『遺物』と願い その5

 ミレイユにも全く自覚なし、だった訳ではない。

 つい先程も、寿命について指摘されたばかりだ。

 元より一年未満の寿命しか残されていない、と告げられ、戦闘で魔力を消費する度、寿命を削っていると実感していた。


 未だ現実感を持って寿命を理解している訳ではないが、『死』の足音が聞こえて来るようでもある。

 今まで、死ぬ目には何度も遭ってきた。

 しかし、その時でさえ、自分の死を予感こそすれ、その『死』を背後に感じる程ではなかった。


 だが今は、それを指摘されてしまえば感じずにはいられない。

 現世を助けに行く事、そして戦闘の渦中に身を投げ出す事は、燃えたぎる炎の中に身を投じる事と変わらない。

 生きて帰れぬ保障はない、というレベルではなく、自殺しようと身を投げ入れるに等しい行為だ。


 ミレイユの体調が万全で、寿命という楔がないのであれば、その様な心配は要らなかった。

 またいつものように、苦戦を免れない強敵を相手に奮戦すれば良いだけだ。

 だが、この戦いでは、そうはならない。


 八神との戦闘前に立っていた蝋燭は、今や残り寿命を自覚してからの三割まで擦り減ってしまった。

 感覚的なものだから絶対ではないが、五割より低い。

 それは間違いのない感触だった。


 ミレイユは己の胸に手を置いて、その心拍を掌で感じ取る。

 早鐘のように打ち鳴らす鼓動は、単に緊張や興奮から来るものではなかった。

 ――風前の灯火。


 その風に掻き消されないよう、ミレイユの火は必死に燃やしているだけだ。

 戦闘前には安静にしていれば一年保つだけだったものが、今や安静にしていても三ヶ月と保たない程に摩耗してしまっている。


 このうえ戦闘を続ければ、どれほど寿命が削られるか分からない。

 温存して戦える相手でもなく、そして下手な温存は、返って戦闘を長引かせる事になるだろう。


 短期に集中して魔力を運用しなければならず、急激な消耗を強いられてしまう。

 だが、それをせねば勝利を手繰り寄せる事も出来ない。


 そしてそれは、いつもの四人が揃ってこそ、実現できる事でもあった。

 現世でアヴェリン達を戦わせるというのなら、そこにミレイユもいなくてはならない。

 それがミレイユの下した結論だった。


「――気遣いは有り難いが、行くと言うなら私もだ。結果的に、そっちの方が全員の生還が叶う。誰も死なせたくないのは、私も一緒だからな。私だけが残り、お前たちだけに行けと命じる事は、絶対にない」

「……ま、そんな反応だろうとは思ってたわ」


 ユミルは呆れた顔をして息を吐いたものの、落胆するような素振りは見せなかった。


「……案外、素直に受け入れるんだな」

「昇神を受け入れる言葉は聞き出せたしね。アタシとしては、それだけでも満足だし。あっちが全て片付いたら、こっちに帰って大神やってくれるんでしょ?」

「……なに? 馬鹿を言うな。大神をやるとは言ってない」

「あぁ、まぁ……言葉の綾よ。でもさ、帰って来ないと……」


 言い差して、ユミルは背後のルヴァイル達へと流し目を送った。


「この二柱が一切の償いもないまま、のうのうと生き続けるコトになるワケよ。それどころか、新たに世界を支配する二柱神として君臨するかも……。それって、かなり癪じゃない?」

「い、いえ! 妾達にその様な意志は微塵も……!」

「……当たり前だろ。今更どのツラ下げて、神の続きをしろってんだ?」


 ルヴァイルとインギェムは焦り顔で首を振ったが、この際、この二柱がどう思っているかは重要ではない。

 それが可能である事と、ミレイユ達が定住先を現世と定めれば、似たような形になるのは避けられない、という事だ。


 大神を名乗っていた神は、最早この二柱しか生き残っていない。

 今はまだ弑し奉られたと地上の民は知らないだろうが、それでもいつかは嫌でも気付く事になるだろう。

 その時、全くの無反応を貫けるかどうか、という問題もある。


「数千万の信者を得られる神っていうのも、己らにとっては雲の上の話だしな。誰がそれに相応しいか、なんて議論の余地もないだろ」

「いや、あれは憶測で、正しい数字でも無くてだな……」

「だが、全くの当てずっぽうって訳でもないんだろ? さっきは否定しなかったもんな? 近い数字が見込めるってだけで、格の差ってのを思い知らされた気分だよ。一番信者の数が多かったラウアイクスだって、その一割も居なかった筈だしな」


 それは神の数の違いから分散されている事と、そもそもの人口の差が関係しているだろうし、更に言うならそれはオミカゲ様の功績であって、ミレイユのものではない。

 大体、あれはより熱心な信者を現した数字であって、もっと程度の低い信者なら更に数は増すだろう。


 思考が横滑りしているのを実感して、ミレイユは慌てて直前の問題に目を向ける。

 だがそもそもとして、神の今後に対し、ここで議論するのは時間の無駄でしかなかった。


 ――何しろ、既に十分時間を浪費してしまっている。

 何も、これまでの会話が無駄だったと言いたい訳ではない。

 むしろ、何も相談せずに、事前に考えていた願いを口にしていたら、この世からマナも魔力も取り上げられる所だった。


 そこから生まれる混乱と生態系の乱れは、生物の死滅すら招きかねない危険な願いだ。

 このまま生きて帰らなければ、ルヴァイルとインギェムの総取りとなってしまうような形なので、それを許すのはどうなのか、という是非の問題もある。


 ミレイユとしてはルヴァイル達を信頼し始めているが、神として問題なく任せられるか、という部分については疑問だった。


 ともあれ、昇神はまだしも、この世界に根差すかどうかは、もっとじっくり考えたい問題だった。

 ミレイユは改めて全員を見渡し、最後にルチアとユミルに目を向ける。


「とにかく、今まさに世界崩壊の危機だ。これを解消するのが先だろう。――そして、『遺物』に言う願いは、『世界をあるべき姿へ』だけでは更なる破滅を招きかねない、という認識で良いんだな?」

