遺跡へ向かって その5

 崖の道は、それからすぐに終わりを迎えた。

 進んでいた道は、途中で断絶して歩く事が出来なくなっており、その代わり大きな横穴がある。

 穴の中は暗かったが、更に奥では明かりが見えた。


 洞窟の中は、どこか天井が空いていて、そこから光が降り注いでいるらしい。

 それが分かるなら、例え行き止まりであったとしても、立ち往生という事にはならない。


 普通なら、その天井より上から杭でも打ち付け、ロープを垂らすなどしなければ脱出できないが、ミレイユ達ならばどうとでも対処できる。

 先に穴の中を覗き込んでいたアヴェリンは、一度ミレイユへ顔を向け、それからまた穴の奥へと向き直った。


「こちらしか道はありませんが……どこに繋がるのか、また続くものか、ハッキリしません」

「……そうだな。しかし、来た道を戻るにも、一体どこまで戻れば良いか分からない。ここを進んでみたいが……」

「問題は斜面です。非常に分かり難いですが、途中で下へ傾いています。正面に見える光へ、盲目的に進んでいたら足を取られていたでしょう」


 言われてよくよく調べてみれば、暗闇の中、確かに道は下へ続く斜面となっている。

 洞窟の奥ではなく、底へ続いているかもしれず、そして滑り落ちる先が、どこへ続いているかも分からない。


 正面に見える明かりだけを追えば、途中の斜面に足を取られ、そのままどこかへ運ばれる、という仕組みらしい。

 自然に作られたトラップとはいえ、中々に嫌らしい作りだった。


「この坂を無視して、正面の光に行けると思うか?」

「何とも言えません。斜面の更に先が、どうなっているかです。光が見える以上は穴があるのでしょうが、人が通れる程の大きさとは限りませんし……」

「近づいて見分するまで、分かるものでもないか」


 アヴェリンから同意の頷きが返って来るのと同時、後ろからユミルの不満を含んだ声がする。


「それで、どうするの? 以前使ったルートが、既に役立たずになっているなら、どこを行っても大して変わらないと思うけど」

「とはいえ、無謀に危険へ飛び込むのは、最も忌むべき事ですよ。多分、ここにいる冒険初心者でもそう言います」


 ルチアから視線を向けられ、アキラは目を白黒とさせつつも激しく首を上下させる。

 確かに、面白そうだという理由で危険に突っ込むのは、単なる馬鹿であって冒険者ではない。

 そして、危険だと分かって突っ込むのは、馬鹿を通り越して狂人だ。


「……無謀と言われようと、進むしかない。引き返した先に安全ルートがある、という保証だってないんだからな」

「それもまた、尤もです。安全に見えるルートが見つかるかどうかは完全に運でしょう。徒労に終わる可能性もありますから……ではまず、斜面に注意しつつ、正面に見える光へ向かえるかどうか、調べてみるとしましょう」


