、しっかり疲れを取っておく必要がある。


「そういう訳だから、アキラ。馬に飼葉と水をやった後、逃してやれ」

「ここで逃がすんですか……」


 既に山の根本、その入り口にいるのだ。

 どうあってもこの先、馬に乗って移動は出来ない。


 だから、ここで離すしかないのだが、憂う顔からは何を思っているか想像がつく。

 これまでアヴェリンと共に馬の世話を任せていたので、いざ別れる時になって愛着が湧いてしまった、という事らしい。


 だが、馬の運用は辿り着くまでの事だし、到着と共に逃がす事は決定事項だった。

 道中の危険を思えば、魔物や魔獣の牙に掛かる危険は大きい。

 だが、それを踏まえての運用だったので、生きて帰れる保証はないが、時間短縮の為にと割り切って捨てるしかない。


「私だって捨てるに惜しくない、と選んだ手段じゃない。他に手段がなかったから、そうしなければならなかったんだ」

「……はい、分かっています」


 言葉では納得した台詞を言っているが、感情までは誤魔化せていない。表情にも出していないが、不満はありありと見て取れた。

 アヴェリンがその後頭部を叩くと、小気味よい乾いた音がして、アキラは頭を抑えて蹲る。


「ミレイ様が無慈悲でも無感情でもないのは、お前も良く理解しているだろうが。苦肉の中で、最良を選ぶしかなかったのだと理解しろ」

「そうよねぇ……。無慈悲というなら、証拠も後腐れも無くす為、殺したあと灰にして埋めてるわ」


 ユミルが残忍そうな笑みを馬へ向けると、アキラが盾になるよう立ち塞がる。

 明確に手を広げて庇う様なものではなかったが、その意図は明白だった。

 ユミルは軽薄そうに笑って、手を横に振る。


「何よ、しないってば。この子が逃がすって言ってるんだから、逃してあげるわよ。馬三頭が見つかる場所にも寄るけど、それでアタシ達の現在地が割れるとも思えないしね。……個人的には、確実性を取った方が良い、と思うんだけど」

「利用するだけ利用して、殺すというのは主義に反する。それが悪党ならまだしも、相手は馬だ……。魔物の餌になる可能性はあるし、無事に帰れる保障もないが、それは仕方ない」