「そうね、……そうだと思うわ。だから、そこは変更して貰わなきゃいけないでしょ。最早、マナも魔力もない世界の方が健全じゃないと思うんだけど、あるべき姿という単語は危険だわ」

「では、健全な世界、と願えば良いんでしょうか? ……とはいえそれも、何を持って健全とするものやら……。明確にならない文言は怖いですね……」


 ユミルの言葉を聞いて、ルチアも困り顔になって顎先を摘む。

 判断基準を『遺物』頼りにするしかない上に、それが人類本位ではない、というところに危険があった。

 願う者の希望を、ある程度汲み取ってくれる事は、ミレイユが使った時からも理解できる。


 ただし、必ず願う者の望む形にならない事もまた、理解できている事だった。

 ある種の法則、大極を見据えて判断を下すと思われ、そしてそれは自分の周囲しか見て判断できない人間には持てない視点だ。


 あまり真剣に考えても馬鹿を見るかもしれないが、考えずにものを言って、破滅を招く結果となるのは避けねばならない。

 だから、何と願えば良いのか躊躇わせる。


「何を持って判断するか。それが全てにとって都合の良い形にできないのは確かだし、ある種の公平性を持って行われるのも確かだろう。そう考えた時、瘴気の消失、崩れ去る世界の危機から救うには、どうすればいい?」

「今まさに危機の最中なんだから、その危機から救え、じゃ駄目なのか?」


 何気ない口調でインギェムが問うと、それをユミルがゴミを見るような目で返す。


「それなら、目の前の危機だけしか取り除かれないでしょ。瘴気も消えるし、崩壊は止まっても、あくまでそれだけで、世界を維持する方法がないままなんだから、すぐに崩壊がまた始まるわよ」

「あぁ、だから健全とか、元に戻すとか言ってたのか……」

「そのぐらい分かっとけ、って話でしょ。――で、カミサマやってた身としては、何か良い案とかないワケ?」

「散々、無能呼ばわりしておいて、そんな都合良く妙案が出るかよ。言っとくが、己は考えなしで生きて来た身だぜ? 『遺物』に対してロクに関心もなかったのに、都合の良い答えなんて捻り出せるかよ」


 ひたすら尊大な開き直りだったが、インギェムらしいと思わず苦笑してしまった。

 ユミルはゴミを見る目から蔑む目に変えて一瞥し、すぐに目を離す。

 隣のルヴァイルに視線を移したものの、その目は余りに冷ややかで、期待していないと言っているも同然だった。


「アンタは、なんか良案ある?」

「申し訳ないのですが……。すぐに思い付くものも、『遺物』に対する知識もなく……」

「まぁ、そうだろうとは思ったわ……」

「――もっと単純で良いのではないか?」


 その時、横合いから口を挟んだのはアヴェリンだった。

 全員が難しい顔をして悩んでいる中、彼女がただ一人、自然体のままユミルを見据えている。


 頭脳労働は別の者、と割り切っているからこその余裕に見えたし、結論も妙案を出すのも自分じゃないと分かっているからこその余裕だった。


「魔力もマナも無くては困るというなら、魔力もマナも残して元に戻せ、と願えば良いではないか」

「いやアンタね、前提となる話を聞いてた? より単純で短い願いは、より強い結果を生み出すのよ。それじゃ冗長だもの」

「そうか? 十分、単純に聞こえるがな」

「そりゃ、アンタにはそう聞こえるでしょうけど……」

「いや、待て」


 言い合いが始まろうとしている二人を、ミレイユが手を挙げて止める。

 より簡潔に、より単純に、より短い文言で……それを考えていたから、言うべき言葉が見つからなかった。

 しかし、その単純さを紐解けば、少し希望が見えてくる。


「アヴェリンの言うとおりだ。単純というなら、確かにそれでも単純だろう。一言で済む内容でなければ駄目、という法則があるでもない。全てを求めるのは無理としても、求める結果を考えると、悪い文章でもないと思う。……お前はどう思う、ルチア?」

「そうですね……」


 ルチアは顎先を摘んだまま、首をコテンと傾けた。


「良いんじゃないでしょうか。その結果を求めるのに、それ以上に単純化するのは無理ですよ。下手に短縮すると、それこそ意味を履き違えて解釈されちゃいそうですし……単純というなら、確かにこれは単純かつ明快です」

「――決まりだな。アヴェリン、良くやった」

「勿体ないお言葉です」


 アヴェリンは慇懃に礼をした後、勝ち誇った笑みをユミルに向ける。

 そのユミルは鼻の頭に皺を寄せる程に顔を顰めていたが、何を言っても言い訳にならないと悟っているらしい。

 表情でのみ意趣返しとして、それ以上は何もしなかった。


「では、願いを言う」


 ミレイユは全員に背を向け、それから『遺物』の機構部分に向き直る。

 緩やかに回転する青く光る球体に向かって、朗々と声を張り上げた。


「魔力とマナを残し、世界をあるべき姿へ戻してくれ!」

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