 アヴェリンがそう提案すると、ミレイユは頷いて先を促す。

 軽く腰を落としながら、万全の注意をしながら進んで行くと、アヴェリンが手を挙げて静止を促す。


「どうした?」

「ここから氷が張っています。鏡の様になっている厄介な氷面ですので、転べば後戻りできないと思われます。どうか、ご注意を」

「あぁ、分かった。……皆、聞いたな?」


 それぞれから了解の合図が返って来て、アヴェリンは歩みを再開させる。

 魔力というのは十全に扱える限りにおいて、多くの利便性を生んでくれるものだ。


 しかし、やはり出来る事と出来ない事がある。

 個人の特性で覆してしまうものもあるが、概ねはそうでありとされている。


 その一つが、こういった表面が滑りやすい場所での移動だった。

 砕いて進もうにも、下手に衝撃を与えれば落盤の危険もある。

 こうした場所での下手な力業は、自分だけでなく仲間まで窮地に落とす。


 そろり、と足を忍ばせる様に移動を続けていると、後ろからアキラの叫び声が聞こえた。

 そうかと思えば、ユミルも声を上げ、何事かと後ろを振り返った時には、衝撃と共に転ばされてしまった。


「何を……!?」


 転んだ時にはもう遅い。

 ユミルと身体が密着されて身動きは取れなかったし、何よりミレイユもまた滑り始めて、アヴェリンを巻き込んでしまっていた。


 ミレイユの声に反応したアヴェリンが受け止めようとしてくれたのだが、如何せん、鏡面の様に磨かれた氷の上では、僅かな拮抗だけが限度だった。

 結局全員がひと纏まりになって、坂道を滑り落ちて行く。


「何やってんのよ、このお馬鹿!!」

「すみません! 足が滑って……!」

「だから注意しろって言われたんでしょ!!」


 ユミルの怒号は止まりそうもなかったが、今はとにかく状況の回復が優先だ。

 滑り落ちる速度は、時が経つほどに増していく。


 アヴェリンも足を踏ん張ったり、両手を広げたりと悪戦苦闘してくれているのだが、一つの大きな質量となってしまった集団は、そう簡単に止められない。


 ミレイユもどうにかしようと念動力を使ったのだが、この質量を受け止められる程、岩の壁面は頑丈でなかった。

 掴み取って、その部分から動きを止めようとしたのだが、一秒さえ持ち堪えずボロリと崩れた。


 斜面はまるで、ジェットスライダーの様に曲がりくねって、下へ下へとミレイユ達を運んで行く。

 誰もが魔術だけでなく、身体中を使ってどうにか止めようとするのだが、今や滑り台となっている道もその幅は広く、掴める場所も見つからない。


 焦りばかりが募る中、ミレイユ達の横を、立ったままのルチアが余裕のある表情で並走していた。

 いや、走っているのではない。

 スケートの様に足底で、優雅に氷面を滑っているのだ。


 後ろ手に腕を組み、小石を蹴る様な仕草で、片足を上げる余裕すら見せている。

 意外な才能を、今更見せられた気持ちだが、とにかく今はこの状況を何とかするのが先だった。


「ルチア、これどうにか止められないか!」

「……止められますけど、止めてどうなるって問題でもありますよ。これからまた、来た道を這い上がるんですか?」

「それは確かに考えるだに億劫だが、このままという訳にも……!」

「いえ、いっそ終点まで行きましょうよ。誰か一人転んで、また底まで滑り落ちたら目も当てられませんし、回収するのも面倒です」

「あぁ、くそっ……!」


 ミレイユが悪態を吐いたのを皮切りに、ユミルが後ろを振り返って恫喝する。


「アキラ! アンタ、後で覚えてなさいよ!」

「ひぃぃ、すみませんんん……!」


 アキラが泣き顔で必死に弁明をしている時でも、ルチアはミレイユの横で見事な滑走を見せていた。

 魔術的というより、単純な身体能力とバランス感覚で為せる業だろう。

 最早どうにでもなれ、という心境だったミレイユは、その見事な滑りを間近で堪能していた。


 そうこうしていると、斜面の底にも明かりが見えて来る。

 小さな光がみるみる大きくなってきて、終点の行先も視界に入って来た。

 そこは大きな広場になっており、その地面に光が注いでいるようだった。


 この人数で、揉みくちゃにされた状態では受け身などまず不可能だろうな、と達観した気分で待ち構えていると、唐突にアヴェリンがミレイユを自らの胸へ掻き抱く。


「ミレイ様、失礼します!」


 その言葉を聞き終わるのと、滑り台が終わるのは同時だった。

 空中へと投げ出され、浮遊感を味わうのも束の間、地面へ投げ出されて何度も転がる。


 ミレイユはアヴェリンがクッションとなってくれたお陰で衝撃は殆どなく、また転がり続けた時も、その多くをアヴェリンが受け持ってくれてダメージもない。


 完全に勢いが消えたところで解放され、非常に疲れた気分で立ち上がろうとした時、その近くにルチアがふわりと着地した。

 フィギュアスケートの選手を、氷上の妖精と評したりする事があるようだが、彼女は正にそれだった。


 ユミルにも当然それが見えていて、アキラを蹴飛ばしながら立ち上がると、前髪を掻き上げながら、苛つきを抑えようともせずに吠える。