 何もかもを解決できて、八方丸く収まる方法などなかった。

 見殺しにすると分かっていても、ここで放逐するしかない。

 だが、生き延びさせる可能性を上げる事は出来るかもしれなかった。


「……そうだな。せめて今晩、私たちのテント傍で休ませてやろう。飼葉も水も十分に与えて、休息も取らせれば、無事に帰れる可能性も高まるかもしれない」

「はいっ、ではその様に!」


 ユミルから反対意見や別案が出る事を危惧して、アキラは真っ先に返事をして馬たちへ向かう。

 元はアヴェリンの個人空間に仕舞ってあった糧食は、今はその半分以上をアキラが預かっていた。


 ミレイユはアヴェリンと顔を見合わせ微笑して、テントの張る位置を探す。

 木々の間隔は広いが、何処でも良いという訳にはいかず、馬も一緒となると、それなりの場所を選ばねばならない。

 その辺りは余程アヴェリンが弁えいるので任せるとして、残った三人は手持ち無沙汰になってしまった。


「普段なら火を熾す準備とか、まぁ色々あるんだけどねぇ……」

「どうしても火が必要という状況でなければ、許可できないな。こんな所で一本煙が上がる理由なんて他にあると思うか?」

「ま、そうよね。今日も熱い食事はお預けか」

「寒い場所では特に恋しく感じるが、我慢しろ。幸い、初級魔術で暖だけは取れるから、凍える心配だけは無いしな」

「別にそこはどうだって良いけどね、アタシは……」


 元より種族として寒さに強いユミルは、確かにそう思うだろう。

 ルチアは氷結使いだけあって寒さに強いが、やはり寒いものは寒いと感じる常識的な部分を残している。

 今もげんなりとした表情をしているが、それは寒さに対してではなく、干し肉を齧るだけの味気ない食事が決定したからだろう。


 ルチアの味に対する拘りは、相当に強い。

 ミレイユもそう詳しい方ではないが、少しのヒントで次々と調味料を作り出し、現世と似た味付けを作り出したのは彼女だ。

 何もかも足りない中で、香草を上手く組み合わせ、ミレイユの好む味を作り上げてくれた。


 それからというもの、ミレイユを満足させるというより、その味付けを自分で楽しむ為に、様々な料理を提供していた。

 そのルチアからすると、火も使わず携帯食料で凌ぐ日々、というのは相当に堪えるものらしい。


「……まぁ、ちょっとした悪夢ですよ。干し肉を細かく削って、口の中に放り込むしかないって言うのは、そんなの食事とは言いません」

「気持ちは良く分かるが……」


 ミレイユにとっても、現世の――とりわけ御子神として遇されていた時は、実に贅を尽くした食事を取っていたものだ。

 食材は勿論、調味料、香辛料も最高級、それを調理する料理人も超一流と来て、不味い料理が出来る訳もない。


 数ヶ月はそうした生活を送っていたのだから、ミレイユの舌もすっかり肥えていた。

 それもデイアートへ帰還してから、強制的に元に戻されてしまったが――。


「とにかく、今日の所は……いや、今日の所も、我慢だな。食事に限界を感じて火を焚き発見、なんて事になれば、泣くに泣けないぞ」

「分かってますよ、ちょっとの我慢です。これが終わるまでの」


 ルチアがそう言って力なく微笑み、ミレイユもそれに頷く。

 遠くでは、テントの設営場所を決めたらしいアヴェリンが、手を振って伝えていた。


 ――


 食事自体が味気ない物のためか、食事中の会話も味気ないものだった。

 これまでの旅疲れもあり、ようやく腰を落ち着けて座れる事で、緊張が外れてしまった部分もある。


 もそもそと肉の切れ端を口の中へ運び、食事も終われば、後は寝るばかりだ。

 交代制で見張りをするのも変わりなく、一切の明かりもないまま警戒を続け――そして、夜が明けた。


 ミレイユは鳥の鳴き声で目を覚まし、それからこんな所にも鳥はいるんだな、と場違いな感想を浮かべて起き上がる。

 テントから這い出し、冷えた空気を存分に肺へと送り込んで背を伸ばした。


「おはようございます、ミレイさん」

「おはよう、ルチア」


 そういえば、最後の見張りはルチアだったか、と未だ回らない頭で、ぼんやりとルチアを見つめる。

 一応毛布に包まっているが、テントの周囲はすっぽりと温暖な空気が流れていて、寒さは然程感じない。


 だがやはり、流れてくる風に長く当たっていると冷たく感じるので、それを考えての毛布だ。

 今はテントの前にいても冷たい空気が心地よい、と思っているが、更に何歩か前に出れば、そんな呑気な事は言っていられなくなる。


「ウッ……、ぐ……!」


 ミレイユが肩を回し、もう一度空気を吸い込んだ時、疼痛を感じて胸を抑えた。

 胸の奥から這い上がる痛みと連動する様に頭痛までしてきて、前屈みの格好のまま動きが止まった。


「ミレイさん……!」


 咄嗟にルチアが駆け寄って肩に手を回してくれるが、大丈夫だ、と小さく返答するだけで精一杯だった。

 呼吸一つの動作さえ痛みを伝えてくる気がして、一切の身動きが取れない。

 そうしている内に脂汗が浮いて来て、痛みに耐えて過ぎ去るのを、ただ待つ事しか出来なかった。


 細く呼吸を繰り返していると、次第に痛みも引いていく。

 胸の痛みが無くなると、頭痛も波が引くように消えていった。


「……ッ、はぁ……!」


 荒く息を吐いて、痛みの有無を確かめる。

 その動きで、一つの痛みも感じられなくなったので、幾らか安堵し息を吐いて、胸から手を離した。


「大丈夫なんですか、ミレイさん……」

「どうだろうな……。痛みはどんどん増している」


 ルチアに肩を抱かれ、手を引かれながら、ルチアが腰掛けていた倒木に座る。

 二人が座っても十分なスペースがあるので、同じ倒木にルチアも腰を下ろした。


「痛みの度合いも増しているんじゃないですか……?」

「そうだな……。少しずつ強まっている気がする。あと一年という時間制限も、果たしてどこまで信じたものやら……」

「汗の量を見れば分かります。貴女がそこまで苦しむ痛みというのは、ちょっと想像できません」


 ルチアはハンカチを取り出し額や首筋の汗を拭いながら、労しそうに目を向けた。


「私も少し、油断していた……。この身体はマナの生成を止めてくれないが、それでも際限なく絞り出そうとしてくる。生成量が少しずつ落ちているんだろうが、それでも構わず定量を取り出そうとする訳だ。それが痛みとなって伝わるらしい」

「刻印は逆効果でしたか……?」

「いいや、あれは無駄に垂れ流すしかなかった魔力を受け止める皿代わりになるから、有用には違いない。その魔力から、私の位置を検知できる可能性があるなら、対策しない訳にもいかなかったしな」


 ミレイユの呼吸も落ち着くと、ルチアもホッと息を吐いた。

 拭う汗もなくなって、それで身体を離していく。

 彼女の顔には相変わらず、心配そうな表情は張り付いているものの、過度な心配はして来ない。


「このこと、皆に言いますか?」

「言ったところで始まらない。短期決戦……そうだな、それしかない。元から完全な不意打ちと急襲、即座の決着を求めるものだった。分散して逃げられたら……追い付き、追い詰めるより先に、この身体が根を上げるだろう」

「ルヴァイル達のフォローがあるのでは?」

「勿論、ある筈だ。逃さないよう尽力してくれる筈だし、下手に合流もさせないようにしてくれる手筈だ。しかし、本気で逃げようとされたら、空を飛べる奴らは断然有利だ」


 逃してしまえば、奴らはミレイユの寿命が尽きるまで逃げ続ける事も出来るだろう。

 それは阻止しなくてはならない。

 これ程の短時間で、辿り着く事が出来たのだ。


 それを上手に使わなければ、これまで無理した甲斐もない。

 現状は、完全な不意打ちが可能な段階にいる筈で、そしてこれを逃せば二度目の機会は決して訪れないだろう。


 だから今目指すべきは、これまでそうして来た様に、これからも時間を短縮できる様に動く事だ。

 寿命が尽きるのはまだ先でも、満足に戦闘出来るのは、そう先の事ではないかもしれない。

 その機会を無駄にしない為、少しでも早い『遺物』への到着が必要で、そしてドラゴンとの接触が急務だった。

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