「随分と見事なお点前ですコト。アタシも次からは最後尾にするわ。上手く氷を滑れそうだしね」

「理不尽な怒りをぶつけないで下さいよ。それよりアレ、どうします?」


 ルチアが指を向けた方向には、魔物の姿が確認できた。

 全身を毛皮で覆われた人型の魔物で、イエティや雪男の様にも見える。


 厚い筋肉と脂肪を持ち、外皮を少々斬りつけただけでは傷にもなりそうになかった。

 そして実際、この魔物に少々の切り傷は全くの無意味だ。


 それをミレイユは良く知っている。かつてこの山を登った時にも遭遇した魔物だ。

 ミレイユ達はこの魔物相手に苦戦した記憶はないが、最初の一太刀を浴びせて意外に思った事は記憶していた。

 未だ倒れ込んだままでいるアキラを、ユミルが蹴り付けて顎をしゃくる。


「ほら、アンタさっさと行って倒してきなさいよ!」

「は、はいっ! でも、アレ何ですか。僕、知らないんですけど」

「とっても怖い魔物よ」

「もっと具体的に教えてくれても良いじゃないですか!」


 アキラが悲鳴を上げながら詰め寄ろうとするが、ユミルは全く取り合おうとしない。


「このまま益体も付かない会話を続けるか、魔物を倒しに行くか、どっちがいい? ――あるいは、殴られるでも良いけど」

「分かりました! 行きますよ!」


 アキラは半ば自棄になって、刀を抜きながらミレイユの傍を通り過ぎる。

 縋る様な視線を向けて来たが、肩を竦めるだけで何の助言もしなかった。


 あの魔物は冒険者ギルドにも登録がない筈だが、強さとしてはそれ程でもない。

 トロールの亜種で、極寒の環境に適応して毛皮を持ったり、より多くの脂肪を蓄えたりした様だが、攻撃方法まで変わったりしていなかった。


 北国で棲息する動物ほど、身体も大きく、体重も多くなる。

 それと同じ事は魔物にも適応されるらしく、かつてアキラが相手にしたトロールより強敵だ。

 体格だけでなく、相応に力も強くなっているが、今のアキラなら脅威とはならないだろう。


 ただ、脂肪の厚さからダメージは通り難いし、回復速度も通常個体より速い。

 ちまちまと斬り付けているだけでは、一向に倒せない敵だ。

 それを初見で、どのタイミングで看破し、そしてどう対応するのかを見る、良い機会だった。


 倒せて当然の敵という認識だから、誰も心配などしてないし、どの程度で倒せるかを注目している。


「ヴォォォォオオオ!!」


 威嚇の為か、雪トロールが大きく吠えて、アキラが刀を取り出し、抜き身を向ける。

 まだ距離があるから接近を止めてないが、その後ろ姿に気負いはなかった。


 それなりに場数を踏んだのは事実らしく、咆哮程度で今更怯んだりしない。

 そして本当の実力者なら、今の咆哮でどの程度の実力を持つのか、ある程度看破できる筈だった。


 値踏みする様に見つめていると、アヴェリンがすぐ傍に立つ。

 ミレイユは鷹揚に頷き、小さく手を挙げた。


「先程はご苦労だった」

「勿体ないお言葉! お身体の方は大事ありませんか……?」

「いや、そこまで気を使って貰う程じゃない。……これは強がりじゃないぞ」


 ミレイユは小さく苦笑する。

 わざわざ庇ってくれたのは有難かったが、そこまでされる状況でもなかった。

 空中で体勢を立て直せる可能性は十分にあったし、着地に失敗したところでダメージは無かったろう。


 随分、過保護な対応と思ったが、つまり最近見せ始めた痛みを気遣ってのものだったか。

 妙に腑に落ちた気持ちでアキラへ目を戻すと、アヴェリンも隣で腕を組み、つまらなそうに息を吐く。


「まぁ、アキラはあの程度、問題にしないでしょう。どうせなら、もう少し歯応えのある相手をぶつけたいですが……」

「そうだな。しかし……」


 ミレイユが考え込む仕草を見せた事で、アヴェリンは心配そうに顔を覗き込んでくる。


「……どうされました?」

「いや……。少し思い返していただけだ。ほんの少し前ならば、もっと評価は低かっただろうとな。あんな魔物でも、ミノタウロスよりは強い」

「それは……、然様ですね。確かにアキラはマシになりました。ですが、あれの本質は戦士ではない。最近、そう思う様になりました」

「そうなのか? ……いや、確かにアレは戦士というには、色々足りない部分が多い」


 アヴェリンが持つ戦士観とは、つまり自分の部族を中心とした考えだろう。

 それにアキラは当て嵌められない、と言いたいのなら分かる気がする。

 上達する意思はあっても、他を圧倒しようという気概が少ない。


 今も雪トロールに向き直っているが、戦う、挑む、という気持ちよりも、どう対処するかに重きを置いているように見えた。

 戦士ならば、まずこれを打ち倒す事に意識を向け、戦意高揚させるところだろう。


 アキラに、それがないのは確かだった。

 アヴェリンはアキラを戦士にしようと鍛え上げていたが、再会してからの姿を見て、何らかの心境の変化があったらしい。


「まぁ、とりあえずお手並み拝見だな」

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